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2011年 10月 03日
侵略の世界史 この500年、白人は世界で何をしてきたか 清水馨八郎http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1003-2.html#31
侵略の世界史 この500年、白人は世界で何をしてきたか 清水馨八郎・著 祥伝社黄金文庫
●アヘン戦争における中国の大敗と日本の震撼
日本が「鎖国」を墨守している間に、世界情勢は大きく転換し、ヨーロッパは封建社会から資本主義社会へとめざましく進展した。18世紀末にはイギリス産業革命、続いてアメリカの独立とフランス革命が起こり、やがて米仏両国でも産業革命が開始された。これに並行して、欧米列強は植民地や市場を求めて、争ってアジア進出を始めた。
近代化のおくれたロシアも、帝政下シベリア進出を続けて、早くも19世紀の初めに日本の北辺蝦夷地に出没するようになった。幕府は松前奉行をおき、北辺の探検や警備によってこれに対処した。ロシアの使節ラクスマンが根室に来航したのは1792年であった。続いてレザノフが長崎にきて幕府に通商を求めたが、日本はこれを無視した。
イギリスは関ケ原合戦の1600年に、早くも東インド会社を設立、アジア進出を開始している。イギリスはナポレオン戦争を機にフランスに支配されたオランダの海外植民地を攻撃し、バタビア[Batavia]を占領[History of Jakarta]、
さらに世界中でただ一国、日本で国旗をはためかすオランダの長崎出島の占領を図った。
1808年イギリス軍艦フェートン号はオランダ国旗を掲げて長崎に入港、オランダ商館員をおどし、これを人質にして乱暴を働いた。このため時の長崎奉行は引責自殺した。
このフェートン号事件は、日本人にイギリスの強暴さを認識させ、さらに広く海外情勢に注意を向けさせることになった。以後日本では、フランス革命やナポレオンに関する研究が盛んになった。
イギリスは、インド産の麻薬のアヘンを中国に売り込んで巨利を貪っていたが、中国に拒否されアヘン戦争を仕掛け、香港を奪取した(1840〜42年)。
アヘンはマリファナ、ヘロイン、コカインなどと同じ麻薬で、常用すれば心身を崩壊させる恐ろしい毒薬である。現在世界中がこの輸入を禁止している。
イギリスは国家が公然と麻薬貿易を許し、力ずくで売り込んで中国人を堕落させようとした。これほど不正な恥さらしな戦争は、かつて歴史上になかった。これが仮面を脱いだ大英帝国の正体である。
天保11年に起こったアヘン戦争で、アジアの強国を任じていた清が、イギリスに簡単に大敗したことは、幕府をいたく驚かせた。次は日本がやられると、幕末の志士たちは一斉に日本の危機を痛感した。特に長州の藩士・高杉晋作は上海に渡り、アヘン戦争の惨状を視察し、国防の必要性を強調した。
●未曾有の国難にあたり、国論を統一させたものとは
アヘン戦争から10年後、今度はアメリカのペリーが軍艦4隻を率いて浦賀に姿を現し、砲艦外交で開港を強く迫った。
それは嘉永6年(1853年)6月3日のことであった。ペリーの来航は、幕府はもちろん、江戸市中を大混乱に陥れた。市民は初めてみる蒸気船を「黒船」と称して恐れ、避難のため右往左往し、太平に慣れた武士も、にわかに武具を備える有様であった。
ペリーは、いったんは帰国したが、約束通り翌嘉永7年、軍艦7隻を率いて浦賀に入港、江戸湾を測量して武威を示した。幕府はその威嚇に屈伏し、同年3月3日、日米和親条約を、安政5年(1858年)には日米修好通商条約を締結させられた。
これを見て、列強のオランダ、イギリス、フランス、ロシアからも、同様の条約を締結させられた。これらの条約はいずれも相手国の治外法権を認め、日本の関税自主権を認められぬという不平等条約であった。
列強が一斉に日本になぐりこみをかけてきたのである。このままでは日本は欧米勢力に呑み込まれてしまう。この国難的危機をどう乗り超えるか。ペリー来航から明治維新を迎えるまでの15年間、国内は開港か攘夷か、佐幕か勤王か、いわゆる幕末の大動乱が続くのである。
民族の内部が各派に分かれて闘争し、騒然たる無秩序の時こそ、西欧列強の侵略のチャンスである。フランスは幕府を支持し、
イギリスは反幕派を応援したりして動乱を煽動することにつとめた。
1858年、井伊直弼が大老に就任するや、尊皇攘夷論者への弾圧が始まり、吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎ら多数の志士が、「安政の大獄」で処刑された(1859年)。
文久2年(1862年)8月、薩摩藩主の父・島津久光一行が江戸よりの帰途、相模の生麦で、行列を横切った英国人数人を藩士が斬りつけ負傷させるという生麦事件が起こった。翌年英艦は報復のため、鹿児島を砲撃した。薩英戦争である。
その翌年英米仏蘭の4カ国16隻の連合艦隊が長州の下関を砲撃し、3日間で全砲台が破壊、占領された(下関戦争)。薩摩と長州は、この戦いで列強の近代兵器の威力を存分に思い知らされた。
幕末の薩英戦争と下関戦争は、日本の初めての西欧に対する防衛戦で、しかも敗北し、身をもって列強の力に脅威を感じた。国内で日本人同士が争っている場合ではない。早く国論を統一して外患に当たらねば、日本は滅亡するという危機感に襲われた。
このため坂本龍馬の斡旋で薩長同盟がなり、幕府の大政奉還、王政復古を早め、江戸城無血開城となった。
そして天皇中心の「錦の御旗」の下、新政府で国論を統一し、明治維新を迎えることができた(引用蛇足:でも結局は英国の子分となりました)。
幕末は、日本があわや西洋勢力に呑み込まれようとする累卵の危うきにあった。これを救ったのは、各藩の下級武土たちが幕府や藩の利益を超えて、日本という国のために一致団結する必要を痛感したからである。江戸時代に培った武士道や大和魂の賜物であった。
幕府の最後の将軍・徳川慶喜が尊王論の水戸学発祥の地、水戸藩から出たことが幸いしたのだ。慶喜は天朝にもっぱら恭順を示し、大政奉還をスムーズに移行させることができたからである。
フランス革命なら、慶喜はギロチンで果てるはずであった。それが、幕府側にも、天朝側にも犠牲者がなく、無血革命ができた。慶喜は、その名の通り両勢力に喜びを与えることになった。最近NHKの人気の大河ドラマで幕末の最後の将軍・慶喜を扱って、その立場と正しい身の処し方に現代人が感動したのもこのためであった。
★ひとくちコメント ―― 幕末に関する歴史のおさらいの意味でピックアップしました。 この本の他の部分では、白人が世界中で行なってきた大虐殺の歴史が克明に紹介されています。今日の世界支配層の正体を垣間見ることができる好著です。 (なわ・ふみひと)
阪神大震災の記憶 U・ェ・Uノ ちわわのひとりごと
http://apocalypsenow.jugem.jp/?eid=71
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# by oninomae | 2011-10-03 05:27 | 歴史・歴史詐欺捏造 | Trackback | Comments(0)
2011年 10月 02日
ユダヤと戦って世界が見えた 宇野正美http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/library506.html もついでに
ユダヤと戦って世界が見えた 白人支配の崩壊と「二つのユダヤ人」 宇野正美・著 光文社 1993年刊
「ダンス・ウィズ・ウルブズ」が示したもの
