03. 2011年5月14日 00:51:35: oWbillhalg
投稿記事によれば、地盤耐力が無いことと原子炉共振の危険性の与件に対して、浜岡原発設計チーム代表者会議で「データを偽造して地震に耐えられるようにする」とは。。。数日前発生した深夜の3号機黒煙について、東電、政府が会見で「そんな出来事は報告受けてない(従ってそんな事実は無い)」ととぼけたた。それは事実をねじ曲げ都合よく解釈する「有ることを無かったことにする」という態度である。以下の例はこのような事実を事実をねじ曲げ都合良く解釈する態度が招いた歴史的悲劇の例であり阿修羅の同黒煙投稿記事にコメントしそびれたものだが、浜岡原発設計段階でも黒煙答弁と同じく「有ることを無かったことにする」ことがあったようなのでこちらにコメントする。 ********************************** まるでどこかで聞いたような話しだな。 それはミッドウェー海戦1ヶ月前の戦艦大和での第二弾作戦の図上演習だ。連合艦隊参謀長宇垣纏中将が図上演習を統監した。第二段作戦とはミッドウェー、アリューシャンを攻略したのちフィジー、ニューカレドニアを占領し、オーストラリアを空襲してさらにジョンストン島、ハワイを攻略するという大作戦のことだ。 この図上演習に参加していた、空母飛行隊総指揮官として開戦から終戦まで常に機動部隊と行動を共にし、真珠湾攻撃では第一次空中攻撃隊を率い有名な奇襲成功の暗号「トラ・トラ・トラ」を機上から打電した、元空母赤城飛行隊長淵田美津男中佐は、そのときの状況を元連合艦隊参謀奥宮正武少佐との名著「ミッドウェー」の中で次のように述べている。 「だがそれ(図上演習)は極めておおざっぱに実施された。それは統監である宇垣参謀長の傍若無人と思われるほどの指導によるものだった。ミッドウェーを南雲部隊の飛行機が空襲するとき、米陸上機が我が空母群に爆撃を行った。統監部員である第四航空戦隊航空参謀奥宮正武少佐は、その爆撃命中率を定めるためにサイコロを振った。そして演習審判規則に従って命中弾9発と査定した。そばで見ていた宇垣統監は同少佐を制して、『いまの命中弾は1/3の3発とする』鶴の一声である。沈没すべき赤木は小破と宣告された。 このようなお手盛りの審判にも係わらず加賀の沈没が決定的となった。驚いたことには、沈んだはずの加賀が再び浮かび上がって、次のフィジー、ニューカレドニア作戦に参加させられた。空中作戦でも同様のことが行われた。このような統裁振りには、さすが心臓の強い飛行将校たちもあっけにとられるばかりだった。しかし演習場のところどころで私語する者はあっても、公然とその矛盾に反発する者はなかった。言っても無駄だと思う者もあれば、そんなものかなぁと感心する者もいた。その他の参会者はただ参謀長の言うがままといったあり様であった。こうした連合艦隊司令部のひとり相撲で、この図上演習の幕は閉じられた」 また淵田氏は同じ図上演習において次のような出来事も述べている。 「また図上演習の進行中、彼我の航空部隊の爆撃や空戦などの審判にあたっていたそれぞれの審判官が、図上演習の規則に従って判決を下そうとしたとき、統監としてこの図上演習を統裁していた宇垣参謀長は、日米の戦力係数をまったく天下り的に3対1とすることを命じた。驚くべき驕慢である。つまり参謀長の眼中には、米海空軍の術力を過小評価して、彼の戦力は我が方の1/3しか無いと独断していたことになる。これにはさすがに自信の強い航空出身の審判官たちも『ひどいうぬぼれだ』と私語せざるを得なかった。」 