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太田龍著『天皇破壊史』‐ダイジェスト‐
天皇ー。
この言葉は勿論、中国風漢字の表現であって、本来の「やまとことば」、
縄文日本原住民の言葉ではない。
天皇ーこれは音読み。そしてこの字に対する訓読みは存在しない。
天皇はともかくとして、「天皇陛下」という言葉を考えてみる。
「陛下」とは何のことか。これは純然たる中国風である。
「陛」とは階段のこと。つまり、階段の上に皇帝の玉座がある。
陛下とは、その階段の下との意味だが、
中国風、西洋風をごったまぜにした日本ではそれは、
天皇、皇后、皇太后、太皇太后に対する敬称だとされる。
このような呼称が、縄文日本原住民の伝統に由来する
「すめらみこと」とうまく折り合うのであろうか。
明治以降、天皇はエンペラーと英訳される。
しかしエンペラーとは何ものか。
それは古代ローマに由来する。それが中国式の名前を借りて「皇帝」と翻訳された。
ローマの「エンペラー」は軍団長、軍団の最高指揮官から発して、
何十人もの軍団長のなかの最も猛々しい、最も冷酷無比、大虐殺民族皆殺しを実行しうる
能力を証明した将軍がエンペラー、すなわちローマ軍最高司令官に推載される。
そんな仕組みである。
このような愚劣で低劣、悪逆無道なサタニストを、
縄文日本「すめらみこと」と一緒にすることが許されるのだろうか。
日本のすめらみことは、未だかつて、ローマ皇帝中国歴代皇帝のように、
軍の最高統帥権であったことはない。しかし、問題は別のところにある。
漱石が「馬鹿と自惚れと弘毅を兼ね備えた病人」と批判したその維新の元勲とは、
まさにこの伊藤を指す。彼は、初代内閣総理大臣であるのみならず、
明治二十二年に発布された大日本国帝国憲法制定の中心人物でもあった。
「大日本帝国憲法は万世一系の天皇、これを統治す。天皇は神聖にして侵すべからず」と記した・・・
しかしその伊藤自身が慶応二年(一八六六年)十二月、長州忍者部隊を率いて、
孝明天皇シイ逆の実行部隊の前線指揮を執ったという。
孝明天皇シイ逆の首謀勢力は、長州と岩倉、そして伊藤博文の指揮する長州忍者部隊、
さらに孝明天皇のお側近くで内通していた主犯は岩倉の妹、堀河紀子で、
間もなく岩倉らは証拠隠滅のために、堀河紀子を暗殺せしめたとも伝えられる。
伊藤の主導下で公布された明治大日本帝国憲法下、
初の総選挙によって第一次帝国議会(衆議院)が明治二十三年に選出された。
山蔭基央(やまかげもとひさ)の山蔭神道機関誌「己貴(めざめ)」によれば、
このとき心ある公家はその前途を、「今上帝は金帝であろう、しかし、その次の帝は銀帝、
その次は銅帝、その次は泥帝(どろてい)、そして五代目は哀帝(あいてい)」と占ったという。
これをその後の歴史に当てはめれば、明治天皇は金帝、大正天皇は銀帝、昭和天皇は銅帝、
平成天皇は泥帝となる。そしてその次は哀帝。つまるところ廃帝になると。
平成天皇は泥帝。泥帝とは泥舟。間もなく浸水して沈没する運命で平成の次の代で
日本の天皇制は消滅するという。現在の日本の世相そのものではないか。
この悲しむべき予測が公家によってなされたところが深刻だ。
京都に縁の深い公家たちは、維新の舞台裏、その真相を非常によく知っていたからである。
明治前半期までは幕末明治初年の史実は昨日のことのように生々しい現実で、
孝明天皇シイ逆事件の内幕など、当時の公家たちにとっては常識にすぎなかった。
しかし、このニセモノ日本の体制に流され、迎合していく人の心と魂は、
たちまちのうちに底なし腐敗の沼に引きずり込まれていく。
フリーメーソンについて最低の知識教養なしに、明治天皇と明治時代を語ることは無意味だ。
『フリーメーソン会員が第三十三階級に到達すると、その人物は如何なる悪事をも働く用意が
出来ている。殺人などごく些細な事件である。戦争と革命は、彼らの仕事の一部に過ぎない。
「神に敵対する戦争」及び「キリスト教に対する戦争」は第三十三階級のフリーメーソンの
秘密集会における、お気に入りの題目である』(ジョン・コールマン著『フリーメーソン再論』)
近代地政学の元祖を、日本人はドイツ人(ハウスホーファー)と錯覚させられているが、
元祖は大英帝国で、とりわけ英国東インド会社(BEIC)が地政学に秀でていた。
アダム・スミスが、この英国インド会社お抱え学者であったことを、日本人は全く知らされていない。
