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日経ビジネス オンライントップ>ライフ・健康>伊東 乾の「常識の源流探訪」
長期微量被曝はどれくらい危険か
正しく怖がる放射能【4】
2011年5月2日 月曜日
5月に入りました。福島第一原発の状態はいずれも予断は許さないものの、一定の安定をみており、メディアの関心も事故直後とは様変わりしてきました。
この連載の内容を基に書籍を編むという相談を版元としているのですが、3月4月時点の記載をそのまま活字にしても、多くの方に長期的に役立つ情報になるとは限りません。最初から「想定の範囲内」ではありましたが、実際にメディアの空気感や日経ビジネスオンラインにいただくコメントや、ツイッターでのやり取りなどを通じて、皮膚感覚の変化を感じています。
長期的に続くことがほぼ分かっている問題として、前回は原子炉の冷却の問題を扱いましたが、今回は「微量被曝」について考えたいと思います。
最初に結論を言いますと、微量被曝について不用意に確定的なことを言うと、多くの場合、ウソになってしまう、ということです。
なぜか? それは、人によって放射線への感受性に個体差が大きくあるからです。例えばたばこで考えてみましょう。ストラヴィンスキーという作曲家はヘビースモーカーでしたが88歳の長寿を保ちました。一方、私の父もハイライトを1日2箱くらい吸う喫煙者でしたが46歳で亡くなりました。父の場合はシベリア抑留中に罹患した結核・脊椎カリエスなど、若い時に手ひどく健康を痛めつけられたことが深く関係していますが、そんなことも含めて「個体差」に違いありません。
今のはたばこの例でしたが、同じ放射線量を浴びても、深刻な病気を引き起こすか、そうでないかは個体差が大きく、あらゆる長期的な見通しは確率的にしか言うことができません。
確定的影響と確率的影響
幾度も記していますが、被曝の影響は2つの異なる種類に分けられます。1つは被曝後直ちに現れる急性障害で、「確定的影響」と呼ばれます。
確定的影響は被曝量によっていろいろ異なり、また個体差もありますが
*目の水晶体 : 総線量2シーベルト程度で混濁、5シーベルトで白内障
*骨髄 : 高感受性で総計0.5〜1シーベルトで白血病などの懸念
(ただし強い再生能力があるので、自己脊髄造血肝細胞保存療法などが有効となる)
*腎臓 : 低感受性。1カ月以上にわたって20シーベルト以上被曝しても耐えた例がある
*卵巣 : 総線量3シーベルト以上で不妊の原因に
*睾丸 : 1回0.1シーベルトの被曝で一時的不妊。総線量2シーベルト以上で永久不妊
といった具合で、一つひとつ症状を見ると、恐ろしいものだと改めて思います。
期間はさまざまとして、浴びた総量で大まかに考えて0.1シーベルト(100ミリシーベルト)から1シーベルト(1000ミリシーベルト)に達すると、健康への影響が懸念され、1〜3シーベルト(1000ミリ〜3000ミリシーベルト)の被曝量は直ちに適切な治療が必要、3シーベルト以上の被曝量は生命に危険があると考え、正しく恐れることが必要だと思います。
低線量被曝と晩発的影響
今挙げた、被曝直後から現れる急性の症状、つまり、より少線量の被曝による、確定的な症状以外の影響は、すぐには目に見えないので「晩発的影響」と呼ばれています。
同じ線量を被曝しても、発症する人もいれば、そうでない人もいる。そこで「確率的影響」とも呼ばれます。あくまで目安にしか過ぎませんが、一定以上の線量被曝すると、数年程度の間に癌が発生する可能性が指摘されています。
臓器によって放射線への耐性、感受性が違っており、
総線量 0.3シーベルト → 乳癌など
総線量 0.4〜0.5シーベルト → 白血病、リンパ組織系の癌
総線量 0.6シーベルト → すい臓癌など
総線量 0.7シーベルト → 肺癌など
総線量 0.9シーベルト → 胃癌、骨癌など
総線量 1シーベルト → 甲状腺癌
などとなっています。
しきい値説と比例説
さて、この晩発的影響について
「一定以下の線量なら、被曝による影響はない」と考えるのを「しきい値説」と呼び、
