http://www.asyura2.com/11/genpatu10/msg/815.html
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中部電力も受け入れた浜岡原発の運転停止問題について少し考えた。
すでに暴露されている話でもあるが、浜岡原発の運転停止は米国政府の意向によって実現されたと考えている。私なりの根拠はあとで述べる。
それゆえ、2、3年後に運転再開できると言われている浜岡原発は、たとえ15m級を超える津波に対応した防波堤・防潮堤を築き堅固な予備電源をいくら設備しようとも、また、従来型の耐震強化をいかに施そうとも、さらに、中部電力が海江田経産大臣から条件を満たせば再開できるという言質をどれだけ取っていようとも、運転再開がされることなく廃炉に向かってゆっくりと歩み始めることになると考えている。
ただし、「日米同盟」が終焉を迎えれば話は変わる。しかし、その可能性は、全部の原発を順次廃炉にしていくという決定よりも低いものだろう。
浜岡原発運転停止そのものについては高く評価するが、動機と決定過程を容認できないから、要請に踏み切った菅政権を評価することはまったくできない。
日本に対する米国政府の差配に関して、とにかく結論だけでも評価できるという事態が生まれるとは思ってもいなかった(笑)。
他国に対しては平気で核爆弾を落とし劣化ウラン弾も使い放題(有り余るウラン238の廃棄処分行為でもある)の米国も、その危険性を熟知しているが故に、自国民や自国領域に対して核兵器が行使されることをひどく嫌い、そのような可能性をできるだけ払拭しようと躍起になる。
それは、核爆弾を開発し、その運搬手段であるICBMも手にした北朝鮮に対する米国の外交姿勢を思い起こせばわかる。
旧ソ連もそうだが、核兵器を保有している国家はその破壊力と放射能汚染に極めて敏感である。だからこそ核兵器による戦争抑止力なるものが有効になっているともいえる。
今回の浜岡原発停止要請は、福島第一の事故ですでに放射能汚染にさらされてしまった海軍第7艦隊横須賀基地・陸軍第一軍団前方司令部キャンプ座間・第5空軍及び在日米軍司令部横田基地と首都東京をとりまく枢要な軍事基地がさらなる放射能汚染にみまわれることをなんとしても避けたいという強い意志に基づくものだろう。
(福島第一の事故が未だ終息の気配さえ見せていないのだから、浜岡で万が一のことが起きれば挟み撃ちで被曝危機に陥る。風向きを考慮すれば浜岡のほうが首都圏の米軍基地に大きな被害を与える)
反原発派の多数は反米軍基地派でもあるが、笑えない冗談として、原発を止めたいなら原発からそう遠くない場所に米軍基地を誘致するのがいちばんの近道のようだから、原発停止と米軍基地のどちらを選択しますか?という話になる。
日本国民ではなく米国政府が抱く懸念であるがゆえに、日本全土を覆うことになる夏場の電力需給問題もいとも簡単に吹き飛ばされ、電力供給問題が緩和されるまで少し待ってくれという日本政府の意向もあっさりはねつけられ、とにかく一刻でも早く浜岡を止めざるえなくなったはずだ。
細野首相補佐官も、菅首相は浜岡原発については4月初めから悩んでいたと語っている。
浜岡をめぐる日米交渉は、最終的に、4月17日に訪日したクリントン国務長官と菅首相のあいだで基本決着をみたと思っている。その前々日に藤崎駐米大使が菅首相と会ったとき米国側の強い意向が伝わったはずだ。
クリントン訪日の最大の目的は、建前は別として、浜岡原発停止の詰め=最終確認だったのだ。
「子どもたちの被曝限度が年間20mSvはひどすぎる。せめて放射線管理区域未満の線量にとどめるべきだし、内部被曝の問題もしっかり考慮すべき」と多くのひとが声をあげている福島の学校汚染問題では、あれこれ言い訳がましい弁解(スリカエ)をしたり、表層と深層の土の入れ替え(一時的な線量低下の効果はあるだろうが子どもたちが走りまわったり風雨にみまわれると知らぬ間に高線量にさらされたり厳しい内部被曝ということも)レベルの対応しかしていない菅政権も、米国政府の意向には唯々諾々と従うことになったのである。
しかも、ご丁寧に「国民の皆様の安全と安心を考えてのこと」という心にあまりないリップサービスでほんとうの動機をオブラートに包んだまま。
