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(回答先: 陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記 その1 投稿者 BRIAN ENO 日時 2011 年 7 月 11 日 10:21:32)
ワンワールド薩摩派の初代総長で前宮内次官の吉井友実が24年4月22日に長逝、薩摩派は名実共に二代総長・高島鞆之助の時代に入る。5月6日、山県有朋が内閣を投げ出し、松方正義が第一次内閣を組閣するや、第四師団長高鳥鞆之助が大山巌に替わり陸軍大臣に就く。海軍大臣はその1年前に西郷従道に替わり樺山資紀が就いていた。参謀本部では、総裁に有栖川宮熾仁親王を仰ぐも、実質は参謀次長・川上操六(23年6月中将進級)が取り仕切っていた。いずれもワンワールド薩摩派の中枢で、高島が総長、樺山が副長、川上も副長格であるが、なかでも首相に就いた松方はロスチャイルド直参で日本金融総帥として別格であった。正に陸軍・海軍・参謀本部・金融財政と国家権力の主要部をワンワールド薩摩派が握ったのだが、面々はすべて吉薗ギンヅルの知己で、上原勇作応援団のメンバーであった。上原は恐ろしいほど順調に登竜門を登ったのである。
軍拡予算を急務とする松方第一次内閣は、民力涵養を叫ぶ民党の攻撃に反撃するため25年2月議会を解散し、総選挙に打って出た。これは閣内強硬派の高島陸相・樺山海相の主導で、松方首相も同心であった。
彼らが軍拡に固執したのは本人の国防上の信念であるが、根底には英国ワンワールドの意思があったことを見逃してはならない。
ロシアとのグレート・ゲームを優位に進めるために、日本をして朝鮮半島と台湾島を確保せしむる戦略を薩摩派に実行せしめたのは、玄洋社を看板にした杉山茂丸以外にない。
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