http://www.asyura2.com/11/genpatu10/msg/686.html
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池田信夫は原発反対派だったとは驚きだ
http://news.livedoor.com/article/detail/5541502/
私はなぜ原発反対派をやめたか
すっかり忘れていたが、4年前に浜岡原発について私はこう書いていた。
中越沖地震で衝撃的だったのは、柏崎原発で50件もの故障・破損が起きたことだ。しかも設計で想定されていたM6.5を超えるM6.8がほぼ直下で起きたとされている。テレビでは変圧器の火災が注目されていたが、危ないのは配管類だ。さらに恐いのは、制御系に問題が起きて原子炉が制御不能になることである。
これで私が、かつては「原発反対派」だったことがわかるだろう。むしろ「炉心溶融が起こって首都圏のほうに風が吹いた場合は、数百万人の死者が出るとも予想されている」とオーバーな数字を出しているが、これは「数百万人の避難」の誤りである。炉心溶融で圧力容器が全壊する可能性は工学的には否定できないので、最悪の場合の被害を最小化するmin-max原理で考えると、浜岡に建てたのは間違った経営判断だった。
中部電力が浜岡に1号機を建てたのは他の候補地で反対運動が起こったためで、東海地震が話題になる前だった。このため1号機と2号機の設計は、その最大想定震度に配慮していなかった。特に大きな問題は、設計で想定している最大加速度が450ガルで、新耐震基準800ガルに及ばないことだった。改造によって耐震性を増すコストが大きすぎるため、1・2号機は廃炉とし、6号機を建てることになった。
東日本大震災は世界史上にもまれな大地震だったが、福島第一原発の最大加速度は448ガルと新耐震基準の想定内だった。1号機は1967年に建設されて老朽化した原子炉だったが緊急停止し、配管の破断も起こらなかった。だから前にも書いたように、今度の事故で日本の原子炉本体の耐震性はむしろ証明されたのだ。
80年代以降に建てられた浜岡の3〜5号機は補強工事で800ガルをクリアしており、地震に関する限り安全性は十分である。だから今回の首相の「要請」でも、原子炉本体の補強工事は求められていない。首相の振り回す「向こう30年で震度6以上が起こる確率は87%」という数値も地震調査研究推進本部の「参考値」で、公式には確率は発表されていない。
福島第一で問題を起こしたのは予備電源の浸水だが、一昨日の記事でも書いたように、津波の対策はすでに行なわれたので、「防潮堤の完成まで」という期限は無意味である。津波を理由にしたのは、他の原発も止めろという話に拡大することを恐れたのだろうが、今回のように客観的基準なしにアドホックに止めようとすると、そういう波及効果は避けられない。
ただ地元に不安が高まっていることを考えると、河野太郎氏のいうように簡略化した「ストレステスト」をやることはいいアイディアだと思う。具体的には、今回の福島の地震データでソフトウェアによるシミュレーションをやってみればいいのだ。原発の安全審査には「再審査」というのはないが、これだけの大事故があったのだから、再審査して危険だったら止めればいい。
そういう法的な手続きなしに個人的な「要請」で原発を止める前例をつくると、日本の電力会社は深刻な経営リスクに直面する。20年近く運転してきた原子炉を止めるのに、一刻を争う緊急性はない。首相が止めたければ、少なくとも原子力安全委員会にはかって法的な手続きを踏んでやるべきだ。それが法治国家というものである。
http://news.livedoor.com/article/detail/5540225/
中部電力は法的根拠のない「要請」に屈服するな
2011年05月07日17時04分
浜岡原発についての首相の「停止要請」について協議した中部電力の臨時取締役会は結論が出ず、週明けに決定を先送りしたようです。これは当然です。首相の要請は閣議決定も経ていない個人的な「お願い」であり、それに従わなかった場合のペナルティは何もない。首相は6日の会見で「指示や命令は現在の法制度では決まっていない」と述べましたが、法的根拠のない要請(事実上の命令)を首相が公然と行なうのは言語道断です。 まさに寝耳に水の菅総理の浜岡原発全面停止の要請。
