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一連のオウム裁判を報道を通じて見て来た者として不満に思ふ事は、新聞やテレビが、弁護側の主張を十分伝えて来たとは感じられなかった事です。
即ち、オウム真理教が多くの反社会的行為を行なった事は明白であるとしても、個々の事件において、検察発表の情報が本当に全て正しかったのかを、マスコミは、極く一部の雑誌メディアや出版社を除けば、殆ど全く検証して居ないと、私は思ひます。
又、松本死刑囚については、彼が統合失調症患者であるとする、非常に確度の高い情報が有ります。
↓
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(クリックして下さい)
この事は、私自身は刑法39条撤廃論者ですが、教祖麻原(松本)を裁く上で重大な問題を提起する事は明らかですが、このい事をマスコミが検証して居ない事も明らかです。
坂本都子(さかもとさとこ)さんのお父様が、「本当の命日を知りたい」とテレビ朝日のニュース・ステーション(当時)で述べた事は、何を意味するのか。
坂本弁護士一家殺害事件については、以下に引用する様な謎が残されたままです。
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誰も物音を聞いていない?
坂本事件の第一の疑問は、犯行計画があまりにも杜撰な点
である。
冒頭陳述によれば、実行犯の六人は事件の二日前の夜、麻
原に突然 呼びつけられ、坂本殺害を命じられたという。
六人は翌日、手袋や地図など犯行に必要と思われる物を購入
しなが ら坂本宅付近に赴いたが、事前に下見をした者もい
なければ、 途中で犯行計画を練った形跡もない。
それどころか、96年9月の岡崎の法廷証言によれば、早
川と 新実以外の幹部は坂本の顔さえ知らず、車内で村井が
「いいもの があるんです」と言って差し出した小冊子を回し
読みして、坂本 の特徴を覚えたという。当然、メンバーから
「間違えたら、大変 だな」といった“笑い話”のような問答
が起きたほどだ。・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その杜撰さを示す端的な例が、犯行当日が祝日(文化の日)
に 当たっていたうえ、ちょうど金曜日と重なり、大半の企業
が五日 の日曜日まで三連休だったことであろう。
このことは当然、テレビや新聞でも取り上げられており、
教団 幹部たちがいくら浮世離れした生活を送っていたとして
も、全く 知らなかったとは思えないし、途中で気がつくはず
である。人間 一人を拉致・殺害しようというのだから、なお
さら相手の動向には気を止めなければならないはずだが、そ
うした動きは全く見えない。
現に、坂本一家はこの日から揃って四国旅行に行くはずだ
った。たまたま、坂本と龍彦が風邪気味だったため、旅行は
直前になっ てキャンセルされた。・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
坂本は当時、労働事件などで多忙を極めており、休日返上
で働くことも珍しくなかった。仮に、実行犯がそのことや、
四国旅行 を直前になってキャンセルしたことも知っていて、
三日は仕事をすると判断しても、夕方から監視に入ったり、
本人の所在をハッキリと確かめずに犯行に及んでいるのは、
いかにも不自然である。
少なくとも、当日朝から標的の動向を監視し、どこにいる
かぐらいは掴んでおかなければ、とても拉致とか殺害とかは
できないはずだ。
もし、日程に余裕があるなら、確実に外出する平日を選べ
ばいいし、実際、坂本は毎日、街灯も人通りも少ない道路を
帰宅しており、チャンスはいくらでもあった。
それに、誰がドアを開けるのとか、どの順番で襲いかかる
のか、といった役割分担がハッキリしていたとも思えない。
そんなメンバーに果して、人を殺すことができるのかという
素朴な疑問が出てくる。
これらの点から言えるのは、教祖から言われて、とにかく
現場まで来たが、たまたま一家が在宅していて、鍵も開いて
いたという、全くの偶然が重なった奇跡的な場合と、実行犯
は坂本一家の在宅やドアが開いているのを知っていて、最初
から自宅に押し入るつもりだった場合しか考えられない。
次に、現場付近での見張りについてだが、実行犯の供述に
よれば、岡崎ら四人は坂本宅付近に長時間駐車していたこと
になっている。だが、坂本宅付近の道路は幅が狭く、一方通
行が多いうえ、生活道路に使われており、意外と交通量が多
い。
しかも、祝日とは言え、夕方四時から夜の九時という車の
交通量が多い時間帯に、大の男が四人も乗った大型の四輪駆
動車がずっと停まっていれば、かなり目立つはずだし、通行
妨害をめぐるトラブルさえ起きるだろう。だが、近くに駐車
していた京都ナンバーのワゴン車を目撃した人は多かったの
に、問題の四輪駆動車の目撃情報は皆無なのだ。
続いて、事件現場の状況であるが、坂本宅はJR洋光台駅から
徒歩十分の住宅街の一角に建つ二階建てプレハブアパートの二階
で、六畳の居間と寝室、四畳半の書斎、キッチンの3Kタイプ。
一、二階の同じ構造の各二世帯ずつが入ったアパートが計三棟、
並ぶように建っている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
プレハブのアパートに暮らした経験者はよくご存じだと思うが、
