http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/624.html
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「間違いをしつこく追及するのはイジメでありクズでカスである。
あたは間違ったことがないのですか」
勿論、私は間違ってばかりいます。
だから私は中田君の間違いを非難しません。
使い分けを問題にしているのです。
間違いという言葉を使うのはは卑怯です。
知っていて使い分けることを「間違い」とは言いません。
それは嘘つきといいます。
中田君は『日本再占領』で信奉者を騙している。
君の本はクズでカスです。
中田君が新著を宣伝している学問道場は、
上意下達を『学問』と呼ばせる全体主義集団で、
そこではオカシイことをオカシイと言うことが許されません。
安全プロパガンダを唱えさせられたりパクリ本を買わせられたり。
非常にお気の毒です。
もう会員諸君は中田君の新著を購読されたことと思いますが、
諸君が頭の中に入れさせられたのはプロパガンダです。
真実を売り物にする学問道場なのに、
プロパガンダを宣伝してるなんてオカシイですよネー
え、オカシイと思わない?
もうあなたは立派なカルト信者です。
では引き続き『日本再占領』の検証をしましょう。
今回は冷戦構造特集です。
『日本再占領』より抜粋
『戦後の日本は米ソ冷戦構造に上手に組み込まれ、アメリカの庇護の下、名ばかりの「同盟国」として経済成長を謳歌し、朝鮮戦争に始まり、ベトナム戦争や湾岸戦争に至るまでのアメリカの大規模な海外遠征への加担を最小限に食い止めることができた。これが「吉田ドクトリン」というものである。この戦後体制は冷戦が続いている間は非常にうまく機能していた。・・・くり返すが、原子力発電の普及は、日本をはじめとする西側諸国を舞台に繰り広げられたアメリカの冷戦戦略であった。』
この文章は最高支配層のポチとしての中田君の生態が如実です。
米ソ冷戦構造、朝鮮戦争、ベトナ戦争、湾岸戦争・・・
中田君はいずれも最高支配層にとって都合の良いプロパガンダで説明しています。
すべてヤラセだという真実には絶対に言及しない。
>くり返すが、原子力発電の普及は、日本をはじめとする西側諸国を舞台に繰り広げられたアメリカの冷戦戦略であった。
ここには一片の真実さえない。
くり返すがと念を押した上で嘘デタラメを書いています。
中田君本人は原子力の普及も冷戦も、アメリカの戦略ではないということを百も承知の上で。
三ヶ月前に同じ成甲書房から出版された鬼塚英昭『黒い絆 ロスチャイルドと原発マフィア』の対抗勢力としてのブラックプロパガンダのようです。
(ヴィクター・ロスチャイルドと原発マフィアの黒い絆については、
拙稿『副島隆彦は八百長のプロパガンダをやめよ』か、
見事にビジュアル化してくださったさてはてメモ張様をご覧ください。)
中田君は鬼塚氏の処女作『天皇のロザリオ』について、
”戦後真実を追究する人々に必携の書”という太鼓判を押しています。
その『天皇のロザリオ』には冷戦構造を演出したヴィクター・ロスチャイルドの代理人、アヴェレル・ハリマンの実像がはっきり書かれています。
ハリマンはヴィクターと図りながら戦前・戦中・戦後のグランドデザインを描いたと。
ユダヤ王ヴィクターが描いたグランドデザインとは、
ロシアに革命を起して誕生さえたソ連を、戦後アメリカに並ぶ超大国に育て、
世界を米ソでニ分割し、クリミヤ半島にユダヤ王国を築くこと。
そのために引き起こされたのが第二次世界大戦で、
ヒトラーとスターリンはロスチャイルドの庶子、
チャーチルとルーズベルトは忠実な飼い犬、
それらをハリマンが統轄して動かす。
ルーズベルトは真珠湾攻撃のヤラセや、
ヤルタ会談の国賊的な取り決めを非難されていますが、
すべてハリマンがヴィクターの意向を受けて仕組んだことです。
ルーズベルト政権はロス茶代理人で固められていました。
ルーズベルトを悪魔呼ばわりして、ロス茶には同情してネ、
というSNSIのガセネタ本は資源ゴミに出してネ。
尚ロス茶と呼応していたのも山本五十六ではありません、
次回は中田君が貶めた五十六の名誉回復を書きます。
ヤルタ会談で気前良くソ連に南樺太と千島を譲渡することも、
ルーズベルトに何の相談もなく、最初からハリマンが決めていたことです。
クリミヤ半島にユダヤ王国を築く見返りとして、
日本の北方領土がプレゼントされたのでしょう。
この後ルーズベルトは急死して、ユダヤ王国のプランは一時棚上げされます。
鬼塚氏はこのルーズベルトの急死を、
自分の名が歴史の中で汚れていくことへの絶望感、
しかしひとたびエージェントになれば死ぬまでその任を解かれることはない、
そういう状況の中で選んだ自殺ではないかと推察しています。
原爆を日本に投下して生体実験するために、その完成が急がれていた中、
ルーズベルトだけは「日本に何回か警告して従わない場合に投下するべきだ」
と具申しています。
しかし原爆は是が非でも日本に投下されねばならなかった。
ヴィクターにとって原子力こそ戦後世界の覇権を握るカギだったからです。
後を引き継いで原爆投下にゴーサインを出したトルーマン大統領も、
ハリマンだけがその執務室に自由に出入りして操っていました。
中田君は世界権力者の闇にせまるようなフリをして、
例えば『吉田ドクトリン』のように、連中のプロパガンダ用語で韜晦しています。
ドクトリンというのはザ・オーダーたちが作成して操り人形たちの名前を冠したものです。
『トルーマンドクトリン』『マーシャルプラン』はハリマンのアイデア。
『冷戦構造』はハリマンとスターリンの共同作品。
マッカーサーを連合軍最高司令官に指名したのもハリマンとスターリン。
ハリマンとスターリンが会談して、
日本をニ分割するプランからアメリカ占有に変更されました。
マッカーサーが従わざるを得なかった「高度の政治的決定」とは、
ハリマンとスターリンの会談のことです。
ハリマンはスターリンは協力して東京裁判や朝鮮戦争を演出しました。
朝鮮戦争は米ソの代理戦争ではなく、
恩人ハリマンへのスターリンからのお礼なのです。
