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DVD『鬼塚英昭氏が発見した日本の秘密』成甲書房より転載。
以下本文。
今度は今起きていることを中心に喋ろうと思います。3・11。あの福島第一原発の事故について語ろうと思います。みなさんに一つ考えてほしいのは、僕たちはTV、新聞、雑誌、全てで『原子力発電所』『原子力発電所』という言葉を毎回のように聞かされています。
しかしお手元に英語の辞書があったら引いてみてください。英語ではNuclearと言います。これを見ると「核の」「原子の」「原子力の」一応形容詞ですが、形容詞は英語では名詞形にも使われます。そして原子力発電所とたぶん出てきます。そうなんです。核は原爆の核であり、核燃料も核であり、原子力発電所も核なんです。ということは、原爆工場も核のNuclearの工場、原子力発電所も核の工場なんです。核プラントなんですよ。
はっきり言いましょう。これは最初に出来たときに、プルトニウムというものを取り出して、それで水素爆弾をつくるために原子力発電所は生まれたというわけなんです。じゃあなぜそのプルトニウムが生まれるようになったかを、少し説明します。ちょうど第一次世界大戦直前なんですけど、イギリスにH・G・ウエルズという科学空想小説を書く人がおりました。この人が『勝利の計画』という奇妙な小説を書くわけです。それは爆弾1個で大都市が滅びるという小説を書くわけです。その当時はまだ核という概念はありません。しかし核の概念に近いものを人間が想像して、科学空想小説を書くわけです。
時代が下がって、ポーランドのユダヤ人物理学者のレオ・シラードという男がいまして、彼が「ウエルズの本はこれは本当に実現する」と、ちょうどそのころに核に対する研究が盛んでしたので、彼は最先端の知識を持って、核爆弾の理論を立てるわけです。その理論を持ってイギリスに渡って陸軍省に行くんですけど、陸軍省では取り合ってくれない。次に海軍省に行ったら、彼らが「これは特許を認める。その代わりお前は秘密に守れるか?」「秘密に守れる」という約束で、特許料をいくらか貰う。この海軍の情報をあるユダヤ人が知るわけですよ。それがヴィクター・ロスチャイルドといいます。
この人は若くしてイギリス・ロスチャイルド家の当主になるわけですね。ロードですね。男爵。この男はすごく優秀な男で、IQが184以上あったといいます。科学者でありながら、経済学者でありながら、音楽もやるし、生物学も植物学もやると。あらゆる面で天才的な男なんです。ケンブリッジを出まして、そのケンブリッジ時代に、あの有名な経済学者ジョン・メイナード・ケインズの学問を引き継ぐくらいの、経済学でも優れた男なんです。ケインズの話はここではちょっとしませんが、彼がそのシラードの情報を耳にしまして、特許を見て「これはまちがいなく核が出来る」ということを確信しまして、行動に移します。その過程を省きますが、結局イギリスで作ろうと思いましたけれど、ウラン238から235を作るのに非常に金がかかるということが分ったので、彼はチャーチルを使って、当時の首相ですが、アメリカに売り込みます。その時にシラードをアインシュタインの元にやります。
アインシュタインは小さな物体がある条件で爆発を起こせば、凄いエネルギーが出てくるという理論を立てて、ノーベル賞をもらいます。そのいちばん有名な物理学者にシラードを付けて『アインシュタイン書簡』というのを書かせます。それをルーズヴェルトに渡すわけです。その中に「早く完成しないとドイツが(先に)完成して、アメリカもイギリスも危ない」という文句も書いてます。もう一つ「原料がベルギー領コンゴにある」という変な文書なんですよ、今考ええ見れば。ということは、ルーズヴェルトに原爆を作れ、その材料は私が提供すると。コンゴというのはアフリカですから、そこにあると。結局ルーズヴェルトは応じざるを得なくなります。ヘンリー・ステイムソンという陸軍長官、実質的には国防長官ですね、彼が動きます。
