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続・ソエジ&吉田裕二&高橋五郎によるゴールドウオリアーズ珍解釈
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/348.html
投稿者 ペリマリ 日時 2011 年 7 月 08 日 17:34:20: wYkwR80YgQReU
 

さて『松方正義が日本のドンである』という時、何が問題なのだろうか?

一、松方はドンではない

二、松方がドンにされることによって重要な真実が粉飾される


私が吉田裕二の『松方ドン説』を読んだ時に感じた違和感はこの二点である。


手品には観衆の注目を別のところに集めることによって、タネを見破られないようにするテクニックがある。LEGACY OF ASHES管理人様によると、アジェンダ完遂までガス抜きをする役目を果たすのが、アイクやベンなどのバランサーだという。いわゆる回し者である。そしてご褒美をもらって役目に励む彼らと違って、副島隆彦は操り人形だという。第二次対戦前後のソ連は、ホワイトハウスの中枢に驚くべきスパイ網を築いていたが、大統領夫人エレノアのように無自覚に協力する人物を「ボレスニ・イデイオト(役に立つマヌケ)」と呼んだ。副島隆彦はさしずめこの「ボレスニ・イデイオト」あたりであるとして、弟子の吉田裕二が「松方がドンである」という時どのような手品のタネが韜晦されるのだろうか?


例えば副島は属国の原因を橋本・クリントン共同宣言に求める手口によって真の原因をすり替えてた。高橋五郎も『黄金侍たち』(Gold Worriors)のドンを吉田裕二に倣って松方とした。日銀を創設した松方こそ日本のドンであり、日銀の出自を知れば真犯人が見えてくるという。日銀は明治維新を樹立した『サムライ軍団』の『秘芸』の産物であり、この伏魔殿を”別角度”から探れば、明治以来日本を破壊しつづけてきた真犯人が分るという。

高橋氏は、

「つまり、カネの力を信じることでのみ国家の存続はあり得ると確信した人々が全身全霊を込めて作り上げた日銀の生い立ちを見れば、戦争と「金の百合」が、本来勘定高いとは言えない天皇家や国民とは無関係だった事実、言い換えれば、仕組まれた近現代日本の実像が連鎖的に浮かんでくる。しかもドミノ式にだ」

という。

ここで件の「金の百合」について説明しておく。

高橋五郎『天皇の金塊』より以下抜粋する。
尚、『』内は高橋氏によるシーグレーブ夫妻の著書『ゴールドウオリアーズ』よりの引用である。


第3章 元凶「日本銀行」の呪い


●「王室皇室が専有すべき物(金の百合)の前に立ちはだかる者は誰一人ゆるさない」


なぜ「金の百合」と呼ぶのかー。
『命名者は強奪財宝の総合管理人である皇族軍人たち。キッカケは1937年の南京。そこで日本陸軍将兵とヤクザ者たちが、奪った財宝の横領(猫ババ)をはじめたことにある。当時、南京で管理を続けていた皇族の朝香宮中将は慌てて、秩父、竹田の両宮と相談、掠奪財宝の横領を防ぐために、その年、天皇家ゆかりの歌会始の御題「ゆり」の花をヒントに、「金の百合」と名付けて財宝を区別した。その時点から、天皇家所有の通称「金の百合」と呼ぶようになった。』作家シーグレーブたちは命名の由来をそう説明している。

戦争で強奪したこの「金の百合」を海外のジャーナリストたちは「ヒトラー(ナチス)財宝」に見立て、別名「ヒロヒト財宝」とか「山下財宝」(国内でもそう呼ばれている)などと名付けている。


註 

「ヒトラー(ナチス)財宝」というのは『ナチ・ゴールド』と呼ばれ、戦後CIAが猫ババした、ユダヤ人の血にまみれた「ナチ・ゴールド」は国家予算並みであったと、桜井春彦氏は指摘している。

