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催眠
僕は人と人を繋ぐ絆は「愛情」と「恐怖」だと考えている。信頼はその一方もしくは両方に基づいて生まれる。会社に勤めている人は、首になるのが怖いから、金のなくなるのが怖いから、奥さんに見捨てられるのが怖いから働いているなら「恐怖」が絆になっている。仕事にやりがいがあるから、社会に対して責任を果たしたいから、友達と一緒にいるのが楽しいから、上司が信頼できるから働いているなら「愛情」が絆になっている。さて、イル・ミーの世界では「恐怖」が人と人を繋ぐ絆の大部分だ。しかし、人間と言うのは弱い生き物で、「恐怖」だけだとやがて疲弊してくる。辞めたら殺されると知っていても、もう辞めたいっと思ってしまう。それでは組織が立たないから、「催眠」というものがある。僕は用語に厳密じゃない。ゆるくて覚める可能性があれば催眠、深く入っていて覚めないものは洗脳と呼んでいる。今は両方を「催眠」と呼ぼう。「催眠」こそイル・ミーの社会を繋ぐのりであり、催眠状態では人は半分寝ているような状態になっている。イル・ミーはこの催眠技術を用いて「愛情」を構成員に注ぎ込む。悪魔の社会に愛情なんてないのに、構成員たちは夢の世界で愛情を胸に抱いている。上の構成員から見て「愛情」の夢から覚めていないような奴は所詮使い捨てのコマだ。アメリカのボスがせっせと密告ゲームでラボメイトの幸せを壊していたのは、悪魔の精鋭部隊を作るために各人にとって将来邪魔になる要素を消していた訳だ。ところで、悪党はお互いに憎みあっているから本来その力は一つにまとまることがない。悪党のいない社会なんて夢だろうが、彼らはいがみ合っているから疲弊して、結果社会から公正さが消えることがない。ところが催眠というものがあるために、悪党たちが悪魔崇拝という一本の軸にまとまってしまう。イル・ミー大連合が出来てしまう。社会の公正さがゼロになりうる。あぁ、何故人間は太古の昔から催眠という要素を持っているんだろう。ポリネシアの原住民は、成人になるとお祭りの夜部族儀礼に招かれ、そこで魔物に扮した人々に死ぬほど怖い思いをさせられ、割礼を授かり部族の神話を教えられて一人前の男となる。こうした催眠儀式は、農耕民族よりも遊牧民族の結束を高めるために利用されて来たのだろう。
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