グローブスという将軍を担当者にして『マンハッタン計画』が出来ます。で原爆が生まれていくわけです。しかしこれは一つ大事なことがありまして、ほとんどのアメリカ人は原爆を作っているということを知らなかったんです。時の副大統領のトルーマンでさえ、ルーズヴェルトが死んで大統領になった後にステイムソンが行って「実は原爆を作って、もう完成間近だ」と知らされるくらい。時のマッカーサーとか軍人たち、アイゼンハワーとかリーヒとかトップクラスの軍人たちも知りませんでした。原爆作ってるの知りませんでした。彼らが知ったのは、突然広島に原爆が落ちて初めて知ります。そういう秘密主義の中で原爆が作られます。作られた後どうなるかと言いますと、いったん出来たものはなかなか捨てられないですね。
広島は確かウラン25で出来ます。ところがここでおもしろいことが起こりました。シカゴ大学でジェルミという物理学者が「ウラン235を爆発させるよりも、プルトニウムという形にして爆発させた方が、効果が大きいんじゃないか」というわけですよ。『マンハッタン計画』の途中で、デユポンという化学会社がシカゴ大学と組んで実験をしたら、プルトニウムが多少生まれるわけです。それを元に爆発小実験をやったら、凄い力を発揮する。そこで「プルトニウムこそ最高の核だ」ということになるわけです。それを作り上げて、第二次世界大戦が終わる間際に出来たんですよ。だけど本当に効果があるかどうか、実験してみなければ分らない。それじゃ実験しよう。実験します。凄い威力でした。二つ作ったプルトニウム爆弾を、一つを実験しましたから、もう一つを長崎に落としたと。広島の原爆は同じ原子爆弾なんですけど、長崎はプルトニウム爆弾だった。
ということでプルトニウムの威力が分ったので、プルトニウムを沢山作る過程で、長崎の爆弾・広島の原爆を改良したのが水素爆弾というわけです。水素爆弾というのはプルトニウムを主体に使うわけです。それでプルトニウムはどうして出来るかというと、発電システムの中から生まれるわけです。235を燃やして行くと、プルトニウムが生まれてくると。238から235とプルトニウムが生まれてくる過程で、巨大な発電ができるということは、これはもうシラードが最初に予言していたわけです。海軍省で特許取ったときに。爆弾以外にも発電にも全部使えると。シラードが基本的な特許を持ってるんですけど、それはイギリスの連中はシラードから買い取ったので、一応イギリスの特許になってるんですね。
戦争が終わりました。たくさん水爆を作るようになりました。ソ連も作ります。ヴィクター・ロスチャイルドがケンブリッジ大学の中に秘密グループを作って、ソ連のスパイに仕立てて、自分もスパイになって、アメリカの『マンハッタン計画』をぜんぶソ連に伝えます。最初は材料もアメリカが全部ソ連に渡します。ソ連にはお金があったかというと、ありません。戦争で戦って兵隊も食べ物もない。スターリンはどうしたかというと、兵隊たちをシベリアに送り込んで、金とダイヤモンドをシベリアの寒い所で採らせ、それを売って、冬で小麦もないけど小麦も売って、そして金を稼ぎ機会やら材料やらを買って、すごい金をかけて原爆と水爆をつくります。
で、冷戦時代が始まるわけですわ。アメリカ人は「ソ連が攻めてくるぞ」という報道に怯えて、各家が核シェルターを作ったりします。後から考えるとこれは全部まやかし報道でした。ソ連は軍事力もなくて、民衆はジャガイモもなくて、キャベツを食って、人間の肉が市場に並んで、かろうじて生きている状態で、「ソ連が攻めてくる」という宣伝がダーッと流れてくるわけですね。そこで何が起こったかというと、水素爆弾が溢れてくるわけですね。でもいくら作ってもキリがない。さっき行ったヴィクター・ロスチャイルドという男が・・・シュトラウスという男があまり歴史に登場しませんが、クーン・ローヴ商会というのがありまして、これはロスチャイルドが全部権力を握っててアメリカの資本家たちに金を貸して育ててきた。日本も日露戦争の時に金を借りましたね国債を。この前話しました。その銀行にシュトラウスというのが務めてまして、その一族の娘と結婚しまして、ポール・ウオーバーグと同じですね、でトップ・クラスにノシてきます、このシュトラウスを使って、当時、原子力委員会が出来ました、そこへ入れます。
