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出典副島隆彦学問道場重掲より
http://www.snsi.jp/bbs/page/1/
転載開始
[632]福島本部活動日誌です9 投稿者:吉見おさむ 投稿日:2011-07-14 03:25:20
以下に、MLに投稿した内容を転載します。
(転載始め)
2011年7月7日の日誌です。
午前2時にパトカーが行き交っていて、ランプで起こされました。
証拠としてカメラを一枚屋内のガラス越しに撮ったところ、パトカーが停車してこちらを見ていました。
起床後、朝食を作りました。キャベツと人参を炒めて、そこにインスタントラーメンを入れました。
また、ここ4日は緑茶でなく麦茶を作って冷やしています。
暫く客人は来ず、徒労に終わっていました。
ですが、今日はKさんが来ました。
Kさんが、設置するシャワーの下見をしてくれました。
Kさんと車で、放置されていた大量の処分に困るゴミ(古い蛍光管、車のマフラー、オーディオ機器、ダンボール)を船引清掃センターに捨てに行きました。
大変有難うございました。
マフラーについて「本来は産廃なんだけど、同じ田村市民だから特別に処理します」と言ってもらえました。
意外と田村市の行政サービスは柔軟でありがたいです。
以前にも行った、川内村の蕎麦屋に行きました。ここで思いがけないことがありました。
ここのお店で、富岡タマの飼い主の一家が手伝いをしていました。
「じっとしていても仕方ないので知り合いであるここのお店で、お手伝いをさせてもらっている」とのことです。
み〜こもそこらへんで寝てる、と言っていました。タマを・・・見てみたかったです。
蕎麦屋のご主人は、川内村の議員さんです。困った人に手を差し出せる、立派な人だと思います。
話の途中で「川内のEさんはいいEさん、富岡のEさんはお金持ってるEさん」という話になりました。
あとで車内でKさんが、「川内村の村長は、いい村長だと思う。○○のときに〇〇くらしいけど」と言っていました。
川内村役場に寄りました。役場近くはかなり民家に車があったので、人が戻っていると思われます。
川内の湯という入浴施設は、まだ再開していないそうですが、シャワーは浴びれるようです。
川内村の役場内には0.09μSvという電光掲示板が一番目立つところに置いてありました。
5,6人くらいが掃除をしていました。役場で緊急雇用をして、役場の掃除をしてもらっているそうです。
『すべては村民のために!クレームはラッキーコール』という標語が大きく、目立つところに貼ってありました。
掃除をしている一人から話を聞けました。
話を聞いた人はブログをやっていて「0.09という数字が示す通り、もう安全なんだ。だから貴方達も発信してくれ」と言っていました。
また「人が戻ってこないのは、また爆発が起きると思ってるから。俺が話した記者の2割も、また爆発が起きると言っていたよ」とも言っていました。
たくましい人でした。「役人はここまで活動的じゃないから、おそらくこの人も緊急雇用の人」とKさんがいっていました。
車の中でKさんから
「折角中国から一人オタクが来るのだから、何かできないだろうか」
「馬鹿じゃないと村おこしなんてできない」
「水道局で塾かヤクザかと思われたのなら、本当に塾かヤクザになってしまったらどうか」
「原発関連グルメ本とかどうだろうか」
等のアイディアを頂きました。
午後2時半にケーズデンキの荷物が到着し、遂に洗濯機が使えるようになりました。
設置時にホースの長さが足りないと言われたのですが、設置員が帰った後に向きを変えたら、繋げられました。
設置場所は適当な所がなかったので、外になってしまいました。また、物干し竿も購入しました。
Kさんは午後3時に帰りました。
午後5時に288号線を、富岡町と書かれたバスが帰っていきました。
気になったので、古道体育館に行ってみたのですが、今日はここからの一時帰宅は行われていませんでした。
おそらく、川内小や富岡高分校でも一時帰宅が行われていて、その帰りだったのだと思います。
午後5時半に都路中学校に行きました。途中の階段がかなり損傷していました。
中学校は下水を流せるように、ビニールシートと土嚢で突貫工事をしていました。
この辺りには、小学校と中学校はあっても、高校はありません。
