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より
以下転載
[656]福島本部活動日誌です17 投稿者:吉見おさむ 投稿日:2011-08-16 12:25:05
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年8月8日の日誌です。
台所を掃除してくれたのはKさんでした。大変有難うございました。
朝6時に起きたら、床にスーツで寝ていました。
朝ごはんは、Kさんから頂いたスイカだけでした。
Fさん、Hさん、Iさんが朝に電車で帰りました。
大変お世話になりました。
午前10時20分にNさんが来ました。
10時30分に先生が駅から帰ってきました。
パン、おにぎり、いなり寿司、豆腐を買ってきました。
午前11時に外に調査に出発しました。事務所の車とNさんの車に分乗して、10人でした。
まず、南相馬市の石神第一小学校に行きました。
Hさんが炊き出しの時に拠点にしていた所です。
半分に減ったとはいえ、まだまだ避難民の方が残っていました。
昼食は、南相馬市の検問所近くの食堂でとりました。冷やし中華を頼む人が多かったです。
私は味噌ラーメンでした。600円とメニューの中では安かったからです。
昼食を食べ終わった後、原町の検問所に記念撮影にいきました。やはり先生が警備の警察官を言い負かしました。
「お前達は木と一緒なんだぞ。邪魔するな」と言っていました。・・・その方が、警察官にとってもいいのではないかと思いました。
原町の海岸に行きました。まだまだ撤去はすすんでいませんでした。
飯館村に行きました。
空気中が5μSv/hで、地面が45μSv/hでした。
以前にIさんが行った時よりも、地面の積算量が少し減っていました。7月8日時点では、地面は50μSv/hでした。
帰る途中、飯館村とかかれた石碑が、下3分の1ほどが草に隠れてしまっていました。
帰り道でIさんから電話がかかってきました。ずっと草刈りや看板設置の仕事をされていました。
大変有難うございました。
かわうちの湯にはいけませんでした。かわりに、10時に家の子供用プールに皆でお湯を溜めて入りました。
夕食は9時からでした。
Hさんにお酒を大量に飲まされて、あの世に旅立ちそうでした。
ダンディーで格好良いおじさまという最初のイメージは吹っ飛び、チョイ悪おやじを飛び越して、ウルトラ不良中年でした・・・。
有難うございました。ただ、私は2次元に行くまで死ねません。
どうか次の機会では、お手柔らかにお願いいたします。
泥酔した後、アルル先生に酷いセクシャルハラスメントをしてしまいました。
アルル先生すみません。散々な目に遭わせてしまいました。
酔っ払って泥酔した後、8月8日午前2時くらいにソファーで寝ていました。
歯医者の予約を10日に延期しなければなりませんでした。次は必ず行きます。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年8月9日の日誌です。
午前9時から朝食を食べました。
インスタントラーメンにもやしや豆苗やキャベツが入っていました。
昨日の夕食もそうだったのですが、Hさんの料理はとても美味しくて悔しいです・・・。
午前10時にKさんが来て、シャワーの増設について打ち合わせをしていました。
何から何まで本当にお世話になっています。
午後12時、先生も含め7人が帰りました。
先生が帰った直後、Yさんの奥様が尋ねてきました。
看板を見て「これより良いことはない」と言っていました。
午後1時に、会員ではないですが、Kさんという方が夫妻で尋ねてきました。
麦茶と来客用のゼリーを出しました。アルル先生が主に対応しました。
午後2時、疲労が限界までたまったので、ソファーに寝てしまいました。
Kさん、アルル先生、下仲さんは、かわうちの湯に行きました。
話によると、川内村の立派な温泉です。
私は疲れが溜まっていたので、ベッドで眠り続けていました。惜しいことをしました。
夕食は各自が適当に食べました。
私は3日前に余っていたご飯を気合で全部、アルル先生はカップラーメンとサトウのご飯を、下仲さんはラ王というカップラーメンを食べました。
最後になってしまいましたが、合宿に参加された皆様、大変お世話になりました。
一杯、御礼を申し上げなければならないことがあるのに、多すぎて書ききれません。