ついに彼は原子力委員会のトップに1953年になります。ちょうどアイゼンハワーが登場する時ですね。アイゼンハワーはフィリピンのマッカーサーの元にいて、中佐のまま一生終わるんじゃないかという男が、突然二年足らずで欧州に行って中佐から元帥になっていく過程に、戦争が終わらないようにノルマンデイー作戦をしないように、エジプトで数年間アメリカ軍が戦うようにして、不毛の三年間くらいを過ごさせたのはアイゼンハワーなんです。アイゼンハワーが全部指揮を取ります。欧州の責任者になります。その彼を利用して、シュトラウスが言います「今後こんなに水素爆弾を造ってもキリがないから、この水素爆弾を造るときに電気が出るから、平和利用に使いたい」と。アイゼンハワーは応じます。アイゼンハワーは演説します「原子力を平和に使えば、世界に幸福がやってくる。砂漠地帯にも電気ができて、貧しい人が全部豊かになる」。拍手喝采されます。
その成果をもとにスイスのジュネーヴで、原子力平和利用のための会議が開かれ、これにはソ連も参加して、そこで原子力の平和利用というものが騒がれるわけです。1953年ルイス・シュトラウスが委員長になった頃に、中曽根康弘が、ちょうどタイミングよくアメリカに行きます。マッカーサー時代に遡るんですけど、占領当時マッカーサーはアメリカのCIAの活動を認めませんでした。独自にCICを造ってそれを諜報の中心に置きました。だからキャノン機関というのができたり、色んな情報機関があるんですけど、CICが全部最終的に管理してました。中曽根が自分の回顧録『天地有情』の中に書いてます。「俺はCIAのテストを受けた。英語もあった。論文も書いた。パスした。自分から進んでCIAのテストを受けた」。
それで彼はアメリカに派遣されます。ちょうどシュトラウスが(委員長に)なった頃です。その時に若きキッシンジャーがハーバード大学で、政治学の助教授みたいな形でちょうどいて、キッシンジャーが中曽根を数ヶ月に渡ってアメリカ各地を連れて廻ったりします。中曽根は帰った後、僕は原発マフィアと名づけてんですけど、正力と組みます。正力松太郎についてちょっと喋ります。正力はポドムという名前を与えられたCIAのエージェントです。彼はA級戦犯になるわけですよ。内務官僚ですから。(注 中曽根も内務官僚出身である。東大卒業後、内務省に入省するや、そくざに短期兵役を志願。彼は五十六暗殺の半月前1943年4月1日付けで高雄に転任。戦後は内務省に返り咲きするが、上司と親の反対を押し切って退職。故郷の高崎から若手政治家として打って出る。吉田内閣の時に衆議院議員として初当選。以後台頭していく)戦後追放解除され、CIAの要員として入ります。
CIAはその当時でいったら一千万ドル、今でいったら何十億円、もっと凄いですね、一千万ドルの金を与えて日本TVを作らせます。日本TVと讀賣新聞で、中曽根と同じように原子力発電所の宣伝をやります。そこから原子力発電所が生まれてきます。中曽根は自分で自慢気に書いてますけど「色んな原子力発電所の法律はみんな俺がつくった」と。自由党時代で、野党の若造が作れるはずがない。そこの背後にCIAがみんな絡んでいます。(注 CIAの最高傑作ヨセフこと吉田茂が絡んでます)そうして日本に原子力発電所が出来るんです。東電とか関西電力に「造れ」と言います。だけど全くやってないことなのに、やれというんだから、無理がありました。だから今日福島が事故があるのはそこなんですよ。
平田という東電の社長になる男は、戦後、パージを受けてウダツのあがらない生活をしている時に、突然、東電に入りあっという間に社長になります。どうも僕はこいつもおかしいと思います。平田は準備も何もできてないのに、数人の男たちと年寄りの女に「お前たちは原発をやれ」と言って。その後すぐにアメリカのGEから原発を入れます。関西電力はもう一つの雄のウエステイング・ハウスというところから、原子力発電を入れます。ブラックボックスというのがあって、触ってはいけない、中を見せない状態なのに、原発が日本に来ます。だから福島の原発はGEが開発して間もなくて、危険極まりなりのに、彼らは無条件で入れて信じきったんです。無条件で入れてその数年後に、欠陥商品であるということが分るわけです。