『ーワシントン政府(情報機関)の高官たちは、回収した膨大な量の金塊財宝「金の百合」(天皇のゴールド)を秘密裡に運用した。世界の中央銀行も天皇ゴールドをロンダリング(洗浄)して運用に加担した。戦後日本との同盟維持や金融・経済の振興にとゴールド・マネーの運用益をつぎ込んだ。マネーの秘密活用はうしろめたい不透明な部分を増殖させた。

「金の百合」は日米両政府の実力者や世界の中央銀行との間の不正な共犯関係を増殖させた。贈収賄、汚職、着服などだ。不正は日米両政府と世界金融界との間でも今も密かにくり返されている。だのにそこに関与する彼らは、「金の百合」の記憶については、知らんぷりをして明かさない。


かれらの「壮大なる健忘症」のお蔭で、”天皇マネー”は汚れたカネとして戦後半世紀の間、意味不明の社会経済問題の元凶であり続けている。たとえば、日本では、南京事件の真偽、米日間の主従関係、従軍慰安婦、強制労働の賠償訴訟、靖国論争、政権政党と行政機構の不正、倫理欠如や制度疲労などが問題のタネであり続けている。それらの問題に解決方法は見えず、問題は蒸し返されるだけで止む気配はない。「金の百合」の存在と不正をいま明かさなければ、かつての戦争は終わったことにはなるまい。隠された「金の百合」の存在は、昔話ではない。現代の問題そのものだー。』


「天皇の金塊」=「金の百合」は、さらに世界秘密基金「黄金ファンド」の名前へと転称されていくわけだが、しかし、この「黄金ファンド」の最終的かつ象徴的な持ち主はイギリスのエリザベス二世女王陛下に辿り着くというのが私の解釈だ。エリザベス二世女王の原名は、日本式にいえば「ゆりこ=百合子」。英原語でいう「リリベット」だ。リリベットもエリザベスも「ゆり」の一名称。今もエリザベス女王は一族間ではリリベットと呼ばれている。英国王室の正装や建物、教会、それにアメリカ、ホワイトハウスの正面ゲートにも「ゆりの花」の意匠装飾が施されている。


桁外れの量の金塊を「生きたファンド」として通貨や債権に転換できる地は、世界金融界のゴールド・カルテルの本拠地である女王陛下のイギリスをおいてほかにない。全世界の金融カルテルを独占管理しているのはニューヨークのウオール街であり、そのウオール街を支配しているのはロンドンのシテイだ。

「ゆり」の花を掲げて金塊財宝から臣民の関与を排除しようとしたニッポンの宮家の軍人たち。彼らの命名意図の心中に観えるものは、「天皇の金塊」こと金の「ゆり」と、エリザベス二世女王の名前(リリー)の重なりだ。すなわち金塊財宝はとりもなおさず世界に君臨する特別な血脈を備えた者たちのみの独占物だとする自負が「ゆり」命名の根底には窺える。実際のところ今日の世界の金融経済は、「ゆりの花」つまり「黄金ファンド」のお蔭で動いている。

以上抜粋である。


『皇族軍人』が強奪財宝の総攬管理者であるが『天皇家は関与していない』という高橋氏の論理に戻る。


>「ゆり」の花を掲げて金塊財宝から臣民の関与を排除しようとしたニッポンの宮家の軍人たち。彼らの命名意図の心中に観えるものは、「天皇の金塊」こと金の「ゆり」と、エリザベス二世女王の名前(リリー)の重なりだ。すなわち金塊財宝はとりもなおさず世界に君臨する特別な血脈を備えた者たちのみの独占物だとする自負が「ゆり」命名の根底には窺える


この一節を象徴するのは昭和天皇その人ではないのか。
大元帥陛下として宮家の軍人の頂点に君臨していた昭和天皇、皇太子時代に英王室に歓待された日々が人生の花であるとの賜った昭和天皇、敗戦直後に英王室に東条への責任転嫁の手紙を書いて、変わらぬ忠誠を誓った昭和天皇その人ではないのだろうか。