ハリマンは世界五人会議の一人だとユースタス・マリンズは指摘しています。
その模様を中田君が”真実追究の必携書”と推薦する、
『天皇のロザリオ』より抜粋します。
『一九四五年(昭和二十年)十月二十四日から二十八日までの四日間、駐ソ・アメリカ大使アヴェレル・ハリマンとソ連首相スターリンは、コーカサス地方にある黒海沿岸のソチで、二人だけの会談をした。戦後世界の新しいデザインがここで完成したのである。・・・日本問題と東欧諸国問題を中心に話し合い、一応の合意に達した。スターリンとハリマンが、戦後世界のデザインを決定する権限と権威をもっていればこそ、この合意は成立したし、また二十一世紀後半の諸問題の大半はここに大方の決着をみた。』
『スターリンは、「マッカーサーの行動の自由を保つためには、たぶんアメリカ以外の軍隊はまったく日本に駐留しないほうがいいのではないか」と答えた。ソ連軍の日本駐留はこの二人の会談の結果、なくなった。マッカーサーがソ連軍を締め出したというのが通説になっているが、マッカーサーにそのような権限は与えられていなかった。マッカーサーの”回想記”の伝説が今も生き続けている。』
『ハリマンはモスクワからの帰路、中国の国民政府の置かれている重慶に入り、蒋介石と会談した。そして、日本に来てマッカーサーと会見した。ハリマンはソチでの「スターリン=ハリマン」会談の覚書をマッカーサーに読んで聞かせた。その後に司令部の高官たちとの会見の席でも読んで聞かせている。マッカーサーの高官たちは、マッカーサーの上に、否、トルーマン大統領の上に、アメリカの権力を真に握る男を発見したのである。スターリンとハリマンのソチでの四日間で世界のデザインがほぼ完成したことを、マカーサーとその副官たちは知ったのである。「高いレベル」とか「高度の政策」とかは、ハリマンとスターリンの会談をさすのである。天皇はハリマンとスターリン
との共同謀議により、戦争犯罪人から免れた。』
『私はアヴェレル・ハリマンのことを書こうと思う。どうして、世界の恐怖の魔王、自国民を四千万人以上も殺した男、スターリンと対等に、否、それ以上の立場から交渉できるのであろう、と私は考えた。そして結論なきままに、色んな分野の本の狩人となり、数年を費やした。そして、なんとなくこの男を理解しえるようになった。ハリマンは第二次世界大戦のとき、駐ソ大使としてモスクワに行き、スターリンに数十億ドルの武器を貸与した。また、大統領や国務長官に相談もせず、ドルの印刷機をソヴィエトに送らせた。この二点を見ても、彼がアメリカの政治を支配したことが分るであろう。』
『ハリマンは東京でマッカーサーに、「スターリンを怒らせるなよ」と忠告した。それはまた、別の意味を持っていた。「この俺を怒らせるなよ」という意味でもあった。たえず微調整をくりかえしつつ、マッカーサーに少しだけの自由を、それも見せかけの自由を与えて、日本支配の芝居を演じさせた。だが、ついに、マッカーサーは朝鮮戦争のときにハリマンを怒らせてしまう。マッカーサーが朝鮮戦争の本当の原因を知り(注 ハリマンの配下の者が仕組んだ)トルーマン政権とは反対の方針を打ち出したからであった。(注 マッカーサーの情報がイギリス情報部経由でソ連に流されていたことを告発しようとした)』
『ハリマンを語ることは、世界を語ることになる。この男を中心にして、二十世紀は動いたのである。「大統領はいつも私の言葉に同意するだけであった」とハリマンは語っている。ルーズベルトもトルーマンも、ハリマンには逆らえなかったのである。大統領や国務長官がアメリカの政治を支配しているのではない。』
『ルーマニアとブルガリアでも優位権を手に入れたソヴィエトは、ハリマンの入れ知恵によって、ポーランドチェコスロバキアをあっという間に手にいれてしまう。それはハリマンが、駐ソ大使館で使用してきた外交官のジョージ・F・ケナンに命じて仕掛けた「封じ込め政策」によるものであった。私たち日本人は、世界史の視野から日本史を見るということをなかなかしない。したがって日本の戦後史には、ハリマンの名前すら登場しない。』
冷戦構造はハリマンがケナンを使って演出し、
スターリンに東欧をプレゼントした上で「封じ込め」たという訳です。
中田君はハリマンを熟知している。
その上で騙しているから誰よりも罪が重い。
さて朝鮮戦争の仰天の裏事情をさらに見ていきましょう。
戦後日本の急右旋回、今に至る属国状態の謎が解き明かされています。
鬼塚英昭著『20世紀のファウスト』より抜粋します。
『第九章 朝鮮戦争への道』
『昭和天皇の「シーレーン」構想』
『一九四七年九月、昭和天皇の御用掛であった寺崎英成はマッカーサー司令部の外交局長ウイリアム・シーボルトを訪れ、「天皇のメッセージ」を差し出した。昭和天皇はこのメッセージの中で、「沖縄をアメリカの戦略的基地として貸与してもよい。共産主義の防護壁とすべきである」と書いていた。シーボルト外交局長はこのメッセージをマーシャル国務長官(注 黒い貴族の飼い犬)に送った。ケナン政策企画室長(注 ハリマンの手下)はマーシャルから「天皇のメッセージ」を渡された。マーシャルはケナンに言った。「ケナン、まだ君よりも天皇の方が先を読んでいるようだな」ケナンはこの「天皇のメッセージ」を読んで、マーシャル国務長官に報告書を提出した。「天皇が、このようなことを主張することは、対日政策を企画する上で十分考慮に値する」』
『日本の「逆コース」はドレイパーの日本政策から始まる。第二次大戦下、ドレイパーは一時マッカーサー元帥の一連隊の下で働いていた。ドレイパーはハリマン・コネクションの一人である。マッカーサーはこのドレイパーのマジックにかかり、財閥の解体を骨抜きにされ、日本の再軍備化を進めるようになる。一九四七年の暮れまでには日本の財閥解体を防ぎ、日本を軍事国家として世界に再登場させ、近未来にやってくる共産主義国との戦争の砦とするアメリカの方針が出来上がった。』