アメリカ人、なかでも白人たちにとってアメリカ先住民族、彼らの言うインディアンとは、かつてのスペイン人たちが南米のインディオたちに抱いたと同じイメージであっただろう。野蛮きわまりない者たち、征服されてしかるべき者たちであった。それに拍車をかけたのが西部劇映画であった。
しかし今日つくられる西部劇には、インディアンが撃ち殺されていくシーンはない。アメリカではそのような映画をつくることすら不可能になってきている。先住民の叫びが大きな位置を占め出してきているのである。
そのようななか、1991年第63回アカデミー賞で最優秀作品賞、監督賞、脚色賞、撮影賞、オリジナル作曲賞、編集賞、録音賞の7部門を制したのは「ダンス・ウィズ・ウルブズ[Dances with Wolves]」であった。この映画はまさにインディアンの悲劇そのものを取り扱ったものである。
この映画はアメリカ人たちの心を揺さぶった。白人たちはいったい何をしてきたのか、インディアンたちは何を失わされてしまったのか、この映画はそれを正面から取り上げた。
この映画の主演ケビン・コスナー[Kevin Michael Costner]自身、アイルランド系、ドイツ系、それにインディアンの血を合わせ持つ人物である。彼自身1800万ドルを出資し、独立系の映画会社でこれをつくった。
この映画が完成し、出演したインディアンたちがこれを見たとき、全員が泣いたという。
映画そのものに感動しただけではなく、独自の規律を持ち威厳と笑いにあふれた過去のインディアンの姿を見て、貧困と悲しみしかない現在の自分たちがもはやそのようになりえないことを思って泣いたというのである。
数十年前、西部劇映画の撮影にインディアンたちがエキストラとして雇われるときには、「この映画ではインディアンが立派に取り扱われている。君たちの復権に関わることだ。協力していただきたい」と言われたが、実際にその映画ができあがってみるとインディアンたちは必ず裏切られた。白人たちの銃の下に虫けらのように殺されていく役回りにしかすぎなかったのである。
それでも映画に出なければ、生活が成り立たなかった。インディアン居住区の中の生活は苦しい。行き場がない。そして貧困と麻薬とアルコール中毒……。
ところが、「ダンス・ウィズ・ウルブズ」という一本の映画が、アメリカ人や世界中の人びとの意識を変革していったのである。アカデミー賞7部門までがこの映画に与えられたことによってもわかる。
イギリスのBBC放送も、あるドキュメンタリー番組を次のような言葉で閉じていた。
しかしインディアンには救いは訪れなかった。1890年12月、ウンデッド・ニーで合衆国の兵士たちが非武装のスーの一団に発砲した。たちまちのうちに300人以上が殺された。『私にはいまもはっきり見える。虐殺された女と子供の死体が谷に散らばっているのを。彼らとともに泥と雪の中で死んだものがもう一つある。それは人びとの夢である。人びとの絆は断ち切られ、中心は失われた。聖なる木も死んだ』
このウンデッド・ニーの虐殺で、白人のインディアンへの戦争は終わりを告げた。そしてこれがインディアンがアメリカの歴史のページに登場した最後の瞬間であった。アメリカの先住民族であるインディアンが、白人によってついに打ち負かされたのであった。
しかし野蛮なインディアンのイメージはその後も残った。生き残ったインディアンたちはそのイメージを背負ったまま白人に服従して生きていかなければならなかった。それは彼らにとってそれまで以上に過酷な試練になったのであった。
最近の調査では、コロンブス以前に住んでいた先住民族の人口は500万人(引用注:これは過小評価だろう)ほどであり、1890年にはそれがわずか25万人に減少した。同じ時期、白人の人口はゼロから増え続け、7500万人を超えるにいたった。
このような民族間の軋轢、白人社会と有色人種間の争いを世界的な規模で広げていくと、いま日本が立たされている立場がはっきりと見えてくる。日本は有色人種の代表格の国なのである。
アジア人も白人にねじ伏せられた
いまから150年前と言えば、日本では江戸時代末期であった。日本の体質が非常に虚弱状態になっているときであった。
そのころ、欧米列強すなわち白人勢力は、アジア諸国をつぎつぎに自分たちの植民地支配の下に置いていった。その勢いはまさにコロンブスが新大陸に到達して以来、スペイン人ほか、ヨーロッパ人たちが南北アメリカに殺到していった出来事と非常によく似ている。
ヨーロッパ人たちは貪欲である。自分たちの武力にものを言わせて、取れるものは徹底的に取っていく。そのような欧米人たちの前に、「眠れる獅子」と言われた中国でさえ、赤子の手をひねるようにねじ伏せられてしまった。その典型的なものがアヘン戦争である。
イギリス東インド会社は中国とのアヘン貿易を是正するためと称して、インド産アヘンを中国へとめどなく密輸し続けた。その結果、中国人たちはアヘンにおぼれ、中国のアヘン輸入は激増していった。そして中国からとめどなく銀が流出していった。経済上、財政上、衛生上、中国に重大な弊害がもたらされたのである
1839年、アヘン厳禁論者であった林則徐(りんそくじょ)が欽差(全権)大臣として広東に赴任し、イギリス商人たちが持っていたアヘンを没収し、かつ焼却した。当時すでに東インド会社の貿易独占権は廃止されていたが、イギリスのパーマストン内閣は、中国市場を開拓すべく、1841年、開戦を決定した。
イギリス陸海軍はたちまちのうちに舟山諸島を占領し、沿海を封鎖した。中国の清朝は窮地に立たされ、林則徐を解任せざるをえなかった。和平会議に応じ、1841年、川鼻仮条約が結ばれるに至った。
しかし条約の中の香港割譲の件を清朝は承知せず、戦争は再び火蓋を切った。しかし1842年夏までにイギリス軍は広東、上海を占領した。清朝もついに屈服し、その年の8月、典型的不平等条約、強圧条約である南京条約を結ばされるに至ったのであった。
有色人種を奮い立たせた日露戦争勝利
アジア諸国がこのようにイギリスをはじめヨーロッパ諸国に食いつぶされていくなか、まさに不思議なことに日本は植民地にならなかった。これはその当時のアジア情勢を考えるならば不思議を超えて奇跡と言わざるを得ないだろう。(引用注:このときは、「バックアップ」されていたわけですからね)
その日本は明治維新後の1904年から1905年の日露戦争において、白人国家ロシアを敗退させてしまったのである。日本海海戦においては、まだまだ農民国家、新興国家と言われていた日本が、すでに産業革命を成し遂げ、かつ世界第2位の海軍国であるロシアのバルチック艦隊をパーフェクトに破ってしまった。
世界、なかでもヨーロッパ諸国は驚天動地のパニック状態になった。白人社会は日本を標的とした。屈服せざる生意気な国、有色人種でありながら白人を敗北させる国と、彼らの目に映った。
しかしアジア人たち、なかでも中国革命の父と後に言われた孫文は、この戦争について次のように語っている。
われらの東方に一つの島国がある。東洋の英国とも言うべきこの国が、すなわち日本である。彼らは建国以来、外国に併合されることはなかった。蒙古でさえ彼らを征服することができなかった。
この大和民族の精神は、今日でも失われてはいない。そして欧米の侵略に抗し、科学の新しい方法を利用して国家を発展させ、明治維新このかたわずか50年で欧米各国と並び立つようになった。
アジア人とヨーロッパ人とを比べるならば、以前は世界で優秀なのは白人だけであると考えられていた。白人の独占であったのである……そこへ日本が忽然と現われ、世界の一等国になっていった。それはまさにアジア民族にとって無限の希望を与えることとなった。白人のやることを日本人が成し遂げることができ、皮膚の色の違いは才能や知力の優秀さとはなんの関係もない、そういうことがアジア人たちにわかったのである。