学校汚染問題で菅首相は、「これまでの慣行にならって原子力安全委員会の助言に従った内容だ」と言い放ち責任放棄を決め込んだが、今回の浜岡原発停止問題では、原子力安全委員会に助言を求めることさえしていない。
今回の地震・津波・原発事故の日々は、“権威”を利用しながらデマに近い一方的な情報をまき散らし増幅させることで国民をコントロールしようとしてきた政府とメディア、官邸にまで入り込んで原発事故対策で采配を振るう“米国顧問団”など、戦後日本の統治構造と精神情況を痛々しいまでに露呈させるものでもあった。
その究極の醜態が、今回の浜岡原発停止問題だと考えている。
私は、そのような日本の姿を現在進行形の深刻な原発事故のなかであまり見たくはなかった。
それでも見てしまったのだから、原発停止の評価と建前上の決定者に対する評価をきちんと峻別することだけは忘れないで欲しいと訴える。
別にいいじゃないか誰の意志でも、危険極まりない原発そのなかでも極めつけとも言える浜岡原発が運転停止になったのだから、素直に評価すればいいじゃないかという声も聞こえてくる。
また、自民党政権なら原発停止の決定はできなかったはずだから、民主党菅政権はなかなか評価できるという声もあるかもしれない。
そのような声にいちゃもんをつける気はないし、“果実”は素直に手にすればいいと考えている。
ただ、結果が同じだからいいというわけではなく、誰の意志でそうなったのかという問題は大局としての問題の行方を変えてしまうことには留意して欲しい。
動機がなんであれ、自民党政権とは違って民主党政権だから停止に踏み切ったと考えそれなりに高く評価しているひともいるようだが、自民党政権であっても、いや自民党政権だからこそ、浜岡原発問題でも米国政府の意向を受け入れたことは間違いない。
自民党政権のほうが説明能力で勝りより幅広く国民に受け入れられるかたちになったかどうかは不明であるが。
戦後の日本は、「敗戦責任」を問うこともなく、国家の在り様を規定する憲法さえ自分たちの手で制定することなく新たな歩みを始め、米国依存のなかで復興と経済成長にまい進する多数派と米国に“付与”された「平和憲法」を守護神と崇める少数派に分かれるという奇妙な政治状況が続いた。
(左翼リベラルは今では少数派とさえ呼べない哀しく厳しい状況にあるが)
戦後日本史で最大最悪の“人災”である今回の福島第一「レベル7」原発事故を目の当たりにしても、自分たちの意志を結集させることで原発を停止させる道筋をつけることができない状況のなか、別の“超越的意志”によってその一つが実現されることになってしまった。
現在はズタズタでぐちゃぐちゃになっているが、戦後日本の国家形態を決めた憲法も米国支配層の手で決められ、とてつもないレベルの原発事故を目の当たりにして脱原発に向けた第一ステップと位置付けられた浜岡原発の停止も早々と米国支配層の手で決められたのである。
日本に限らずこの世界は、何かとてつもない出来事が起きるたびに、イヤなものを見せつけてくれる。
今回の地震・津波・原発事故でも、それなりにわかっていながらも露骨には見ないですんでいた政治家、官僚、大手メディアなどの醜悪な姿が俄然大きくせりあがってきた。
この2ヶ月近くの原発事故をめぐって晒された日本の姿は、現代日本の深層が様々に映し出されたものと感じている。
またそれは、現在の話だけというものではなく過去にもつながるものである。
メディアの報道姿勢は言うまでもなく戦前・戦中の翼賛報道を彷彿とさせるし、TVや新聞で前面に出ている人たちの言動は「ああ、きっとこれがノーメン・クラツーラといわれる支配構造のなかにいた人々の似姿なのかもしれない」と感じさせるものだった。
なかには学問的見地や自身の見識からそのように言葉を発している人もいるにはいると思うが、自分の現在のポジションを維持しさらにはそのポジションをより高めるために何を言えばいいのかを十二分に了解しながら話しているのがあからさまなひとが多い。
学者やメディア従事者そして政治家や官僚たちもだが、それらのほとんどは、“任命権者”にどう評価されるかを最重要視し、なんら権限も力もない一般国民・一般視聴者・一般読者にどう評価されるかとか、自分の言説を受け入れた一般国民がどうなるかなんか知ったことではないと思っているように見える。
一般国民にほめられたとしても出世があるわけでも一文の得があるわけでもない。
彼らの気持ちを好意的に解釈すれば、「一般国民はしょせんよくわからないのだから、心配しないでじっと我慢して優れた我々の働きを見守ってほしい」という“ありがたい”選民意識の発露ということなのだろう。