設計者が言うわけですよ「あれはまちがってた」。だけどアメリカは、マークワンていうんですけど、設計を直したり部品を付け直したりして、ずーっとやってきているわけですよ。日本はまったくやらないまま、40年間欠陥商品をそのまま使い続けて来た。アメリカは1970年代に入ってから、原子力発電が欠陥商品だと分る。冷却装置は冷却装置をいかに上手く作動させても危険極まりない、と疑う科学者たちが同盟を作ってアメリカを訴えるわけですよ。シュトラウスの後のメンバーが「そんなことはない」と言う。それで実験をしてみようというのでやります。だけど上手く行きません。それでアメリカは政府も原子力規制委員会も、これはもう二度と新規に認めたらいけないと、今ある奴はし方ないから整備して使えというので、1979年ちょうどスリーマイル島の事件があった後から、1980年ころから2010年の30年間、原子力発電所を造らない。アメリカと日本の差ですよ。それは。
その間も原子力発電所は絶えず規制委員会の管理のもとで、彼らは毎回毎回補正修正をやって、それから作り直しをやって、事故を起さないで今日まできたわけですよ。日本は40年間経ってるのに、GEも「危ない」と報告書を日本に差し上げたのに、日本は何も改善しない。そして津波の危険が来るのに、たった8メートルか6メートルの津波しか来ないというのでやる。全然差があります。プルトニウムというのもそうなんです。あれは核プラントなんですよ。原子力発電所なんていうもんじゃない。そしてプルトニウムがいっぱい出る。それとまだ悪いことは劣化ウランといって、原子力発電を燃やすとカスが出るわけです。ウラニウム238がほとんど残るわけです。カスです。ドラム缶に入れて、他に持っていったら怒られるので、自分たちの倉庫の中に置いてある。それから地下室に置いてある。そういう状態を40年間続けて、じゃあ彼らは何をやったか。彼らは安全神話を流したんですよ。
アメリカの原子力委員会がネヴァダ州で実験しているときに、すごくガン患者や白血病患者が報告が来るのを全部ひねりつぶして「大したことはない。安全だから心配するな」とニセの安全宣言を出して、色んな報告書を全部握りつぶす。色んな安全宣言を出した1960年から70年代の報告書を翻訳して、そのままを東電は3・11の前まで使っていたわけです。シュトラウスが安全宣言を出します。嘘八百です。シュトラウスも言ってます「本当のことは言われない。だからニセでも逆らうな」と。その安全宣言を翻訳してる。これは『危険な話』といって、広瀬隆もその文面を翻訳してます。広瀬隆も言ってます「呆れてモノが言えん」。だから原子力発電所が、いつか事故を起すのは当たり前だったんですよ。僕はそう思います。
アメリカは金儲けのためなんですよ。日本に作らせて儲かる。オーストラリアとカナダから、今どんどんウランが出てきました。でもウランは原石がそのまま使えませんので、アメリカに持っていって、アメリカから原子力発電所に向くようにしたウランを買い付けて、アメリカ全部儲かるわけですよ。それをみなが燃やしたわけですね。そういうことです。これは大事なことがあるんですけど、原子爆弾、水素爆弾を造る過程で、ヴィクターが世界中を廻って優秀なウラン鉱を全部ロスチャイルドが独占するわけですよ。その後にコンゴとかカナダとか出てくる。一番凄いのはオーストラリアにウラン鉱が発見され、当時は30%くらいだろうと、世界中の埋蔵量の。今は40%を越えて50%近いんじゃないかと。そのウラン鉱が発見されて、核を取り出す工場が出来て、鉄道網が敷かれて、廃棄物の処理工場が完成しつつあって、さあこれからやろうとした矢先に、この事故なんですよ。