一方で川内村には、一つは分校ですが、高校が二つあります。
改めて川内村は立派だと思いました。
午後6時にみや古旅館の近くのお寺に行きました。このあたりは寺前といいます。
鐘の上の屋根が壊れて、ビニールシートが3分の1だけかかっていました。
ここのお寺の人はずっと避難せずに、朝夕の鐘を鳴らし続けていたと話に聞きました。
近くの個人商店で買ったピーマンですが、特大サイズ八個入りで75円でした。
福島県産ということで売れないのでしょうか。
福島民報にしていた申し込みの返事が来ました。7月9日から届く予定です。
隣の庭匠さんの家の大型犬が駐車場にやってきて、糞をしていきました。
すぐに庭匠さんが塵取りと箒を持って回収に来ました。
市の放送によると、7月5日は0.46μSv、7月6日は0.48μSv、7月7日は0.44μSvでした。
二週間前はだいたい0.55μSvほどでした。
ただ、福島本部の入り口を開けていることが多くなったので、室内が高くなりました。
以前は0.28μSv前後だったのが、今は0.32μSv前後です。
2階の油汚れをもう少し取りました。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年7月8日の日誌です。
朝起きて、ビンのごみを捨てに行きました。
検問所の前に黄色い防護服を着た4人が、車を留めていました。
トイレ、台所、テーブルの上にあったタオルを洗濯しました。
古道小学校を見に行きました。今日は、ここからは一時立ち入りは行われていませんでした。
途中の、288号線と399号線が交差するところが、一時的に通行止めになっていました。
看板によると、川内村グラウンドから一時立ち入りが行われているようです。
アルル先生から電話を貰いました。生協で食品を購入したらどうか、と言われました。
午前11時前にIさんが来ました。
会員ではないと言っていましたが、副島先生へのお手紙を持って来ました。
福岡からいらした方です。2日ほど避難所生活もしていた方です。
Iさんのレンタカーで、原町市の渋佐海岸を見に行きました。
途中の道路はかなり復旧されていましたが、所々、大きな工事が必要と思われるところがありました。
途中で飯館村の地面をガイガーカウンターで測定したところ、約50μSvでした。同じ地点で車内に戻って計ると、約5μSvでした。
渋佐海岸は以前と比べて、瓦礫の撤去が進んでいました。瓦礫を3種ほどに分けて分別し、それらをショベルカーを使ってダンプカーに積んでいました。
午後3時10分に事務所に戻った後、「バーナードマドフ事件」を差し上げました。
慌しく2階を案内した後、Iさんは午後3時20分に急いで帰りました。
郡山へレンタカーを返す時間が午後5時だったからです。
都路行政局に気温や気圧が表示されているのですが、ここは大体960hPaです。
また、周りの山が700〜900メートルと表示されていることを考えると、ここは300〜400メートルにあるのだと思っていました。
あとで大家さんのSaさんが、大体380メートルだと言っていました。
午後4時にKさんが来ました。洗濯機のホースを少し延長してくれました。
Kさんと一緒に、大家のSaさんご夫妻、やきとり天国のYさんご夫妻と、やきとり天国でお酒の席をご一緒しました。
Kaさんから事務所開きの際に貰った日本酒とツマミ類を持って行きました。Kaさん、有難うございました。
川内村の村長と大家さんが親戚だった、等のお伝えする情報があるはずなのですが、お酒のせいで頭に残っていません。
今日はKさんは2階に宿泊しています。
今回、色々なことが重なって、日誌が遅れてしまいました・・・。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年7月9日の日誌です。
朝、自分の衣服のタバコの臭いで目が覚めました。
今日から福島民報が届きました。
大きい部屋に軽く掃除機をかけました。
Kさんと郡山駅へ行きました。途中で静岡県警の護送車とすれ違いました。
郡山駅でNさん、Oさん、Zさんと合流しました。
郡山駅前は大きな街で、高校生も大勢いました。お店の店員さんも標準語でした。
避難所になっているビッグパレットに行きました。ここは0.10μSvでした。
元の駐輪場に洗濯機が置かれていました。また、屋外に自衛隊の特殊車両とともにお風呂が置かれていました。