このように「有ることを無かったことにする」、現実を直視しない無定見さが、因習を抜け出せない戦艦中心主義、ルーズな機密保持による情報の筒抜け、マスの戦いにおける少数精鋭主義の戦力枯渇、レーダー軽視に見られる技術的怠慢(米軍は八木博士考案のレーダーが優秀とみていち早く同博士考案のレーダーを米艦に装備し、これを彼らはヤギ・アンテナと呼んでいた)、相手を見下す驕慢さ、敵情判断の致命的欠陥(想定外を想定しない)、消火設備など被害を局限する対策がお粗末、などいくつもの敗因と相まって、敵に倍する兵力を持ちながら海戦に投入した空母4隻すべてを撃沈されるという未曾有の大敗戦を喫した。 最精鋭の一、二航戦の空母をすべて失ったため、その後新たに編成し直した機動部隊は容姿こそ同じに見えてもその術力は劣り、ミッドウェー大敗戦は日本敗戦へ突き進んで行く一大転機となった。 淵田氏は、これらいくつもの敗因を突き詰めていくと、ことごとく日本人の国民性の欠陥に行き着くとして、次のように国民的欠陥を指摘して本書を締めくくっている。 「合理性を欠く国民性は、やることなすなすことが行き当たりばったりで、相互の間に理屈が合わない。セクショナリズムの国民性は物を見る視野が狭く、やることが独善的である。因習から容易に抜けきれない国民性は、気が付いても、ただちに180度転換の進歩的革新を行うことが出来ない。熱しやすく冷めやすい国民性は、直ぐ思い上がって相手を見下げる。かと思うと自主邁進の気迫に乏しい日和見的な国民性は、他力本願になりやすく卑屈な事大主義ともなる。合理性を欠くため希望と現実を混同して、漫然と事に臨み破れて後初めて名論卓説を述べる。これらの国民性の欠陥がことごとく圧縮されてこのミッドウェーの敗戦に現れている。 個々の戦士や部隊の賞賛に値する努力も犠牲もなんら報いられるところはなかった。大の虫を生かすため小の虫を殺すということを知っていてもそれを具体化する訓練も研究も積まれていなかった。ことは知っていてもつまり、団体としては未完成だったのである。」 淵田氏の指摘は背筋が寒くなるほど今般の原発事故対応と政治指導、さらには国民性を言い当てている。ミッドウェーの過ちは今日依然として100%繰り替えされているのだ。 ちなみに世界7カ国後に翻訳された「ミッドウェー」は単なる戦記物ではない。戦争指導の過ちを冷徹に暴いた歴史考察書である。本書は戦略的思考の重要性と指導者のあり方を鋭く問うものとして高い評価を受けて、マッカーサーなどエリート軍人輩出で有名な名門ウェスト・ポイント(米陸軍士官学校)の教本になった書である。また一般社会や企業のあり方を考えるうえにも普遍的な内容があるものとされ、管理能力や戦略思考を再考する指南書として社員に読むことを義務づけた企業もあることは良く知られている。 この書は戦後わずか6年目の昭和26年(1951年)という早い時期に書かれた。当時敗戦の責任を一億総残懺悔に転嫁し占領軍にこびるという風潮の中、戦争指導を厳しく批判をした内容だったため反感を買い相次ぐ出版拒否に遭いなかなか世に出なかった本である。今から60年も前に悲劇の根底に横たわる日本人の国民性の欠陥を鋭く見抜き、その指摘が今日の惨状のあらゆる場面で再現されていることには驚くばかりだ。 政府、東電、保安院、原子力安全委、文科省の原発事故対応は言うに及ばず現下の日本の政、官、財、学、マスゴミ界が68年前の精神構造と寸分違わないことを知り、その行く末がどうなるかを歴史的事実で再確認するのは極めて重要だ。彼らを糺弾し是正を迫るさいその精神的欠陥が各種対策、技術的発想の根底にあることをしっかり捉えるため、今こそ読まれるべき必読の書だと思う。是非一読することをお勧めする |