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株式日記と経済展望
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なぜ欧米とイスラムは対立するのか? キリスト教が初期の時代において
非ギリシャ的であったからだ。原始キリスト教はギリシア文化を尊重しなかった。
2011年7月26日 火曜日
◆<ノルウェーテロ>動機は「イスラム侵略から守るため」 7月25日 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110725-00000139-mai-int
【オスロ斎藤義彦】ノルウェー連続テロ事件でテロなどの疑いで逮捕されたアンネシュ・ブレイビク容疑者(32)は25日、オスロ地裁に出廷、爆破テロと銃乱射の犯行を認めた一方、無罪を主張した。さらに「二つの細胞組織と協力して行った」と共犯がいることを主張した。警察当局は単独犯との見方を示していた。動機は「イスラム教徒の侵略からノルウェーと西欧を守るため」で、移民導入を進めた労働党の「将来の党員募集を阻害するため」に、若者を殺したと説明した。(後略)
◆特別企画・文明の衝突11「マホメットの深謀遠慮?」
http://www2m.biglobe.ne.jp/~shotaro/no385.html
蒙古人は、武力でこそアラブ人を征服したものの、旧来の宗教を捨ててイスラム教に入信した。その他の征服者もこれと同じだ。
武力における征服者は、たちまち、宗教における被征服者に変身したのである(ローマだって、文化的にはギリシャに征服されちまった)。
「コーラン」は、アラビア語によって記され、それ以外の言語で訳すことは許されない。他国語のコーランは「コーラン」とはみなされない。コーランの読唱は、アラビア語でなされなければならない。イスラムの聖地は、アラブの世界にある。地球上のイスラム教徒は、究極的には、アラブにある聖地への巡礼が望まれる。
イスラム教は、世界宗教になった後でも、優れたアラブ的宗教なのである。アラブ人はいくたびとなく外国人の支配を受けたが、征服者を教化してイスラム教に入信せしめた。宗教的には「アラブ化」したことである。征服者も大アラブ共同体の一員となり、イスラム教の命ずるところに従ってアラブ人のごとく生きる。支配者も、アラブ人に連帯せしめられたから、彼らに対する聖戦コンプレックスを育成せしめる契機とはならない。ただ、唯一の例外を除いてだ!
それがヨーロッパのキリスト教徒である。
十字軍としてアラブへ攻めてきたヨーロッパ人は、めくるめくほどの高いアラブ文明に驚き、急いで輸入に努めはした。しかし、イスラム教に改宗しようとはしなかった。嗚呼、なんとおろかな、アラーを冒涜する者達だろうか!十字軍の記憶は、大きな後遺症として、アラブ人の無意識の底にわだかまったのだ。
アラブの名誉のために、いま少し筆を進めたいのだが時間が来たので今度にするが、とにかくいま少し、アラブの誇りが何かを白日の下に知らしめたいと思う。01/10/18/14:00
[特別企画その12] /welcome:
ヨーロッパ人の古典は、ギリシャ・ローマである、と日本人も欧米人も、このように思いこんでしまっている。が、ちょっと待った。それには違いないが、中間項を忘れてもらちゃ困る。その中間に位置するのがアラブなのである。
ギリシャ・ローマの高い文化。直接にヨーロッパに再生したものだとも限らない。たいがいがアラブ経由で渡来されたのである。
西ローマ帝国が解体されたとき、その文化的遺産の本質部分は、ゲルマン人ではなく、サラセン帝国によって継承された。キリスト教徒は、本質的には反ギリシア的であったから(イエスがガリラヤ湖畔においての説教をしているときは、少なくともギリシャ哲学など意識していなかったであろう。その後、ヘレニズム世界を往来するうちにギリシャ思想の影響を大きく受けるようになった)ギリシャ文明の吸収にあまり熱心ではなかった。
西ローマ帝国の没落は、軍事的にはゲルマン人の手によるが、ローマ帝国の文化的遺産を相続するにはそれほどの努力はしていない。その理由のひとつは、軍事征服者たるゲルマン人があまり野蛮すぎた事であるが、もう一つ大事なのがキリスト教が初期の時代において非ギリシャ的であった、ということである。いずれにせよ、初期キリスト教(原始キリスト教であれ、ローマ・カトリックであれ)はギリシア思想を尊重しなかった。