私もあれこれ彼らの言動に対して非難をしてきたが、たとえ、それらが彼らの目に入ったとしても痛くも痒くもないと思っている。
戦後日本で50年を超える自民党長期政権は、国家や社会が内在する様々な事柄にどのような評価をすることが“正道”なのかを示し枠組みをつくってきた歴史でもある。
(民主党政権もその“正道”のなかに位置するものである)
身一つの力ではなく既存の組織のなかで上昇志向をもつもの、はたまた権力に近づきたいと願うものは、“正道”を踏み外す愚を犯さないように生きる。
そのような愚は、自らの存在を疎まれるものにしてしまい、出世(権限の拡大・意見の反映)もなければ、稼ぎも、増えないどころかへたをするとなくすことになってしまうからだ。
反米を叫ぶのは得体のしれない危険分子、反原発を扇動するのは経済社会を破壊するインチキ学者などといった枠組み規定はわかりやすいものだが、家族の在り方、企業内での身の処し方、国家に対する忠誠心などなど現代日本で生きることに関わる隅々まで望ましい価値観が規定されている。
学校教育は、そのような“正道”を根付かせる土壌づくりの場である。
このような、支配側にいる人々の生きざまは、旧ソ連のノーメン・クラツーラ構造のなかで生きていた体制側の人たちと基本的に同じものだ。
任命権限のピラミッド構造が国家社会の統合及び支配のあり方を決めるというノーメン・クラツーラ構造は、「共産主義国家」や日本にのみある事象で欧米諸国にはないというわけではない。
ないように見えても厳然としてあり、違いは“正道”の幅だけである。
日本や旧ソ連であればすぐに異端扱いされ白眼視され排除されてしまうような考え方や意見も、欧米諸国ではある程度まで許容される。
主要メディア内での言論の幅は米国がもっとも広いと思っているが、欧米先進諸国は言動にかかわるタブーの領域が日本よりも狭い。
(ナチス問題は別のようだが。金持ちや権力者にも“左翼的”なひともいるくらいだし言論の自由は日本とは格段に違う)
旧ソ連やこれまでの日本は、価値観が画一的で国策が一本化されているので、その枠から外れた人は採用(任用)や出世で不利益を被り経済的恩恵もない。
日本では、ひどく目障りな存在であっても、旧ソ連と違って強制収容所や精神病院に送られることはめったになく、せいぜい“冤罪”で刑務所に放り込まれるくらいで済む。
旧ソ連は“信仰心”の塊である共産党が政治国家から経済社会までを一手に牛耳っていたから異端者排除も過激で激越な手法をとっていたが、日本のように政治国家と経済社会が分離しているところでは、企業・学校・機構などがそれぞれの役回りで異端者を片隅に追いやるような“穏やかな浄化”が行われる。
さらに困った話は、このような日本的ノーメン・クラツーラ構造の最頂点に位置する“究極の任命権者”が国内ではなく外国にいる米国支配層だという問題だ。
今回の浜岡原発停止問題は、はしなくもそれが現実であることを見せつけた。
日本国内向けには偉そうにしている上位の官僚や政治家も、“究極の任命権者”に対しては過剰なまでに顔色を伺う。
(むかしの阿修羅でよく書いた言葉だが、「米国にコートを脱げば..と言われるとパンティまで降ろしてしまう」ほどだ)
財界・官僚機構・政界はある意味五分五分の力関係だが、それらをひとまとめで凌駕してしまう存在が外なる米国支配層なのである。
昨今話題になっている検察の特捜部も米国の占領政策のなかでつくられた摘発組織だし、大手メディアも戦前・戦中の総括もしないままGHQの占領政策にずぶずぶと従いそれはまあやむを得ないことだとしても、独立後も占領時代の自分たちを総括することなく現在に至っている。
何よりどこより、戦前からそのまま占領統治の道具として温存されたのが官僚機構である。
反省や総括もなく手のひらを返すような言動をすることに何ら恥じ入ることがない彼らが、延命を助けてくれ庇護さえしてくれた“究極の任命権者”に逆らえるはずもなかろう。
それどころか、わずかでも逆らおうとする有力者が出てきたら、率先して石を投げ追い落としに加担することに躊躇をみせない。
国民も、おそらく3分の2くらいの人たちは自分の判断力を行使しようとせず、権威があるとされている人や組織の言説をそれほど検討しないまま正しいものと判断して受け入れているように思える。(このような現実も、欧米諸国と大差のない話だと思っている)