英王室のガーター勲章授与から逃げ回った明治天皇、変な薬を飲まされ続けて判断力を失っていた大正天皇だったが、昭和天皇はついに三代目にして初めて自覚的にガーター勲章をもらった人なのである。

高橋氏は「金の百合」という強奪財産の命名者も総合管理者も『皇族軍人』であるという。ならばどうして『天皇家は無関係だった事実』と言えるのだろうか。『皇族軍人』の頂点に君臨するのは大元帥陛下昭和天皇その人である。皇族は天皇を含めて全員が軍人なるのが当時の習わしだったのだ。天皇本人が大元帥、直宮である秩父宮以下弟宮たち全員軍人である。

敗戦直後、昭和天皇がモーニングを着てマッカーサーと一緒に写真に写ったり、古びた背広を着て全国巡幸したり、生物学者として豪華本を出したりしたので忘れられたのかもしれないが、それまで彼は常住坐臥軍装していたのである。昭和天皇は帝国陸軍の軍服を日常的に着ていた大元帥陛下であり、正真正銘の『皇族軍人』である。


『皇族運人』が管理総攬したが、『天皇家は無関係だった事実』という高橋氏の主張は成立不可能である。


次に吉田裕二の小論から「明治日本のドンは松方正義である」論拠を拾ってみる。


『』内は吉田の小論からの引用である。


『大隈(大蔵卿)のもとで井上馨(大蔵大輔)、渋沢栄一(大蔵少丞)、陸奥宗光(租税正)、松方正義(租税権正)らが中心となって明治初期の財政改革を行うことになる』


『当時(1870年代)の日本の最高実力者は大隈だったのである。伊藤博文や井上馨も大隈の下で働いていた』


『大隈の後を襲って大蔵卿となったのは薩摩藩出身の松方正義である。松方は同時に最高位である参議にも昇進している』

この論理によると役職が最高実力者である論拠となっている。ならば最高実力者は天皇ではないのか。


『松方が中央銀行案を推進するのは、明治一〇年(一八七七年)に渡欧してフランス蔵相レオン・セーに会ってからである。ここに日本金融史上もっとも重大な決定がくだされたのである。』


『レオン・セーはロスチャイルド家の「使用人」であり、「番頭」なのである。ゆえに、レオン・セーの示唆によって日本に中央銀行を設立した松方正義は、フランスのロスチャイルド家に見込まれて日本に中央銀行設立案をたずさえて帰国し、権力の中枢についた人物であることが分るのである』

ロスチャイルド家に見込まれたのはひとり松方正義だけではない。
長州ファイヴの筆頭であり、グラバーの下男である伊藤博文の方がはるかに見込まれていた。彼は長州忍者部隊を率いて孝明天皇をシイ逆する、という汚い仕事の実行部隊長だったのだ。

『日銀の役割は、さきに述べたように不換紙幣、つまり政府紙幣および国立銀行紙幣の償却である。不換紙幣に代わって正貨(銀)兌換券である日本銀行券を流通させることが、松方率いる日銀の目的である。松方はそのために国立銀行条例を改正し、国立銀行から貨幣発行権を奪っている。これが日本の金融史上、重要なポイントである』


条例を改正したのが松方の頭脳と思惑であるという証拠はどこにもない。

『日銀を設立した松方正義は実質的な日本の最高実力者(ドン)となった。これ以後、日本国としての政策はすべて松方の意向通りに進むのである。明治後期の日本の政界といえば、紙幣にも印刷された”初代総理”伊藤博文が権力の座にいたと思われているが、松方のほうがいとうウよりも年齢が上であり、実は松方のほうが格上なのである』