いまやアジアに日本があるがゆえに、白人たちはアジア人を軽蔑しなくなった。アジア人全体の国際的地位が高くなったのである。
日露戦争における日本の勝利は、日本人の想像をはるかに超えてアジア人たちに大きな希望を与えたようである。
もちろん日露戦争に勝って日本は軍国主義的傾向を強め、ヨーロッパ諸国と同じような帝国主義的手段でアジア侵略を行なったことはまさに悲劇であり、残念なことであった(引用注:「バックアップ」で踊らされてしまいましたのでね)。 しかしかつてそのようなことを行なった日本、そしていままた国際社会で行きづまりつつある日本を、アジア諸国は再び迎え入れようとしている。マレーシアのマハティール首相は、日本に対してラブコールを送り続けている。
孫文と同じように、インドの父と言われたネール[Jawaharlal Nehru]も日露戦争後の日本を次のように賞賛した。
20世紀の初め、アジアの精神に大きな影響を及ぼす事件が起きた。それは日露戦争で日本が勝利したということであった。あの小さな日本が、ヨーロッパのうちでも最大にして最強の国の一つであるロシアを破ったのである。それはまさに多くの人びとをびっくりさせた。アジア全体にとって、これは驚くべきニュースであった。
私はいつでも日本の勝利のニュースが伝えられるときに、どれだけ感激し続けたことだろうか。いまでもそれを明確に思い出す……。小さな日本が大きなロシアに打ち勝ったことは、インドに深い印象を刻みつけた。日本がもっとも強大なヨーロッパの一国に対して勝つことができたならば、どうしてそれがインドにできないことがあるだろうか。
このような日露戦争勝利への賞賛は中国、インドに限らず、多くの有色人種の民族や国家に限りない影響を与えた。彼らを奮い立たせたのである。言葉を換えれば、ヨーロッパ諸国にとっては日本は警戒すべき国と映っただろう。
第二次大戦のテーマは「生意気な日本人を叩きのめす」
第一次世界大戦後、日本は飛躍的経済発展を成し遂げることができた。なぜならばその戦争に日本も連合国の一国として参戦はしたが、実質的には中立国と同じような立場であった。その結果、多大な経済的利益を得ることができたのである。
すなわちヨーロッパ諸国の輸出品の生産能力が減退した結果、東洋、南洋市場のほとんどが日本商品を輸入するところとなったからである。
こうして既存の工業は飛躍的に発展し、新工業も次から次へと興った。生産部門の異常な繁栄は、貿易における巨額の出超、海運収入を主とする貿易外受取勘定の超過とあいまって未曾有の好景気をもたらしていった。そのなかでももっとも発展したのは造船業である。さらに顕著な傾向であったのは、人造絹糸、染料、薬品、硫安、ゴムなど新興化学工業が急速に伸びたことであった。
第一次世界大戦の結果、重化学工業の比重がにわかに大となったのである。日本はほぼ完全に欧米並みの工業水準の域に至ったということになる。
しかしまだこのころ、すなわちいまから6、70年前には、ヨーロッパ諸国、アメリカなどの白人社会は強大な力を持っていた。日本がいかに先進諸国の仲間入りをしようと、なおねじ伏せる自信と力を持っていたのであった。
たとえば1921年に聞かれたワシントン海軍軍縮会議、それに続く1930年のロンドン軍縮会議においてである。それらではイギリス、アメリカが中心となり、主力艦、空母、巡洋艦、潜水艦において日本の戦力を彼ら以下に、それも全世界が見ている前で下げさせてしまった。
やがて中国に突き進み体力のそがれた日本を、真珠湾攻撃へと巧みに誘導する知恵をも彼らは持っていた。そして第二次世界大戦で、有色人種の代表と見られていた日本をほぼ完全に叩きのめした。
しかもそのとどめは原子爆弾を広島と長崎に落とすことであった。 アメリカ、なかでもその支配者である東部エスタブリッシュメントたちが、どうして白人国家ドイツの上に原子爆弾を落とすなどということを考えただろうか。100パーセントそのようなことはなかったはずである。しかし日本には落とされた。日本が有色人種国家なるがゆえである。
恐るべき兵器一発を砂漠で実験しただけで、広島の町の真ん中に落としたのである。しかも朝、民間人が出勤する時間に落としたのである。長崎においても同じことである。
どうして彼らは離れ島、あるいは人のいない山中に落とさなかったのか。それだけで原子爆弾の威力は日本の戦争遂行者たちに十分わかったはずである。生きている人間の上に原子爆弾を落としたということは、まさに異様である。人種間の軋轢がいかに恐るべきものか、よくわかる。
しかし第二次世界大戦でヨーロッパおよびアメリカによって完全に打ちのめされ、しかも2発もの原爆を食らわされた日本が、その灰塵の中から復活したのである。白人社会から見るならばどのように映っているだろうか。
★ なわ・ふみひと の ひとくち解説 ★
過去500年にわたる白人の歴史が「侵略の歴史」といってもよいものであることは、清水馨八郎氏の著書『侵略の世界史』(祥伝社)に詳しく紹介されています。
この本の著者の宇野氏は、その白人社会を裏から牛耳っているのが“ユダヤ”であると言っているのですが、そのユダヤ人には、カザール人がユダヤ教に転向して自らをユダヤ人と名乗るようになったアシュケナジー・ユダヤ人と、聖書に出てくるアブラハムの子孫であるスファラディ・ユダヤ人の2種類がいると述べています。(引用注:本当は、まだ他の「ユダヤ人」分類も必要でしょうね) そのことを、わが国で初めてわかりやすく説明したのが宇野氏なのです。
その説によれば、白人社会を裏から支配し、超大国アメリカをもコントロール下に置いているユダヤ人はアシュケナジー・ユダヤ人ということになります。本来のユダヤ人ではないアシュケナジー・ユダヤ人が、過去500年以上にわたって世界中の国々の植民地化を進めてきたというわけです。アメリカにおいても、コロンブスが入植する前は500万人もいた先住民(インディアン)が、その後短期間で25万人にまで減らさせてしまったことを見ても、白人による民族抹殺のスピードがいかに激烈なものであったかがわかります。
しかしながら、そのような白人による侵略の歴史は今日ではほとんど表面に出てくることはありません。彼らは自らの“醜い過去”は見事に葬り去ってしまうからです。
長年にわたる白人の侵略の歴史の中で、東洋の一国である日本だけは最後まで抵抗を続けたことで、世界支配層から“手強い相手”ということで徹底的な破壊の対象とされ、ついに第二次世界大戦によってドイツ民族とともに完全に骨抜きにされてしまったのです。ドイツには「ユダヤ人を大量殺戮した」という罪を、日本には「アジアの国々を侵略した」という罪を負わせて、それぞれの民族の誇りを奪ってしまいました。そして、自らが長年にわたった世界中で行なってきた大虐殺の歴史はちゃっかりと封印しているのです。
白人による大虐殺の内容は『ユダヤ問題入門』(泰流社)にも紹介されていますので、併せてご覧ください。
全国のリアルタイム放射線量マップ(速報版)
直接知っている都内の知人複数に身体の異常がではじめました。無脳症の報告もまた 2011-10-02 01:44:16
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/6f8c1b9a09cd74c4c871fb3d89af6df2
++
結論
またもや
「日本人は犯罪者になった」 故に、「謝罪と賠償をせよ」
ということにされてしまいますよ。
ストロンチウム、最大で事故前の6倍検出 文科省調査