十九世紀半ば、インドが公式に英国女王を元首とする大英帝国の領土となり、それに伴い、
東インド会社が清算され、東インド会社「三百人評議会」を母体として、新たに極秘のうちに
「三百人委員会」が組織された。その移行に約五十年を費やし、おおむね一八九七年前後に
正式に新たな「三百人委員会」は発足したといわれている。(前掲書)
英国王室は「The Order」を維持している。
日本の天皇が、英国王から「ガーター勲章」を受け取るということは、この「Order」の
中に組み込まれることを意味する。この場合の「勲章」は「オーダー」であって「メダル」ではない。
つい最近まで日本人は誰ひとり、そのことに気づかなかった。私が平成四、五年、
ジョン・コールマン博士の『300人委員会』を手に入れて読破し、その重大性を知って、
日本の人々に紹介し始めるまでは。
大正天皇は、即位前も即位後も病弱であって印象は薄い。英国から見て、とりたてて功績と
いうのほどのこともない。にも拘わらず、英国が大正天皇にもガーター勲章を与えたという
ことは、「彼等」が日本の天皇、皇室を、代々世襲デガーター結社員あるいはガーター騎士団員
として認証し、取り込むことに成功したということを意味する。日本民族にとって、大正時代、
これ以上に重要な事件は一件もないと私には見える。
昭和天皇は、敗戦後かなり経過してから記者会見の場において、生涯を振り返って最も楽しかったのは、
大正十年、皇太子時代、英国を訪問し、英国王室から歓待されたという体験だとの主旨のことを
述べられた。昭和天皇のこの言ほど、日本民族や神国日本にとって、屈辱的なものはあり得ないと
私には思える。単なる恥辱に留まらない。それは、そのまま放置すれば、確実に神国日本の死に至る、
大量の猛毒が日本民族の体内に注入されてしまったことを意味する。
山本五十六が大正八年から昭和三年までの、二回の米国在勤中にフリーメーソンに入会したとの
仮説をとってみよう。それにしても、山本を米国フリーメーソン加盟に誘導した人物がいるはずだ。
それは誰なのか。浮上するのは松平恒雄なる人物である。旧会津藩主松平容保の六男、松平恒雄は、
駐米大使時代にフリーメーソンに入ったのか、それともその時すでにフリーメーソンだったのか。
『日本が戦争行為を企てていることの二次的な証拠は、東京駐在大使のジョセフ・グルー大使から
送られてきた。大使は密告者を皇室内部に潜入させたようだ。十一月五日、裕仁天皇を交えた
御前会議で米国および連合国との開戦が決定された』(ロバート・B・ステイネット「真珠湾の真実」)
米国は密告者を宮廷内部に潜入させていたとは真実か。
ステイネットは、脚註で匿名の密告者については、
”The Magic Background of Pearl Harbor”
(US Depertment of Defence US GPO)
第四巻N11から13ページの14項から17項参照としている。
極秘中の極秘、日本の国家最高機密会議内容を、その直後に敵国に通報するスパイ(密告者)が、
宮廷内部で活動していたというのが事実だとすれば・・・。皇居の中に敵米国が潜入させた密告者とは・・・。
昭和天皇との間に、明示的または暗黙の意思疎通がなされていたと仮定するほうが合理的だ。
註
グルーに機密情報を流していたのはヨハンセン・グループの首魁牧野伸顕と吉田茂である。
牧野は昭和天皇の父親的存在、吉田はその娘婿。
彼はヨゼフという洗礼名を持つカトリックシ信者で、イエズス会とも結ばれていた。
(鬼塚英昭著『日本のいちばん醜い日』より)
日本の国全体がそっくりそのままユダヤの諜報網の中にあったというのが事実としたら、
焦点は昭和天皇と皇居、宮中、天皇の腹心たちは、そのユダヤの諜報網の中にいたかどうかに移る。
これこそ日本民族にとって本筋の問題でなければならない。ガーター勲章とガーター騎士段が、
ここで想起される。
明治天皇は、日露戦争後まもなく、英国王エドワード七世カラ、ガーター勲章を授与され、
ガーター騎士団、またはガーター結社の中に組み込まれている。しかし明治天皇はそのことが
いやでたまらない。そしてそれから五年後に崩御された。大正天皇がガーター勲章を授与された
年月は分らないが、いずれにしても、大正天皇の心身の状態では、そのことの意味を十分理解して
判断するに至らなかったであろう。