『明治三五年(一九〇二年)一月に日英同盟が締結するとすぐに、松方はアメリカを経由してイギリスほか欧州七カ国へ赴く。日露戦争の準備のためである。』

そして吉田裕二は松方がイギリスで歓待を受け、アメリカでもドイツでもロシアでも国家元首全員と謁見していることをもって、『松方が「実質的な日本国王」であることを如実に示している』という。


「来賓として歓待され国家元首と拝謁すること=実質的な国王」という等式が成立するとすれば、「実質的な国王」は量産されるだろう。あのネルソン・ロックフェラーでさえ新婚旅行では立ち寄ったすべての国で貴賓客として出迎えられ元首と拝謁している。
ネルソンはアメリカの実質的な国王だろうか。所詮ロスチャイルドの代理人の一人ではないか。大統領の権限を左右したアヴェレル・ハリマンのようなザ・オーダーの一員ではない。ましてや実質国王ではありえない。松方も同様である。

『松方は、この政策を開始するにあたって、太政大臣三条実美と右大臣岩倉具視を引き連れて明治天皇に拝謁し、途中で政策の転換を行わないという保証をとっている。実質の「日本国王」である松方にとっては、明治天皇は傀儡にすぎないことがこれでわかる』

明治天皇はひとり松方正義だけの傀儡ではなかったはずだ。
彼は千代田城に入城したとき興奮して「うわ〜!お城って広いなあー」と走り回った。
以来西郷は睦仁を叱る時「言うことを聞かないと京都にお帰しますぞ、元の狭い内裏にお戻りさせますぞ」と言うようになったという。明治天皇はそうやって叱られていたのである。松方が明治天皇から言葉質を取ったくらいで、天皇は松方の傀儡である=松方は明治日本のドンである、という吉田の等式は短絡的すぎる過誤である。


高橋五郎氏は吉田裕二の「松方正義が明治日本のドン」を受けて次のように言う。


『日銀は天皇の地位をカネで操る幕末維新政府の顧問団たちとユダヤ金融商人たちの魂胆が実を結んだ産物だ』

『彼らの”意外性”が天皇家と国民に「金の百合」の罪をなすりつけている。それを隠すための偽りの歴史にものを言わせている』


本当に天皇家は罪をなすりつけられているのだろうか。なすりつけられているのは松方の方ではないだろうか。


吉田裕二はまた次ぎのように横浜正金銀行の重要性についても言及している。


『国立銀行と私立銀行から中央銀行である日本銀行が設立されるあいだに、横浜正金銀行の設立にすいて触れなければならない。横浜正金銀行は大隈重信のもとで明治一二年(一八七九年)に設立された。死蔵されている正貨(正金、ゴールド)を市中に動員して銀行紙幣との兌換を可能にし、不換紙幣を償却するのが目的である。このアイデアは大隈と福沢諭吉のあいだで生まれ、福沢門下の小泉信吉によって具体化された』


広瀬隆著『持丸長者 幕末維新編』にはこの福沢諭吉が松方正義と並んで詳説されている。何を詳説されているのか。両者の膨大な門閥・閨閥についてである。以下、松方正義と福沢諭吉の閨閥に関する箇所を抜粋する。

松方は明治の元老・元勲と呼ばれ、大蔵大臣時代に政府事業の安値払い下げによって財閥を肥やした経済政策で名高く、首相時代は無能政治家という評価が絶えないが、それは政治家としてのものである。松方が行った実業というものは、歴史上見当たらない。彼の資産は、横浜の豪商・原善三郎の七〇〇万円の四倍以上なのである。渋沢栄一が鴻池善右衛門と並んで全国第五位、資産四〇〇〇万円という金額は、その実業の成績から決して不自然ではない。五〇〇社を動かし、「私が私利私欲に走れば、三井も三菱も相手ではない」と言った人間としては、むしろ少なすぎるくらいだ。