ビッグパレットは警察官は2人いましたが、問題なく入っていけました。
入り口のところでは、おそらく高校の卓球部が試合をしていました。
子供もそれなりにいましたが、目立っていたのは高齢者でした。それでも、都路にはない活気がありました。
入ってすぐのところで、職員が大勢集まって会議を開いていました。その20分後に外で集合写真を撮っていました。
漫画が揃えられた即席の図書館がありました。
入って左のホールに行政機能が集まってまとめられていました。
Kさんが係員に、県の借り上げ住宅について質問していました。
5人以上ならば9万円、5人以下ならば6万円の補助が、最長2年間出るそうです。
Kさんは、いい商売になる、と言っていました。
大きなホールに作られた避難所には、意外と空きがありました。
ところが通路の多くの所にも、ダンボールで自製した避難所がありました。
広さやプライベートの問題で、大きなホールに集まっているのは辛いことなのだろうと想像しました。
いずれのところにも、毛布と飲料用のペットボトル、漫画などが置いてありました。
ビッグパレットにある川内村の出張所に行きました。仮設住宅と同じプレハブ小屋の様な建物です。
ここは川内村の村長が来て、寝泊りしていたそうです。また、川内村のE村長は、新潟に逃れた避難民も、後で一人ずつ全員を訪ねて歩いたそうです。
Oさんが、Yさんとともに20キロ圏内に一緒に入りたい件について問い合わせました。
国の管轄であり、国に問い合わせて欲しい、というもどかしい返答がされました。
次にNさんが避難状況を問い合わせました。ビッグパレットに残っているのは、川内村16人、富岡町約500人でした。
この差は、まだ富岡町に仮設住宅ができていないことによるものだそうです。
ビッグパレット隣の仮設住宅に行きました。見たところ8割方入居していました。
普通に洗濯物が干してあり、エアコンの室外機が回っていました。
福島本部でSさん、それからSさんのお知り合いのITさん、Iさんと合流しました。
川内村の蕎麦屋に行きました。今日は富岡タマを呼んでくれて、少しだけ頭と背中を撫でられました。
私も写真を撮りましたが、小さいです。アップの写真はOさんが持っています。
8人全員でせいろの大盛りを頂きました。
蕎麦屋のご主人に話を聞けました。
ビッグパレットへの入居について、阪神大震災の被災者がこれからのことを心配している、と言っていました。
ただ、お年寄りにとっては、友達ができるので良いかもしれない、とも言っていました。
慰謝料を2万円増やすために、避難所から帰らない住民も多いそうです。
国は今でも30キロ圏内は自主避難を求めている、とも強調していました。
そして、郡山にも放射線量の原則からいけば避難しなければならない所があるのに、なぜ20キロで一律に区切るのか、国は中途半端だ、と憤っていました。
それでも、商工会をと通して、せめて地方に散っていく川内村の若い住民に、川内村という名前を一時的にでも思い出して貰えるような仕組みを今作っているそうです。
中国からの留学生であるZさんに対して、冗談とはいえ、中国の土地買占めに過敏に反応していました。
ただ、中国人の研修生はとても真剣に努力するので、尊敬していました。川内村でも4人の元研修生が、結婚して住んでいたそうです。
帰りの車のなかでNさんとOさんが、「廃棄物処理場の情報は入っていないんだ」と言っていました。
蕎麦屋からの帰り道で、一時帰宅のバスが続けて三台すれ違いました。
搭乗者は細菌防護服を着ていました。
事務所に戻った後に、Oさんからお茶と紅茶を、Zさんからウイスキーとその他日用品を貰いました。
Oさんから「何が事務所に足りないのかわからないから迷ってしまって・・・」と言われました。
仰るとおりで、何が事務所に足りないのか、何を多く必要としているのか、まだわからない状態です。
Sさんが、「土壌の変化計測をやってみよう」という題で、実験をしました。
Zさんが同じ条件にするための突っ込みをしていました。
正直、よくわかりませんでした。
みや古旅館に午後7時に行きました。
まずシャワーを浴びました。
一度ZさんのPCを取りに事務所に戻ったのですが、その際にITさんが車を出してくれました。
みや古旅館で午後8時半に夕食を頂きました。
ご飯と、刺身、かれいの煮付け、フライとキャベツ、冷やしうどん、よくわからない和え物、よくわからない肉とご飯の練り物、でした。
