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http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2011-05-08
「福島の経験」を踏まえて「世界最高レベルの安全性に支えられた原子力」を売り込もうとする経済産業省の内部文書は、今回の事故でさえ「安全神話」の再確立に利用し、原発への逆風を追い風に変えてしまおうという目論見を明瞭に物語っています。そのようなことは許されるのでしょうか。
原発は「地震や津波にも安全」なら許されるのでしょうか。稼働している原発の安全性だけを問題にするような議論では、これに対して「否」と答えることは難しいでしょう。
現在の原発事故をめぐる議論における決定的な弱点が、ここにあります。稼働している原発の「安全神話」の崩壊を問題にするだけでは不十分だからです。
そのことによって、もう一つの重大な事実が忘れ去られてしまいます。原子力発電の「入口」と「出口」での大きな問題点が見失われてしまうからです。
原子力の世界では、これを「上流」と「下流」と言うようです。「入口」ないしは「上流」というのはウラン鉱石を採掘し、濃縮、加工して原子炉で燃料として使えるようにするまでの段階のことで、「出口」ないし「下流」というのは原子炉でウラン燃料を燃やした後の再処理、使用済み核燃料の処理・処分の段階のことです。
原発には、その燃料となるウラン鉱石の採掘においても被爆者が出ており、放射能を帯びている残土の処理という問題もあります。また、使用済み核燃料の最終処分については技術的な解決方法が見つかっていないということも大きな問題です。
原発には、この「入口」ないしは「上流」と、「出口」ないしは「下流」に関わる大きな問題があるということを忘れてはなりません。ここには、克服不可能な決定的な問題点が残されているのです。
原発のためのウラン燃料を、日本はカナダ、オーストラリア、アメリカ、南アフリカ、イギリスなどから輸入しています。ウランを含んだ土には、ウランだけでなくトリウム、ラジウムなどの放射能も含まれていて、これを吸い込むと肺がんや骨肉腫などの原因になります。
採掘された鉱石は精錬工場に運ばれ、細かく砕かれて水で洗われ、濃硫酸やアンモニア等の薬品によってウランを精製していきます。精錬されたウランは濃縮工場に運ばれてウラン燃料となり、残りの鉱滓は池に貯められたり、野積みにされたりします。
これにはまだ放射能が多く残っているため、洪水によって周辺の湖や川に流れ込んだり、乾くと埃となって飛び散り広範な土地を放射能で汚染し、周辺に住む人々の健康を脅かすことになります。世界では14カ国がウランの採掘を行い、これまでに100万トン以上のウランが採掘され、残土は16億8000万トン以上にのぼり、国連科学委員会は原子力開発による人類の最大の被曝源は原発そのものでも再処理工場や高レベル廃物でもなく、ウラン鉱山の鉱滓にあると指摘しているそうです。
つい最近(11年4月20日)、世界のウランの10%を供給するオーストラリアにある世界最大級のウラン鉱山である「レンジャー鉱山」が営業停止に追い込まれました。この地域に降った記録的大雨で鉱滓堆積ダムの放射能汚染水がアボリジニー居住地や世界遺産に登録されているカカドゥ国立公園の湿地に溢れ出す恐れが出てきたからです。
この鉱山には、100億リットルの高濃度汚染水が貯えられていました。処理施設はこの水を管理できず、過去30年にわたって毎日10万リットルの汚染水が地下に漏れ出し、その水がどこへ行ったかは不明だといいます。
このレンジャー鉱山からは、若狭・伊方・玄海・川内の各原発で使うウランが輸入されているそうです。営業再開がいつになるかは分かりませんが、採掘が再開されて輸入されれば、高濃度汚染水はさらに増大していくことになるでしょう。
他方、原子炉を運転すれば、核分裂生成物や放射化生成物が生み出されることになります。これが使用済み核燃料の問題です。
現在の人類は、この問題を解決する力を持っていません。原子力発電によって生み出された放射能廃棄物を地中深く埋めるしかありませんが、それが果たして安全な方法なのかどうかは保証のかぎりではないのです。
そのために、原子力発電所は「トイレのないマンション」だと言われることもあります。ここに、原発の「出口」ないしは「下流」問題の深刻さがあります。
福島第1原発の放射能漏れ事故によって、多くの人が放射能には半減期があるということを知るようになりました。半減期というのは、放射能の量が半分に減る時間のことですが、半減期の2倍の時間が経過しても放射能はゼロにはなりません。
さらにその半分(最初の4分の1)になり、その後も半減期ごとに半分になる現象が繰り返されます。こうして、最初の約1千分の1に減少するまでには半減期の10倍の時間が必要になります。
放射性物質ごとに半減期は大きく異なり、福島第1原発の周辺などで基準値を超える数値が報告されている放射性ヨウ素131の半減期は8日で、放射性セシウム137は30年ですが、プルトニウム239は2万4000年もかかり、ウラン238にいたっては地球が誕生してから今日までの時間、すなわち45億年という気が遠くなるほどの長い年数がかかります。
現在、渋谷のアップリンクという映画館で公開されているフィンランドのドキュメンタリー映画「100000年後の安全」が、大きな注目を集めています。この映画は、フィンランドにある原発から出る高レベルの放射性廃棄物の最終処分場、通称「オンカロ(隠された場所の意味)」と呼ばれる施設に、世界で初めてカメラを潜入させて撮影されました。
ここで働く人々や原子力の専門家の証言を織り交ぜながら、安全になるまで10万年もかかるとされている核廃棄物を人類が管理していくことが可能なのかという問題を提起しているそうです。ソフトバンクの孫正義社長は、「原子力は今後1万年以上の未来の世代に核燃料の処理コストを頼んでいる技術であります」と発言して話題を呼びましたが、実際には、「1万年」ではなく「10万年」も先の世代に危険を先送りしていると言うべきでしょう。
これこそが、人類の存続に関わる本当のリスクなのです。いまマスコミなどで議論されている原発の「安全性」は、その一部にすぎません。
ウラン鉱石が発掘され燃料に精製されて発電が始まって以降、発電が終了して使用済み核燃料の最終処分が問題となる前の、ほんの一部分に限定されているリスクにすぎないのです。いわば、原発の「入口」と「出口」が、全く視野の外に置かれた議論なのです。
部屋の中を見せて、「どうです。綺麗でしょう」と言ってみても、その「入口」と「出口」には放射能のゴミが山積されているというわけです。原発の「安全神話」とは、この閉ざされた部屋の中だけを問題にしていたのです。
しかも、その部屋でさえ「安全」とは言えませんでした。大震災や津波によって、いつ放射能をまき散らす「怪物」に変貌するか分からない危険きわまりないものでした。
現に稼働している原発による現在の放射能被害の危険性を最小限に抑えたとしても、ウラン鉱石の採掘による放射能汚染、残土や放射能汚染水の処理によって生じてきた過去の放射能被害、使用済み核燃料の最終処分によってこれから生ずるかもしれない未来の放射能被害の危険性をなくすことはできません。
マスコミなどで取り上げられている原発の「安全神話」とは、そもそも稼働している原発だけを問題にしているという点で、決定的な限界を持っていたのです。その限界を取り払い、原子力発電の全ての過程に関わる環境汚染とリスクの総体を、今こそ俎上に上らせるべきでしょう。
原発は、たとえ「地震や津波にも安全」だとしても、稼働させることは許されません。それは「クリーンで安全な神の火」ではなく、その「入口」と「出口」において放射能被害の発生を運命づけられた「ダーティーで危険な悪魔の火」だったのです。
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