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「[1号機問題 その1]最初の“メルトダウン”は管政権の判断力:押しつけられたものを押しつけた「工程表」の悲劇」(http://www.asyura2.com/11/genpatu11/msg/223.html)の続きです。
日本で何が重大なことが起きたら「米国絡み」という当たり前だとずっと理解してきたはずの現実を目の当たりにして、疲労感がまったく抜けない今日この頃である。
この1号機問題の書き込みも、疲労感みなぎる12日の夜中ころ構想を立てたが、3月11日事故発生からの新聞記事の読み直し、公表データの再確認、頭の中での仮説構築と妥当性チェックそして仮説再構築と、あまりにも膨大な作業量でメゲメゲになりそうだった。
(その1)で提示した、「全炉心溶融はいつ頃起きたのか?」・「圧力容器や格納容器はいつ頃損壊したのか?」・「注入した大量の水はどこへ行ったのか?」について自分なりの解釈を説明したい。
■ 全炉心溶融はいつ頃起きたのか?
2、3号機も同じだが、1号機の圧力容器は毎時6m3(6千L=6トン)の注水があっても水位は−1600mmから−1750mm近辺でまったく上昇しないままだった。
「水棺」(冠水)のためということで8m3/hやときに10m3に水量を増やしたときも、原子炉圧力容器の水位にほとんど変動(上昇)は見られなかった。
(さっき見た記事投稿で東電も2、3号機の水位があてにならないことを認めているようだが)
以前にも書いたが、3月11日の事故直後の公表水位データ推移から、1号機は再循環ポンプが破損している可能性が高いと考えていた。
そして、それは、津波や水素爆発の影響ではなく、水位低下=炉心露出の速さから3月11日の地震そのもので破損した可能性が高いとも思っていた。
(ギロチン破断まではいかないが、小さな亀裂レベルでは済まず、それなりの切断の可能性)
1号機は非常用バッテリーがまだ動き非常用復水器から注水がされ続けていた3月11日午後10時の水位が550mmと公表されている。16:36の15条事象発生から5時間ちょっとで、給水は一応されているのに4500mm(4.5m)近くも下がったことになる。
バッテリーが止まってしまったあとと考えられる12日朝5時2分からは、3時間30分ほどで1050mm(1m)、5時間弱で1000mm(1m)と比較的緩やかな水位の低下にとどまっている。
これは、再循環パイプの下まで水位が低下してしまったことで、それ以降の水位低下は蒸発が主たる要因になったと推察できる。
あいた穴の場所はどこであれ、原子炉圧力容器と格納容器のあいだがスルーになったために、圧力容器と格納容器の圧力が同程度で推移するようになり、それが圧力容器より弱い格納容器の危機と判断されベントの実施が急がれたのだ。
先日14日の読売新聞の記事に「なぜ、トラブルの発見が遅れたのか。水位計を調整する前、圧力容器と格納容器の圧力に差があったため、東電は「容器の損傷はない。格納容器にも着々と水がたまっている」と見込んでいたからだ」(脚注参照)とあるが、冷静に事故経緯を当初から振り返れば、圧力容器と格納容器の圧力に差がなかったことを思い出すはずだ。
まあ、これは、米国からの指示で窒素封入や冠水作戦をやらざるを得なかったことの言い訳だと受け止めよう。
今回5月11日にわかった圧力容器の水位はダウンスケールなので、燃料棒はある時期から完全に露出していたことになる。
それはたぶん、3月12日18:30にA・B両系列とも水位計がダウンスケール(D/S)を示したときだろう。
1号機は3月12日15:36に水素爆発を起こしているので、それまでにすでに燃料被覆管がある量で酸化を始めていたことになる。建屋上部で水素爆発を起こすのに必要な量の水素が発生するレベルの酸化が進んでいたはずだ。
公表データでも、水位が12日8:49には−400mmとなり炉心=燃料棒が露出を始め、12:05には−1500mmにまでなっている。
ECCS(緊急時炉心冷却装置)がある程度動いている(高圧系スプレイ不作動の)条件下でも、露出した燃料被覆管の表面温度は、わずか3分ほどで300℃弱から600℃超まで一気に上昇する。
通常運転時の燃料ペレット中心部の温度は1700℃くらいだから、冷却水がなくなればあっという間に被膜管表面温度が高くなってしまうのは当然だ。
(燃料ペレットの中心温度は異常時に2230℃になり制限値(願望でしかないがそうじゃないと誰かの言い訳じゃないが設計できない)は2500℃)