『一九四八年一月、またドレイパーが日本にやってきた。直接の目的は日本経済を急ピッチで再建し、来るべき限定戦争の基地とするためであった。ハリマンとアチソン(注 ハリマンの友人にしてザ・オーダーの一員)が進める「次なる戦争」のためである。ドレイパーは敗戦国の日本が支払うことになっていた賠償を撤廃することに成功する。デイロン・リード社には日本向けの債権があった。ドレイパーはこの債権をアメリカ国家に片付けてもらった。デイロン・リード社は国際ユダヤ資本が作った会社の一つである。そして財閥化解体を免れた日本の大企業と密かに大口契約を結んだ。来るべき朝鮮戦争で、日本企業に膨大な仕事がいくことをドレイパーは知っていた。そのための秘密契約だった。解体されるべき企業は三百二十五社から九社にまで減らされた。マッカーサーは敗北した。』
『一九四八年、天皇御用掛の寺崎英成が再びシーボルト外交局長を訪ねた。シーボルトは「覚書」をマーシャル国務長官に送った。寺崎氏は、同志の考える現実的な政策とは、南朝鮮、日本、琉球(沖縄)、フィリピン、可能ならば台湾を米国の最前線地域として選ぶというものであろうと述べました。同志は米国の安全保障の境界線が右記の地域を最前線として限定されるならば、盗用における米国の立場が鉄壁のものになるであろうと考えていました。寺崎氏は可能性として考えられるソ連の侵略、ないし侵攻に備え、米国が中国本土を除くこれらの地域の保全のために鋭意努力する様を心に描いているのであり、中国については自らを救う策を案出する同国の才覚として任せるべきで
あるとの考えでした。『右の見解は寺崎氏の個人的見解を示しているにとどまらず、天皇を含む多くの有力な皇族との協議に基づくものと考える理由があります。」寺崎は在アメリカの外交官だったときも、二重スパイとしてアメリカの秘密機関と通じていた。シーボルトが戦前の彼の経歴を知っていたのは間違いないだろう。』
昭和天皇のシーレーン構想は、ケナン政策課長より優れていた。
南朝鮮をシーレーン構想に入れておけば朝鮮戦争はなかった。
(わざと入れずに八百長の戦争をさせたわけです)
『ケナンが昭和天皇のシュミレーションを読んで驚いたのは無理もない。ケナンらの構想と昭和天皇の構想がほぼ一致していたのである。昭和天皇は、中国が共産党の手に落ちるだろうこと、その中国を中心にしてソ連が朝鮮半島で戦争を仕掛けるであろうことを予言していた。昭和天皇のシーレーン構想には南朝鮮が入っていたが、ケナンは入れてない。ケナンは南朝鮮から米軍を撤退させ、限定戦争、つまり朝鮮戦争を勃発させる構想を立てていた。だから南朝鮮をシーレーンから外した。この限定戦争がアメリカ経済に及ぼす影響も計算していた。限定戦争をするということは、この戦争が絶対に拡大しないということが必須条件となる。拡大しないためには、アメリカとソヴィエトが完全に確認しあって、戦争の拡大を阻止しなければならない。そして限定戦争は片方が一方的に占領してしまっては”うまみ”がない。限定された場所で戦争を長びかせる必要がある。』
つまり米ソが共同して撤退のお芝居をすることによって、
朝鮮半島に不穏な空白状態が生じさせ、
ここを舞台にして限定戦争をしようと画策した。
『ケナンの「回顧録」には朝鮮戦争と平和条約がセットになっている様子が描かれている。「我々が日本との間に単独講和条約の締結を一方的に進めようと決定したことと、ソヴィエトが朝鮮で内乱を起そうと決定したこととの間に関連があったことを、ワシントンでは私以外の誰一人として気づいたものはいなかったようである。」ケナンの言わんとすることを私が書き直してみよう。フルシチョフと同じように、ケナンも暗喩の形で真実を語ろうとしている。』
『「私は朝鮮戦争を想定したデザインをハリマンとアチソンから命じられた。全面講和ではソ連や中国の共産主義陣営との対決構図が生まれないので、共産主義への敵愾心を煽る意味で単独講和条約でないといけないと考えた。そうすればソ連が猛反対してくれるだろう。そこでソ連との秘密交渉が成された。ソ連は北朝鮮に南朝鮮を攻撃させる口実ができた、として賛成した。単独講和条約はアメリカ帝国主義の共産主義陣営への挑戦に他ならない。このことはアチソンとハリマンとダレス以外、私一人しか知らないのだ。北朝鮮人よ、アメリカは対日平和条約を一方的に日本と結ぼうとしている。日本が帝国主義陣営に入ろうとしている。極東に大きな危機がやってきた。アメリカは日本を基地にして南朝鮮から攻め込んでくる。アメリカをアジアから追い払わないと俺たちに
明日はない。南朝鮮の同志とともに朝鮮を統一しなければならない・・・。」』
悪の帝国として喧伝されているソ連の実態は惨憺たるものだった。
『ソヴィエトは北朝鮮にアメリカ製と日本製の武器を有償で提供した。アメリカ製の武器は武器貸与法により提供されたものであり、日本製の武器は満州で武装解除に応じた日本軍から接収したものであった。ソヴィエトは朝鮮戦争で人的被害も出さず、鉛やその他の鉱物物資を獲得し続けたのである。中国で金とダイヤモンドを掠奪したのと同じ手口だった。』
『シベリアでは無実の人々が罪人の汚名を着せられ、酷寒の中、数百万単位で金やダイヤモンドを採掘していた。その金やダイヤモンドをロスチャイルドやオッペンハイマーに買ってもらう以外に存在し得ないほど、ソヴィエト帝国は破綻に近い経済状態だったのだ。フルシチョフの「回想録」の中には当時のウクライナの惨状が描かれている。人が人の肉を食べて生き延びていたのだ。アメリカと世界権力(ザ・オーダーはすべての事実を隠した。「ソヴィエトがアメリカを襲う日が近い」とのみ知らせ続けた。』
しかし朝鮮戦争が勃発し、昭和天皇もお尻に火がつく。
『松平がパケナム邸へ「天皇メッセージ」を持参したのは六月二十八日。朝鮮戦争の翌日である。松平はダレスが日本を去る前にこのメッセージを渡そうとしていたのだ。昭和天皇はダレスに「反マッカーサー路線を明確にする。朝鮮戦争のために基地を提供する」と明言している。この「天皇のメッセージ」の数日前、マッカーサーはダレスに次ぎのように語っていた。「日本に永久的なアメリカ軍事基地を置くことは、日本の政治組織の中に厳しい民族主義的ア反対の波を引き起こすだろう。強大な再軍備計画は日本をはじめ全アジアに動揺をもたらす。それゆえにこそ日本は中立の道を取るのが最善なのだ。」』
マッカーサーの方がマトモだと思いませんか。
