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「放射能汚染の現実を超えて」小出裕章著(1992) 北斗出版、私が原子力に反対するわけ
http://www.asyura2.com/11/genpatu10/msg/377.html
投稿者 ジャック・どんどん 日時 2011 年 5 月 02 日 23:23:09: V/iHBd5bUIubc
 

3月11日から、大変お忙しくされていると思われる京大原子炉実験所の小出裕章さんですが、単著は1992年のこの著書が初めてではないか。
それまでの共著ものでは見れなかった小出さんの思いが伝わる好著です。講演会の資料解説などもありますが、ホンモノの研究者の思いが伝わります。
昔買うたはずなんやけど、どこにあるのかわからなくなった書物部屋から、嫁さんが探して引っぱり出してくれました。出版が1992年だからもう20年近く前である。
小出さんが原子力に反対するわけは、生き方の問題にあるという。
大きな公共図書館には置いてあるかもしれませんが、なんせ北斗出版というマイナー出版社なので20年以上たっているので、もう絶版か?


「放射能汚染の現実を超えて」小出裕章著(1992) 北斗出版 

「序 生命の尊厳と反原発運動」 には、当時印象的だったことを赤線でマークしている。本人はマークしたことはすっかり忘れてしまっていたが、再度読み返してみて、小出さんが単なる科学者ではなく哲学者でもあると思わせる文章だ。それを貫くのは、ある達観(諦観?)なのかもしれない。小出さんのこの文章で、肩の力が抜けた気がして、楽になったのを思い出した。そこの下りを紹介。

P13より引用

「引用開始ーーーーー生き方の中にこそ生命の尊厳はある 

人類はいずれ滅亡する。生物として当然のことである。恐れるべきことでもないし、避けられことでもない。それと同じように、一人ひとりの人間もどんなに死を恐れ回避しようとしてもいずれ死ぬ。一人の人間など、ある時たまたま生をうけ、そしてある時たまたま自然の中に戻るだけである。人間の物理的な生命、あるいは生物体としての生命に尊厳があるとは、私は露ほどにも思わない。もし人間の生命に尊厳があるとすれば、生命ある限りその一瞬一瞬を、他の生命と向き合って、いかに生きるかという生き方の中に、それはある。
ーーー中略ーーーー

自らが蒔いた種で自らが滅びるのであれば、繰り返すことになるが、単に自業自得のことに過ぎない。問題は、自らに責任のある毒を、その毒に責任のない人々に押し付けながら自分の生命を守ったとしても、そのような生命は生きるに値するかどうかということである。

私が原子力に反対しているのは、事故で自分が被害を受けることが恐いからではない。ここで詳しく述べる誌面もないしその必要もないと思うが、原子力とは徹底的に他社の搾取と抑圧の上になりたつものである。その姿に私は反対しているのである。ーーー引用終わりーーー」


私がやらねば誰がやる!(なんかキャシャーンの台詞みたいですが)

P196 あとがきより引用

「ーーー引用開始ーーー(前略)
 おそらく原子力以外の世界においても同様のことと思いますが、原子力の世界には社会的な意味での課題が山積みにされています。私自身は原子力に関わる一介の研究者に過ぎず、いうまでもなく、それらの課題を一挙に解決するような力は私にはありません。しかし、つぎつぎに現れる社会的な課題に眼をつぶって、個別原子力の研究に没頭することはできませんでした。
そして、私がやらねば他の人は果たしてくれないであろう仕事にだけ、自らを関わらせてきました。その都度私にできる仕事をし、最低限必要な文章は書くように努めてきました。
それでも、この二十年ほどは一つの課題と向き合うことでせいいっぱいの毎日を送ってきました。非力な自分を痛感しますし、一日が四十八時間あって欲しいと毎日のように思い続けていました。

ーー(中略)ーーーしかし、私には「本を出す」ために新たに自分の時間を費やすだけの余裕がありません。もし、私にそうした余裕があるのであれば、一つひとつの具体的な課題にこそその余裕をあてたいと思っています。ーーーーー(後略)ーーー引用終わり」


著者自己紹介より
1949年、東京生まれ、東京育ち、高校生の頃、人類の未来は原子力の平和利用によって築かれる、そして唯一の被爆国である日本人こそが「平和」利用の先頭に立たねばならないと固く信じるようになる。1968年、嫌いな東京を離れ、東北大学工学部原子核工学科に入学する。その後、大学闘争との出会い、細分化された学問の実態に接することなどにより、自分の思い込みが誤りであったことを思い知らされる。
1970年、女川で闘われていた原発反対運動に参加する。また自らの誤った選択の責任を取るために、原子力研究の場に踏みとどまり、その場で必要な活動を続けようと決心し、1974年に京都大学原子炉実験所助手になる。  

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コメント
 
01. 2011年5月03日 09:16:49: esmsVHFkrM
ジャック・どんどん、ありがとう。いい投稿をしてくれた。小出さんの文章に心を打たれた。

なんと上等な人間がここにいることだろうか。人間としての品が違う。この人があってあの主張があると言うことが良くわかる。

それに比べて日本のあらゆる組織においてトップに立っている人間の品質はどうか。管にしろ、各省庁の次官にしろ、経団連の米倉にしろ、東電の勝股や清水にしろ、御用学者の東大教授達にしろ、みな下等だとしか言いようがない。