燃料被覆管は7〜800℃あたりから酸化が始まり、それで水素が発生し、その反応自身が強い発熱を伴うものなのでさらに温度が急上昇し、原子炉で許容限界値とされる1200℃を超えると、被覆管が全面的に酸化してしまうことになる。
さらに被膜管のジルカロイは融点が1800℃だから、それを超えると被膜管は溶けてなくなり酸化膜だけが残る。酸化膜は水で冷やされると脆くなるから、燃料ペレットはどんどんこぼれ落ちることになる。
核分裂で生成されているプルトニウムの融点はわずか640℃と低いから、ペレットの表面部にあるプルトニウムは二酸化ウランより先に溶け始める。制御棒の耐熱性も1000℃程度だから、ほどなく形をとどめなくなる。
(3号機で部分的に使用されているMOX燃料はプルトニウムを混ぜているので燃料ペレット自体の融点も低くなる。MOX燃料は二酸化プルトニウムを二酸化ウランと混ぜて(13%ほど)いるのでプルトニウムの融点よりはずっと高い。現在建設中で岡田幹事長がバカ丸出しで続行と主張している大間原発は、オールMOX燃料で稼働させる予定の危険度がより高い原発)
このような経緯で1号機の燃料棒は2700℃を超え、二酸化ウランになっているウラン235もウラン238も溶かし、プルトニウムともども、落下し沈殿したそれらがどのような形状になったかによって臨界に達した可能性もある。
(今では再臨界は間違いないと思っているが政府の公式発表を待ちたい)
1号機では遅くとも3月13日午前中にはこのような事態に陥っていたと考えられる。
関連するのかどうか不明なので政府の説明を望むが、3月13日の15条通報のなかで理由がわからないものがある。
「[事故発生から2号機圧力抑制室損壊までの経緯:4] (その6)」(http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/575.html)の内容だが、
「9:38 保安院レポート:1号機について15条通報。
※ これは8:56の判断に基づく東電の通報だと思うが、なぜ、1号機についてとなっているのだろう?放射線量の問題だから1号機と限定できないはずだが。 」
と書いている。
そのなかでこの理由なのかなと取り上げたのは、
「8:56 東電は、別立ての文書「原子力災害対策特別措置法15条第1項の規定に基づく特定事象(敷地境界放射線量異常上昇)の発生について」
(http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/press_f1/2010/htmldata/bi1330-j.pdf)
で、敷地境界の放射線量が制限値(500μSv)を超えたので15条事象と判断したと記す。
しかし、この時刻の前に放射線量が大きく上がるような事象についての説明は、保安院・東電のどちらのレポートにも見えない」
という内容である。
これが、正門付近で何回か計測されたと東電自身も認め報道もされている“中性子線計測”であれば腑に落ちる。
3月13日の午前中なら、2号機は注水が継続されており、14日午前に水素爆発を起こした3号機はすでに危険水域にはいっているが決定的な状況ではなく、核分裂反応(再臨界)に伴い放出される中性子線の発生源は1号機の他には考えられない。
そうであるならば、中性子線の観測をもって、「1号機について15条通報」となっても不思議ではない。
1号機の全炉心溶融は、3月13日に起き、政府・東電もその時点で認識していたと考えている。
※ 参照投稿
●「秘匿されている3月13日午後の“重大事態”は何か?政府・東電のレポートに潜む奇妙な『空白』を読み解く」
(http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/582.html)
●「[事故発生から2号機圧力抑制室損壊までの経緯:4] (その6)」
(http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/575.html)
●「事故を「レベル7」まで深刻化させた政府・東電の大罪:2号機圧力抑制室損壊は事故対策チームの極めて深刻な失態」
(http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/549.html)
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