「どんなに少量の被曝でも健康に影響がある」と考えるのを「比例説」と呼ぶようです。
どちらが正しいのか――。という議論がお医者からメディアまで、いろいろあるようで、私もツイッター上で「どちらが正しいのですか」と質問を受けるのですが、私の判断は、この問い自体が無意味で、考慮に値しない「偽問題」だと思っています。
よく目を開いて見直してみましょう。「しきい値説」は「総被曝量がある一定以上の線量に達すると、かならず癌が発生する」と言っているわけではありません。
「総被曝量が一定値以上になると、癌の発生する確率が高くなる…、かも」という、疫学的な統計の話であって、実際には被曝状況の差や個体差など、臨床統計に表れない部分のブラックボックスでいくらでも左右されるものに過ぎません。要するに「確率的」にしか予測がつかない。
ここで「分からないもの」は「ない」と言いたい、という、大本営発表的な思惑(「ただちに健康に影響があるというわけではない」)が介在するから、そこから先で、意味のない日常日本語によるやり取りがなされるのだと私はみています。
また逆に「比例説」を誤解してそちらに傾きすぎるのも愚かしい。
「どんなに微量でも癌になる」などと恐れるのは変で、比例説も「被曝線量が少しずつでもアップしてゆけば、その分、癌になる『可能性』が高くなる」という、当たり前のことを言っているに過ぎません。自然界には最初から微量の放射線が存在して私たちは生まれる前から常時被曝し続けていることには幾度も触れました。それに神経質になっても仕方がない。
比例説が言っているのは「たとえ1円ずつでも貯金してゆけば、必ず残高は増えて行く」という内容以上のものではない。だからといって1日1円ずつためて1年で1万円になることも絶対にない。
浴びたら浴びた分だけ発癌「リスク」が上がりますよ、という話をしているのであって、考えるべきは要するに被曝の「頻度」と「総量」、そこから先は状況と個体差次第、という部分は、何一つ変化しません。
私も登録している医用のメーリングリストで、比例説を取り違えて「どんなに微量でも発癌」のように取ったメールを送ってきたのがいました。東京大学の学部学生です。風評被害とは違いますが、そんな情報でも「東大生が」と反応する人があり、訂正を送っておきました。物事は慎重確実に考えたいものです。
転ばぬ先の杖、被曝はせぬに越したことなし
被曝の話では、しばしば医用のX線が引き合いに出されます。胸の写真を撮ればその分「外部」被曝します。当然、ごく少しですが、発癌などのリスクは上昇します。が、それと同時に、その検査をすることで、肺癌などの早期発見が可能になれば、治癒の可能性が大幅に高まって、結果的にメリットのほうが大きい。検査というのはそういう性質をもっています。
小さなリスクとより大きなリスクのトレードオフ。そういう大人の分別を持ちましょう。
「絶対安全って言えるんですか。え? どうなんですか!!!」
と詰め寄るようなことをしても、確率的な対象に誰も不用意なことは言えないし、それを何か煮え切らない態度のように誤解する浅いジャーナリズムも目にするわけですが、何一つ役に立っていません。
報道なのだったら、売ることではなく社会の役に立つことを考え、実行しましょう。この2カ月ほどで、日本の報道に対する私の考え方はかなり大きく変わりました。きちんとした情報を選んで検討しないと時間の無駄になります。
短期間に一定以上の頻度で被曝すれば、少しであっても確実に「リスク」つまり病気になる可能性、危険性は上がる、そう考えることにする、という、これは正しく怖がるための知恵なのです。転ばぬ先の杖、と言いますね。身を守るための知恵を言っているのであって、それを文字面でああだこうだ言う以前に、しっかり判断、沈着に行動するか、しないか、で結果が変わってきます。要するに「しきい値説」も「比例説」も疫学統計を解釈する学説に過ぎず、どちらがより妥当であろうと、私達の被曝予防は慎重であるに越したことはない、この1点に髪の毛ほどの揺るぎもないものと思う次第です。
国際放射線防護委員会の見積もりの式
低線量被曝について、国際放射線防護委員会(ICRP)の見積もりの式をご紹介しておきましょう。