それらをB層と呼ぶひともいるが、そんなことに深くかかわっているヒマはないというのが多くのひとの本音だろうし、よくよく考えたから正しいとか世の中がどうかなるというものでないと“達観”しているのかもしれない。
ここのような掲示板でもだえながら書き込みをするひとと、そんなことはどうでもいいと思って生きているひとのどちらがいいとか正しいとかは言えないが、こんな現実もある(のかも)ということを少しでも知ってもらいたいとは思いながら書いている。
相変わらずの悪い癖で、前置きというか直接関係がないようなことをダラダラと書いてしまった。
一つ一つのできことをあれこれ切り刻むより、構造的な問題のほうに意味を感じる性分だということをご理解いただきご勘弁してほしい。
もっときちんとした根拠を示せよという声も聞こえてくるので、テーマをそちらに移す。
まず、浜岡原発が再開されることなく廃炉に向かうと考える根拠は、米国政府が浜岡原発について危惧している事象が、福島第一のような地震と津波のダブル被災による冷却機能の喪失→炉心溶融→水素爆発ではなく、直下型大規模地震による主要配管の破断がもたらす原子炉システムの瓦解だと考えるからである。
原発の耐震設計は横揺れのガル値で規定されているが、直下型ならではの強い縦揺れはほとんど考慮されていない。だからこそ、活断層が近くにないことが原発立地の重要条件になっている。
(浜岡も伊方など、政治的に立地可能なら、活断層など危険要素はできるだけ見ないようにするという姿勢が原発増強の歴史でもあるのだが)
上述した現在の浜岡原発での対策は、直下型地震特有の強烈な縦揺れが引き起こす可能性のある主要配管の破断にはまったく対応しないものだ。
対策を完了した2、3年後には再開可能だという菅政権の説明は、たんなる時間稼ぎであり自分たちへの跳ね返りを緩和させるためのものでしかない。
米国政府は、中部電力の対策が完了しても、浜岡原発の運転再開に首を縦に振ることはないと断じる。
少し話がずれるが、菅首相は浜岡原発の停止に踏み切った理由として「文部科学省の地震調査研究推進本部によれば、これから30年以内にマグニチュード8程度の想定の東海地震が発生する可能性は87%と極めて切迫しています」と説明している。
しかし、地震関連学会や組織の考え方や予測がほとんどあてにならないことは周知である。
今回の東日本大地震そのものがその証左である。
今回だけではなく、95年の阪神淡路大地震も、発生確率が高いという予測はともかく潜在的危険性が高いという指摘さえなされないまま起きたものだ。
ざっくりとここ30年で大きな被害をもたらした他の地震を思い起こせば、中越が2回、宮城県沖が複数回、北海道十勝沖、北海道南西沖、秋田、新潟、福岡南西沖といった地域が震源であり、首都圏直下型、東海、東南海、南海など国家予算を投じて進めてきた地震予知の対象となっている地震は起こっていない。別に、だから、これからもそこを震源とする地震が起きないと言いたいわけではない。
日本列島は、どこで大規模地震が起きても、後から「かくかくしかじかだから起きた」と簡単に理屈が付けられるほどの地震の巣窟だ。
地震に関する危険性を考えるのなら、浜岡にすぐるとも劣らないのは、7機も連なり「世界最大の原発」と言われる新潟の柏崎・刈羽原発だ。
実際にも04年と07年と立て続けに大規模な地震にみまわれ、とくに993ガルという強い揺れを観測した07年の地震で受けたダメージは福島第一に先行する事故につながりかねないほど深刻なものだった。
今回の東日本大地震後も、中越地域は直接の影響ではないとされながらも大きな地震に数回みまわれている。
菅首相が浜岡原発停止の理由とした大規模地震をほんとうに考慮するのなら、日本で原発を稼働させることはできないと判断する他ないのである。
13機の原発が立ち並び「原発銀座」とも呼ばれている福井県も昭和23年に直下型の大規模(M7.1震度最大7)地震で大きな被害を受けている。
菅首相の「浜岡原発停止要請」が報じられたとき、浜岡からそう遠くないところにいた。
顔を合わせた身近なひとに最初に投げかけた言葉も、「ここは浜岡に原発がなければとってもいいところなのに」というものだった。
浜岡原発の運転停止要請の記者会見が流れたはずの時間帯は旅館で食事をしており、そのあとも酔いと疲れで転寝をしていて、その情報を知ったのは夜中に近かった。