『「世界一危険な男」ダレスは朝鮮戦争が始まる三日前、アメリカ将校会議所日本支所で演説した。「日本が講和条約を結びたいなら、現存する間接侵略の脅威に対しては、自身の独立で自国を守らなければならない。」ダレスは「朝鮮戦争」という日本にとっての間接侵略に対し、再軍備して戦う気があるのか、それなら全面講和も可能であろう。戦う気がないならアメリカに基地を提供しろ、そうすれば単独講和条約を結んでやろう、アメリカの永久的な属国という形で日本は独立国となろう。(と演説しているのである)「天皇のメッセージ」はこのダレスの演説に応じる形で作られ、ダレスとハリマンに渡された。』
マッカーサーがマモトだから、昭和天皇は彼をバイパスしてダレスを選んだ。
『ダレスはこの間に多くの日本人要人と積極的に会見した。中でも幣原喜重郎は、「再軍備は軍国主義の復活となる」とダレスに強く反対した。しかし再軍備反対運動も軍事基地化反対運動もすべて水泡に帰した。それはダレスが「天皇のメッセージ」を受けたからである。「世界一危険な男」ダレスは、ハリマンの代理人カーンに次のように語っている。「このメッセージが私の今回の旅行で最も重要な成果だった。宮中が占領軍をバイパスして連絡してきたのは事態の深刻さを示している。」』
かくて「天皇のメッセージ」が戦後日本を急右旋回させる。
『ハリマンの代理人カーンは「回転ドアから入る男」ダレスに応じて「天皇がいかに対日協議会を信頼しているか、これお分かりでしょう。われわれの見解とぴったりです」と言っている。カーンのこの言葉は裏付けられた。昭和天皇は後に対日協議会のメンバーに勲章を授けている。日本は昭和天皇がダレスとハリマンに約束したように朝鮮戦争の前線基地となった。かくて「天皇のメッセージ」に書かれているごとくパージは緩和され、戦前に「朕の戦争」のために活躍したファシストや軍人や政治家たちが再び動き出した。その代わりにレッドパージが本格的に始まり、日本は急激に右旋回していった。』
中田君が使っている「吉田吉田ドクトリン」は最高支配層のプロパガンダです。
『「天皇のメッセージ」をダレスとアチソン、ハリマンは高く評価した。彼らは朝鮮戦争を仕掛け成功させるためには、後方の軍事基地たる日本の全面的協力が必要であると考えた。これはケナンの限定戦争論の重要な主張の一つでもあった。マッカーサーと吉田茂は反対の態度をとった。しかし、この二人は最作の場合は追放することが可能と考えた。問題はただ一つ昭和天皇である。天皇の密使・松平康昌がダレスと朝鮮戦争の前に会談し、昭和天皇は直ちにダレスの申し出に賛意を示した。後に(寺崎秀成経由で)メッセージまでも提供した。日本人は、昭和天皇は象徴天皇になって政治の表舞台から消えた、と今日でも思っている。しかしハリマンもダレスも、日本の最高権力者は
国家元首の昭和天皇であると知っていたのである。』
「吉田ドクトリン」ではなく「昭和天皇ドクトリン」です。
『昭和天皇は新しく誕生する軍隊に期待をかけた。昭和天皇はマッカーサーを動かした。勿論、吉田茂を説得した上でである。一千名の皇居警察で皇居を守らせ、外堀をアメリカの軍隊と日本の警察に守らせることにした。どうしてか?昭和天皇は反朝鮮戦争の運動が盛り上がったときには、日本の永久基地化を国民の前で宣言する決心をしていたことは間違いのないことだ。そのために万全を期すことにしたのである。それが「アメリカに対する感謝の気持ちの表明」であったのだ。ここにかつての「朕の戦争」を指揮した大元帥陛下の天皇が蘇った。憲法九条の精神を昭和天皇は自ら踏みにじった。かくて警察予備隊が誕生していった。』
朝鮮戦争を最も歓迎した最高支配層の一人は昭和天皇その人である。
『日本人は知らねばならない。朝鮮戦争が勃発して以降、日本の軍隊の実質的最高権威者は昭和天皇であったことを。「天皇のメッセージ」の最後の文章にこのことが書かれている。「でも可能な限り米国を支援するという純粋な気持ちは確実に持っていると述べている」天皇はラジオ放送にかじりつき、朝鮮戦争中に終日熱中していたと、当時の宮中人は語っている。昭和天皇は、朝鮮半島でのこの戦争が日本の講和条約と深く結びついていることを知り尽くしていた。一日も早くマッカーサーの支配から脱したかったのである。そのために、朝鮮戦争をしかけたハリマン、アチソン、ダレスたちに「心からの感謝を示した」のである』
実は朝鮮戦争は戦後ではなく戦前から計画されていました。
『第十章 悪霊たちの祝祭・朝鮮戦争』
『悪魔が線を引いた三八度線』
『北朝鮮分割案は一九四四年に提案され、一九四四年五月のスターリンとハリマン、ホプキンスの三者会談ですでに決定していたものである。ハリマンとスターリンが戦争の終結の前、日本問題を検討した時点で、すでに朝鮮の分割統治は決定済みであったのだろう。アメリカは一九四四年以前から朝鮮半島で戦争を仕掛けようとしていたのである。』
『この三十八度線には一つのエピソードが語られている。それは史実化している。日本の学者でこの史実に疑問符をつける者は誰もいない。一九四五年八月の深夜、ジョン・J・マクロイ陸軍次官補が二人の若い陸軍大佐、デイーン・ラスクろチャールズ・ボンステイールを呼んだ。直ちに朝鮮分割案を作成しろと命令した。二人は、学生たちが使う普通の地図を見つめ、朝鮮半島の中央部を横切る線を発見した。北緯三十八度線であった。マクロイは同意し、ソ連側もこの提案を受け入れた。こうして偶然に三十八度線で来たと南に分割されたというのである。』
本当に三十八度線を引いたのはラスクですが、
鬼塚氏はラスクがJFKの暗殺の真犯人の一人だと指摘しています。
このときハリマンは”ファウスト”をやめて、
ケネデイ政権で核拡散防止条約締結に尽力していました。
JFKが暗殺されたのはFRBを廃止しようとしたことだけでなく、
核廃止への希望を語ったことにあると推察しています。
原子力兵器と原発で世界の覇権を握るザ・オーダーを怒らしたのです。
