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(回答先: 11月末に、ウソみたいに世界が逆転する、経済の終焉・slicer(債権国は「借金踏み倒し防止委員会」を設けるべきです) 投稿者 小沢内閣待望論 日時 2011 年 9 月 25 日 11:44:06)
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悲観や嘆きから離れられぬ人々
自ら支配制を求め身をやつすが如し
常に欠乏感にて胸を焦がし
それを埋めんが為に他者の影に依存する
制御しえぬ己の感情を責め倦ねて
空回りしたままの自身を更に責め続ける
畏敬亡き畏怖の捕虜として
物事の本質を見落としたまま
情動的視野をもって
周囲を朽ちたもので満たしていく
物質もまた天地からの愛の産物であることには変わりがない
それは労働力の対価として手にする金銭もまた同じもの
そうしたものだからこそ
それは行き過ぎたサービスを人前に提供し
人間関係を機械的なものに変え
それに因る精神的苦痛を乗り越えて迄
手に入れようとするものではないのである
それらすべては作物と同様
天地からの恵みといった愛情が注がれており
それを身に享受するには感謝と恩恵の念が
そこに在るべきなのである
金は労働力の対価だ
手にして当たり前だ等と
本来誰も言えないのである
それは人の奢りで在り
驕り有る者はいつか滅ぶ
金を使用し消費するにも
それら根本に在る天地有る故のおかげである
享受する恵みすべてに対する感謝の心を棄ててしまえば
やがてすべては迷いの世界に没入してしまう
既に多くの者がそうした迷いを継ぎ続けて久しい訳だが
品行と人間性といったものを棄てて迄
手に入れなければなら無いものなど何処の世にも無い
そしていつか外に発散しなければならないストレスをも
同時に手に入れるようになってはいけないのである
皆がそうしているから自分もするのだというのでは
皆が一斉に滅ぶただそれだけの事である
人の心の表現としての仕事とはそのようなものではない
人としての表現とはそうした世界に押しとどめられるものではない
子供たちに対する教えもそのような限定した環境の元にあってはなら無い
長らくそうした時代は続いて来たのだろうが
いつかそうしたものは終わりを見せる
新しいものに切り替えるにはどうすればいいのだろうか
世の為人の為と子供らに教えた大人たちは
次の世代に何を期待していたのだろうか
今のこの金の為に世のすべてが流れ動くという
博打打ちが群れ為すたかが程度の知れたこの経済社会を
維持する為だけに我々は「社会貢献」している
それが立派な人間であると人並みであると皆口を揃える
それらは自分の感性により口にしているものだと考えている
だからいつまでたっても
自分の感性による産声を表現する事が出来ない
自分の本当の能力や底力の在る事を確かめようともせず
自分を他人と比較する事でしか評価し信頼する事が出来ない
故に小さき小さきに目が行くのである
現実に夢を見る事が出来ないでいる
だから真の自分という個性は現実と切り離された所に出没する
そして程度を低く低く刻んでいく
夢はまさに現実から隔離された妄想の世界として描かれていくのである
人々は現実としての自分の外にヒーローを期待し
一時の現実離れを試みる為だけにそこに存在させるようになり
現実にも夢にも不要な願望で満たされた
刺激の在る世界に依存するようになる
もちろんそうではない様々な優れた環境も生まれて在るだろう
だが基礎の土台がそうした不安定さで建てられており
経済は基盤がぐらつけば皆共倒れする
夢とは現実と陸続きである事を改めて認識出来る世界を
基礎から学びそれを作らねばならない時が来ている
でなければ皆このままの現状を盲信して誰かの後ろに立って
付き従っていくしか無いのである
はじめに組織ありき的組織はすべて力を持たない
それは個人がそうした教義なるものに縛られるものがなくなるからである
各々が自己の感性を絶対的なものとして信頼して見る事が出来るのである
心の光を互いに照らし合い