ヨーロッパのキリスト教が棄ててかえりみなかった作業、ギリシャ文化の継承。このうえもなく貴重な作業をやり遂げたのがアラブ人であった。
それはきっとマホメットが大変学問を重んじていたからだろう(彼自身は無学と言われておるが)。この点キリスト教的センスとは正反対である。西暦8世紀に始められたギリシア文化の継承の仕事は、わずか一世紀足らずのあいだに、みるべき成果をあげた。
アリストテレスからプラトンにいたるまで、偉大なるギリシア人達の業績は、アラブ帝国に集められた。これらの業績の中には、医学、自然科学などもほとんど網羅されていた。アラブ人はこれらの著作をアラビア語に翻訳したのである。
アラブ帝国には文化の黄金時代が開花し、アラビア語は世界の学術語となった。また、教育を普及し文字の読めない人はほとんどいなくなった。中世においては類をみないといっていい。
アラブとヨーロッパの文化落差が大きいので、志のあるヨーロッパ人はアラブに学んでヨーロッパ文明を開化した。
医学、天文学から始まって、化粧品、薬品にいたるまで(蒸留酒もそうだよ)、ヨーロッパ人が珍重するものはことごとくアラブから入ってきている。ヨーロッパ人が、アラブの文化のあまりにも高いに気付き、アラブ文献の本格的ラテン語訳に着手することになったのが、ようやく11世紀なのである。
これほど欧米人は、イスラム教徒のアラブ人から絶大な文化的恩恵うけた。それをすっかり忘れてしまっている。それらの憤懣やるかたなき心的傾向に加え、十字軍コンプレックスが加わるとき、アラブ・イスラム教徒の聖戦志向はは否が応でも高まるのである。
上述したとおり、イスラム圏とは拡大されたアラブある。聖戦運動は、アラブ以外の世界においても、ヨーロッパ帝国主義相手に激しく戦われる。しかし、激しく戦われた聖戦の努力はすべからく水泡に帰した。近代ヨーロッパ帝国主義の力はあまりにも強く、イスラム教徒の聖戦も、結局、勝利することはできなかった。
第一次大戦の頃までには、中近東は、完全なヨーロッパ帝国諸国の支配下に入ってしまった。いつの日か、対ヨーロッパ聖戦を起こして、帝国主義諸国を駆逐せん、これがイスラム教徒の積年の宿題、なのだろうか・・・・・・。
そして思うのは、もう鎖国もできない我が国の行く末・・・否が応でも、そのアラブ世界と不倶戴天の敵である最たる国、アメリカの行く末に大きく大きく関わるのを、我々は肝に銘じなくてはならない。
(私のコメント)
ノルウェイのの連続テロ事件は、非常に根の深い問題であり、昨日も書いたようにアメリカではキリスト教原理主義勢力が拡大してきて、いわゆる福音派キリスト教は6000万人以上もの勢力になっています。聖書に書かれた事が真実であり絶対とするのであるならば、そのキリスト教が反ギリシャ・ローマ文化的であるのも当然なのだろう。聖書からはアリストテレスの哲学の影響は見られない。
ギリシャ・ローマ文明と言うように、古代ローマ帝国のバックボーンはギリシャ文化であり、ローマ皇帝たちはアリストテレスやソクラテスやプラトンの哲学などを勉強していた。マルクス・アウレリウス帝は「自省録」などの著書もあるギリシャ哲学者でもあった。キリスト教はこのようなローマ帝国に抵抗するための宗教であり、反ギリシャ哲学的であることは不自然なことではない。
神様が7日間で宇宙を作ったと言うことなど、アリストテレスなどの科学者から見れば卒倒するような事であり、聖書そのものが反ギリシャ文明的であることは当然のことなのだ。だからローマ帝国においてキリスト教が国教になるにつれてローマ帝国が衰退していくことは必然であり、古代ギリシャ文明はローマから東方のイスラム圏へと伝えられた。
ヨーロッパの中世は原始キリスト教の全盛期であり、ギリシャ・ローマ文化とは無縁の社会だった。イスラム教のコーランがアラビア語に限定されていたように、キリスト教の聖書もラテン語に限定されていた。ラテン語を読み書きできる人は限られた牧師などの一部の人に限られていて、当時のゲルマン人は野蛮な未開人であり読み書きも出来なかった。