これも悪い癖なのだろうが、願っている方向に政策の舵が取られても、ついついウラを考えてしまう。その変化が唐突に見えるときはなおさらだ。
そう言えば、連休前最後の官房長官の記者会見で浜岡原発に関しておかしな質問があったことを思い出し探してみた。
原発事故後は枝野長官の記者会見を読むのが日課である(笑)。
朝日新聞サイトの5月2日午後の枝野官房長官記者会見の記事の終わりのほうで、
「 ――浜岡原発停止に関し、総理は検討すると述べたがメドは。
当該原発に限らず、全国の原発の安全性を再チェックすると。さらに強化するという作業を経済産業省原子力安全・保安院から指示を出して、各電力事業者で報告を出してもらったりしている。それに対して、さらに検証、チェックをかけて安全性が確保されるような対応をすると。万が一安全性について不安がある状況がはっきりすればストップするし、安全性が確認されれば運転するしと。まさに、それは安全性の確認作業によって決まってくる。できるだけ早い方がいいと思っている 」
という内容がある。
それを読み返しながら、浜岡原発の3号機運転再開はテーマだったが停止そのものはテーマとして上がっていたわけではないので、「ふーん、内閣記者クラブの主要メンバーはとっくに浜岡が停止になることを知っていたのか」と思いながら、確認のため官邸サイトの官房長官記者会見の録画を見ることにした。
該当箇所の映像は17分18秒あたりからだが、質問している女性の所属や内容は明瞭に聞き取ることができない。
同じ官房長官の記者会見を記事にしている産経新聞では、該当箇所が、
「−−浜岡原発の方針に関して、菅首相は今日の国会で「変更する」と言っていたが、結論のメドはいつごろまでか」
という文章になっている。ビデオを見た限り、こちらのほうが質問者の言葉づかいに近いかもしれない。
朝日新聞の“浜岡原発停止”という表現は、知っているが故の思いきった意訳なのだろう。
5月2日の国会で浜岡原発をめぐる論戦は、参議院の予算委員会で行われた。
共産党の大門議員が定期検査で止まっている3号機の運転再開問題を、社民党の福島議員が浜岡原発の全面停止問題を取り上げている。
社民党の福島党首は、福島第一原発事故の直後から浜岡原発の停止に向け積極的な動きをみせていた。
この日の菅政権の答弁は、運転再開については安全性の検討をしっかりやると表明しつつ電力供給問題も重要なテーマであるというのが基本姿勢だった。
後追いで考えると、福島党首に対する答えのなかになんとか匂いを感じとることもできが、この時点では浜岡原発を運転停止にするという雰囲気は伝わってこない。
そうは言っても、この時点で、菅首相はそう遠くない時点で浜岡原発を停止させることになると思いながら答弁をしていたことは間違いない。
内閣記者クラブの有力メンバーや大手メディアの論説部門幹部は、おそらく、4月のある時点から浜岡原発を停止せざるを得ない政治状況に置かれていることを知っていたと思う。もちろん、どこの意向によるものであるかを含めて。
逆に、一般国民はともかく大手メディアに十分な根回しをしておかなければ、反原発や脱原発が主流ではない現実では大騒動を引き起こすことになる。
3月11日夕刻に原発事故が静かに発生したとき、政府と大手メディアがつるんで口を紡ぎ、その間に以降の報道内容の枠組みをつくったのと同じ構図である。
それが間違いないことは、5月7日付で出された各新聞社の浜岡原発運転停止要請に関する社説を読めば納得できるはずだ。
それまで、社民党や市民組織がどれだけ危険性が高いかを訴え強く浜岡原発の停止を求める動きを見せても、我関せずを決め込んでいた大手メディアが、産経新聞を除き、危険な浜岡を運転停止することはやむを得ないと口を揃えている。
産経新聞はある意味でもっともまともな論説だと思うが、それでも脱原発や反原発が勢いづくことへの危惧が主眼だから、菅政権のその後の言動と軌を一にするものだ。
天皇崩御ではないないが、各社は、首相記者会見後の6日夜ではなく、ずっと前に予定稿として浜岡原発停止に関する社説を書いていたはずだ。
それは、当然、中部電力も同じ時期に浜岡原発の運転停止要請がくることを知っていたことを意味する。政府が内々に声をかけなくてもご注進する記者はごまんといるからだ。
このような思いを持ち続けていたなか、日曜日のテレビ朝日番組「サンデー・スクランブル」で青山繁晴氏が浜岡原発の停止は米国政府の意向であることを語ったことを知った。