しかし何ひとつ実業成績のない井上馨と山縣有朋と松方正義が、なぜ渋沢栄一と比肩されるほどの巨大資産家となったのだろうか。そしてなぜ歴史家はその資金の源を追及しないのであろうか。われわれ日本人は一体、歴史のどこを見てきたのであろうか。

以上抜粋。

井上馨は西郷隆盛から「三井の番頭」と蔑まれていた。
広瀬氏は山縣と松方は「三井の傀儡」としている。
吉田裕二が「日本のドン」だという松方は財閥の「傀儡」なのである。
「番頭」の井上より格下である。
政治家として無能という定評があった松方は、しかし持丸長者だった。
彼はどのようにして財閥の「傀儡」となり、巨額な資産を築いたのだろうか。
その『秘芸』を引き続き広瀬隆の同著より抜粋する。

以下抜粋。

薩摩出身で初代大蔵大臣と総理大臣を歴任し、生糸貿易のために横浜正金銀行を設立し、日本銀行を創設した明治の元勲は、持丸長者番付を見ると、明治四十一年の資産額で鹿児島県第1位だが、全国でも岩崎弥之助、住友吉左衛門、岩崎久弥、三井八郎右衛門、鴻池右衛門、渋沢栄一、大倉喜八郎に次いで第八位となった男だ。明治天皇に「子供が何人いるのか」と尋ねられて自分でも子供の数が分らず、「調べてから後日お伝えします」と答えたと伝えられ、子沢山だったことが松方の滑稽な逸話として語られることは多い。ところがこれは滑稽な話なのではなく、真剣な閨閥の賜物であった。子供の数が犬のように多く、少なくとも二十数人に達したことは、さしたる問題ではない。肝腎なのは、松方家の結婚相手に、その筋で名だたる一族が揃っていたことである。


○日本の生糸貿易の先駆者で横浜生糸会社会長の新井領一郎

○船成金三人男と呼ばれた山下汽船創業者の山下亀三郎

○川崎造船所(川崎重工業)創業者の川崎正蔵

○東京地下鉄道社長の野村龍太郎

○大阪商法会議所会頭として関西財界に君臨した五代友厚

○経営会社が十数社におよんだ関西実業界重鎮の松本重太郎

○三菱財閥二代目総帥の岩崎弥之助(弥太郎の弟)

○兵器商人から巨財を成した森村組社長の森村市左衛門

○鉄道庁長官として鉄道会に君臨した井上勝

○大日本印刷の前身となる秀英舎創業者の佐久間貞一

○群馬県第一の長者で日本屈指の織物豪商・堀越角次郎

○三井の大番頭として鐘淵紡績を差配した中上川彦次郎


といった当時の豪商代表者をざっと一ダースも「血族の松方コレクション」に集めて陳列し、自ら大蔵大臣と総理大臣をつとめるというのだから、これで財閥が生まれなければ不思議である。右に示した一ダースの大物は、それぞれがまた、一ダースずつの大物を自分の家族内の閨閥に形成した。


福沢諭吉は「門閥制度は親のかたき」といって主君の中津藩(大分県)に後足で泥をかけ、江戸幕府の制度を時代遅れとののしり、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言い、近代社会では人間はみな平等であると説いたが、自らは巨大な福沢閨閥をつくりあげた。


○幕末の蘭学者として筆頭に挙げられる緒方洪庵

○三井財閥大番頭から大蔵大臣・日銀総裁となった池田成彬(しげあき)

○安田財閥番頭から大蔵大臣・日銀総裁となった結城豊太郎

○鐘淵紡績社長の日比谷平左衛門

○鐘淵紡績社長の武藤山治

○三菱銀行頭取の加藤武男

○大日本精糖社長の藤山雷太

○日本鉄道会社を創設した小野義真

○三井の四天王で王子製紙会長の朝吹英二

○日本興業銀行総裁の志立鉄次郎

○電力王の福沢桃助(諭吉の女婿)