http://www.asahi.com/national/update/0930/TKY201109300553.html
プルトニウムとストロンチウムの沈着状況
東京電力福島第一原発の事故で放出されたストロンチウムとプルトニウムについて、文部科学省は30日、周辺の土壌の汚染マップを初めて公表した。ストロンチウムの沈着量は原発の20キロ圏内と北西で高い傾向だった。過去の大気圏内核実験で国内に降りそそいだ放射性物質の測定の最大値の6倍のところもあった。事故によるプルトニウムも原発の敷地外で初めて検出したという。
調査は6月から約1カ月間、福島第一原発から100キロ圏内で土壌を採取。福島県内と県境の他県の市町村(59カ所)と原発周辺(41カ所)の計100カ所で、両物質の1平方メートルあたりの核種の量を分析。1980年代までの大気圏内核実験で日本に降った放射性物質の量と比べた。
その結果、ストロンチウム90(半減期約30年)が最も高かったのは福島県双葉町(20キロ圏内)の5700ベクレルだった。文科省が1999〜2008年度に全国で測定した最大値950ベクレルの6倍。950ベクレルを上回ったのは8カ所あり、7カ所が20キロ圏内と北西方向に集中した。
プルトニウムは238の最大値が4ベクレル、239と240が計15ベクレルで、いずれの地点でも事故前の観測での最大値を下回った。ただし、原発30キロ圏内と北西の6カ所で検出されたプルトニウムでは、核実験で検出されにくい238の比率が高いことなどから、今回の事故で新たに沈着したことが確認されたという。事故後これまでに福島第一原発の敷地内でしか、検出されていなかった。
文科省は、最大値が検出された地点に50年間滞在した場合の被曝(ひばく)線量を計算。プルトニウム238は0.027ミリシーベルト、同239+240とストロンチウム90はともに0.12ミリシーベルトだったという。
文科省は「プルトニウムやストロンチウムの沈着量はセシウムに比べ非常に小さい。今後の被曝の影響評価や除染対策はセシウムに着目するのが適切」としている。
# by oninomae | 2011-10-02 00:34 | 歴史・歴史詐欺捏造 | Trackback | Comments(5)
2011年 10月 01日
ユダヤ世界帝国の日本侵略戦略 太田竜http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1007-1.html#06
ユダヤ世界帝国の日本侵略戦略 列島支配を目論む「陰の帝国」を暴く!! 太田竜 日本文芸社 1992年刊
●親ユダヤ人脈の直系、吉田茂と“吉田学校”
明治新政府は、長年の間日本が窓口としてきたオランダが、頼むに足りない小国であることを知って、他の大国、列強に乗り替えることにした。その候補がアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ(プロシャ、オーストリア)である。
なお、当時、米英仏の実権はすでに、ユダヤの手中にあったが、ドイツ(プロシャのホーヘンツォルレン王家とオーストリアのハプスブルク王家)では、ユダヤによる全権掌握(王制転覆)をめざした大会戦が展開されているというところであった。
いずれにしても、日本の指導層もおのずから米系、英系、仏系、独系に分かれて、ある種の派閥に組み込まれている。
しかし、日英同盟条約が締結されるに及んで、日本政府の主流は、親英仏・親アングロサクソンに収斂した。日英同盟交渉時の駐英大使・林薫(のち、外務大臣となる)は、このころ、イギリス・フリーメーソンに入会を認められている。
このへんから、日本の外務省官僚の出世コースは、ロンドン勤務─駐英大使という相場が決まったようだ。
この線上に、幣原喜重郎(前述したようにフリーメーソンであることが確認されている)、
吉田茂の名前が出てくる。
しかし、彼ら日本の親英米派、親アングロサクソン派が、英米の背後にユダヤの地下世界政府が存在している事実を認識していたのかどうか、それはわからない。
が、少なくとも、日露戦争当時の外相・小村寿太郎は、フリーメーソンが日本民族にとって危険な団体であることを知っていたらしい。
安政不平等条約が、半世紀の血のにじむような努力の末に、完全に廃止されて日本の独立が回復されたとき、小村外相は日本国内のフリーメーソン結社が日本人を会員とすることを禁止させた。つまり、日本人が国内においてフリーメーソンに入会すれば、警察によって逮捕されることになった。フリーメーソンは、警察の監視団体となったわけだ。
幣原や林のように、任地(ヨーロッパ)でフリーメーソンに入会した者も、日本に帰国したあとは、司法官憲に対し、秘密裏に活動しなければならない。
小村の英断は、日本国内におけるユダヤの活動にある程度の規制を加えた、ということはできる。しかし、山縣有朋の死のあと、天皇を補佐する維新の元勲として、親英米(親ユダヤ)派の西園寺公望ただ一人が生き残った状態になってからは、
日本の国家中枢部(「重臣」という便利な言葉で呼ばれる)は、事実上、ユダ
吉田茂の義父・牧野伸顕はこの西園寺を長とする重臣団の一員であり、吉田はこの人脈の有力なメンバーであったのだ。
●“大東亜戦争”の実態は対ユダヤ戦争だった
昭和16年(1941)12月8日の対米英開戦の詔勅では、この戦争の目的がすこしもわからない。日本は戦争をやりたくなかったのに、米英に経済封鎖され、万やむをえず、戦わざるをえない立場に追い詰められたとしか、そこには記されていない。
すでに日露戦争終結直後に、ユダヤ・フリーメーソンは、日本を次の「仮想敵国」と定めた。この対日戦の戦争目的は、はっきりしている。日本をアジア・中国大陸から追い払い、中国をユダヤが直接占領することである。こんな程度のことを見抜くのに、たいした知恵も必要としないはずだが、当時の日本国家の中心には、幣原喜重郎に代表されるようなユダヤの工作員がしっかりと植え込まれていた。
ユダヤは何重もの周到な対日戦略をたて、着々と布石を進めた。そしてその一石ごとに、日本は攪乱され、挑発され、全世界に醜態をさらし、ユダヤの思うツボにはまり込んでいったのだ。
なかでも、ユダヤの会心の一手は、蒋介石、宋美齢など中国国民党政権の中枢部をフリーメーソンに取り込み、この蒋政権を使って反日・抗日・侮日キャンペーンを展開させたことであろう。
この謀略に日本はまんまと引っかかり、中国大陸での泥沼戦争に引きずり込まれた。日中を戦わせ、両国を消耗させ、その隙に東アジアをユダヤが占領するという大作戦の第一波が、日清戦争である。
さすがに勝海舟は、ある程度その真相を見抜いていたようで、当時、日清戦争に反対している。しかし、この戦争に勝って、日本国民は舞いあがってしまった。中国人を蔑視する態度が民衆の間にも広がっている。このときすでに、日本はユダヤの罠にはまり込んだことになる。
それからあとは、有頂天になった日本人を煽動し、挑発して、より深くユダヤの仕掛けた罠に追い込んでゆくだけだ。昭和16年の「日米交渉」は、ユダヤにとっては30年にわたる対日謀略の、いわば最後の詰めにすぎない。つまり、このときの日本のほんとうの敵、戦争相手は、ユダヤの陰の世界政府であったのだ。そして、ごくわずかな先覚者を除き、日本人はその事実を知らなかった。
敵を知り己を知れば百戦危うからず(孫子)というが、日本は肝腎の敵を知らずに戦争に巻き込まれたのだから、百戦百敗の運命は避けられない。
敗戦とともに、日本人のユダヤ化がはじまる。天皇の終戦の詔勅で日本は連合軍に降伏したが、「国体護持」を叫んで軍の一部は戦争継続を企図している。はたして敗戦後、日本の「国体」は「護持」されたのだろうか?