でアメリカは止めます。日本はどうなのか。そういう世界の風潮を無視してひたすらやります。なぜか。田中角栄と中曽根はコンビを組んで、原子力発電所を造っていきます。それに政治家たちは全部利権が絡むので応じます。そして原子力発電所ができるたび危険だという反対運動が盛り上がるので抑えていきます。だれが抑えたか?政治家たちが抑えました。科学者も抑えました。東大に原子力研究所がありますけど、彼らは東電をはじめ各発電所から何億単位で金をもらって、研究費ですけど、そして安全神話を広めました。映画俳優も歌手も芸能人も経済学者もゴロゴロと宣伝隊に加わりました。みんなが安全だと思わせるように凄い金を使ったわけですよ。その金が全部電気代になっているということを、みなさんは知らないといけない。いいですか。日本の電気料金は世界の電気料金の3倍なんです。3倍ですよ。まだこれから上がります。
これはなぜ上がるかというと、原子力発電所が一基できるときに4千〜5千億円の金が要ります。各発電所は社債を発行して、その金を賄う。その金で発電所を作るし宣伝費も入れる。しかし本当はペイしない。ペイしない分、彼らは徒党を組んで電気代を上げてきた。政治かもそれを認めてきた。そこで何が起こったかというと、安全というものよりも目先の金が動いたので、僕は原発マフィアとか原発スモール・マフィアとかあだ名を付けたんですけど、そういう連中のみが旨い汁を吸ったんですよ。アメリカ人やオーストラリア人たちは、ウランが黄色をしているのでイエローケーキと言ってるそうです。黄色いケーキを食って彼らはみんな太ったんですよ。だから自民党の政治家も、今度の民主党の政治家も、今でも反対の声を上げないじゃないですか。ここまで福島の人たちが苦しんでいるのに何をやってるんだって、僕はそう思います。
だからあの事故は起こるべくして起きたんだと。じゃあ福島以外はどうなんだ。みんな危ないんですよ。で今度、浜岡の話をしますが、浜岡の原発はなぜ危ないかというと、御前崎市にあって、御前崎市は東海トラフといって大きな地震が確実視されている。87%の確立で近い将来起きると。87%の確立で未来に起こるということは、ほぼ近未来に地震が起きるんです。これはもう過去の例からいっても地震が起きています。地震学者たちは上の方は狙わないで、東海トラフの地震についてずーっと研究してきました。だからこらぁもう確実なんです。その確実に起こる所に浜岡に原発を造って、それが危ないというのにまだ6号機7号機を造ろうとしてたんです。
それで今度の地震でも海水が、5号基なんかずい分入っているそうです。じゃあ防波堤を造ればいいか。防波堤を造って波を除けたところで、地下からボンと来るわけです。地下からボンとくれば、あそこは今でも5基もありますから、1号基2号基止めてるというけど、あれは止めてんじゃないです。止めても止めても熱は出るから、30年くらいかけても本当の廃炉にはならないだろうという。また廃炉に成功した例は世界中にないわけです。五つの原発が止めても熱が加わっている。水をかけて発電しないだけで。そういう状態になぜ置いたのか。
中曽根という男を見れば分りますよ。彼がずーっと科学技術庁長官や原子力委員会をやり、彼が代議士から成長していく過程で、本人も書いてますけど、原発関係の人から金をもらって維持したと『天地有情』に書いてます。その中曽根がいまだに諦めていないと僕は思いますね。いまだに諦めてない。「まだ必要や」といいます。
(日本は)地震国家ですよ。54基もあってどこもみんな地震の巣を抱えている。抱えてないとこ一つもないですよ。全部抱えてる。僕が一番最初に話したコンプラドールという言葉を使いましたが、まさにコンプラドール、使い易い日本のドール、人形。僕たちは使い捨ての人形にさせられてる。その使い易い人形が、その主な奴が正力松太郎であったり、中曽根康弘であったり、田中角栄。とにかく日本のトップがなぜコンプラドールになってくのか。僕たちはそこを考え行動に移さないとだめなんですよ。そういう時期に来てます。悲しいかな、そういうことなんですよ。じゃあ解決方法はあるのかというとありませんね。今のところないんじゃないですか。こんなに日本のコンプラドールたちが大手を振って歩いている。