他方、これに従って中部電力が運転を止めると、火力発電の燃料費が今年だけで2500億円増えると予想され、これは今期の営業利益の2倍です。法的根拠のない要請に従って巨額の損失を出した場合、株主代表訴訟を起こされたら勝てないでしょう。それが歯止めになっているものと思われます。
実際には、政府は浜岡原発の運転を法的に止めることができます。いま東京高裁で係争中の浜岡原発訴訟で、中部電力に和解を勧告すればよい。これも強制力はないが、司法的な手続きで運転を差し止めることができます。これは日本政府として「浜岡原発は危険だ」と認めることであり、そういう意思表示なしに行き当たりばったりに運転を止めることはできない。
法的根拠なしに運転を止めるには、それによって中部電力のこうむる損害を政府が賠償する必要があるでしょう。2年間で5000億円の予算が必要ですが、これについて国側は「中部電力が原発停止を決めても、あくまで自主判断」と責任逃れをはかっています。日本の官庁は、これまでも口頭の「行政指導」で企業に指示を行ない、それが問題を起こすと「業者が勝手にやったこと」と逃げてきましたが、それを首相が白昼堂々とやったのは初めてです。
個人としての菅直人氏が、低迷する支持率を回復するために浜岡原発を止めたい気持ちはわかりますが、日本は独裁国家ではない。今すぐ運転を止める緊急性はないのだから、実行したければ法的な手続きを踏むしかない。こんな水戸黄門の印籠みたいなやり方は、法治国家では通らない。今回の要請を、産経以外のマスコミが肯定的に評価しているのにもあきれます。日本人は、まだ水戸黄門の時代に生きてるんですね。
追記:ツイッターで指摘があったが、電気事業法第40条に「経済産業大臣は、事業用電気工作物が前条第一項の経済産業省令で定める技術基準に適合していないと認めるときは[・・・]その使用を一時停止すべきことを命じ、又はその使用を制限することができる」という規定があるので、経産相が技術適合命令を出せば運転を止めることができます。その前に安全審査のやり直しが必要でしょうが
浜岡原発の「停止要請」は非科学的だ
2011年05月06日22時19分
菅首相は突然、記者会見で中部電力の浜岡原発の運転停止を要請した。その理由はこれから30年以内にマグニチュード8程度の想定の東海地震が発生する可能性は87%と極めて切迫しています。こうした浜岡原子力発電所の置かれた特別な状況を考慮するならば、想定される東海地震に十分対応できるよう防潮堤の設置など中長期の対策を確実に実施することが大切です。
ということだが、この理由は非科学的である。今までに判明している福島第一原発の事故の経緯は、次のようなものだ:
浜岡が危険だといわれたのは、東海地震の震源の真上にあって、原子炉が地震で破壊される(あるいは制御できなくなって暴走する)のではないかということだったが、これについては東海地震で想定されているよりはるかに大きな今回の地震で、福島第一の原子炉は無事に止まった。浜岡も国の安全審査では、東海地震に耐えられる(これは首相も問題にしていない)。
問題は、予備電源が津波で浸水したことである。これについては、浜岡には12mの砂丘があり、予備電源と給水ポンプを原子炉建屋の2階屋上(海抜15〜30m)に移設する工事がすでに行なわれたので、防潮堤は必要ない。かりに予備電源がすべて地震で破壊されたとしても、浜岡の原子炉は東芝/日立製なので、予備の電源車が使える(構内にも電源車がある)。つまり3と4は福島第一に固有の欠陥であり、浜岡には当てはまらないのだ。
福島第一事故は、最悪の条件で何が起こるかについての「実験」だった。何も知らない外国政府が漠然と「原発は危ない」と考えて運転を止めるのはしょうがないが、日本政府は因果関係を詳細に知ることができるのだから、事故の原因は予備電源を浸水しやすいタービン建屋の中に置いたという単純な設計ミスだったことがわかるはずだ。
福島第一の場合も原子炉建屋の屋上に移設しておけば、福島第二と同じように冷温停止になったはずだ(工費は数百万円だろう)。事故原因は特定されているのだから、それを無視してなんとなく「津波対策をするまで危ない」と考えるのは論理的に間違っている。中部電力は法的根拠のない「要請」を拒否し、保安院の説明を求めるべきだ。