ユダヤは日本のいわゆる「国体」について、十二分に研究し、知り尽くしている。そのうえで占領政策が立案され、そして実行に移された。それに反し、日本民族の側は、敵=占領軍=ユダヤの正体を何も知らないのだ。したがって、敵の意図、敵は日本をどう処理しようとするかの状況把握ができないのだ。
つまり、ユダヤと日本の情報量のギャップ(ユダヤの対日情報力を百とすれば、日本の対ユダヤ情報力は限りなく零に近い)が、敗戦時に潰滅的な結果を日本民族に与えることになってしまったのだ。
ユダヤ占領軍が第一に狙ったことは、日本人のすべての民族的伝統、民族の神話、歴史、道徳を破壊することだが、そんなことを占領軍が直接やったのではうまくゆかない。彼らは、すでに大正デモクラシー期に日本のなかに植えつけておいたリベラリストと、親ユダヤ的キリスト教徒、それから左翼(特に共産主義者)を使ってそれをやらせた。日本民族を分断し、日本人自身が日本の民族的伝統を解体、抹殺するような仕掛けがつくられたのである。
昭和20年12月、占領軍は神道指令を出して日本の国家と神道の関係を切断させ、さらに21年元旦の天皇詔勅(人間天皇宣言と通称される)では、天皇の地位が神話に基づくものでないと明言させた。
この詔勅によってユダヤは、じつは日本民族の生命線に致命的な一撃を与えてしまったのだが、この文章は前述したヘンダーソン中佐の指示に基づき、フリーメーソン会員である幣原首相によって、英文で起草されて、マッカーサー元帥の承認を得てのちに、日本語に翻訳されて公布されたものであって、昭和天皇の意思など表現していない。
右翼・民族派・国粋主義者も、児玉誉志夫以下、ユダヤ占領軍に魂を売り渡した。
占領軍は数十万人の指導層を、「侵略戦争協力者」として公職追放処分にしたが、代りに共産党を“育成”してユダヤのための情報提供に精を出させた。
つまり、敗戦と同時に、日本国中がユダヤ(米英あるいはソ連)に国を売る売国奴の一大軍団で充満するようなことになってしまったのだ。
そのしめくくりが、昭和21年から23年まで実施された「東京裁判」であった。
★ひとくちコメント ―― かつて首相を務めた幣原喜重郎、西園寺公望、吉田茂といった比較的ビッグな名前は「ユダヤに操られた人物」として記憶しておきたいと思います。 もちろん、ユダヤの強大な力の前では、これらの人物が「国を売る」行為を拒否することは難しかったと思われます。拒否すれば、本人は少なくとも政治的には抹殺され、代わりの人間が調達されることになっただけのことです。当時から、フリーメーソンやキリスト教という隠れ蓑を使って、“ユダヤ”は世界中にその支配力を浸透させてしまっていたからです。
戦前の日本では、そのフリーメーソンの裏にいる“ユダヤ”についての研究が進められていたようですが、そのような“反ユダヤ”的な研究に関わっていた人物のリストは、あらゆるところに植え込まれていたエージェント(内通者)たちを通じて“ユダヤ”の知るところとなり、戦後は“戦犯”として血祭りにあげられてしまったのです。その最たる人物が東條英機でした。
軍の中枢にいて最も“反ユダヤ”的な思想を持つこの“危険人物”を戦犯に仕立て上げるために、開戦が避けられなくなりつつある情勢のもとで、東條英機の首相就任が画策されたのです。戦後、戦勝国が勝手につくった法律によって、東條英機は「共同謀議」という不可思議な罪状で処刑されました。戦後教育を受けた私たちは、東條英機をヒトラーに匹敵する戦争犯罪人と思わされてしまっていますが、真実は「世界支配層(=ユダヤ)にたてついた人物」ということだったのです。
さらに、彼らにとって「許し難い連中」は戦後の公職追放によって一掃され、その代わりにエージェントを務めてくれた人物たちがあらゆる重要ポストに貼り付けられることになりました。戦前から彼らに手懐けられていた吉田茂などは、彼らの手先となってこの国を好きなように料理させることに協力した人物と言えます。
戦後において首相などの重要ポストについた人物ほど、世界支配層(=ユダヤ)に貢献した人物だと考えてもよいでしょう。(なわ・ふみひと)
プルトニウム、飯舘村まで飛散=原発事故で、土壌から検出―文科省 時事通信 9月30日(金)17時42分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110930-00000119-jij-soci
文部科学省は30日、福島第1原発周辺で行った土壌調査の結果、原発事故で飛散したとみられるプルトニウムが福島県双葉町、浪江町と飯館村の計6カ所から検出されたと発表した。原発敷地外での検出は初めて。沈着量はいずれも、過去に海外で行われた核実験で日本各地に降ったプルトニウムの測定値の範囲に収まっているという。
飯舘村の1カ所は原発から40キロ以上離れていた。プルトニウムは粒子が重く、遠くまで飛散しにくいとされ、爆発を伴った事故の大きさが改めて浮き彫りになった。
調査では6月6日〜7月8日、福島第1原発から80キロ圏内にある市町村の100カ所で土壌を採取。プルトニウムなどの量を分析した。
その結果、3町村の各2カ所で1平方メートル当たり最大4.0ベクレルのプルトニウム238を検出した。事故以前の測定値に比べ、同239、同240に対する比率が大きいことから、今回の事故で新たな沈着があったと判断した。
沈着量が最も大きかった浪江町の地点で、仮に50年間滞在した場合、同238の被ばく線量は0.027ミリシーベルトにとどまるという。 (引用注:こういう問題ではないでしょう)
また、45カ所ではストロンチウム89を検出。半減期が約50.5日と短いことから、事故後に沈着したとみられる。
政府がプルトニウム・ストロンチウムの飛散認める:たった100カ所の土壌調査を3ヶ月以上かけて公開 2011/10/01(土) 06:42
http://onihutari.blog60.fc2.com/blog-entry-67.html
20111001 伊方原発 問われる“安全神話”
20111001 伊方原発 問われる“安全神話” 投稿者 PMG5
NHK“ドキュメンタリーWAVE“より。
“フクシマ”によって崩壊することになった原発の安全神話。その神話が形作られていくきっかけとなったのが、四国電力の伊方原子力発電所の安全性を巡って 30年近く争われた裁判である。当時、四国電力で原発設置を担当したある技術者は、裁判後、徐々に社内で蔓延していく「絶対安全」に対して、異論を訴えたが黙殺され続けてきた。裁判資料を読み解くと、地震のリスクなど専門家の調査結果が無視されている部分も多い。第2のフクシマは防ぎたいと、今でも原発の危険性を訴える技術者の思いを軸に、現在でも“安全神話”が続く原子力発電の現場を見つめる。