昭和天皇はどうか。三代目にして、ついに英国ユダヤ・イルミナテイは、日本の皇室を決定的に
自覚的に取り込むことに成功した。大正十年(一九二一年)皇太子時代の英国訪問、そして
一九二九年(昭和四年)、昭和天皇に対してガーター勲章が与えられる。
草森伸一なる人物を私はよく知らない。書家、書道家というべきか。
しかし、単なる書家の域にはまる人でもなさそうだ。この書に深く内臓されているものを
読み解いていくと、このときすでに西郷の心において、「天皇=日本」の構図は崩壊して
いたと、草森論文は解する。
『わが忠誠は「日本」にこそあり、腐臣のたむろする皇室には反逆の剣を差し向ける
という意味に豹変している。天皇=日本の構図が西郷の中で崩壊しているのである。
愛するのはただ日本、皇室に対しては刃を向けようとしていたことになる』
(草森伸一『汗血の飛沫ー幕末の人と書 西郷隆盛』)
西郷隆盛は、明治維新第一の功臣であるのみならず、当時の日本におけるただ一人の
「陸軍大将」だ。その西郷が、「腐臣のたむろする皇室に反逆の剣を差し向ける」
「わが忠誠は『日本』にこそあり」と、すでに明治六年、意を決していたという。
これは、どうでもいいような歴史上の些事ではあり得ない。
『だが、その「天子」と皇族が、それを欺く政府の「姦謀」が、ともに相寄って
自ら国を亡ぼそうとしているとすれば、この事だけはどうしても赦すことができない』
(江藤淳『南州残影』)
昭和天皇は二度、陸軍と激突し、二度とも陸軍をねじ伏せ手勝利なされた。
一度目は既に述べた二・二六事件。このとき、米内、山本五十六を長とする海軍は、
昭和天皇を支え、陸軍との内戦を辞さずとの態度をとった。
そして二度目は、昭和二十年八月、ポツダム宣言受諾と降伏を阻止しようとする、
陸軍クーデターである。このときも、米内を長とする海軍首脳は、昭和天皇の側に立って
陸軍に対抗した。この成り行きは偶然だろうか。
註
二・二六も八・一五もヤラセのクーデターである。
前者の主謀者は昭和天皇と秩父宮、後者の主謀者は昭和天皇と三笠宮。
ヤラセであるが前者では実際に股肱の老臣たちが虐殺され、
後者では森近衛師団長が虐殺されたのでクーデターだと信じられている。
昭和天皇の庇護者・ヨハンセングループの首魁牧野は事前に逃げおおせている。
陸相阿南惟幾の自決はヤラセにリアル感を持たせるために要請されたものである。
阿南が自決間際に「米内を斬れ!」と叫んだ気持ちはそういう事情から忖度されたい。
(鬼塚英昭氏前掲書より)
ユダヤ・イルミナテイ三百人委員会世界権力は、昭和二十年八月十五日の敗戦後の日本を、
ちょうど、蜜蜂の群れのようにして、そっくり手に入れる琴に成功した。見事に成功したと
言うべきかもしれない。女王蜂=昭和天皇の身柄を彼等の手中に確保したのだから。
女王撥としての皇室を、彼等の目に見えない牢獄の奥まったところに収容したとすると、
一億の日本国国民は働き蜂よろしく、自動的にイルミナテイの監獄の中に安住した。
これが戦後五十余年の日本である。この巧みさ、その手回しの良さには、敵ながら感嘆してしまう。
ザビエル以来四百五十年、彼らは一日たりとも無駄には過ごしていない。理想的な「蜂の秩序」が、
敗戦後の日本に構築された。これこそイルミナテイが、二十一世紀に完成しようとする世界人間牧場
の雛形だろう。事態が彼等のこの筋書き通りに展開する確証もないが、しかし日本民族に関する限り、
本質の一面を捉えてはいる。
だがそこにそこに至るまでには二つの条件がある。一つは、日本の皇室が今後ともイルミナテイの
傀儡であり続ける、すなわちイルミナテイの手中の女王蜂として留まること。
もう一つは、さらにこのイルミナテイ三百人委員会のエージェントとしての皇室の正体が、
日本国民に知られないままであること、つまり、今後ともずっと半永久的に、少なくとも
日本民族が完全に滅亡してしまうまでは、日本国民がイルミナテイの仕掛けたこのからくりに
気づかないことが条件になる。
果たして、この二つの条件はこのまま満たされるのだろうか。
少なくとも私は皇室の正体を、すでに明確に白日のもとに曝け出している。
日本民族がやがて目覚め、イルミナテイの陰謀を木っ端微塵に砕く日が来ると私は信じている。
以上、太田龍『天皇破壊史』より順不同に抜粋しました。
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