http://news.livedoor.com/article/detail/5539645/
浜岡原発停止要請という暴走
鈴木馨祐
これまで民主党政権もそれなりに震災対応で努力していると受け止めて政権の批判を避けていた私にさえ、総理が政治主導の演出のために思いつきでいたずらに不安をあおっているようにしか見えません。
確かに地震、津波の脅威に常にさらされている我が国のエネルギー政策をどのように考えていくかは、政治が取り組んでいかねばならない大きな課題です。
まず第一に、今回の震災で明らかになった原発の持つリスク、それから国民の安全・安心を守ることは政府の大きな責務です。
その一方で、電力の安定供給、さらには安価な供給なくして日本経済の今後はあり得ません。産業の空洞化をこれ以上深刻にしないためにも安価な電力の安定供給は復興の最重要課題です。
さらに、今の中東情勢、世界的な資源高騰の流れを見れば(たとえば今の緩和的な金融環境で世界的な好景気の時期にサウジの体制に変動があれば、原油はとてつもない水準に高騰する可能性がある)、少なくとも当面は原子力発電は我が国のエネルギー供給にとって不可欠です。我が国の将来に責任を持つのもまた政治の責務なのです。
あらゆることにおいて100%安全ということが有り得ない中で、必要性とリスクの、あるいは他の選択肢との比較考量を行い、その場しのぎでなく人気取りでもなく、たとえ一時的には批判されようが長期的に見て一番妥当な決断を下すのが政治の本当の責任です。
原発については、今回の震災でいくつかのことが明らかになりました。少なくともこれまでの基準で地震への備えはかなり高度な安全レベルにあったこと、逆に津波についてはあまりにも安全レベルが低かったこと。そして、津波により事故が発生した状況にあっても綱渡り的状況ではありますが、チェルノブイリとは、死者が出ていない、あるいは放出された放射性物質のレベルといった点で全く異なる状況にとどまっていることも冷静に受け止めねばなりません。そして原発を停止しておけば安全ということでもないことも明らかになりました。
このような状況下でリスクと受益とのバランスを考えどこで線を引くのか、そのことについてはまさに熟慮の上での決断が必要です。
ユッケであれば、食べなくては生きていけないものではないわけで、またリスクもただちに健康に影響を及ぼすわけで、一切食べないという判断も可能です。しかし、原発の問題はそれとは大きく異なります。
そんな中、今日のようにいたずらに国民の不安をあおって政治主導で原発の停止を命ずれば、結果として新たな風評被害すら生み出しかねない。
総理大臣が「ただちに原発を止めねばならないほど東海地震が切迫している」と全世界に向けて発信したことは、我が国から一層ヒト・モノ・カネ・産業が逃げ出すことにもつながりかねません。また連鎖的に原発反対の風潮の中で少しでもリスクがあれば閉鎖ということにでもなれば、完全な日本経済崩壊、途上国レベルの生活水準への転落というシナリオへの引き金ともなりかねません。
今のところ、外国のメディアもマーケットも、グリーンピースが喜んでいるくらいでまだあまり反応していませんが、今後の動きを注視することが必要です。すでにあるメディアでは"Quake expected"という部分が小見出しになっています。
そうした様々な意味で、まさに熟慮が必要な問題です。リスクをゼロにというなら問題は単純ですが、エネルギー政策は、ことの性質上リスクをゼロにすることは不可能で、それとうまく付き合っていくことが求められます。火力発電にしても、風力発電にしても水力発電にしてもリスクはゼロではありません。また経済的な崩壊は、体感はしないかもしれませんが気が付いたら取り返しがつかない、という事態も予想されます。
明らかにその比較衡量をしていないように思われる(少なくとも記者会見ではまったくそのような説明すらなかった)今回の総理の決断、我が国の将来を考えたとき、本気で危惧せざるを得ません。
津波対策を突貫工事で東日本大震災直後から開始するといった対策をとらないままに、停止要請というパフォーマンスに走った今回の対応は明らかに異常です。
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