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http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011050890070647.html
原発の危険性をあらためて浮かび上がらせた東京電力福島第一原発(福島県双葉町、大熊町)の事故を受け、政府は中部電力の浜岡原発(静岡県御前崎市)の停止要請に踏み切った。「原発は安全か」。周辺住民たちは四十年来、法廷に問い続けたが、多くの裁判所は「専門的、技術的評価は司法判断になじまない」と踏み込んだ議論を避けてきた。最悪の事故が現実化したいま、「不十分な安全対策を容認してきた司法にも責任がある」との声も上がる。
原発はいつの日か 必ず人間に牙をむく/私たちがそれを忘れれば いつか孫たちが問うだろう/「あなたたちの世代は何をしたのですか」
一九八四年、福島第二原発(福島県楢葉町、富岡町)をめぐる訴訟の一審で敗訴した時、今は亡き親友が詠んだ詩は現実となった。楢葉町の自宅から持ち出した色あせた詩集を手に、原告の一人で市民団体代表早川篤雄さん(71)はいま、怒りと悔しさに震える。「何のための司法か」
自宅は第二原発から約六キロ、第一原発から約十六キロ。第一原発1号機の運転が始まった七〇年代初め、一帯では第二原発と広野火力発電所の建設が計画されていた。
「原発はよう分からんが、火力の排煙は危ないんでねか」。公害を懸念して七二年、高校教師だった早川さんや農民、漁民ら百三十人余で町民組織を立ち上げた。科学者を招いて勉強を重ね、「原発の方が危ない」とはっきり分かった。
国は七四年に第二原発建設を許可した。翌年、約四百人の住民が許可取り消しを求め、裁判が始まった。
一審は十年近くに及んだ末、「手続きは適法だった」と住民の請求を棄却。二審判決は「基本設計は安全だが、現実の原発が安全かどうかは別問題」と言及したものの、結論は変えず、最高裁も退けた。「住民が最も大切だと訴えた危険性には耳を貸さなかった」と早川さんは言う。
高校の同僚教師で、ともに原発問題に取り組んだ吉田信(まこと)さん(享年五十四歳)ががんでこの世を去ったのは、一審判決の三年後。「俺の骨になってけろ」。早川さんは火葬された親友の骨を口に含み、その後も東電や国、県に安全対策を訴え続けた。
「津波で冷却設備が機能しなくなる」「過酷事故を想定して防災計画をつくるべきだ」−。裁判が終わった後も警告してきたのに、震災後に「想定外」を繰り返す政府や東電。心の中で「この期に及んで」と憤る。一方で政府が浜岡原発停止要請を決断したことは「事が起きる前にとにかく止めることが大事だ」と高く評価した。
避難所や知人宅を転々とした後、先月半ばに落ち着いた福島県いわき市内のアパートには、自宅から運び出した原発関連の資料がどさりと置いてある。
「命ある限り原発の安全性を問い続ける。けつまくって逃げるわけにはいかねえ」。わが骨となった親友とともに闘い続ける。後世に「何をしたのか」と問われないために。(小嶋麻友美)(東京新聞)
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