ギリシャ哲学をラテン語に翻訳することは非常に困難であり、同時にアラビア語に翻訳することも困難であった。しかし、先に翻訳に成功したのはアラブ人であり非常に高い文明を誇った。それに対してヨーロッパでは聖地奪還運動が起きて十字軍が形成されて遠征したが、当時のイスラム諸国の高い文明にヨーロッパ人は驚いた。
このことからも西欧が正当な古代ギリシャローマ文化の継承者でないことが分かりますが、欧米の歴史教科書では西欧はギリシャローマ文化の継承者として書かれている。結果的に十字軍遠征の失敗は古代ギリシャ文化の見直しにつながり、アラビア語で書かれた文献がラテン語に翻訳されて西欧にも伝えられるようになった。
この事からも原始キリスト教がギリシャ文化をブロックしてしまったことが分かりますが、キリスト教が原理主義化していくと反ギリシャ反イスラム化するのは当然のことだ。ルネサンス以降初めて聖書などもラテン語からドイツ語や英語に翻訳されるようになりましたが、聖書を翻訳することはドイツ語や英語を高度に進化させた。
古代ギリシャの哲学、科学、医学がシリア語を経由してアラビア語に訳されたように、12世紀以降にスペインにおいてラテン語への翻訳されるようになり、ラテン語が学術用語として西欧の国際語になった。やがてラテン語からドイツ語やフランス語や英語などに翻訳されて古代ギリシャ文明が逆輸入される形になった。西欧のキリスト教が、いかにギリシャ文化を拒否したかの証明になった出来事ですが、それがキリスト教原理主義が復活すれば、宇宙が神によって7日間で作られる事の復活にもなる。
ノルウェイの連続テロ犯もキリスト教原理主義者を名乗っていますが、反イスラム的になるのはキリスト教が原理主義的になれば反イスラム反ギリシャ文化になるのは歴史的な背景がある。キリスト教世界から見れば、イスラム世界から伝えられたアリストテレスの科学や哲学は悪魔の科学であり、聖書に書かれた7日で神が世界を作ったとする世界観とは相反する。
キリスト教原理主義が過激化すると十字軍的になり、今回のようなテロが起きたのだろう。テロ国家であるアメリカもブッシュ大統領が十字軍を名乗ってイラクに攻め込みましたが、アメリカもキリスト教原理主義が大統領を動かすほどになっている。キリスト教そのものがローマ帝国への抵抗運動から生まれたように、ローマ帝国がキリスト教化すれば滅びるのが当然だ。
東ローマ帝国が1000年以上も存続できたのは、キリスト教を国教としながらもギリシャ語を国語としてギリシャ文化も継承してきたからだ。ギリシャ文化がアラブ諸国に伝えられたのも東ローマ帝国があったからであり、科学技術もイスラムに伝わった。十字軍の遠征もキリスト教国の東ローマ帝国を救う目的もあったのですが、十字軍はアラブ人から見れば野蛮人の集まりだった。
昨日も書いたように近代工業文明に適応するためにはモラルの高さがなければならない。氾濫する麻薬や飲酒やエイズの蔓延は工業文明がもたらすストレスに耐えられなくなっているためであり、人々はその癒しを宗教に求めるようになる。そして熱心な宗教信者は原理主義化して聖書を神の預言とするようになる。これはギリシャ哲学とは相容れない世界であり、第W文明は混乱の瀬戸際にある。
ヨーロッパのキリスト教は世俗化しているのですが、イスラム圏からの移民の増大は一部のキリスト教徒を過激化させる。ネオナチも一種の選民思想ですが聖書に書かれた、人間(白人)は神によって作られたものであり、有色人種は人間の出来損ないと言う選民思想を聖書は正当化する。神が人間を創ったのだから完全でなければならず、完全な人間とは白人を指すらしい。神が地球を創ったのだから地球は宇宙の中心になければならず地動説は否定される。
ノルウェイ人の犯人のアンネシュ・ブレイビク容疑者は「イスラム教徒の侵略からノルウェーと西欧を守るため」と称してテロを行ないましたが、このような思想は中世の十字軍のものだ。ナチスのユダヤ人虐殺も原始キリスト教の選民思想に根源があるのですが、アメリカにおいても黒人奴隷の正当化に使われた。もちろん正当なキリスト教ではこのような事は言っていないのですが、一部のキリスト教徒では白人のキリスト教徒が神に選ばれた人々と言うことになる。
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