http://www.asyura2.com/11/genpatu10/msg/402.html
Tweet |
(書評です。転送・転載を歓迎します)
私も原子力が怖かった―あることの危険性・ないことの危険性 (1981年)
竹村 健一著
(書評)
-------------------------------------------------------------------------------
私も原子力が怖くなった(西岡昌紀)
若い頃、私は、原子力発電に賛成して居た。だが、チェルノブイリ原発事故(1986年)の際、この原発事故で放出された放射性ヨードの量が広島原爆のそれの500倍に及び、同原発から半径30キロの地域が耕作放棄された現実を見、私は、原子力発電はやめるべきだと考える様に成った。その上、原子力発電は、ウランの濃縮から原発の運転、解体、そして、核廃棄物の解体などにそれ自体石油を必要とする事を知り、真の代替エネルギーには成り得ない事を知った私は、今では、原子力発電は、危険かつ不要な技術と考えるに至って居る。竹村健一氏は、日本を愛する人であり、過去に、良い事も沢山発言して居るが、この本に述べられた竹村氏の原子力発電に対する見解は、余りにも楽天的であり、非現実的である。それは、竹村氏に限った事ではなく、竹村氏同様、原子力発電の「明るい未来」を信じた全ての人に共通する幻想であった。そうした原発推進派の幻想こそは、東日本大震災(平成23年=2011年)における福島第一原発の複合事故の根本的原因であったと私は考える。本書に代表される、そうした原発推進派の幻想を読むと、私は、原子力発電の怖さを痛感せずに居られない。
(西岡昌紀・内科医/福島第一原発の行方を見守りながら)
-------------------------------------------------------------------------------
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 原発・フッ素10掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。