絶対的なあなた自身の声が
その心に直接響き伝えられる
各々が新たな生き方を提言する時が来ているのである
「常識」と云う刷り込まれ続けた「他人の感性」という枠組みに
もはや遵う事はなく
すべて契約の元に支配されている嘯かれた自由はなくなる
これからはすべて個々に活躍が求められる世の中となり
その個もまた同じ認識と方向性を共にする者同士が組織を為す
そしてあらゆる関係性に於いて互いにネガティヴな干渉はなくなり
良い意味での刺激だけが生まれる
すべての感性が尊重された中でようやくそこに於いて
個々に自己の感性の見直しが図られるのである
他者の感性を認めた上で本来の自身の感性の向上を目指す事が出来る
比較や批判又は否定無しにそれぞれが尊重されうるのだと云う事を
互いに理解出来る環境が本来の心の世界の平衡を実現するのである
現状はいきつく所迄来ており
産業の末端は常にぎりぎりの雇用で賄われ
人は限界に追われて疲弊した牢獄的状況から抜け出せずに居り
社会のシステムの在り方を根本的に見直すべき時に来ている
新たなエネルギーの発見と実用に向けての
取り組みを始める段階を迎えれば
既存産業も大きくその形態を変えていく
文明は経済化機械化が進んでいくのだが
それは人々が労働に従事する時間を減らすと同時に
その他に経験すべき愛情豊かな時間を生み出していく為の
必要な進化として経ていく過程なのである
切り替えの時期には来るべき物的な執着を手放す事になる
それは徐々に自然にそのようになっていくのである
そして互いに差さえ合い育み合う善き人間社会の為に
皆が自ずと自身を売り込んで創造性の担い手を買って出るようになる
それは無償の奉仕でありそれは愛としての表現であり
取り交わすような契約ではないのである
今後の経済はより多くの従事者をバランス良く各産業に配置し
基本仕事というものはすべて無償のボランティアとして社会全体の為に従事することとなる
無理の全く無いものとなりそれは時間交代制で一人日に数時間程度
残りは自身の好きな仕事や趣味
励みたい芸道などに費やす
人としての魅力というものは
如何にそれが優れた表現に現れているかと云う事に限られてくるだろう
文化というものが改めて誇らしいものに取って代わるようになる
特に建設と運輸は今後次々に現れる
新たなエネルギーの出現と活用を赦す為に
極端に様変わりを見せていく
基本は国民の賃金といったものは国からの受給となる
それは世界中そのようになるのが望ましいが
我々がそれを望み声を大にして行動すればそのようになるだろう
政府は誠に信頼出来る存在によって運営されていくようになる
税金はボランティア以外の所得と商品やサービスに限定されて賄われる
礼儀とボランティアの精神だけが期待される世の中になる為
押し付けられる教義的モラル等というものは通用せぬようになり
普段の人としての評価が世間に大きく反映された世の中になる
組織や肩書きといった威厳等まったく無意味なものになるのである
私は今年の暮れから何かを変えるきっかけが生まれるのだと思っているが
我が心のマザーは「私は来年動くと聞いている」と教えてくれた
そして目の前にはその中心人物が姿を現していた
さて来たるべき未来には
あらゆる芸術分野に於いても枯渇寸前だった創造性は本来の勢いを取り戻す
現状の惨状を見つめる事を忘れる事だけを目的にして生まれた
商業ベースに沿ったシステマティックな二番煎じは誰ももう必要としておらず
恐怖基調のホラーや不安基調のサスペンスは誰も見向きもしなくなる
そうした娯楽は目先だけの精神的効用に逃れる者だけを生み出していたが
快活に生きる事が当たり前になれば
そうした精神に対する毒や刺激は必要としなくなる
それらはもはや文化などとして誇らしく居られなくなるだろう
大きく大きく変わるのだ
実際現状は「金で動かない奴は居ない」と云った考えが
人として当たり前であるかの如く
この経済の根幹を支配しているが
そこですべての人間は従事者としてある為に
それらを模倣せずしてそこには合わせられる事はなかった
その為に生まれた哲学や宗教学人文学すべてまやかしである
人を人とも思わぬ感性に自ずから自分に無理強いさせて