安政大地震&平成大地震(原発付)
1854年12月26日(安政元年11月7日) 豊予海峡地震(M7.4)
# by oninomae | 2011-10-01 00:43 | 歴史・歴史詐欺捏造 | Trackback | Comments(9)
2011年 09月 29日
「迫害」という言葉で惑わす切支丹布教ユダヤは日本に何をしたか 我が愛する子や孫に語り継ぎたい 渡部悌治・著 成甲書房 2003年刊
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1007-1.html#07
●「迫害」という言葉で惑わす切支丹布教
そもそもキリスト教の日本への渡来は、天文18(1549)年にフランシスコ・デ・サビエルによって始まったものである。彼らが何をしに来たのかといえば、黄金の国ジパングをポルトガル王やローマ法王の領土にするための尖兵として来日したのである。
サビエルはカトリック教会の主であるローマ法王の僧兵団の一員であり、東方渡来はジョアン三世の要請によるものであった。彼はローマ法王パウルス三世から聖使に任ぜられ、インドにおける法王の代理としての全権を与えられ、ポルトガルの東方植民地の官吏のすべての上に、一切の俗権を行使できる権能を与えられて来たのである。
インドにおいて土民をキリスト教に改宗させるために宗教裁判を実施し、改宗を強制し、従わない者は惨殺・焚刑に処した。富裕の者の財産は強奪して僧兵団の手に没収し、僧院・教会を建設した。
天文18年夏、日本は黄金の国であり、数百万の人口を有するジーペンの人たちを改宗させれば、巨億の富が入ると思い定め、日本の首都を目指してマラッカを出帆したのである。
彼の後、各派各団の宣教師らが渡来した。いずれもサビエルと大同小異の心組みで訪れてきたのである。日本の富と国土を狙って来た者であり、日本人を奴隷として売り渡したり、一国の領主に金を貸して領地を担保にして取り上げたりし、ついには島原の民百姓を煽勤して大乱を起こさせている。しかも原城に立て籠もって死んだ遺骸には、この信心深い素朴な人々の自殺行為を招来したイエズス会士も、一人のバテレンの遺骸も見つからなかった。煽るだげ煽りたてて死にいたらしめ、自分たちはとっくに逃げうせてしまったのである。
これに対し豊臣・徳川は布教を禁圧し、宣教師らの国外退去の策に出た。これが国法であり、国禁であり、国をあずかる者の当然の施策である。国禁を犯し、国法を蔑(なみ)する者はこれを罰する。キリスト教が宗教裁判で異端・異教を焚刑・傑刑に処したように、徳川もまた同じことを行なったまでのことである。 それを「切支丹殉教」とか「切支丹迫害」などと称するのはおこがましいかぎりである。日本人自らが発するべき言辞ではない。
彼らバテレンたちは日本の金山・銀山を狙って金堀師らを帯同してきていた。今日でも鉱山の鉱脈の露頭に彫り刻まれた十字の印が見られる。そこには異人の堀り師が潜み、隠れ切支丹らの祈祷所としていたのである。
●ローマ法王の工作員、サビエルの挑戦
サビエルは伝道のためではなく、戦いを挑んできたのだ。サビエルはローマ法王の僧兵の一人なのである。
ローマ法王は全世界を支配する皇帝であり、この世においては法王の権威に勝るものはないとされていた。
サビエルはその法王から、法王の代理としての全権のみならず、ポルトガルの東方植民地における軍隊と官吏とに対する命令の全権をも与えられていたのである。
それゆえ東方占領地においてキリスト教に改宗しない土民を殺戮し、財産を奪い、焚刑に処し、寺院を焼き払い、暴虐の限りを尽したのである。異端・異教は悪魔の教えであるとして、愉しければ愉しいほどキリスト教の神は悦ぶとした。欧州・東方・南米において、キリスト教によって虐殺された人の教は一千万を超す。
私が20代の頃、仙台の東北学院神学部で講義を受けてい教授に出村剛という教授がいた。キリスト教会史の講義の時間にいつも述懐していたことは、キリスト教のこの異端・異教を虐殺した事実であった。そして教授は、キリスト教による異端虐殺史を集大成して世に問うことを念願していると告白したものである。
異端・異教迫害に関する研究書の頁を開き、挿絵を示してくれたが、女性を全裸にして、陰部から杙(くい)を突き刺し、頭蓋まで貫いていたのを裸馬に跨がらせて練り歩いているエッチングであった。 「キリスト教ほど、このような罪悪を犯した宗教はない」と幾度も呟いていたのを60年後の今日でも思い起こす。この絵はローマ法王の命によるカタリー教徒皆殺しのときの情景の一つであった。
これは異端皆殺しの例であるが、異教の地インドにおけるポルトガル宣教師らの土民虐殺と財宝奪取、南米太平洋岸諸国のスペイン宣教師の手引きによるスペイン軍隊たちの人民殺戮と財宝収奪とは、歴史上顕著な事実であり、西欧諸国のキリスト教宣教師らによる先導によって植民地占領がなされていた事実も蔽い隠すことはできまい。
しかし、そのようなことは日本においては果たすことはできなかった。その理由は次に示すイエズス会のドン・ロドリゴとフランシスコ会の宣教師フライ・ルイス・ソテロらが、スペイン国王に送った上書に記すところである。
「殿下を日本の君主とすることは望ましい。しかし、日本には住民が多く、城郭も堅固であるため、軍隊の力による侵入は無理であるから、福音を宣伝する方策をもって日本の国民が殿下に悦びいさんで臣事するように仕向けるほかなし」
と、敵情報告に判断を付して諜報している。
ザビエルもまたポルトガル国王に、
「軍備においては日本はヨーロッパと同水準にあるため、軍隊をもって征服する望みは抱かぬほうがよろしい。それよりも心に訴えて納得させれば、この上なく忠実なキリスト教の下僕となるのだから、もっと智能の勝れたバテレンを派遣せられたい」
と上申している。武力占拠は断念し、諸藩を貿易の利潤で誘い、キリシタンの布教を公許させる方策に出たのである。いずれも日本乗っ取りの方策の謀であった。
この書翰に見るように、キリシタン・バテレンたちの正体は、対日諜報員であり、対日工作員であったのだ。日本をまずキリシタンにしてしまってからキリスト教国の属国として占領してもよく、キリスト教国の属国として占領してからキリスト教化してもよかったのである。