これら松方門閥・福沢門閥など、明治維新後に政治的・経済的に強力な勢力を形勢した集団の人間ひとりずつを調べてみると、大きな疑念が湧いてくる。彼らが薩長土肥という呼び名とは裏腹に、自分が育った地元をほとんど顧みない気風を示し、ひたすら中央集権志向であり、欧米志向である。すでに力と富のある地域にばかり目を向け、自らそこに居すわって、他人が築いた利権に与ろうとする、欲深い気風である。大都会に対する反骨精神が欠如し、徳川幕府の築いた江戸(東京)・大阪・尾張(名古屋)の一方的繁栄に対して何ひとつ維新をしていない。小栗上野介らが築いた繁栄路線をただ乗っ取ったにすぎない。

以上抜粋。

これが松方正義の『秘芸』である。
広瀬隆は松方、山縣、井上の薩長藩閥の連中と財閥商人のいずれが主導権を握っていたかについては次のように考察している。

以下抜粋。

三井、三菱、住友、安田、古河、大倉、浅野、川崎、藤田の財閥商人集団が、
露骨なほどの薩長による藩閥政府の目の色をうかがって言うがままに動かなければならなかったのは、明治の初期、ほんの二十年ほどの短い期間であった。

特に松方正義が大蔵卿に就任してから、官業払下げ(民営化)が次々と行われ・・・
政府が国民から巻き上げた莫大な資金を注ぎ込んだ官営物が驚くほどの安値でこれらの財閥の手に落ちて彼らを肥やしてしまった。

そのため明治時代後半には、むしろあべこべに、議会に帰属する政党政治家が、自ら進んで、財閥の利益を考えて動くようになり、政治力と民間の経済的権力が資本力に集中する時代となった。この薩長内閣自身が、すでに財閥の手の中で動いていたのである。
それは明治七年に日本に初めて誕生した政党というものが、いつしか財閥を通じて活動資金を手に入れるようになったからであった。


以上、広瀬隆著『持丸長者 幕末維新編』より抜粋。

吉田裕二の「松方が日本のドン」説が荒唐無稽であることがお分かりになられたことと思う。松方は日本のドンどころか三井の「傀儡」であり、三井の「番頭」の井上よりも格下なのである。

また吉田裕二は日銀の創設について触れたが、松方がそれをどのように活用したのかには触れていない。活用する能力が松方にあったとは思われない。


『横浜正金銀行はその後、日銀設立後は日銀の海外出先機関としての機能を果たすことになる。日本の海外進出が拡大するにつれて業務を拡大していったが、第二次大戦後に閉鎖され、東京銀行となった。現在の三菱東京UFJ銀行の母体行のひとつである』


『人事の面からも、横浜正金銀行の頭取から日銀の総裁という慣行があり、これが日本で最高の出世コースであった。』


これで終わりである。横浜正金から日銀頭取へというのが最高の出世コース。
だから何なんだ。ちゃんと活用して活躍してこそ日本のドンではないのか。


鬼塚英昭著『日本のいちばん醜い日』にはちゃんと活用して活躍した人物が登場する。


「日本銀行と横浜正金銀行を使って、天皇裕仁は国際金融同盟の一員として活躍するのである」とその活躍ぶりが描かれている。

昭和21年3月のGHQの調査結果によると、天皇家は唯一の発券銀行である日銀の株と、当時唯一の外国為替銀行だった横浜正金銀行の株の8割近くを所有していた。

以下に昭和天皇の活用と活躍の箇所を抜粋する。

アメリカは公式には日本への石油の輸出を禁止した。しかしアメリカ国籍の船、または日本国籍の船によるものが禁止されただけであった。あの太平洋戦争中も密ルートでアメリカの石油、重要な原料(タングステン、四塩化エチル等)が日本へ送られた。これが戦争の本当の姿なのだ。昭和天皇はこのからくりを知っていたが、近衛首相や木戸幸一内大臣に秘密にしていた。