日本の社会はどこかがおかしい。

小出さんのような上等な人間が外へはじき出されてその力を社会のために振るうチャンスを奪われている一方で、無能で下等な人間たちが権力を握りその地位にふさわしい仕事などまったくできないまま社会を破局に導いていく。

これは、日本のあらゆる組織に存在する病理だ。日本が「兵隊優秀、士官劣悪」と言われるのは、こうやって兵隊の中の上等で優秀な人間が昇格の際に組織からはじかれていくからだ。愚者の支配だ。

量子力学の多重世界解釈がある。例のパラレルワールドだ。そんなパラレルワールドの中には、小出さんのような上等な人が日本のエネルギー政策を策定して進めていくようなそんな「日本」があるのだろうか。

そんな「日本」をせめて見てみたい。


02. 2011年10月12日 14:13:10: A4GQ7o9O02
小出さんが原子力に反対するわけは、生き方の問題にあるという。
大きな公共図書館には置いてあるかもしれませんが、なんせ北斗出版というマイナー出版社なので20年以上たっているので、もう絶版か?

「放射能汚染の現実を超えて」小出裕章著(1992) 北斗出版 

「序 生命の尊厳と反原発運動」 には、当時印象的だったことを赤線でマークしている。本人はマークしたことはすっかり忘れてしまっていたが、再度読み返してみて、小出さんが単なる科学者ではなく哲学者でもあると思わせる文章だ。それを貫くのは、ある達観(諦観?)なのかもしれない。小出さんのこの文章で、肩の力が抜けた気がして、楽になったのを思い出した。そこの下りを紹介。

P13より引用

「引用開始ーーーーー生き方の中にこそ生命の尊厳はある 

人類はいずれ滅亡する。生物として当然のことである。恐れるべきことでもないし、避けられことでもない。それと同じように、一人ひとりの人間もどんなに死を恐れ回避しようとしてもいずれ死ぬ。一人の人間など、ある時たまたま生をうけ、そしてある時たまたま自然の中に戻るだけである。人間の物理的な生命、あるいは生物体としての生命に尊厳があるとは、私は露ほどにも思わない。もし人間の生命に尊厳があるとすれば、生命ある限りその一瞬一瞬を、他の生命と向き合って、いかに生きるかという生き方の中に、それはある。
ーーー中略ーーーー

自らが蒔いた種で自らが滅びるのであれば、繰り返すことになるが、単に自業自得のことに過ぎない。問題は、自らに責任のある毒を、その毒に責任のない人々に押し付けながら自分の生命を守ったとしても、そのような生命は生きるに値するかどうかということである。

私が原子力に反対しているのは、事故で自分が被害を受けることが恐いからではない。ここで詳しく述べる誌面もないしその必要もないと思うが、原子力とは徹底的に他社の搾取と抑圧の上になりたつものである。その姿に私は反対しているのである。ーーー引用終わりーーー」


03. ももん爺 2011年10月13日 13:52:37: QnfuyB5RKZq9U : GB1y72Cjic
小出さんの話が素晴らしい共感を得られるのは、話の内容がご自分で考えてきた事を話すからでしょう。

小出さんを批判したり、嘲笑する人がいますが、そのような人の意見が人の心に共感を得られないのは、話の内容が本来の自分自身の考えてきた事でないからでしょう。

人は、たった一人でも立派に立ち上がる姿を人に見せられますが、権力の元となる組織や集団を背景にする人は、コソコソとしていて人の前に立ち塞がる事さえできません。

人は、たった一人の人として立ち上がりたいものだ。


04. 立山の石ころ 2011年10月27日 17:56:31: LqyfpPeudm9jE : xXTk3LZVTA
この本を1ヶ月ほど図書館に予約、順番待ちで読み終わりました。そして本日すぐに新規購入をネット注文したところです。再度しっかりと読み込み人に伝える勉強をしたいとおもいます。
 この本は素晴らしい一語に尽きます。1992年にこの本は出されています。20年も前にこれだけの深い哲学を持って原発の不合理をしっかりと組み立てられ、実際の原発を止める活動に取り込んでこられた小出さんに心からの敬意を表する者です。一人でも多くの人に読んで欲しい、今後の日本、いや人類の未来に向けた哲学書と言っても過言ではないと思いました。
薄汚い御用学者、通産、エネルギー庁の役人どもそして何よりも犯罪実行者東電役員どもの人類に対する罪に対してこころからの怒りがわいてきました。この原発爆発事故は彼等の意図的なサボタージュによることは疑いないことがこの本の中からしっかり読み取れます。これだけ明確に想定され、警鐘が鳴らされていたのですから。JR西日本の社長はATSをつけなかったために起訴されています。今回の彼等はそれとは比べものにならない重大な犯罪で直ちに逮捕起訴されるべきでしょう。そして徹底した原因追及と絶対に2度と起こさないための徹底した[モノ」の撤去と教育が必要と思います。
 未来の子孫のために一日も早い原発廃止に皆さん全力を挙げて一緒に戦いましょう。小出先生素晴らしい本を有り難うございました。さらなるご尽力をお願いいたします。
                          1 シビルエンジニアー


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