『三十八度線を引いたラスクについて書く。彼はイギリス情報部の「イントレビット(大胆な)」と呼ばれたステイーブンスンとともに、ハリマン=ドノヴァン・コネクションの一員で、日本を真珠湾攻撃へと導くスパイ活動をしていた。ラスクは朝鮮戦争が始まると極東担当の国務次官補に昇進する。ハリマンとアチソンのもとで、朝鮮戦争のアメリカ側の情報をイギリス経由でソヴィエトニ流すダーテイーな仕事の責任者となる。ラスクは後にロックフェラー財団の理事長を経て、ケネデイ政権の国務長官となる。彼はローズ奨学金によりオックスフォード大学で学んだ。この大学で世界権力(ザ・オーダー)のために働く黒い貴族たちの配下となった。』
FBIを創設したセオドアもロス茶の代理人、
ルーズベルトにCIAの前身であるOSSを設立させる働きかけをしたのが、
チャーチルとこのステイーブンスン。
ステイーブンスンはアレン・ダレス
(後のCIA長官。ジョン・フォスター・ダレスの弟。
このワルの兄弟はウオール街に弁護士事務所を構え、ナチスを支援するために暗躍した)を高く評価し、二人でロックフェラーセンターのテナントを立ち退かせて、
ここをロス茶ご用達の情報基地にした。
もちろんOSSは機密情報をせっせとソ連情報部に横流ししていた。
スタンダード石油もナチスと取引させてもらったり、ソ連に利権を持たせてもらった。
『彼らに純粋培養された男はマッカーサーの作戦データをイギリス情報部に流す役割を果たした。ここからスターリンに、すべてのマッカーサー作戦データは流出したのである。ハリマンが配下のデイーン・ラスクをスパイとして全情報をイギリスに流していた。イギリスからソヴィエトを通じ、中共軍、北朝鮮軍にアメリカの機密情報が流れていく。マッカーサーはこの事実を知り、真相を喋ろうとしたときに解任された。ハリマンもアチソンもエール大学で「スカル&ボーンズ」の会員になり、フリーメイソンの秘儀「死と再生」を受けた仲である。この二人に、ハリマンの血族で幼いときから弟のように育てられたロベットが加わる。あの朝鮮戦争は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」を共有した三人の幼馴染みが仕組んだ、「悪霊たちの祝祭」であったのだ。』
ハリマンはこの八百長戦争の半月前、パリのタレイラン・ホテルで、
ヴィクターとギ・ド・ロスチャイルドと詳細を検討している。
ヴィクターは西ドイツで銀行の買収に入る。
『ハリマンは朝鮮戦争の半月以前からパリのホテル・タレイランで、ヴィクター・ロスチャイルドとギ・ド・ロスチャイルドとの三者会談をたびたび持ったと思われる。ヴィクターは朝鮮戦争の半月前にドイツに入り、西ドイツの銀行や軍需関係の会社の買収準備に入った。ギ・ド・ロスチャイルドはハリマンからマーシャル・プランによるアメリカの資金を管理する代理人に指名された。朝鮮戦争の十日前からハリマンは帰国の準備に入った。日本におけるハリマンの代理人カーンから「天皇のメッセージ」がパリのホテル・タレイランに届いた。ハリマンはすべての準備工作が完了したのを見てパリの空港を発ち、ワシントンに向った。朝鮮戦争のとき、ハリマンだけがトルーマン大統領の執務室に自由うに出入りできる男だった。』
マーシャルプランというヨーロッパ復興計画は、ロス茶が大儲けするための、
ハリマンによるプランだった。
マーシャルはハリマンに言われて、出来上がった作文を素直に読んだだけである。
『フルシチョフの「封印されていた証言」を見てみよう。「わが国の顧問の引き上げは北朝鮮の戦闘能力と作戦の即応性を弱めた。北朝鮮軍は緒戦で成功を収め、しかしもう一歩とい最後の段階で、金日成は力が尽きた。私はわが国の顧問たちが、この作戦を計画したとき、たぶんあらゆることを計算にいれなかったし、必要な者すべてを与えなかったと思う。むろん、この責任はスターリンにあると思う。」朝鮮戦争は最初から、北朝鮮軍が途中で挫折するように仕組まれていた、とフルシチョフは語っているのである。』
マッカーサーがハリマンを怒らせたのは、
蒋介石の味方をしようとしたその男気ゆえであった。
鬼塚氏はマッカーサーほど堂々とハリマンと闘った男はいない、と書いている。
他の連中はみんな宦官だと。
『マッカーサーが台湾に行き、蒋介石に会った。蒋介石は中国本土に侵攻したいとマッカーサーに申し出た。マッカーサーは蒋介石の軍隊を使うことに同意した。ハリマンとアチソンは驚いた。どうしてか。限定戦争をスターリンと約束していたからだ。朝鮮半島で三十八度線を両朝鮮軍が行ったり来たりするからこそ、長期の戦争が維持できるのだる。朝鮮専横はマッカーサー、金日成、毛沢東らの戦争ではなかったのだ。彼らは利用されたのである。戦争で儲けたやつがいつも犯人なのだ。』
『一九五四年一月二十日、マッカーサーは「ニューヨーク・ワールド・テレグラム」の事務・ルーカス記者のインタヴューに応じ、朝鮮戦争の真相を語っていた。この会見記録が一九六四年四月八日に出た。その三日前にマッカーサーは死んだ。この会見記録は彼の遺言である。「朝鮮動乱期を通じて、国務省は私がワシントンに送ったメッセージとワシントンから私宛の全てのものを英国に見せていた。この目セージの内容は48時間以内に英国からインド、またロンドンのソ連大使館を経由して中共に筒抜けになっていた。だから中共は私がしようとすることをすべて事前に知っていたのだ。私は50年10月、当時のトルーマン大統領に対し、”もし中共が朝鮮に介入したら、鴨緑江をいったん渡らせてその背後の橋を爆撃して補給線を奪った上で全滅させる”と語ったが、この作戦も、こんなことはマッカーサーにはさせないという但し書き付きで英国から中共へと伝えられたと確信している。」マッカサーはハリマンが朝鮮戦争をすべて計画、遂行していたことを熟知していた。』
『マッカーサーはアメリカの英雄であったので、フォレスタル前国防長官のように殺害まではされなかかった。マッカーサーは解任されて五年後、ある会合で「この国の政府は強大な敵がいると叫びたて、国民を恒久的な恐怖状態に置いている。つまりそれによって国民の熱烈な愛国心を絶えずかきたてていた。・・・しかし振り返ってみても、そのような危機的状況は一度たりとも起こったようには見えないし、現実に起こりそうに見えたこともない」と述べた。』
私はこのマッカーサーの謦咳から、中田君と副島隆彦を連想しました。