癌死亡推定人数 = 0.05×総被曝線量×被曝人数
例えば、毎時10マイクロシーベルトでこれからの1年間、人口10万人の都市が被曝し続けるなら、
0. 05×0.00001×24(時間)×365(日)×100000(人)
=438(人)
10万人当たり438人、つまり0.44%弱の人が、この被曝に起因する癌で亡くなる可能性がある、という見積もりです。
あるいは、毎時0.1マイクロシーベルトで1年間、人口1000万人の年が被曝したとすれば、
0.05×0.0000001×24(時間)×365(日)×10000000(人)
=438(人)
1000万人あたり438人、つまり0.004%程度の人が、この被曝に起因する癌で亡くなる、やはり可能性がある、という以上のことを、この式は言っていません。
また、この式の適用範囲は明らかに「低線量」かつ「一定以上の人数」に対する、あくまで見積もりであって、仮に1人の人が毎時1シーベルトで24時間浴びるとすれば、
0.05×1×24(時間)×1(日)=1.2(人)
という変な答えが出てしまいます。現実には致死量の被曝があれば1人確実に亡くなるという確定的な結果があるわけで、大人数に対する微量被曝の中長期的効果の参考に、やはり転ばぬ先の杖として、正しく怖がる参考にするのが重要でしょう。
トイレットペーパーでも9割除去
空気中に放射性の塵が舞っているような状況では、マスクの着用をお勧めします。
手元に国際原子力機関(IAEA)の資料があり、「木綿のハンカチーフ1枚で口を覆うと、放射性微粒子を28%除去できる」というデータがあります。さらに、
8つ折にすると除去効率は89%
16折にすると除去効率は94%
というデータもありました。また、水に濡らすと1枚でも64%の除去効率になったケースがあるそうです。
もっと興味深いのは、トイレットペーパーです。ハンカチより脆そうに見えますが、実は目が詰まっており
3つ折のトイレットペーパーでの除去効率は91%
という数字が出ています。無論、きちんと口や鼻にあてがってやる必要がありますが、こんな方法でもずいぶん、自分の身を守る工夫はできるわけです。
正しく怖がることと表裏して、身の回りの小さなことから、正しく防御する工夫を身につけることも大切と思います。
(つづく)
このコラムについて
伊東 乾の「常識の源流探訪」
私たちが常識として受け入れていること。その常識はなぜ生まれたのか、生まれる必然があったのかを、ほとんどの人は考えたことがないに違いない。しかし、そのルーツには意外な真実が隠れていることが多い。著名な音楽家として、また東京大学の准教授として世界中に知己の多い伊東乾氏が、その人脈によって得られた価値ある情報を基に、常識の源流を解き明かす。
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著者プロフィール
伊東 乾(いとう・けん)
伊東 乾
1965年生まれ。作曲家=指揮者。ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督。東京大学大学院物理学専攻修士課程、同総合文化研究科博士課程修了。松村禎三、レナード・バーンスタイン、ピエール・ブーレーズらに学ぶ。2000年より東京大学大学院情報学環助教授(作曲=指揮・情報詩学研究室)、2007年より同准教授。東京藝術大学、慶応義塾大学SFC研究所などでも後進の指導に当たる。基礎研究と演奏創作、教育を横断するプロジェクトを推進。『さよなら、サイレント・ネイビー』(集英社)で物理学科時代の同級生でありオウムのサリン散布実行犯となった豊田亨の入信や死刑求刑にいたる過程を克明に描き、第4回開高健ノンフィクション賞受賞。科学技術政策や教育、倫理の問題にも深い関心を寄せる。他の著書に『表象のディスクール』(東大出版会)『知識・構造化ミッション』(日経BP)『反骨のコツ』(朝日新聞出版)『日本にノーベル賞が来る理由』(朝日新聞出版)など。
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