以前、アメリカ・ミッションから差遣されていた宣教師たちが帰米するたび、まず軍の関係機関に立ち寄って報告を終えてからそれぞれの地に帰ったという話を、留学を終えて帰国した日本人神学生に聞かされていた。
★ひとくちコメント ―― ザビエルの来日の目的は日本の植民地化にあったことが詳しく述べられています。この本は他のページで、ザビエルがユダヤ教徒であった事実も明らかにしています。“黄金の国・ジパング”は、早くから“ユダヤ”の狙うところとなっていたのです。
著者の渡部悌治氏は明治45(1912)年生まれ。戦前は、東條英機らも属していたユダヤ研究の最先端機関「国際政経学会」の監事を務めた人です。敗戦後は公職追放令によって職を追われ、その後復帰して山形県知事の顧問等を務めた──とあります。国際政経学会は戦後GHQ(占領軍)によって解散させられ、資料類も没収されてしまったということです。このようにして、世界支配層の中核にいる“ユダヤ”に関する研究成果はすべて闇に葬られてしまいました。ちなみに、“ユダヤ”とは今日のイスラエルのことではありません。このイスラエルという国をも裏で操っている“無国籍”のグループのことで、今日ではイルミナティやフリーメーソンという得体の知れない組織の裏に隠れてしまっています。(なわ・ふみひと)
おまけ
この頃と大差ない
これも同じこと
マイコプラズマ肺炎、急増=過去最多で高止まり―被災地も要注意 時事通信 9月29日(木)17時10分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110929-00000091-jij-soci
例年、冬に流行するマイコプラズマ肺炎の患者が今夏急増し、高止まりしていることが29日、分かった。国立感染症研究所(東京)に毎週報告される患者数は6月下旬に過去最多となった後、9月に再び更新。現在も昨年の2倍で推移している。東日本大震災の被災地でも増えた県があり、同研究所は早期の受診と手洗いやマスクによる感染防止を呼び掛けている。
マイコプラズマ肺炎はウイルスと細菌の中間の微生物が原因。激しいせきと高熱が長引き、髄膜炎や脳炎などを併発する恐れもある。30歳ぐらいまでの若い年代での発症が多いという。
全国約500の病院から同研究所に報告される1週間ごとの患者数は、6月20〜26日に昨年同期比1.7倍の355人と過去最多に。その後も300人前後で推移し、9月12〜18日は同2.3倍の397人(速報値)。8月上旬以降は2倍を上回ったまま高止まりしている。
1月から今月18日までの累計は同1.4倍の8528人で、記録の残る1999年以降で最多だった昨年1年間の1万333人を上回る勢いだ。
同研究所の安井良則主任研究官は「通常は夏に増えても秋には減るのに、むしろ増えており注意が必要だ」と指摘する。
ハイチのコレラ禍(1)
http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2011/09/post_3029.html
ふーーん。「ワクチン」 ねー。
関連
ハイチの農民たちへの475トンの遺伝子組み換え種子というモンサント社の致命的な贈り物
http://satehate.exblog.jp/14373588/
# by oninomae | 2011-09-29 23:20 | 歴史・歴史詐欺捏造 | Trackback | Comments(29)
2011年 09月 28日
「ユダヤ」の世界征服の糸口となったコロンブスのアメリカ「発見」 太田龍http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/hitokuchi032.html より (表題の「」は引用者)
ユダヤ問題入門 太田龍 泰流社 2007年(復刻版)
ユダヤの世界征服の糸口となったコロンブスのアメリカ「発見」
1492年10月、コロンブスの艦隊がアメリカ大陸(実は、カリブ海諸島のひとつ)を発見して、ここに「大航海時代」が開幕した――などと、ふつうの歴史の教科書には記述してあるわけですが、この言い方は真実を著しく歪曲しています。
その当時、ユダヤはスペインを本拠地としていたのですが、スペイン政府はユダヤ人にたいして「キリスト教に改宗すればスペインに住み続けることを許すが、改宗しないユダヤ人は国外に追放する」と決定したのです。
そこで彼らは、民族の本拠地をオランダ(アントワープ、アムステルダム)に移すと同時に、一か八かの大バクチを打つことにしたのです。
それが、スペイン国王とキリスト教の仮面をつけたコロンブス大艦隊の派遣です。当時のスペインは、王室も、政府も、ユダヤの財力によって操作されていたのです。
スペインの国旗はかかげていても、事実上、ユダヤの資本でこのコロンブス艦隊が編成されていた上、コロンブス自身に、ユダヤの血が入っています。有力な乗組員の中にも、ユダヤ人が加わっていたのです。
コロンブス艦隊が発見した島は「エスパニョーラ島」と命名されましたが、
続々とこの島と、そして新大陸(中南米)にやって来たユダヤ人たちは、その後の僅か50年のうちに、原住民(インディオ)社会に襲いかかり、筆舌につくし難い暴虐なやり方で、金銀を略奪しました。
この金銀の一部はスペイン王室に献金されたでしょうが、その大部分はユダヤの民族財産となり、ユダヤ2千年の野望、世界征服作戦開始のための軍資金に化けたものと推定されます。
それゆえ、15世紀末から16世紀半ばにかけての半世紀の真相は、非ユダヤ(ゴイム)にとっては、実に戦慄すべき地獄図の始まりであり、同時に、ユダヤにとっては、ユダヤ地上天国の展望が見えて来た時代でもありました。
彼らのこの「大航海」の目標が、マルコポーロの旅行記(13世紀末)に描かれていた「黄金に充ち満ちた夢の国ジパング(すなわち、我々の国、日本)」であったことは、歴史の皮肉としか言いようがありません。
この50年の間に、ユダヤという化け物は、さなぎから成虫に羽化したのです。 そして、彼らは、キリスト教会とポルトガル、スペインの仮装をして、日本列島にも魔の手を伸ばすに至ったのです。
ユーラシア大陸の最西端からぐるっとひとまわりして、地球をくまなく覆うユダヤの毒のネットワークが完成したのです。
ユダヤは、エスパニョーラ島の原住民3百万人を、50年で皆殺しにした!