そして小さなスモール・ドールが、まだまだ自分たちのために金を稼ごうと思ってやってますから。どうしたら良いかという方針は立たないんですよ。ただ僕は言いたいのは、この真実をみなさん知らないといけないですよ。ただ新聞やTVや週刊誌を見ても、原発マフィアを暴いているのはないじゃないですか。なぜ私たちは怒りを以って対処しないんでしょうか。「立ち上がれ日本」「がんばろう日本」といって、東北の人たちは励まして、みんな、います。あれは、みんな、立派です。芸能人の人たちも、立派です。だけど僕はもう一つ、大事なことがあると思いますよ。それは原発というものの真実を知って、その上で彼らは行動に移すべきです。
若者たちに言いたいと思います。僕たちはもう年を取りました。僕はもう年を取りました。たとえ放射能を受けても、もうそんなに害はないでしょう。だけど子どもたちは大変なんです。その子どもたちに大人は目を向け、彼らのために怒りのコブシを上げる時に来てるんです。どうか、みなさんに私の話を聞いて「そうだ」と思う人は、何らかの行動を取ることを望みます。自分たちに子どもがいれば、子どものために立ち上がらなくてはいけない。年取った人は、自分の子どもや孫のために立ち上がらないといけない。子どもたちは分らないんだ。どうして良いか。だから福島だって本当のことを私たちは知らなければいけない。知らないで何もしないで1日1日を過ごすということは大変な罪になる。
政治家たちもそうなんですよ。もうお金儲けは諦めなければいけない。そんなにお金がなくても人間は生きていける、ということを知った方がいいですよ。中曽根なんかどれだけ稼いでいるのか分りません。中曽根の次女が、鹿島建設の社長であった渥美という男の長男に嫁いでいます。渥美と鹿島一族とは親戚になります。中曽根と鹿島一族はだから血族になります。中曽根の強い力でいちばん原発を造っているのは鹿島建設です。
◎中曽根康弘&渥美健夫は吉田茂&次郎のコネクションである。
青柳恵介著『風の男 白洲次郎』新潮社より
『大臣、次官を初め商工省内では、吉田茂の側近の白洲某という男が商工省の大幅な改組改革を画策しているらしいという評判がしきりであった。噂には、白洲某は商工省を潰そうとしているというものまであった。内部のことを何も知らない者に無茶に掻き回されたらかなわない、というのが商工省の人間達の共通の思いであった。一体、白洲某は何を考えているのか、そもそも白洲とは何者であるのか・・・』
『白洲は貿易庁長官に就任するや、貿易庁の筆頭課長である貿易課長のポストに、商工省から永山時雄を据えた。白洲の貿易庁長官の在任期間は結果的にたったの三ヶ月であったが、その間、白洲は何度も永山を同道し、吉田茂の許に通い、商工省の改組について三人で話し合った。ワンマンで有名な吉田茂を思うように動かしている。「白洲三百人力」という陰口が叩かれるが、事実たいした政治力である。永山も、これから各国に大使行使を置く際、通商産業省の人間を海外に派遣できるように、外務省の方のポストも約束して貰いたいと要望する。吉田は「よろしい」と言う。とんとん拍子に商工省改組の計画は積み上がって行く。永山は、商工省の話題は大臣大屋・次官松田を初めとして一切他言無用だと白洲から言われており・・・「考えてみれば、僕が作文して白洲さんが”よし”と言って通産省が出来ちゃったんだから、乱暴な話ですがね」と今になって永山は笑うのである。』
中曽根は白洲次郎の汚れ仕事用のコネクションである。
五十六暗殺の功により戦後は格上げされ、
吉田内閣のもとで原発導入を謀る若手議員になる。
この中曽根にコネクションのもう一人の人物渥美が組んで、
地震国家日本の狭い国土に原発が乱立していく。
◎白洲次郎と原爆産業
鬼塚氏は「英米の諜報機関と深く繋がった原爆エージェントである」と断言している。
鬼塚氏の『原爆の秘密 国外編』より抜粋。
『戦前、「亜細亜産業」は闇貿易をしていた。陸軍と財閥の癒着の中から誕生した「昭和通商」と結びつき、アヘン貿易に従事していた。この会社に白洲は出入りしていた。白洲次郎は、米英の諜報機関と深く繋がっていたと判断して間違いない。柴田は「もしくは亜細亜産業は、戦時中から米軍と何らかの繋がりがあったのか」との疑問を投げかけている。私は「大いにあった」と答える次章以降で陸軍参謀本部と原爆の関係を追及するなかで、その証明をすることにしよう。』
