02. 2011年5月18日 02:19:10: oWbillhalg
1〜3号機とも、燃料が圧力容器底部に溜まっているとは考えられない。すでに圧力容器から格納容器に抜け落ち、格納容器底に保守管理用に打設したコンクリート床も浸食し、チャイナシンドロームに踏み込んでいたと思われる。 最近3号機の圧力容器が温度上昇したとの話があり容器内に燃料棒が存在するかのような印象もあるが、東電のことだから調整、修理もせず、計器の狂いをそのまま公表することは度々なのでこの温度も鵜呑みに出来ない。 1〜3号機とも、燃料が圧力容器底部に溜まっていないと私が考えるのは、いずれの号機も事故状況、水位低下の傾向、給水のダダ漏れとも同じだからだ。東電の見解は宛にならないが、ここでは東電が1号機のメルトダウンを認めた5月12日の会見をベースにして実際はどうであったか推測してみる。先に結論を言えば会見で示されたデータをベースにしても、東電が主張する圧力容器底にメルトダウンした時刻は地震発生16時間後の午前6時頃というのはほぼあり得ず、午前2時頃にはすでに圧力容器底に溶け落ちて底を溶かし午前3時から3時半頃にはすでに格納容器に燃料が落ちていたということである。 では推測。 1号機の場合、11日14時46分発生の地震約3時間15分後の午後6時に燃料棒上端から5mの位置にあった通常の水位が燃料棒上端から0.5mまでの位置つまり4.5m低下し、その1時間半後の午後7時半頃にはさらに4.2m水位が下り燃料棒下端に達し燃料棒は100%露出した。この時点で圧力容器底からの水深は5.3mである。つまり直径4.8mで高さ20m体積360m3の1号機の圧力容器の場合、正常の水深は圧力容器底から14mであるが僅か4時間45分で8.7mも水位が下がった。午後6時までの水位低下はまだ燃料棒が水中であるからこの時点の水位の低下は蒸発より主に圧力容器損傷による漏水と思われる。その低下速度は毎分約2.3cmである。それ以降午後7時半までの低下速度が約2倍の4.7cmの速度であるのは、燃料棒の露出に伴う急速な炉心の温度上昇で蒸発が加わわったためと思われる。 したがって漏水と蒸発による午後7時半以降の水位低下で圧力容器底まで完全に干上がる時間は、容器底に漏水箇所があると仮定すると530cm÷4.7cm=112分ということになり午後9時22分時点で圧力容器の水は空の状態である。漏水箇所は底でなく再循環ポンプの上側配管などの部分でその位置が燃料棒下端から100cmくらい下と仮定した場合には、その範囲の低下速度は漏水と蒸発の毎分4.7cmで燃料棒下端から100cmまで下がる時間は100÷4.7=22分、またそれから下の水が無くなる時間は、蒸発のみだから4.7-2.3=2.4cmの低下速度であり、(530-100)÷2.4=180分である。結果、燃料棒下端100cm付近で配管等損傷による漏水があった場合は、22分+190分で合計212分、つまり燃料棒下端に水位が下がった午後7時半の3時間32分後の午後11時には完全に干上がる。このような流れのなかで、地震のため一切途絶えていた給水を再開したのは12日午前5時過ぎである。 以上の分析から11日午後9時20分頃か午後11時頃には完全に水は干上がっており、12日午前5時過ぎの給水再開までの間は圧力容器内に水は一切無かったのはほぼ確実なのだ。 こうして水無し状態で炉心溶融が進むなか、燃料棒は全露出した11日午後7時半から損傷し始め燃料集合体中心部から溶け始めた。東電は会見で地震発生から5.1時間後には燃料集合体中心部の大部は被覆管が溶け燃料が支持板位置に落下したという見方を述べた。 東電の言う5.1時間後というのは被覆管を溶かした時点であり、そのときの燃料の温度は、被覆管の融点の1400℃〜1500℃以上である。燃料は5時間ほどで1400℃に達したことになる。その上昇率でいくとすれば全炉心を完全溶融させる2800℃に達したのは地震後約10時間後の12日午前1時前だ。つまり12日午前1時頃には燃料棒支持板や制御棒案内管など下部構造を溶かしながら4.7m(支持板は底から4.7m位置)下の圧力容器底に落ちる寸前だった。 