本来の自由といった夢見る感性を麻痺させて幻影に生きてきたのである
誉れとされる主人公像は
全て表向きの活発とした表情の陰には
終着に向かうだけの諦念だけが漂っており
何かを常に否定し続け
満たされぬストレスをただ増幅していく
人質として社会に囚われた家族に対する愛と悲哀と
そして恐怖に打ち勝とうとする様に自分を投影して来たのである
そうした意味ではこれまでの売れ筋商品は全て
廃盤となるかも知れない
経済の自由とはすべては嘘と欺瞞で塗り固められてきた
既存経済のような社会性のままでは
人間として生きて継続し続ける事は土台困難と見て正解である
それでも今のままがいいと願えば今のままであるだろう
現状の経済は落胆する果ても既に限界が見えている
下等で過当な争いの上になりなっているとは言え
もはや潰し合いは見せかけのインチキ以外の何ものでもない
共存共栄以外経済をより良く発展させはしないのである
人間はそのように錆び付いた機械の車輪の中に組み込まれて
ぎくしゃく回り続けることは出来ないのである
人を動かしむる心は取り替えの利くパーツではない
世の中とは本来は個々に特性を伸ばす学び舎として機能していくのであり
不安なき世の中とは各々の心の内に在るものである
個々に自己完結した存在の集合してこそ
それを完全に満たされた世界と言えるのであって
誰かが常識と云った存在すべくも無い基準ひとつで
統一できるものなどではない
個々に持つ個性としての特性を生かして
多様な存在が集う豊かな世界とは維持されるべきなのであり
何か自分以外のものを変えようとする試みや
世の中を変えるための何かを学ぶ為に本来我々は存在するのではない
しかしそれらもまた物事を享受する受け手側の意識にすべて委ねられた事
だからそれ故に愛に対する感謝の念はすべてに勝り通じるものであることを
いまこそ身に思い出す事が必要なのである
愛が何にもまして打ち勝つ力を秘めているのだ
だが今はそれも限定された間柄に対してのみである
結局他者を自身と見れないというのは
現状の社会性が生み続けたものであり
尚も増進している程度の低い社会性が招いた歪みである
それはすべてに歪んだものしか齎さない
しかし今
光の増強がそのようなあってはならない世界の構造を打ち砕く
それは日が変わるのを時計の針が知らせるように
極から極に移行する時期と似ている
どのように世界がおかしくなってしまっても
必ず既存のような経済はいずれなくなってしまう事は
自然の摂理に叶ったものであると云う他ない
そうした移行が実現するかしないかは
各々人が本当に心から何を望むか
それにだけ掛かっている
それは誰かが考案して実現してくれる訳ではなく
みずからが
「もうこんな世界の在り方にはほとほとうんざりしている!」と
声を大にして宣言するだけでいい
しかし同時に何をか憎む事や否定する事はないのだ
それでもすべてに対する愛情はいや増しに増すのである
今そのように世界が動いている事は間違いない
これは魂として今此処に在る私たちそのものが動かしている課程である
自分の真価を問う莫大なチャンスと言えるのだ
ジョンレノンとオノヨーコの共作である
「イマジン」
そこに謳われた歌詞には
現状を打開し世界を作り替えていく力が本当に在った
宗教に対する批判だとした抗議活動が全くの見せかけであることは
後のイラク侵略支持者の中核に位置した
彼らの思惑をわずかにも覗けば理解出来る事と思う
私は今こそこの「イマジン」の歌詞を人々が真実と見定め
それを実際に行動に移すべきだと知る
楽観や歓喜に湧く人々
自ら大地に立つその恩恵を体全体で表現し
常に充足感にて肺を清々しさに満たして笑う
満たされた感情はただ見知らぬ他者に迄投影する
己の心の赦すままに人を愛し人を赦し
社会悪を必要悪と愛し赦していくと云う事を
怖れ無く己を信じるがままに
他者と手を取り合いつつがなく
本来のあるべき健やかな生活を取り戻していく
何不自由の無い完全な愛の似姿に生まれ変わっていく
以上
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