ご飯を残してはいけないと思って食べ過ぎました。ビールも悪酔いしてしまいましたが、一杯だけ飲んでしまいました。
みや古旅館の食事は、地味に美味しいです。若者言葉を使えば「フツーに美味い」です。
吃驚するような美味しさを求める人には余り向かない食事でもあります。
(転載終わり)
(転載始め)
2011年7月10日の日誌です。
Zさんは午前2時まで文章をノートパソコンで書いていました。
私は寝てしまいました。
午前8時にみや古旅館で朝食を頂きました。
ご飯と、鮭、納豆、卵、明太子、あさりの味噌汁、ハム、レタス、トマトでした。
昨日ご飯を食べ切ってしまっていたからか、恐ろしいほど大量のご飯がでてきました。
中国の「食事の際は一口残すのがマナー」というものの良さが少しだけわかりました。
余ったご飯でおにぎりを作って事務所に持ち帰りたかったです。
帰る前にひまわりを植えた田んぼを見に行きました。
ヒマワリはどれなのか、ITさんに教えてもらいました。
以前に石井さんが直播きをしたところが線になって密集して生えていました。
事務所に戻って石井さんに画像を送信しました。
KさんとNさんが、事務所後ろの畑の脇にヒマワリを植えました。私も少し手伝いました。
裏側に水を撒くホースでシャワーが出ることがわかりました。つまり、水浴びは可能です。
ここはホースが捩れていたことにより、水があまり出ないと勘違いしていました。
そのため、余計なホースを一本買ってしまいました。
Zさんが防護服を着ました。記念撮影をしました。
昨日に電話で「今福島か?じゃあ長居は無用だ」といっていた彼のお父さんが聞いたら、なんと思うのでしょうか。
Nさん、Zさん、Kさん、Sさん、ITさんは滝根山に行きました。
私も行きたかったのですが、日曜日は訪問する人がいる可能性が高いので、事務所で留守番していました。
午後2時半に戻ってきました。丁度雨が降り出していて、Zさんの洗濯物が少し濡れてしまいました。
11時くらいから無線LANが使えなくなりました。復旧しようと一時間頑張ったのですが、出来ずに一回諦めました。
午後3時にPCを見てみたら、なぜか復旧していました。原因がわかりません。
その後4時に再び接続できなくなりました。
現在、以前にNさんが設定した接続で繋いでいる状態です。
原因としては、3台のPCを一度に接続したこと、位しか考えられません。
12時過ぎに一時立ち入りのバスが3台検問所の方に向かいました。
今日は古道体育館のほうからマイクの音が少し聞こえてきましたので、一時帰宅が行われたのだと思いました。
午後4時半に6人全員で検問所のところに行きました。
「記念写真を撮りに来た」と警察官に説明しました。警察官は警察車両に戻って、無線でどこかに連絡していました。
問題なく撮影できました。他の担当者だったら、また違う対応をされたのかもしれません。
午後5時に原発から22キロの所で田植えをしているという人に会いに行きましたが、留守でした。
ただ、家の近くの水田に田植えがされ、堆肥も置いてありました。
午後5時半に川内村の蕎麦屋に行きました。富岡タマ(本名ミーコ)に会えました。
富岡タマ(本名ミーコ)が交通事故にあって死に掛けていた、など全然知りませんでした。
手で抱くのは上手くいきませんでしたが、暫く撫でていられました。後で写真を見せてもらいましたが、自分は気持ち悪い顔をしていました。
ご主人が商品券は金融庁も取り締まれないとか、とても興味深い話をされていたようでしたが、私は富岡タマ(本名ミーコ)を撫でるのに必死で、全然頭に入りませんでした。
至福の時間でした。猫を撫でられたのは、おそらく8年ぶりくらいでした。
車が入ってきてしまい、富岡タマ(本名ミーコ)はそれを避けるかたちで、もといた家屋の方に帰っていってしまいました・・・。
せいろの大盛りを頂きました。富岡タマ(本名ミーコ)の喪失感で味があまりわかりませんでした。
そばつゆをそのまま飲んでいたような気がします。もう少し辛目のつゆの方が好きです。
午後6時20分にKさん、Nさん、Zさん、Sさん、ITさんが、電車の都合などで一斉に帰りました。
お世話になりました。
午後7時に古道体育館に行ってみました。
マスコミ関係者へのインフォメーションボードに、
「7月10日 双葉111世帯/198人 大熊町106世帯/168人」