『スターリンの後にソヴィエトの独裁者となったフルシチョフは喋っている。「アメリカとの戦争を引き起こしそうなことは一切やらなかった」と。ハリマンが死んでから全文出ることになった「封印された証言」にスターリンの真実が書かれている。「スターリンはアメリカとの戦争を引き起こしそうなことは一切やらなかった。自分の弱点を知っていたのだ。この恐怖は第二次世界大戦の最初から彼についてまわった。当時彼は”レーニンはわれわれに国を残した。われわれはそれをクソにかえてしまった”と言った。わが国が勝利したことも彼の腹の底からのおびえをなくしはしなかった。朝鮮戦争はアメリカ帝国主義に対する戦争ではなかったのだ。』
冷戦構造のおまけとして月面着陸の有無について書きます。
冷戦構造がヤラセであることを前提に世界で引き起された事象を読み解くと、
NASAもまさしく冷戦構造の賜物であり、宇宙開発は米ソ共同演出のようです。
宇宙開発の専門機関を装いながら、巨大軍需産業と直結しているNASA。
その陰にロス茶ありという感触です。
副島隆彦の「月面着陸はなかったろう論」は、中田君と同じブラックプロパガンダだと思います。、
アメリカを誹謗する目的で書かれ、冷戦構造によるヤラセには踏み込んでいません。
私はアポロがヤラセなら、ソ連のそれもヤラセだと思います。
両方の真相を明らかにしないで、NASAだけ誹謗するのはプロパガンダだと思います。
広瀬隆『アメリカの巨大軍需産業』集英社より抜粋します。
『CAIのインテリジェンスは、大学とライフル協会のほか、外交問題評議会CFRに置かれている。外交問題で全米最大のシンクタンクとして知られ、雑誌フォーリン・アフェアーズを発刊しながら、しばしば外国への軍事介入や、紛争挑発を示唆する論文を掲載し、過去たびたび軍事危機を煽ってきた。アメリカと国外の軍備強化を正当化し、軍需産業に莫大な国家予算が注入されるよう、ペンタゴンの予算請求を権威づけるための組織である。21世紀に彼らが組んだのはミサイル防衛という最新の錬金術であった。』
『ミサイル防衛計画は、1983年レーガン大統領が「敵国の核兵器がアメリカに到達できない楯をつくるためのスターウオーズ計画」を発表したのがはじまりとされているが、実際にはそのかなり前から、アメリカもソ連もこの種の技術を真剣に検討していた。レーガンの打ち出した戦略防衛構想SDIは、研究費だけで260億ドル、これを100%成功させるには一兆ドルが必要と言われてきた。レーガンは「スターウオーズ計画こそソ連の脅威を排除する最良の選択」として華々しく宣伝を続けた。』
『ところが1968年、スペースシャトル”チャレンジャー”が空中爆発して、宇宙飛行士全員が死亡するという悲劇の後、ソ連ではチェルノブイリ原発事故が起こって大災害が広がり、91年には国家が消滅したのである。やがてクリントン大統領が選んだ初代国防長官レス・アスピンは、レーガン大統領時代のスターウオーズ計画を批判して見せたが、それはお芝居であった。93年、北朝鮮がおもちゃのようなミサイルを発射したので、敵国は「共産主義」から「ならず者国家」に切り換えられた。アスピンは新たに「現実的ミサイル防衛」という言葉を使って、巧みの予算復活に導いた。それが国家ミサイル防衛構想NMDである。何も変っていないが、表向き新計画に変ったのだ。』
『98年ロケット爆発で失敗し、99年4月には観測衛星の軌道投入に失敗、同じ4月に予定の静止軌道への投入に失敗。これら軍事衛星の三回連続失敗で総額30億ドル、ほぼ3600億円の損失が出た。SDIから始まってすでに700億ドル、ほぼ8兆円という巨額の予算がミサイル防衛関連に投じられ、ミサイル産業に流れ込んだ。』
『99年10月以来、標的を撃墜するテストがスタートし、最初は成功したといわれたが、以後は2000年1月と7月に失敗続きであった。「これはアメリカを守るためのものではありません。政府を食い物にする陰謀にすぎないのです。要するに軍需産業が職場をつくり出すのに、なくてはならないものなのです」TRWの技術者だった者が証言した。そして敵国が打ち上げる囮とミサイルを識別することは、技術的にほとんど不可能であることが明らかにされた。』
『かくしてNMDが怪しくなったところは、驚くなかれ、かつてSDIで84年6月に見事にミサイルを撃ち落すテストに成功したという昔話が、真っ赤な嘘だったことが、”ニューヨーク・タイムズ”紙上で科学者によって暴露されたのである。撃ち落とされるテスト用の標的には、内部に発信装置が仕込まれて、「私はここにいますよ」と絶えず位置を教え、その信号めがけてミサイルが飛んでゆき、見事に命中したのだという。このように当たることを、当たり前という。』
『アメリカが力を入れたのはもっぱら戦争用ロケットとミサイルだったが、57年10月4日、ソ連が人類最初の人工衛星スプートニクの打ち上げに成功するという寝耳に水の事件が起こった。11月には第二号にも成功する。焦ったアメリカが最初の人工衛星打ち上げに成功するのは翌58年1月である。3月にも人工衛星エクスプローラー3号の打ち上げに成功し、10月1日、国防総省から独立した宇宙開発専門の機関としてNASAを設立した。』
『直後の59年1月、NASAの発射基地ケープカナペラルの目の前でキューバ反政府軍が首都ハバナを占領し、同日ソ連が祝砲のように宇宙ロケットを打ち上げた。2月16日ににはカストロがキューバ首相に就任して革命が成功する。一刻の猶予もならないと読んだアメリカは、5月28日、陸軍が二匹のメス猿をの沙汰中距離弾道ミサイル・ジュピターをケープカナペラルから発射し、大気圏内で生きたまま回収することに成功したが、7月2日にはソ連のフルシチョフ首相がそれをあざ笑うかのように、犬に引きとウサギ一羽を乗せたロケットを宇宙に打ち上げて回収に成功し、はるかに高い空を飛んでしまった。それどころか9月14日には、ソ連の宇宙ロケットが月面に到着し、
10月には宇宙ステーションから撮影したつきの裏側の写真を発表して、世界中の度肝を抜いたのである。これが軍事目的であることは明らかで、アメリカ全土は上空からソ連に狙われていた。』
この辺から米・ソ冷戦構造を煽るロス茶の意図が透けて見えてきませんか?
