http://www.asyura2.com/11/genpatu10/msg/838.html
Tweet |
今回の福島原発の事故の責任についてあまり語られていないが、司法(裁判所)の責任も重い。主な原発建設・運転差し止め訴訟において、裁判所は「原発の安全性」を殆ど検証もしないで、「具体的な危険は認められない」という姿勢を貫いてきた。
「国の安全審査に見過ごせない過誤や欠落は認められない」
「○○電力は最新の科学的、専門的知見を反映した国の耐震指針に基づき、必要な対応をしており、耐震安全性の評価に問題はない」
「耐震安全性は確保され、生命身体の侵害の具体的危険はない」
「中越地震で(下級審の)司法判断を変える必要はない」
「具体的な危険性はない」
等々、ほぼ政府や電力会社の言い分をそのまま採用してきた。差し止め訴訟の殆どが棄却されている。もし、裁判所がもっと真剣に訴訟に取り組んでいたら福島原発事故は防げたかもしれない。「原発の安全性」や「可能性のある地震・津波」について、もっと真剣に検証する必要があったではないか。
また原発事故は、スリーマイル事故でもわかったように天災だけでなく人災による可能性も高い。また一度事故が起きた場合、被爆する人数も膨大である。大量殺人に等しい事象が発生する。水俣病やチッソなどの過去の裁判の検証が生かされていない。司法の劣化がここにも見受けられる。
国民が信頼できる司法でなければ、国の秩序は守られない。「正義」と「真実」を追求するのが司法の役目のはずだ。今起きている現実は「想定外」で済まされるような問題ではない。国民の生命と生活が著しく脅かされているのである。今後の検証の中で発生するであろう政府や官僚及び企業の責任について司法は、厳しく正義を問わなければならない。
http://haru55.blogspot.com/
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 原発・フッ素10掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。