2800℃にもなれば距離4.7m程度の肉厚の薄い案内管などたちまち溶かして燃料は1時間そこらで水の干上がった底に到達するだろう。 その時刻は12日午前2時過ぎと思われる。 11日午後9時22分から10時40分にはすでに水は干上がり12日午前5時過ぎまで水無し状態である。したがって溶けた燃料が底に到達してから水無状態の3時間の間に2800℃で圧力容器の底を溶かしはじめた可能性が高いのだ。1分間に2,3mmづつ圧力容器の鋼鉄を溶かしたとすると16cm厚の圧力容器は53分間から80分間で底が抜ける。 その時刻は12日午前3時から3時半である。 案内管等の中空部を伝って落ちた燃料もあるかも知れず、それだともっと早い時刻に燃料の一部は格納容器に落ちていた可能性さえある。そして底を破って溶け落ちてきた燃料は、圧力容器底に垂れ下がる計装管や制御棒案内管を溶かし落として3m下の格納容器底に落ちていったと思われる。 12日午前5時過ぎに給水が再開される1時間半から2時間前に、燃料は格納容器に落ちてしまったのだ。 格納容器底部近くの下側計測範囲に水位が満たず計測不可と東電が発表したが、圧力容器の水位の件と同じく、格納容器に溶け落ちた燃料は、水棺給水したハズの水が全部漏れ濡れただけの状態かせいぜい水たまり状態の環境に落ちた可能性がある。(そうであれば水蒸気爆発が起こらなかったのは爆発条件など考えるまでもなく説明がつく。)そして保守管理の水平床を作るため球形の格納容器底に打設されたコンクリートを浸食したり、格納容器の3cm厚の鋼鉄を溶かしたりし窪みを作っていた格納容器内に落ちた燃料は、1、2時間後の午前5時過ぎの圧力容器への給水開始で、幸か不幸か直上の底抜け穴から落ちてきた水を被ったと思われる。底抜け穴の直下でチャイナシンドローム中の燃料が浸食した窪みは、丁度プール代わり(毎秒2、3リッターのちょろ水なので溜まる暇もないだろうが)をして燃料が部分的に冷え固まったろう。 窪みと考えるのは、東電が会見で説明に使った建屋断面図によれば、球形の格納容器は地階階高全体に渡るコンクリートに埋め込まれた状態なので、格納容器を突き抜け屋外に落ちるというイメージではなく浸食作用からだ。 窪みなら本来水が溜まる形状だが、ちょろちょろ落ちてくる水では蒸発してしまいほとんど溜まらないだろう。燃料は3m高さから落ちれば面的に広がったかも知れないがもし塊状なら、外側が一定厚冷え固まるだけで丁度ブヨブヨの半熟卵を二つ割りにして伏せたようになっていたかもしれない。その場合冷え固まった一部は置き去りにして黄身の部分がコンクリートや鋼鉄を溶かし突き進むだろう。突き進む燃料に相当量の水が上から染みこんでくれば順次外側が少しづつは冷え固まると思われるが、先細りするまで長い時間が掛かかり浸食し続けるだろう。 以上で私の見方は終わり。 東電は地震発生16時間後に圧力容器底に溶け落ちたと言ってるが、事故に巻き込まれ校正もしなかった事故当初の怪しい計器データなどあまり当てにせず、物理的推測による以上の検証からすれば東電の見解は極めて疑わしい。 東電の時刻推定は地震後途絶えていた給水を12日午前5時過ぎに開始した後に圧力容器底にメルトダウンしたと言いたかったのではないか?つまり「東電式想定外」に対する無策振りを隠し「東電式想定内」にしたい願望から、給水中のメルトダウンだから底に溶け落ちた燃料は危機一髪で冷えて圧力容器の底を抜くことはなかったと言いたかったのだろう。東電らはいつも希望と現実を混同しその範囲でしか対策を考えないため、いざ都合の悪い現実に遭遇するとなすすべが無く被害を拡大してしまう。 私は12日午前6時頃の1号機は以上のような状態だったとみる。2,3号機もほとんど同じ事故状況と経過を辿っているので1号機と同様メルトダウン状態だと考える。 私の推測が絶対正しいとは言わないが、とにかく東電や保安院らの説明は怪しい点が多過ぎる。技術以前に、願望と現実を混同しない合理的考えのしっかりした人材を使え!
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