『白洲は日本水産から帝国水産と異動して何をしたのか。調査室長であった。彼は帝国水産という会社を利用し、イギリスとアメリカの諜報機関のために日本の機密を流し、また同時に、日本へ、特に皇室、ヨハンセン・グループ、軍閥、三菱・・・に情報を伝えていたのである。』
『外務省編「終戦史録(5)に掲載されている「大井篤手記−天皇制と原爆投下」の中に、皇太后と天皇が原爆投下について知っていたことが書かれている。私は「目標検討委員会初回会議覚書(1945年4月27日)については詳述した。その中で、東京湾が原爆投下の目標地に入っていたことを書いた。この情報が、白洲次郎のルートで日本に流されていたことは間違いのない事実である。』
『グルーは駐日大使として約十年、日本に滞在した。吉田茂元英国大使と深い親交を結び、吉田の岳父の牧野伸顕元内大臣との個人的な友情を深めていた。そしてグルーは大使の仕事とは別に、J・P・モルガンの血族の一人として、J・P・モルガン商会の仕事にも手を廻していた。このルートでモルガン商会の仕事に関係していた樺山愛輔とも深く結ばれていた。グルーは彼らから御前会議の内容など日本の当時の最高機密を受けとり、アメリカや国務省や陸軍省に打電していた。この間の事情はグルーの著書「滞日十年」に書かれている。』
『グルーはまたもう一つの顔を持っていた。日本の財閥、特に三菱財閥との結びつきであった。日本が闇ルートでアメリカから太平洋戦争中も石油や鉱物資源を輸入しえたのは、モルガン商会と三菱の力が大きな影響力を与えていた昭和通商のルートであった。このルートにデイロン・リードが加わる。このデイロン・リードはナチス・ドイツに大戦中も軍需物資を送ったり、資金を流したりした会社であった。日本の軍閥、財閥とも深く結びついていた。』
『ステイムソンもグルーもモルガン財閥の一員である。そしてプルトニウム爆弾を投下せんとしてバーンズを担ぎ出した闇の世界からの使者たちである。この闇の世界からの使者たちが、彼らの道具としてヨハンセン・グループを利用するのは理にかなっている。それは日本にとって何を意味するのか。プルトニウム爆弾が完成するまで、日本が降伏しないように工作するよう、彼らヨハンセン・グループが利用されたことを意味する。』
『白洲次郎は米英のための、具体的に書くならば、ステイムソン、グルー、ウオーバーグたちのためのエージェントの仕事をし続けていたのである。原爆産業のエージェントであったといえよう。』
◎広島原爆被曝を者見殺しにした終戦連絡事務局と日赤
鬼塚氏『原爆の秘密 国内編』には、
広島の被曝者を見殺しにした終戦連絡事務局次長・白洲次郎が描かれている。
『私がこれから描こうとするのは、核爆発後の放射能とその放射能がもたらした死である。そして、放射能汚染はない、とするアメリカの主張に同意した日本政府の、否、国家の中枢にいた人々の動きである。原爆投下直後に運良く生き延びた人々も、放射能汚染で死んでいくのである。日本国家が彼らを見殺しにするのである。死に直面してかろうじて生きている人々に、「原爆患者は二度死すべし」と断言するのである。だから、この半世紀以上がすぎた過去を私は拳を握りしめて振り返ってほしいと思い、書き続けるのである。』
(鬼塚氏は大佐古一郎著『平和の勇者ドクター・ジュノー』から次の箇所を引用する)
『ビベール氏は、次の新しいメモを見ながらゆっくりと言った。「それではICRCの広島救援が実現しなかったことについて、ICRCの資料に基づいてお答えしましょう。ジュノー代表はですね、広島県や広島赤十字病院へICRCの救援物資を送ることを約束しました。救援物資というのは、病院を再建するプレハブのような鉄骨や窓ガラスとか医薬品、それに食料品などのことです。彼は東京に帰ると、広島を級財することが急務だとするジュネーヴへの要請文を起草しましたが、その電報を打つことはできませんでした。GHQがその打電を許可しなかったからです。GHQは打電の必要はないと言ったんです。その理由はGHQと日本政府のリエゾン・コミッテイ(終戦連絡事務)で、日本側委員が広島救援の必要はない、我々が独力でやると言ったからだというのです。広島救援の必要がないと言ったのはリエゾン・コミッテイ(終戦連絡事務局)だけでなく、日赤でもそのようなものをもらっても使用がないと言ってます。」「えっ、なんですと・・・」』