と書いてありました。やはり今日は一時立ち入りが行われていました。
(転載終わり)
Iさま、先生へのお手紙等は、必ず今日お渡しします。諸事情ありまして、お渡しするのが遅くなってしまいました。申し訳ございません。
7月9日、10日にご一緒しました皆様、楽しいお時間を有難うございました。
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以上転載終了
吉見くんは下仲くんと違い福島事務所の状況を淡々と書いており、苦手な家事に悪戦苦闘しているようすが印象的であった。また、訪問者や支援者の人たちのと交流を中心に書いているのも印象的であった。
ところが富岡タマ(本名ミーコ)に出会った7月10日から寂寥感が出現している。
そろそろ吉見くんも限界なのではなかろうか。
訪問者の人たちが外出するのに一人留守番しなければいけないことなど、とうとう下仲くん同様さみしいよーと訴えている様子だ。
ガイガーカウンターでみると結構線量が高いところもあり正直恐怖もあるのではないかと思う。
しかも吉見くんは喫煙者である。発癌のリスクは高い。(どうも下戸みたいだけど)
彼の寂寥感が出現しているところを抜粋
>Nさん、Zさん、Kさん、Sさん、ITさんは滝根山に行きました。
私も行きたかったのですが、日曜日は訪問する人がいる可能性が高いので、事務所で留守番していました。
午後2時半に戻ってきました。丁度雨が降り出していて、Zさんの洗濯物が少し濡れてしまいました。
一人取り残される吉見くんの寂寥感が漂って哀愁をさそいます。
しかもその後PCが無線LANに繋がらなくなって外界との情報も一時遮断。
さぞかし辛かったでしょう。
>午後5時半に川内村の蕎麦屋に行きました。富岡タマ(本名ミーコ)に会えました。
富岡タマ(本名ミーコ)が交通事故にあって死に掛けていた、など全然知りませんでした。
手で抱くのは上手くいきませんでしたが、暫く撫でていられました。後で写真を見せてもらいましたが、自分は気持ち悪い顔をしていました。
ご主人が商品券は金融庁も取り締まれないとか、とても興味深い話をされていたようでしたが、私は富岡タマ(本名ミーコ)を撫でるのに必死で、全然頭に入りませんでした。
吉見くんは富岡タマ(本名ミーコ)に夢中。現地の人たちを取材して現実を直視しろ、真実を暴けというグールー副島の教義を忘れ、蕎麦屋のご主人の言っていることすら頭に入らないくらい、動物との接触で癒されようとしています。男おいどん的に下仲くんより強がって感情を出さずに書いてきた吉見くん。どんどん感情が出現してきて共感を得やすい文章になってきています。
>至福の時間でした。猫を撫でられたのは、おそらく8年ぶりくらいでした。
車が入ってきてしまい、富岡タマ(本名ミーコ)はそれを避けるかたちで、もといた家屋の方に帰っていってしまいました・・・。
せいろの大盛りを頂きました。富岡タマ(本名ミーコ)の喪失感で味があまりわかりませんでした。
うん、うん吉見くんよっぽど寂しかったんだね。たとえ周囲の人々が優しく接してくれても一人福島事務所(道場)に一人ぼっちじゃあね。ミーコが慰めてくれたんだ。
蕎麦屋のご主人は吉見くんに話も聞いてもらえず。味までわからなくなっちゃったなんて蕎麦屋のご主人も踏んだりけったりだ。
>そばつゆをそのまま飲んでいたような気がします。もう少し辛目のつゆの方が好きです。
蕎麦屋のご主人側から見れば味さえケチつけられてまたまた踏んだり蹴ったりであるが、そこまでケチをつけるくらい感情が発露してきたんだね。たまにはいいよ。今までの文章を続けていたらストレスがたまってしょうがないだろう。
だけど、吉見くん、今後グールー副島のように感情的すぎる、エキセントリックな文章は福島から遁走できても書かないでくれよ。
>蕎麦屋からの帰り道で、一時帰宅のバスが続けて三台すれ違いました。
搭乗者は細菌防護服を着ていました。
ところでこれ本当ですか?細菌防護服?放射線防護服ではないのですか?
さあ、みんなかわいそうな吉見くんを応援しよう!
しかし、グールー副島は弟子を放射能の恐怖と孤独の中に打ち捨てていくとは鬼だね。
しかも吉見くんは喫煙者の下仲くんよりおそらく年上の弟子だよ。発癌のリスクが高いんじゃないの?
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