NASAのヤラセにリアル感を持たせるべく、対抗勢力としてのソ連があった。
私はアポロがヤラセなら、ソ連の成功もヤラセだと思います。
今頃になって。キッシンジャーやチェイニーが真相をバラす意図は、
9・11同様、アメリカという国家を貶めるための情報操作のような気がします。
アポロのヤラセ、9・11のヤラセ、そしてロックフェラーが貶められれば、
アメリカはどうしょうもない国というイメージが強化されます。
『61年1月、キューバと外交関係を断ったホワイトハウスに入ったのが、若き大統領ジョン・F・ケネデイであった。「アメリカは宇宙開発予算を拡大する。われわれは10年いないに人間を月に送り、彼らを無事に帰還させる」と有名な演説を行なう。この「10年以内」という言葉が、NASAが果たさなければならないアポロ計画の義務として語られるようになり、ロケット開発技術が軍用機メーカーに一層強く求められた。ケネデイが61年2月NASA長官ポストに据えたのは、マクドネル航空機重役ジェームズ・ウエブ。就任直後にソ連のガガーリンに先を越されたウエブが、アポロ月面着陸によるアメリカの逆転勝利をケネデイー大統領に進言し、壮大なプロジェクトがスタート
する。ウエブは核兵器原料のプルトニウム製造を進めるカー・マギー社の重役も勤めていた。』
『ケープカナペラルはキューバ危機の翌年から73年までケープケネデイと呼ばれ、NASAロケット発射基地はケネデイー暗殺後にケネデイ宇宙センターと命名された。NASA宇宙基地を抱えるフロリダ州には、その背後に興味深い富豪たちの歴史があった。基地から南下すると富豪が集まるマイアミビーチがあり、北上すると世界一豪華なポンセ・デ・レオン・ホテルがある。経営者ヘンリー・フラグラーは昔ミシガン州で商売をしていたが、ある時ロックフェラーという兄弟を穀物のセールに誘い、オハイオ州クリーヴランドで、ロックフェラー・アンドリューズ・フラグラーという石油会社を始め、それが順調にいったので1870年にスタンダード石油という会社を創立し、ロックフ
ェラーと共に経営した。フロリダ州の別天地デイズニー・ワールドの娯楽場を巧みに組み合わせ、NASAはこの土地から全米の軍需産業を育ててきた。アポロ11号はジョンソン政権の運輸長官アラン・ボイドの誕生日に月面着陸に成功したが、彼はフラグラーの遺産を守ってきた男である。』
『ケネデイ〜ジョンソンの大統領化学顧問委員をつとめたジョージ・シェイラーは、50〜70年代までボーイング副社長の職にあって、ほぼ同時期にペンタゴンの航空機部門で顧問役を務め、最後には原子力きせ委員会の航空宇宙技術会議で核弾頭ミサイル開発に関わった。NASAと核弾頭ミサイル産業の架け橋となった集団がターゲットにしたのは、アメリカの軍事予算だけではなかった。北朝鮮や中国の脅威をレポートにまとめ、日本と台湾にNMDと同じようなミサイル撃墜システムを売り込む巨大プロジェクトが進められてきた。それがアメリカの同盟国を守ると喧伝されるTMD戦域ミサイル防衛構想であった。99年5月24日、アメリカ国務省が北朝鮮の書く疑惑施設の地価
調査を終了し、現地を離れたその日、日本の参院本会議で日米防衛協力のガイドライン関連法が自民・自由・公明三党の賛成多数によって可決成立した。きわめて危険な法律がTMD構想と並行してスタートしたのである。』
『アメリカの軍事予算3000億ドル、ほぼ30兆円という金額は、ただ兵器を製造したのではなく、大量の死者と負傷者を出し、湾岸戦争症候群やバルカン症候群と呼ばれる深刻な疾患を産み出しつつある。91年の湾岸戦争の参戦兵士に共通して、痛みや疲労感、記憶喪失、癌、出産異常などの症状が集団的に多発し、ほぼ三万人が苦しんでいると言われるのが、湾岸洗脳症候群である。原因として劣化ウラン弾が疑われてきた。
劣化ウラン弾は、91年の湾岸戦争でイラクに対して使われ、70万人の出征兵士に大量に脱毛症や記憶喪失など、無数の障害が出た。この症状は終戦直後から「湾岸戦争症候群」と呼ばれたが、その被害が兵士だけでなく、その子どもたちに出てきたので、事態が深刻になった。95年ころからアメリカで重大な社会問題となったのは、アメリカの出征兵士の子どもに60年代に問題化した睡眠薬サリドマイドと同様の重度四肢障害が発生しはじめたからである。原因として劣化ウラン弾が浮上しはじめた。アメリカ下院の小委員会はその因果関係を検証する公聴会を開催し、そこで湾岸戦争の従軍兵士や科学者が、劣化ウラン弾が原因であると証言したが、国防総省はその因果関係を否定した。』
『劣化ウランを先端に使用した砲弾は、湾岸戦争で実に百万発近く発射され、重量では300トンにも達した。米軍がこれを使用したのは、湾岸戦争が初めてであった。イラク住民の場合は、その後も同じ汚染地帯にに居住しなければならない状況が続いたので、桁違いの被害が発生し、生まれた子供に大量の重度障害が報告されてきた。この劣化ウラン弾が、医療制度改革を看板に掲げるクリントン政権によって、99年にユーゴ攻撃で再び使用されたのだ。ヨーロッパでは、白血病の死者のほか、慢性疲労、脱毛、各種の癌など、湾岸戦争症候群と同様の症状が出始めた。イギリスの生物学者ロジャー・コグヒル博士がロンドンの会議で語ったショッキングな説明によれば「リンパ節に劣化ウラン一粒がつくだけで、免疫システム全体が機能しなくなるおそれがある」というのである。ウラン一粒が白血病を起すことになる。国連調査団が最も心配したのは、戦場となった現地の住民であった。大量の砲弾が地中深くにあり、地下水を汚染していたからである。』
『2001年2月9日(日本時間10日)、アメリカ海軍・太平洋艦隊の攻撃型原子力潜水艦グリーンヴィルが、ハワイ真珠湾近くのオアフ島観光地ダイヤモンドヘッドの沖合いで急浮上し、日本の愛媛県立宇和島水産高校の海洋漁業実習船えひめ丸に衝突して、えひめ丸は水深約600メートルの海底に沈没、乗っていた35人のうち生徒たち9人が行方不明となった。えひめ丸沈没事故からほぼ一ヵ月後の3月4日に、ニューポートニューズ造船所で原子力空母ロナルド・レーガン号の進水式が行われた。三大軍用艦メーカーのあいだで熾烈な買収合戦が展開されていた。すさまじい軍需産業の動きが、えひめ丸沈没事故の背後にあり、それが現在も続いている。アメリカの軍事予算3000億ドル、大統領には制御しきれないほどほシンジケート集団である。』