あの国際赤十字のシステムは、戦傷者を救うためにつくられたのではない。国際金融同盟の連中が、商売(=戦争)をスムーズに長きにわたって続けるためにつくられたのである。太平洋の委任統治諸島で密かに石油や重要物資が日本の赤十字の船に移される。この船は攻撃できないという国際条約ができているので、安心して石油や重要物資を日本は購入できた。


では、あの大戦中、その莫大な支払い代金はどうしたのか、という問題が出てくる。この代金の主なものは、アジア支配の途中で掠奪した、金、銀、プラチナ等の貴金属である。その一部は日本に持ち帰り(赤十字のマークをつけた船で)、マルフクという金貨に鋳造する。これを現地に送り、食料等の必要物資の現地での購入にあてる。残りの金塊や宝石類は、スイスの国際決済銀行(BIS)に送る。ここで貴金属をドルまたはスイス・フランにし、迂回経路で必要物資の支払いにあてる。残ったドルやスイス・フランは、国際決済銀行か、同一系統のスイス国立銀行の秘密口座に入っていく。かくて戦争が長びけば長びくほどに天皇一族と、秘密裡に天皇一族を支えた財閥の資産は天文学的に増えていった。


近衛文麿首相は幾度も天皇に戦争の中止を訴えた。天皇一族は日清戦争、日露戦争を通じて多額の賠償金を得て、その一部をスイスの銀行に入れることで逆に彼らから弱みを握られた。

ルーズベルトは借金漬けで弱みを握られていた。チャーチルしかり。スターリンは過去の悪行のほぼ全データを握られ、彼ら国際資本家たちを”御主人様”とよんでいた。フルシチョフ元首相の『フルシチョフ回想録』にそのことが書かれている。

明治、大正と続く皇室のスキャンダルを彼らはすべて記録していた。スイスの秘密口座もスキャンダルのタネになり得た。ここに、近衛首相の忠告を無視して太平洋戦争に突入しなければならなかった日本の悲劇の源がある。

この国際決済銀行を舞台にして、戦争は続けられたのである。日本銀行と横浜正金銀行の大株主は天皇であった。天皇は、二人の役員(それ以外に事務員たちも)をこの国際決済銀行に送り、取引をさせていたのである。天皇の代理人の役員が金儲けに奔走する場面がハイアムの『国際金融同盟』の中に書かれている。


この面を考察しないから、私たちの日本史は欺瞞だらけのエセ日本史となっている。天皇とその一族は、三井、三菱、住友らの財閥と組んでマネー・ゲームをしていたのである。それゆえ、国際決済銀行に日本銀行と横浜正金銀行が参加したわけである。この銀行に加入していなければ、中国本土に攻め込む力さえなかったのである。

ひと度、この銀行組織に加入してから天皇とその一族は、国際金融のグループ、主としてロスチャイルド財閥の手の内に落ちていったのである。ドイツのアフリカでの敗北を見こして、日本の役員たちも、スイスという黒い貴族たちの巣窟でマネー・ゲームに興じ、天皇のために金を稼ぐのである。


戦争がいちばん金の儲かるゲームであることを天皇ヒロヒトほど知りつくした人物は日本にいなかったし、これからも登場しないであろう。

三井と三菱はペルシャから年毎に船を出し、アヘンを仕入れ、朝鮮に送った。それをアヘンかヘロインにして中国人に売りつけた。その金の大半は天皇と三井、三菱の懐に入った。

その一部で国際決済銀行を通じてアメリカから必要な軍需物資を仕入れた。戦争を長びかせるよう、国際決済銀行を実質的に支配する国際金融同盟が、天皇を指導したのだ。
天皇とその忠実な部下である東条英機首相は、戦争を長びかせることで天文学的な利益をあげた。