この島の原住民は、もとをたどれば、何万年か前アラスカ経由で新大陸を南下したモンゴル族、すなわち、我々日本民族と同族の人々です。
スペイン国籍のユダヤ人は、この島の人々の保有する黄金を奪取する目標を立て、キリスト教の伝導を目くらましに使って原住民を油断させてから、悪魔の本性をさらけ出しました。
彼らは、馬にまたがり、剣や槍や銃を持って、原住民の村落を襲い、老若男女長幼の別なく手当り次第に惨殺した。身重の女の腹を裂き、誰が一太刀で体を真っ二つに斬れるか、誰が一撃のもとに首を落とせるかの腕だめしを競った。また母親から乳飲み子を奪い、その子の足をつかんで岩に頭をたたきつけたり、幼児を川へ突き落としておいて、「さあ、泳いでみな」と冷笑したりした。
ユダヤ、スペイン侵略者たちは、ようやく足が地につくぐらいの高さの絞首台を13作り、キリストと12人の使徒をたたえるのだと言って、13人をこの台に吊し、その下に薪をおいて火を付け、生きたままの原住民を火あぶりにして殺した。また、原住民の手足を鎖でしばり、その体に乾燥した麦藁を巻き付け、それに火をつけてころがし、その焼け死ぬ様を見て拍手を送るというふざけ方をした。
インディオの家族を殺す手口は入念だった。地中へ打ち込んだ4本の棒の上に、細長い丸太棒で作った板を取り付け、その下で火を焚いた。耐えかねて悲鳴をあげるのを面白がってじわじわと死んでいくのを楽しそうに眺めていた。
怒った原住民が、稀にユダヤ、スペイン侵略者を殺害したが、インディオが1人のキリスト教徒(実はユダヤ)を殺したら、その仕返しに百人のインディオを殺すという掟をつくった。この島のある王国の有力者300人を集めたスペイン総督(ユダヤ)は、出入り口をふさいで閉じ込め、火を放って焼き殺した。
――といった記録が残っています。
こうして、エスパニョーラ島300万人は200人を残して全滅し、この200人も間もなく死滅した、というのです。
我々日本人にはとても信じられない話ですが、旧約聖書とタルムードでユダヤの本音を知って見れば、いかにもユダヤのやりそうなことと納得できるではありませんか。
● ミニ解説 ●
本書は、ユダヤ問題の全体像を実にわかりやすく解説してくれています。今日の世界を動かしてきた勢力が、何を目的に、どのようなことを行なってきたのかを、本書でぜひ知っていただきたいと思います。
世界の先進国の中で、このような内容の書籍が所定の出版ルートで出版できるのは日本だけになっているのではないでしょうか。いや、日本でも、既に「反ユダヤ」的な内容の出版物を引き受ける出版社はなくなっています。そういう意味では、復刻版として出版された本書は非常に貴重なものです。
残念ながら、やはり一般の書店での取り扱いはない模様で、注文は太田龍さんの主宰する「日本義塾出版部」に直接申し込んでいただくしかありません。(引用注;通販にものっているようです) 真実を知る人が増えていくことはもっとも力になることです。ぜひご購読をお勧めします。
(なわ・ふみひと)
++
これは、サバティアン・フランキスト出現より前の話です(結局おかね・暴力・謀略で操るその祖型のテンプル騎士団がらみかと思いますが)。暴力的襲撃・流血の世界史は長い。スペイン国内などとリンクさせてみれば、「ユダヤ人」だけの問題でも無い凶暴の連鎖が感じられる。怖い話ですね。
関連
自己弱体化 5 「壊される日本」3
http://satehate.exblog.jp/7273666/
ブラジルの先住民虐殺 + 60億人の処分への道
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日本人よ、「覚醒」せよ by 小野寺光一 & 「我が窮状」 by 沢田 研二 + 911リンク
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http://satehate.exblog.jp/15477269/
死者の暦
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「日本を今一度洗濯いたし申し候」 なぜ破壊されるのか タンポポ日記
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「日本を今一度洗濯いたし申し候」 なぜ破壊されるのか2 タンポポ日記
http://satehate.exblog.jp/16756107/
ニガヨモギ 2 アジアにせまるFEMAの戒厳令体制?
http://satehate.exblog.jp/7797035/
セシウム飛散、250キロ以遠にも 群馬の汚染地図公表
http://www.asahi.com/national/update/0927/TKY201109270600.html
セシウム134、137の蓄積量
文部科学省は27日、航空機を使って測定した放射性セシウムの蓄積量について、群馬県の汚染マップを公表した。東京電力福島第一原発事故によって飛散した汚染の帯が、250キロを超えて広がっていることが分かった。
8月23日〜9月8日、県の防災ヘリコプターで測定した。汚染度の高い地域の帯は、原発から北西60キロ付近まで延びた後、南西に方向を変えて栃木県を越え、群馬県まで続いていた。文科省によると、放射性物質を含んだ雲が山地に沿って風に運ばれ、樹木や雨によって地上に沈着したと推測できるという。
放射性物質の量が半分になる半減期が30年のセシウム137で最も蓄積が多かったのは県北部。原発から約180キロ離れたみどり市や桐生市などの山間部の一部で、1平方メートルあたり10万〜30万ベクレルにのぼった。250キロ離れた長野県境の一部でも3万ベクレルを超えた。チェルノブイリ原発事故では3万7千ベクレル以上が「汚染地域」とされた。
文部科学省及び群馬県による航空機モニタリングの測定結果について
http://radioactivity.mext.go.jp/ja/1910/2011/09/1910_092714.pdf
速報!鶴見区の東台小学校で0.96マイクロシーベルト!
http://furuyayasuhiko.blog15.fc2.com/blog-entry-650.html
セシウム汚染の帯、首都圏に 千葉・埼玉の汚染地図公表
http://www.asahi.com/national/update/0929/TKY201109290441.html
文部科学省は29日、航空機を使って測定した放射性セシウムの蓄積量について、千葉県と埼玉県の汚染マップを公表した。東京電力福島第一原発事故によって飛散した汚染の帯が、薄まりながら首都圏まで広がっていることが示された。
両県とも9月8〜12日、ヘリコプターで測った。放射性物質の量が半分になる半減期が30年のセシウム137の蓄積量をみると、千葉県で高かったのは柏や松戸、我孫子、流山市などの県北部。1平方メートルあたり3万〜6万ベクレルにのぼった。 他は木更津市の一部を除きほぼ1万ベクレル以下だった。チェルノブイリ原発事故では3万7千ベクレル以上が「汚染地域」とされた。ただし強制避難の基準は55万ベクレル以上。
文科省によると、千葉県では、原発から放出された放射性物質を含んだ雲がいったん太平洋に流れ、再び茨城県の霞ケ浦付近を通り、埼玉県境まで広がったと推測できるという。
埼玉県では、原発から250キロ離れた秩父市の山間部の一部で3万〜6万ベクレルにのぼった。放射性物質を含んだ雲が原発から南西方向に流れ、群馬を過ぎて、埼玉県に回り込み、地上に沈着したようだ。
両県とも蓄積量の多い地点では放射線量が毎時0.2〜0.5マイクロシーベルトで、このほかの多くは0.1マイクロシーベルト以下だった。学校において、校庭の除染を行う目安は1マイクロシーベルト以上とされている。
文科省は東日本全域で航空機による測定をしている。測定を終えた県の汚染マップを順次、ウェブサイトで公表している。(佐藤久恵)
おまけ
2012年のソーラースーパーストームに関してNASAが警告を発している:10億人が死亡する可能性
http://blog.chemblog.oops.jp/?eid=993557
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