この暴露については、青山氏に対する評価問題なども絡み問題視もされているようだが、私は意図された(許容された)ものと考えている。
テレビ朝日は事前に官邸筋と暴露の話をしたはずだ。官邸側も、ニュースではなくテリー伊藤氏や黒金ヒロシ氏を交えるバラエティ感覚の番組が望ましいものだっただろう。
「サンデー・スクランブル」での暴露後の5月9日の内閣官房長官記者会見でそれに関する「質問」が出るかどうか注目したが、まったく触れられることはなかった。
枝野長官の「子どもの国外避難問題」はインターネットねたを持ち出して質問したくらいなのに、情報に触れた国民の数がケタ違いに多いテレビ朝日の「とんでも暴露話」は知らん顔でスルーされたのである。
では、なぜわざわざ波風がたちかねない舞台裏の暴露を許したのだろうか。
浜岡原発の運転停止は脱原発派や反原発派にはウケのいい話だが、政治国家や経済社会で力を持っている主流派=原発推進派にとっては、唐突であるだけではなく、ただでさえ危惧されている電力供給問題や今後の電気エネルギー供給形態に大きな影響を及ぼす実にやっかいなイヤな話である。
青山氏の暴露は、支配層が抱き続ける“正道”であり“金科玉条”である「親米」意識に訴えることで、浜岡原発問題であじゃこじゃ文句を言わせない効果を狙ってのものと推測している。
米国の意向であることを知れば、保守派を自認する多くやメインストリームの評論家などがあれこれしっこく責めることはないからだ。
最後に、菅政権が、浜岡原発の停止を政治的要請としてではなく、原子炉等規制法の第36条という法に基づく命令にしなかったのは、運転再開問題に響くと考えたからだろう。
第36条では、「原子炉施設の性能が第二十九条第二項の技術上の基準に適合していないと認めるとき」、経産大臣は、「原子炉施設の使用の停止、改造、修理又は移転、原子炉の運転の方法の指定その他保安のために必要な措置を命ずることができる」となっている。
しかし、その命令で止めたのなら、技術上の基準に適合するようになった時点で再開を許可せざるを得ない。
この問題で再びことを荒立てるようなことは避けるという思いで懇願や要請というかたちをとったのだと思う。
※ 参照資料
1.「枝野官房長官の会見全文〈2日午後5時半〉」朝日新聞サイト
http://www.asahi.com/special/minshu/TKY201105020469.html
2.官邸サイトの5月2日午後の官房長官記者会見録画
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg4785.html
3.「枝野長官会見(1)「テロとの戦いは変わらない」(5月2日午後5時半)」産経新聞サイト
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110502/stt11050220170007-n1.htm
4.浜岡原発停止要請に関する社説
●「浜岡原発停止へ 地震と津波対策に万全尽くせ」読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110507-OYT1T00012.htm
●「浜岡原発―「危ないなら止める」へ」朝日新聞
http://www.asahi.com/paper/editorial20110507.html#Edit1
●「社説:浜岡停止要請 首相の決断を評価する」毎日新聞
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/archive/news/20110507ddm005070094000c.html
●「浜岡停止要請 原発否定につながらぬか」産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110507/plc11050703120007-n1.htm
5.5月8日テレビ朝日「サンデー・スクランブル」の該当箇所録画
「「浜岡原発停止」はアメリカから言われたからやっただけ・・・青山繁晴」
http://www.youtube.com/watch?v=VPli18CmtbY
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