また、日誌に書き忘れたことも多々あります。
どうか、ご容赦ください。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年8月10日の日誌です。
今日からしばらく、下仲さんとアルル先生が福島にいます。
朝6時に起きて、ご飯をセットし、皿を洗いました。
朝食は、ご飯、肉、納豆、卵、でした。
洗濯物をし、布団を干し、風呂に入って体を洗いました。
今日は天気が良くてよかったです。
午前10時半に歯医者に行きました。正しい歯の磨き方のレクチャーを受けられて儲け物でした。
正午過ぎに、会員のIさんが来ました。
この前の講演会、金融講演会、ともに参加したそうです。
また、宮城に向かう途中で寄られたそうです。
Iさんには、ビール3本と麻婆豆腐、トマトとチーズのドレッシングがけを出しました。Iさんは2時半に検問所を見に行きました。今日は福井県警だと言っていました。
午後3時からひまわり畑に行って、鍬で表に出ている草を8分の1だけ刈り取りました。
効果があるかは疑問ですが、やらないよりはましだと思います。
同時に、岩風呂に使えそうな石のある場所を見て回ったのですが、草が生い茂っていて、川へ下りられそうな場所がなかなか見つかりませんでした。
午後5時半、工事現場から川に降りられました。
丸い石を集めたので、自転車の籠に2杯分しか集まりませんでした。
持ち帰るのも含めると、2時間半かかりました。
石は子供用プール側に置いてあります。
アルル先生が転倒して負傷しました。痛みが引かなければ、立川に戻らざるを得ない感じです。
その影響で、アルル先生は夕食を食べずに、ソファーで休んでいます。心配です。
副島先生の仰っていた通り、風呂の写真、看板の写真、集合写真を画像掲示板にうpしました。
宜しければご覧ください。
下仲さんと昨日、今日と話しているうちに、彼こそはthe last manそのものなのではないかと思うようになりました。
私はとても及びません。下仲さんこそは新世代の人間です。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年8月11日の日誌です。
朝起きて、燃えるごみを出しました。
昨日もプラスチックごみを出していたのですが、なんだか余裕がなく、日誌に書いていませんでした。
やっと普通の日々に、ある程度は戻れた感じです。
下仲さんの朝ごはんは桃でした。
アルル先生はお茶のペットボトルを朝食代わりにしました。足を冷やすための保冷剤もアルル先生の居る二階に持って行きました。
私は麦茶の残りでした。
男の食事なんてこんなもの、です。
アルル先生は足の痛みが引かないので、都路診療所に行こうかと言っていました。
その後にアルル先生は、明日も痛いようだったら診療所に行って、明後日も痛いなら帰るしかない、と方針転換しました。
朝の9時位に、コミケの前日設営で拍手がそろそろあがったころかなぁ、と遠い有明に思いを馳せました。
洗濯機でシーツを洗いました。
先日の講演会の資料を壁に画鋲で張りました。
途中で画鋲が足りなくなりましたので、amazonで注文しました。
もう一つ貼るように指示されている、アルル先生の今度出版されるグラビア本は、スペースが足りないので、悩んでいます。
午前10時50分、大家さんの奥様が車でいらして、お茶菓子のお礼を伝えに来ました。
奥様は「副島先生に宜しくお伝えください」と言ってすぐに帰りました。
ほとんどの時間で、アルル先生は2階で研究を、下仲さんは1階で「石川日本史B講義の実況中継」を読んでいます。
アルル先生は足を負傷しているので、ずっと2階で落ち着いているしかなさそうです。
夕食前に下仲さんが「今日は勉強したー、よかったー」と言っていました。
お二人とも福島で、はかどるのなら嬉しいです。
12時半、「福島88 や 40-62」のセメント車が、裏にある畑のそばで車を洗っていました。
問題はないとは思いますが、セメントの薄いわずかな分が、こちら側の地面に落ちていました。
昼食は、蕎麦を煮て、大根、ネギ、天かす、納豆で頂きました。
アルル先生は、カップ麺のどん兵衛の方がいいそうなので、2階の湯沸かし器でお湯を沸かしていました。
下仲さんが使う扇風機がamazonから届いたので、組み立てました。
2階にある扇風機より組み立てが明らかに簡単で、少し心配になりました。
明日に捨てるビンの分別をしました。ワイン類や日本酒はこれが面倒、且つ、難しいです。