今回の東日本大震災には「ともだち作戦」と称して、この因縁のロナルド・レーガンを使ったわけです。
飛騨舜太郎『内部被曝の脅威』より、劣化ウラン弾に関する箇所を抜粋します。
『劣化ウラン弾は何をもたらすか』
『湾岸戦争が終わって、子どもたちの異常が報告されてもWHOは調査をすることがなかった。おびただしい数の障害児の出産、癌の増加はサダム・フセインの使った化学兵器げ原因ではないかとアメリかは言いはじめた。このような態度は、広島・長崎の被曝者の内部被曝を否定してきた延長線上にある。劣化ウラン弾に使われたウラン238が出す放射線は、プルトニウムの20万分の一に過ぎないとして、病気との因果関係を否定し続けている。それに加えて「イラク=悪」というアメリカのメデイアによる情報の効果で、イラクの劣化ウラン弾による被害は国際社会から顧みられることがなかった。』
『日本の被曝者が普通の人々より癌の発生率がおよそ10倍も高いことが分ったのは、1988年の広島放射線影響研究所のレポートによってだった。日本の被曝者に癌が目立ちはじめたのは1950年代半ば以降であり、それに比べるとイラクの癌患者の発現は急速だ。たとえば水頭症、無脳症の子どもなど、以前は見たこともないような異常な子どもの障害が目立つようになってきた。障害児を生んだ女性がイスラム社会の中で差別を受けている。また精神的なショックで錯乱した女性もいる。病んだ子どもたちは精神的にも追い込まれている。そして、イラクにはその心のケアをする余裕はない、命そのものを救うこともままならないのだ。劣化ウラン弾がイラク社会に与えているインパクトは広く、深い。』
『劣化ウラン弾とひと口にいっても、すでにアメリカのミサイル全体の20%異常に劣化ウラン弾が含有されているという。劣化ウラン弾が高温を発して燃えて、エアロゾルと呼ばれる気体となった時、どれくらいの大きさの微粒子になるのか。最近の研究では、たばこの煙の微粒子よりも小さくなることが判明した。もし人間が2・5ミクロン以下の粒子を吸い込んだとしたら、肺の防御を超え血流に入り体内を循環する可能性が高い。汚染された食物を食べた場合には、含有している2マイクロインチ以下の粒子は肝臓・腎臓の防御機構から通り抜けて血流に入っていく。ウラン238が出すアルファ線は40ミクロンしか届かない。この放射線が体の外にある時は、「ほとんど放射線
は出ていないも同然である」というアメリカ政府の見解通りであるが、体内に入って組織の中に沈着した場合は条件が全く違うこととなる。』
『在日本アメリカ大使館のウエブサイトに「劣化ウラン弾」というコーナーがある。ここを開くと、アメリカ政府の劣化ウラン弾に関する公式見解が書いてある。「イラクにおける癌や白血病の増加は、サダム・フセインが使った化学兵器の影響かもしれない。風土病の可能性もある。WHOは劣化ウラン弾と健康被害との関係を証明できていない。よって因果関係はない」』
『セルビア共和国はNATOが使った劣化ウラン弾を回収して調査を続けている。首都ベオグラードにある国立ビンチャ各施設を訪ね、担当のスネジャナ医師に話を聞いた。彼女の調査によれば、この劣化ウラン弾にプルトニウムやウラン236などが含有されていることが分ったという。「プルトニウムは自然界に存在しない放射性物質です。原子炉から出てきた高レベル核廃棄物が入っているということです」プルトニウムもウラン236も原子炉で反応してはじめて出てくる人口の核種であり、その毒性は桁違いに違う。かつてオッペンハイマーとエンリコ・フェルミがドイツの畑に放射性物質をまく50万人殺傷計画を立てたことがあったが、まさしくこの計画が、いま行われているのだ。』
『劣化ウラン弾の安全性をめぐる論争の根底にあるものは、この60年以上続いてきた微量の放射性物質による内部被曝の影響をどう評価するかに尽きる。』
SNSI&RKの内部被曝への評価は、
原発利権・原子力兵器産業のプロパガンダそのものです。
彼らがやっているアメリカとロックフェラーを批判するプロパガンダも、
冷戦構造を演出するためにソ連を誹謗したプロパガンダを髣髴とさせます。
アメリカを自在に動かした「20世紀のファウスト」がいたように、
アメリカを崩壊に導こうとしている「21世紀のファウスト」がいるということですね。
『ここで、ホテル・タレイランで、ヴィクターとハリマンの、ザ・インナーコアの策謀から生まれた一つの紙幣について書いておこうと思う。その紙幣は「ユーロ・ダラー」というものである。この「ユーロ・ダラー」というドルを担保として、ヴィクター・ロスチャイルドとマックス・ウオーバーグの支配する銀行が、準備金の裏づけも取らずに新しい紙幣の発行を認められた。この保証をアメリカ政府がしたのである。今、このユーロ・ダラーは十兆ドルをはるかに超えている。もし、このユーロ・ダラーが不渡りになったらどうなるか。アメリカの納税者が負担しなかればならない。アメリカという国家の破産でもある。』
『このユーロ・ダラーの背後に国際決済銀行(BIS)の陰が見え隠れする。BISはマーシャル・プランの援助金を受け入れる機関でもある。BISの創設者はナチス・ドイツの金融化セルマール・シャハト、そして「世界一危険な男」と言われたジョン・フォスター・ダレスである。このBISが世界の金の十分の一を支配する。利子をつけて金を貸す。その資産は創立から三十年間で1200%増となった。この銀行はもちろんロスチャイルドの支配下にある。』(『20世紀のファウスト』より)
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