ドアの開閉や子供が部屋の中を走り回る音でさえ、うるさく感じ
るものである。まして夜中の三時に、狭い部屋に大人が被害者を
含めて八人も集まり、早川に至っては坂本に蹴飛ばされ、鏡台に
ぶつかり、襖が外れる騒ぎまで起こしているのだ。
特に、階下に住む主婦は、三か月の赤ん坊がいて、「あの日は
ウトウトしただけで、午前三時ごろには起きてミルクを与えてい
たが、何の物音も聞こえなかった」と証言している。
アパートの場合、隣より階下の住人の方が音や振動に敏感なも
のだが、普段から階段の昇降音や赤ん坊の泣き声はよく聞こえる
と話している主婦たちが、誰も物音一つ聞いていないのだ。住人
が口裏を合わせてでもいれば別だが、何とも不可解である。
(一橋文哉『オウム帝国の正体』(新潮社・2000年)
241〜246ページより引用)
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何も解明されないまま、裁判が終結に至ったと言ふべきなのではないでしょうか。
平成23年11月21日(月)
西岡昌紀(内科医)
(この日記をお読み下さい)
↓
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=611672503&owner_id=6445842
(2007年11月3日の私の日記です)
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オウム 遠藤被告の死刑確定へ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1819643&media_id=2
<オウム裁判>遠藤被告の上告棄却、死刑確定へ 全公判終結
(毎日新聞 - 11月21日 11:15)
判決後、記者の質問に答える地下鉄サリン事件被害者遺族の高橋シズヱさん(中央)=東京都千代田区で2011年11月21日午前10時44分、久保玲撮影
地下鉄、松本両サリンなど4事件で殺人罪などに問われたオウム真理教元幹部、遠藤誠一被告(51)に対し、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は21日、被告の上告を棄却する判決を言い渡した。1、2審の死刑が確定する。教団を巡る一連の刑事裁判は、教団元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(56)ら幹部が逮捕された95年から16年余を経て、全公判が終結した。死刑を言い渡された被告は13人にのぼり、法務省は全員の刑確定後、死刑執行について検討に入るとみられる。
小法廷は「残虐、非人道的で結果の重大性は比類ない。実行犯ではないが、教団幹部の立場で科学的知識を利用し重要な役割を果たした」と述べた。
刑事訴訟法の規定で最高裁判決に対しては10日以内に訂正の申し立てができ、遠藤被告と18日に死刑維持の上告審判決のあった中川智正被告(49)には申立期間が残されているが、棄却されれば判決が確定する。
坂本堤弁護士一家殺害(89年11月)、松本サリン(94年6月)、地下鉄サリン(95年3月)の「3大事件」をはじめとする一連のオウム事件では計27人が犠牲(08年施行のオウム真理教犯罪被害者救済法の認定死者などを除く)になり、6500人以上が負傷した。計189人が起訴され、これまで地下鉄サリン事件の実行役を中心に11人の死刑が確定した。遠藤、中川両被告の死刑が確定すれば、確定判決は死刑13人▽無期懲役刑5人▽有期の実刑80人▽執行猶予付き判決87人▽罰金3人▽無罪1人。
松本死刑囚への1審・東京地裁判決(04年2月)は、松本死刑囚を計13事件の首謀格と認定した。事件の動機は「松本死刑囚が武装化で教団の勢力拡大を図ろうとし、ついには救済の名の下に日本国を支配して王になることを空想した」と指摘。「信者の資産を吸い上げて得た多額の資金を投下して武装化を進め、無差別大量殺りくを目的とする化学兵器サリンを散布して首都制圧を考えた」とした。
刑事訴訟法は、死刑執行は判決確定から6カ月以内に命令しなければならないと定めているが、共同被告人の判決が確定するまでの期間は算入しない。一連の事件では逃走中の指名手配容疑者が3人いるが、法務省は「執行停止の理由には当たらない」としている。
遠藤被告への1、2審判決によると、94年5月〜95年3月、両サリン事件のほか信者脱会を支援した滝本太郎弁護士らをサリンや猛毒のVXで襲撃した。【石川淳一】
◇ことば・オウム真理教
84年2月に松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚が設立した「オウム神仙の会」が前身。87年6月に名称変更し89年に宗教法人格を取得。同年〜95年まで坂本堤弁護士一家殺害や松本、地下鉄両サリンなど一連の事件を起こし計27人が犠牲になった(刑事裁判上の認定。08年施行のオウム真理教犯罪被害者救済法で新たに1人が地下鉄サリン事件の死者と判断され、松本サリン事件の被害者、河野義行さんの妻澄子さんが08年に亡くなり死者は計29人)。95年10月に東京地裁が宗教法人の解散を命令。その後、主流派の「アレフ」と、上祐史浩元幹部が設立した「ひかりの輪」に分裂し、布教活動を続けている。
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