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3月11日から、大変お忙しくされていると思われる京大原子炉実験所の小出裕章さんですが、単著は1992年のこの著書が初めてではないか。
それまでの共著ものでは見れなかった小出さんの思いが伝わる好著です。講演会の資料解説などもありますが、ホンモノの研究者の思いが伝わります。
昔買うたはずなんやけど、どこにあるのかわからなくなった書物部屋から、嫁さんが探して引っぱり出してくれました。出版が1992年だからもう20年近く前である。
小出さんが原子力に反対するわけは、生き方の問題にあるという。
大きな公共図書館には置いてあるかもしれませんが、なんせ北斗出版というマイナー出版社なので20年以上たっているので、もう絶版か?
「放射能汚染の現実を超えて」小出裕章著(1992) 北斗出版
「序 生命の尊厳と反原発運動」 には、当時印象的だったことを赤線でマークしている。本人はマークしたことはすっかり忘れてしまっていたが、再度読み返してみて、小出さんが単なる科学者ではなく哲学者でもあると思わせる文章だ。それを貫くのは、ある達観(諦観?)なのかもしれない。小出さんのこの文章で、肩の力が抜けた気がして、楽になったのを思い出した。そこの下りを紹介。
P13より引用
「引用開始ーーーーー生き方の中にこそ生命の尊厳はある
人類はいずれ滅亡する。生物として当然のことである。恐れるべきことでもないし、避けられことでもない。それと同じように、一人ひとりの人間もどんなに死を恐れ回避しようとしてもいずれ死ぬ。一人の人間など、ある時たまたま生をうけ、そしてある時たまたま自然の中に戻るだけである。人間の物理的な生命、あるいは生物体としての生命に尊厳があるとは、私は露ほどにも思わない。もし人間の生命に尊厳があるとすれば、生命ある限りその一瞬一瞬を、他の生命と向き合って、いかに生きるかという生き方の中に、それはある。
ーーー中略ーーーー
自らが蒔いた種で自らが滅びるのであれば、繰り返すことになるが、単に自業自得のことに過ぎない。問題は、自らに責任のある毒を、その毒に責任のない人々に押し付けながら自分の生命を守ったとしても、そのような生命は生きるに値するかどうかということである。
私が原子力に反対しているのは、事故で自分が被害を受けることが恐いからではない。ここで詳しく述べる誌面もないしその必要もないと思うが、原子力とは徹底的に他社の搾取と抑圧の上になりたつものである。その姿に私は反対しているのである。ーーー引用終わりーーー」
私がやらねば誰がやる!(なんかキャシャーンの台詞みたいですが)
P196 あとがきより引用
「ーーー引用開始ーーー(前略)
おそらく原子力以外の世界においても同様のことと思いますが、原子力の世界には社会的な意味での課題が山積みにされています。私自身は原子力に関わる一介の研究者に過ぎず、いうまでもなく、それらの課題を一挙に解決するような力は私にはありません。しかし、つぎつぎに現れる社会的な課題に眼をつぶって、個別原子力の研究に没頭することはできませんでした。
そして、私がやらねば他の人は果たしてくれないであろう仕事にだけ、自らを関わらせてきました。その都度私にできる仕事をし、最低限必要な文章は書くように努めてきました。
それでも、この二十年ほどは一つの課題と向き合うことでせいいっぱいの毎日を送ってきました。非力な自分を痛感しますし、一日が四十八時間あって欲しいと毎日のように思い続けていました。
ーー(中略)ーーーしかし、私には「本を出す」ために新たに自分の時間を費やすだけの余裕がありません。もし、私にそうした余裕があるのであれば、一つひとつの具体的な課題にこそその余裕をあてたいと思っています。ーーーーー(後略)ーーー引用終わり」
著者自己紹介より
1949年、東京生まれ、東京育ち、高校生の頃、人類の未来は原子力の平和利用によって築かれる、そして唯一の被爆国である日本人こそが「平和」利用の先頭に立たねばならないと固く信じるようになる。1968年、嫌いな東京を離れ、東北大学工学部原子核工学科に入学する。その後、大学闘争との出会い、細分化された学問の実態に接することなどにより、自分の思い込みが誤りであったことを思い知らされる。
1970年、女川で闘われていた原発反対運動に参加する。また自らの誤った選択の責任を取るために、原子力研究の場に踏みとどまり、その場で必要な活動を続けようと決心し、1974年に京都大学原子炉実験所助手になる。
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