『マッカーサーとジュノー博士の努力を裏切ったのは日本赤十字社である。この日本赤十字社の総裁は天皇裕仁の弟の高松宮であった。明確にしたい。天皇裕仁と高松宮がこのジュノーとマッカーサーの申し出を断ったのである。どうしてか?ステイムソンとの約束(「私には確約がある」の発言)が怪しくなったからである。天皇は自分自身の安全が脅かされだしたからである。』
『マッカーサーは当時、アメリカ陸軍省の支配下にあったということである。従って、ジュノー博士の申し出をマッカーサーは受け入れたが、陸軍省が拒否したと考えなければならない。重要事項は陸軍省に報告され、陸軍長官からの決議を持って処理されたのである。ファレル原爆災害調査団の報告の公式発表はマッカーサーがしなければならないものとなった。敗戦国の天皇との交渉が行われた。それが大佐古がたびたび書いている終戦連絡事務局である。』
『松本重治の「昭和史への一証言」(2001年)から引用する。−終戦連絡事務局は、総司令部の機構に応じた日本側の受け入れ態勢ということで、連合国軍の進駐に先立って先方からの要請で作られたのです。外務省の一角に設けられ、半分は外務省の人間でした。奥村勝三もそこにいました−』
『松本重治が神戸一中の五年生のとき白洲次郎は二年生。神戸一中の同窓生である。松本は同盟通信社で有末精三中将のアメリカ向け謀略放送の仕事に専念していた。その松本を吉田茂の依頼で終戦連絡事務局に誘ったのが白洲次郎である。二人はもっぱら民生局のホイットニー(マッカーサー司令部のbQ)と交渉した。従って、あの日本赤十字の「原爆被曝者見殺し宣言」も、彼らの交渉の結果に他ならないのである。』
『どうして、謀略放送を流し続けた松本重治がアメリカの代理人となって、近衛元首相を自殺(?)に追い込む役割を演じたのかも、この一件の中に見えてくる。』
◎鬼塚氏は海軍と原爆の関係についても研究調査されている。
『私は原爆を研究する過程で、偶然に(否、必然的と私は信じているが)、一人の原爆孤老から手紙をいただいた。その人は「内密に」と書いていた。私は是非とも私の本の中に書きたいと電話した。「どうぞ」と承諾してくれた。その手紙の最後の部分を記す。』
『「日本海軍が米英等と特殊な関係を持っていた為、原爆を広島に落としたのも、その南方数キロの地点(江田島、桂島)に乗っていた海軍エリートたちに至近距離で見物できるようにアメ公が細工したものと愚考します。(兵学校裏の小山は絶好の展望台の筈!)戦後の日米協力のプロジェクトで、海軍の上層部にいた連中の数が異常に高かったわけです。」(手紙より)』
『「淵田美津雄自叙伝」は延々とこの間の事情を書き続ける。簡単に記せば、三日間も続いた会議は存在せず、彼は夜半ひそかに広島を離れて岩国基地に移ったということである。淵田大佐は海軍が畑元帥のもとへ送り込んだ”使者”であった。淵田は戦後、クリスチャンになった。ヨハンセン・グループ、同盟通信グループも全員クリスチャンになることで、一原爆孤老が書いたように「日米協力プロジェクト」の一員となり、「幸せという名の身分」をアメリカから与えられた。私は太平洋戦争開戦以前から、淵田たちはアメリカの隠れエージェントであったと思っている。』
鬼塚氏のDVDの続き。
僕は思います。そんなにしてまで、やらなくてはいけないだろうかと。もうそろそろ、日本人は考えかたを換えたらどうでしょうか。貧しくてもいい、美しい日本を、どうか若者たち子どもたちに残さなくてはいけない。これが日本の財産なんですよ。原発なんか財産なんかじゃありません。はっきり言います。こんな危険極まりないものは、今からでも、いっぺんにはムリだから、徐々になくすべきだと思います。以上で話を終わろうと思います。ありがとうございました。
以上転載終了。
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