午後4時に洗濯物の取り込みをしたのですが、シーツのたたみ方が下手で頭を抱えてしまいました。
午後5時から鍬を持って、ひまわり畑の雑草を駆除しました。
まだまだ残っていますが、手にマメができそうなので、暫く自重します。
ついでに工事現場を降りて、川で石を取りました。
アブと薮蚊が襲い掛かってきたので、昨日の3分の1ほどで切り上げました。
戻ってきて、体についた砂などを洗い流すために風呂に入って、体を洗いました。
その後に、負傷したアルル先生のお世話をしました。
夕食は、私は余りものの蕎麦を処分しました。下仲さんには、さとうのごはんになってしまいました。
すみません・・・。仰るとおり、明日は3人でみや古旅館にご飯を食べに行きます・・・。
他には、下仲さんがウインナーを茹でてくれました。
2階のアルル先生には、ウインナー、パイン缶、プリン、カルピスゼリーを持っていきました。
夜でしたが、洗濯機を回しました。タオルケットや枕カバーを洗濯したかったからです。
物を買わない、物を減らす、という方針でいるのに、どうしても物が増えてしまって、ストレスが溜まります。
自分が情けないです。
今日は一時帰宅は行われていませんでした。
8月8日〜10日まで行われていたので、物寂しい気分です。
また、その間は合宿だったので、写真を撮りにいけなかったのが悔しいです。
(転載終わり)
えと、この後、コミケ訪問があるのですが、・・・18番目で書くべきでしょうか?私にとっても、例のないコミケでしたが。
転載終了
驚きの吉見くん日誌である。
カルトの実態をまざまざと見せられた。
というのは副島氏の「アポロの月着陸はなかったろう論」がと学会で特別賞をもらったと子供のように手放しで喜んだことを福島事務所で一人でいた時に書き、私が気でもふれたのか?とさえ危惧した下仲くんがアルルくんと一緒に事務所に吉見君と逗留することとなっていたのである。
下仲くんは副島大師匠の作家生命(?)を賭して書いた本がと学会で表彰されて師匠の意にそぐわないことをしたと福島事務所をお役ごめんとなって、学問道場からも遁走したのではないか?という心配(?)さえされた人物である。
吉見くんには悪いが、下仲くんのほうが文章描写力があると思うのでこれからの日誌は下仲くんの方がよいのだが、それより是非アルル大先生に日誌を書いてほしい。
なお、アルル君の福島逗留についてであるが、副島氏がカルト版でしか投稿できなくなったため、欲求不満の副島信者か弟子がアルル氏の文章を持ち上げて政治版に乗せて持ち上げた。それで師匠の嫉妬を買ったのかもしれない。
その上にペリマリ様から指摘され、アルルはも100msv問題は関係ないと知らぬ存ぜぬを装ったのが師匠の怒りを買ったのかもしれない。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/473.html
のコメントで
OlLe4OHFNA様が
>アルルの意図的に2階で放射能を少しでも避けてカップラーメン三昧で福島の食物を避け、怪我をその行動を理由に東京に帰るという演技をしているように感じました。
指摘しているのは私も同感です。
「日本再占領」とかいう憂国の書を書いたアルル大先生だからこそ、福島事務所に長期逗留してその再占領の実態をじっくり観察して書くようにとの副島大師匠のお達しなのかもしれない。
アルルくんはそれに従うのか?まだ30代後半だろう?ガンだけでなく低線量被曝のぶらぶら病などの体調不良の危険性もあるぞ。いやいやホルミシス効果たっぷりで足の傷もすぐ癒えると師匠からは逗留を支持されるのではないだろうか?
いやいや、吉見くんはアルルくんにセクハラをしたそうだからただならぬ関係なのかもしれない。副島大先生は吉見くんを福島に逗留させたく、最近煙たくなってきたNo.2のアルルを厄介払いするつもりなのかもしれない。アメリカ事情は古村くんで十分だということか?
古村くんは吉見くんの秋葉ゲーム趣味は全く解らないらしいから。
アサヒ芸能ですら指摘し始めた事象だ。六城ラヂウムも福島に移転したら如何か?
>やはり先生が警備の警察官を言い負かしました。
「お前達は木と一緒なんだぞ。邪魔するな」と言っていました。
やはり副島氏は失礼な人間だな。これでは告訴などの行動はできまい。
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