http://www.asyura2.com/11/genpatu10/msg/284.html
Tweet |
原発事故発生の翌3月12日の避難においてさえ、政府・東電は避難のための移動手段を用意しなかったようだ。
国交省が11日から12日にかけて60台のバスを手配したという話が流れているのだが....
=============================================================================
原発20km圏内に留まる男性「俺はもう町から見放されたんだ」
2011.04.28 07:00
4月22日、政府は福島第一原発から半径20km圏内を 「避難指示区域」から法的に立ち入りを制限できる「警戒区域」に切り替えた。今後、主要道路の20km地点には警察による検問所が設置され、関係者以外の立ち入りが禁止される。
村のほぼ全体が20km圏内に含まれ、原発事故後すぐ避難指示が出された福島県双葉郡楢葉町では、すでにほとんどの住民が避難している。しかし、この町にはまだ6世帯8人が住んでいた(4月22日現在)。
そのなかのひとり、窓にビニールをかけた農家に住む男性・Aさん(73才)。東京生まれのAさんは5才で父親を亡くし、母親の故郷である楢葉町で育った。日本中の工事現場で働き、仕事と仕事の合間は楢葉町で過ごした。年齢を重ねて肉体労働ができなくなり、楢葉町に腰を据えた。
3月11日の地震の翌日、この町に「原発が事故です。各自、車で避難してください」という緊急避難放送が鳴り響いた。Aさんは思わず防災無線にしがみついた。緊急時には、避難方法などが放送されるはずだった。
「すぐに車のない人や動けない人のための指示が出ると思ったんです。でも、『急いで避難してください』と2回アナウンスがあってプツリと切れた」(Aさん)
Aさんは身の回りの物をボストンバッグに詰め、「無線が何かいうべ」と待ち続けた。しかし無線は無言のままで、家を訪れる者もいない。Aさんは強烈な疎外感を味わった。
「『おれはもう町から見放されたんだ』と思って。覚悟を決めて内窓に放射能除けのビニールさ張って、家に残っていた食料で過ごしてたんだ。電気はすぐ戻ったからテレビは見たけど、電話はずっとつながらなかった。食料がなくなってきたら種芋に手を出して我慢したけど、10日を超えて、このままじゃ餓死するんじゃないかと思ったね」(Aさん)
3月23日にようやく自衛隊員らが訪れて避難を強く勧めたが、「おれはいかね」と突っぱねた。8日後に再び説得されたが、思いは変わらなかった。
「おれは自分の惨めさがわかってる。すごい放射能を浴びてんだから、避難所に行っても、放射能が嫌で逃げた人から何をいわれるかわからない。つらい思いをするより、家さいて死んだほうがいいっぺ」(Aさん)
自衛隊に渡された支援物資の水4kg、米、カップラーメンなどで食いつなぐ。いざとなったら食べようと決めていた畑の大根は、避難した村民が解放した牛にすべて掘りかえされてしまった。
「おれは意地でも逃げねってば。立ち入り禁止も関係ねえ」(Aさん)
自衛隊や、定期的に訪問を重ねている楢葉町議会関係者の説得を拒否し続けているAさん。事故発生時の「見放されてた」という記憶に加え、よるべない身の上が決意の背景にあるのかもしれない。
※女性セブン2011年5月12日・19日号
http://www.news-postseven.com/archives/20110428_19111.html
原発20km圏内に残る母 避難所行けぬ理由に息子のてんかん
2011.04.30 07:00
ほぼ全域が福島第一原発20km圏内の避難地区に含まれる福島県双葉郡楢葉町。4月22日の警戒区域指定を経てもなお、住民約7900人のうち、ここに6世帯8人が残った(4月22日現在)。放射能被曝の恐怖を知りながら、避難を拒み続ける彼らの、本当の心中とは?
楢葉町南部、原発付近へと続く国道6号線近くに50代の長男ととどまるのはCさん(70代女性)。玄関脇の茶の間にあるコタツでテレビを見て和む毎日だ。娘夫婦と孫、次男は震災後すみやかに避難した。Cさんは母子で楢葉町にとどまる理由をこう語る。
「この子はてんかんの持病があって、発作が起きると対処が難しいから避難所では暮らせない。おれ(自分のこと)も糖尿で手が震えるし、目もあまり見えね。そんな人間ふたりが体育館みたいなところ行っても死ぬだけだ。個室にしてもらっても同じ。とにかく、いまは避難したくない」
Cさんは女性ながら建設現場でバリバリ働いて家計を支えてきた。もともと農家で細々と米作りも続け、今年も一株500円の苗20束の苗付けを控えていた。水道水が止まったいまは井戸水を使い、自分で収穫した玄米を食べる。プロパンガスがある間は煮炊きも入浴もできるという。
持病を持つ長男と暮らし、自身も悪化する糖尿病を抱えるBさんだが、決して生きる意欲を失ってはいない。
「洗濯物は外に干すな、できるだけ家の中にいろっていわれているからそうしてる。
立ち入り禁止後はどうなるかわかんね。でも、一時金をもらう手続きのため20km圏外に行く気持ちはある。ここにはいられるだけいるつもりだ」(Cさん)
※女性セブン2011年5月12日・19日号
http://www.news-postseven.com/archives/20110430_19270.html
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 原発・フッ素10掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。