天皇も東条も、日本を終戦に持っていく気など全くなかった。私は国際金融同盟、すなわち、国際決済銀行に蠢動するいかがわしい連中と組んで、マネー・ゲームに天皇と東条もどっぷりと浸かっていたと見ている。

スターリング・シーグレーヴとペギー・シーグレーヴの夫妻が一九九九年に『ヤマト・ダイナステイ』を、続いて二〇〇三年に『ゴールド・ウオリアーズ』を出版した。この二冊の中で天皇家の財産に触れている。

私はこの二冊、特に後者を読み衝撃を受けた。この本の内容が真実であるのかどうか、どこまで信じていいのかどうか、迷っている。それで、本書の中には引用しないことにした。しかし、この本が世界中の多くの人々に読まれていることに日本人は目を向けなければならない。

この本を読み、私はとても悲しくなった。一部は真実であろうと思う。

日本人だけが、昭和天皇を「無私の人」と思っている。真実はまったく違う別人であったことは、ほぼ間違いのない事実である。


以上、鬼塚英昭著『日本のいちばん醜い日』より抜粋。

ニッポン・茶!茶!茶!

ソエジ・茶!茶!茶!

上原機関もロス茶茶!


by 島唄様


尚、前回ゆみこ嬢が挟まれている副島一派が「ガダラの豚」であるという啓示は、LEGACY管理人様よりいただきました。「商売繁盛金持ってこい!」の名フレーズはFmB0JlnSpg 様より拝借したものです。ありがとうございました。  

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コメント
 
01. 島唄 2011年7月08日 21:37:53: ZW97PFZHjT5Lg : SeEE2PBaSI
本文はまだ読んでないので、失礼・ご了承ください。

「アジア連邦」バカ杉山茂丸:

浄瑠璃の開祖である近松門左衛門の「曽根崎心中」が心中事件を題材にしていることを例に、茂丸は日本の文楽の基礎が死であったと述べる。そして「容易く死するの教育」を行うのが義太夫節に他ならないという。つまり此岸と彼岸を結ぶ死の哲学が茂丸の義太夫だった。日露戦争開戦当日に其日庵で吟じたのが「一谷搬軍記」だったと『浄瑠璃素人講釈』で書いているが、彼の並外れた会話術も、この義太夫節に帰着されるものである。更にまた戦争指導までも、それを通じて行っていたのだ。

http://2006530.blog69.fc2.com/category2-20.html

こいつも九州出身のボケなすです。


02. 島唄 2011年7月09日 07:34:04: ZW97PFZHjT5Lg : SeEE2PBaSI
本文読みました。

鬼塚先生の本は読み、理解するべきです。

まもなく天変地異がイルミナ・メ―ソン・シオニストによっておこります。(人食い人種・ユダヤ)

私は日本人です。日本人が大好きです。

眼をさませ、日本人。


03. 2011年7月09日 10:54:25: SeEE2PBaSI
ちなみに、九州出身のボケなす・売国奴どもは子供のころキリストかぶれのシスターなるものに洗脳されたボケが多いようです。

04. ペリマリ 2011年7月10日 07:24:23: wYkwR80YgQReU : g3Om0fTywQ
島唄様

あまりに傑作なので唄を使わせていただきました。
実に奥深い唄です。
ありがとうございます。

島唄様に同意です。
私も日本が好きです。
この国で生き抜くしかないと思います。

鬼塚氏が引用している歌を以下に転載します。


言うなかれ君よ

別れを世の常をまた生き死にを

海原はるけき果てに

熱き血を捧ぐる者のおおいなる胸を叩けよ

満月を杯に砕きて暫しただ酔いて勢えよ

吾等往く沖縄の空

君もまたこれにつづけ

この夕べ相離れまた生死相へだつとも

いつの日かまた万だの桜を共に見ん

言うなかれ君よ

別れを世の常をまた生き死にを

空と水うつすところ

悠々として雲は行き

雲は行けるを


西田高光

「訣別の歌」



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