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副島本読者(学問道場重掲より)からと五井野正氏(月刊ザ・フナイ)からのチェルノブイリ報告
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/236.html
投稿者 kanegon 日時 2011 年 5 月 29 日 13:44:09: xVuuIAvxG7FMM
 

出典 http://www.snsi.jp/bbs/page/1/
と月刊ザ・フナイ2011年5月号より

543]ウクライナの首都キエフからチェルノブイリの今。キエフ在住の読者からのメールを載せます 投稿者:副島隆彦 投稿日:2011-05-27 11:10:56

副島隆彦です。ウクライナの首都キエフ在住の読者からのメールを載せます。ウクライナの首都キエフから、チェルノブイリの今がわかります。よく読んでください。

-----Original Message-----
From: ***@***.com
Sent: Thursday, May 05, 2011 8:00 PM
To: snsi@mwb.biglobe.ne.jp
Subject: 真摯な心に敬意を表します(ウクライナのキエフ市より)

 初めてメールを差し上げる者です。
私は○田△子と申します。現在ウクライナのキエフ市に住んでおります。当地に住んで15年目になります。

 福島第一の事故以来、副島様のサイトを拝見するようになりました。福島のかたがたと痛みを分かち合う副島様の真摯な姿勢に深く共感するとともに、これについてまったく誰も発言しない、無関心を装う私の祖国の内情に大きな驚きを覚えています。

 当地ではチェルノブイリ原発での事故から25周年ということで、私もいろいろな新聞記事を読みました。しかし、私が見た範囲に限って申し上げれば、25年前に住み慣れた土地を強制的に追われた人々の当時の苦しみ、あるいは彼らが今どんな暮らしをしているのかということについて触れた記事は、ただの一つもありませんでした。

 唯一の例外は、先週地元の書店でやっと見つけた本です。著者は女性民俗学者で、チェルノブイリを含む周辺地域をフィールドワークした結果をまとめた内容なのですが、避難民のお年寄りを避難先に訪ね、当時の思いを聞き書きした文章もふくまれているのです。家族や祖先の記憶がしみこんだ土地を離れ、そこに永久に戻ってこられない、見ることさえかなわないということがどんなに恐ろしく悲しいことであるか。読みながら涙が出ました。

 この本によれば、プリピャチ( 副島隆彦注記:ウクライナの北部にある市。チェルノブイリ原発から4キロ離れた街だ )周辺の農村から避難させられたお年寄りは、今でも知らない土地に与えられた湿気の多い粗末な家に住み、ガスもなく、わずかな補償は最初のうちだけで後はなしのつぶて、肉親も知り合いもいない、という暮らしを送っています。15年ウクライナに住んでいる私も、今回関心を持ったがゆえに避難民のことを「思い出した」のであって、それ以前は彼らがどこにいて何をしているのか知ることもなく、知ろうとすらしなかったのです。

 私は仙台の出身なのですが、祖先が福島の出で、農家の知り合いも福島におります。彼は桃農家で、今年の出荷の見通しもないまま、黙々と果樹の世話をしています。
 今や私が上に書いたお年寄りの痛みを味わっています。福島を「なかった」ことにされるわけにはいかないと感じています。土地というのは私たちの記憶、よりどころであり、生活です。言葉に出来ないほど重いものなのだと思います。鉄条網で囲んで、あたかも存在しなかったかのごとくにしたり、あるいは逆に洗浄して「はい、これでクリーンになりましたよ。あなたのお子さんは安全ですね。よかったですね」などというものではないと感じるのです。このように言う人たちは、なぜあくまで物質的なレベルで考えることしか出来ないのか。私には理解出来ません。

 独白のような見苦しいメールをどうぞお許しください。日本から遠く離れてはおりますが、ご健勝をお祈りしています。最後にもう一度、副島様の自己を顧みない真摯な心に深く敬意を表します。

2011年5月5日 在キエフ市 ○田△子


ウクライナ国の キエフ市にお住まいの ○田△子さまへ

副島隆彦から

 早くにメールをいただいており ありがとうございます。
福島の原発事故のことに強い 関心をお持ちで、私の弟子たちが運営しています 学問道場のサイトをお読みくださいってありがとうございます。 地震・大津波、そして原発事故から2か月が経ちまして、大分、日本は落ち着いてきました。
 福島からの放射能漏れと広がりのことも、 一部の国民以外は、気にはなるけれども、目先の自分の仕事に追われて、テレビで見る程度で、それほどの関心を示さなくなりました。 被災地と血縁でつながる人たちは、友人、親戚を助けるために岩手、宮城を訪れるようです。 しかし、福島の 原発のそばには、この5月の連休にも、あまり人が近寄りません。

 住民たちでも、まだ、避難したままの人が多いです。とくに小さな子供たちや、小学生、中学生は、50キロ離れた学校に間借りして、そこの空いている 教室を貸してもらって、授業をやっています。30キロ圏内の 南相馬市は、小学校も、中学校も開いていません。 住民は 6割ぐらいは帰って来ているようです。 

 ○田さまがお住まいのキエフ市は、チェルノブイリから南に100キロのところであり、国の首都であり、ウクライナ民族の誇り高さでは、モスクワ(ロシア人)たちが、タタールの頸木(くびき)で、モンゴルに屈服して、モンゴルの言いなりになって繁栄したことへの反感 で成り立っている ウクライナ人 の 反ロシアの 民族感情が今も強いところだと、私は理解しています。自分たちウクライナ人が、この 東ヨーロッパ地帯の 本当の 中忍民族なのだ、という気持ちがあるのだろうと推察いたします。私はまだ行ったことがないので、遠くからの勝手な知識です。

 チェルノブイリの原発事故から25周年の 記念日が、4月26日に 、日本のフクシマ事故があったことで、ものすごく注目を集めたということだけは、日本でのニューズ報道で チェルノブイリの原発前での 式典の様子を チラリと見ましたので、それぐらいの理解しか私にはありません。

 チェルノブイリの事故で、果たして何千人の 作業員が、現場の封じ込め(石棺づくり)作業に参加して、5年後くらいから白血病や癌で死んだのか、私なりに調べましたが、 まず 「4000人の作業員 が 5年後ぐらいから発病して死んだ。決死隊で炉心に近づいて応急の 制御棒の挿入作業をやったのですぐに死んだ、急性の放射能障害の死者は、 26人と それから 16人である 」 という事実しか知りません。
作業員たちは、事故の後、現場で数年間働いていますから、きっともっと多くて、2万人ぐらいは、10年以内に発病して死んだのではないか、とう私は勝手に推測しています。  彼らの話は、探しても 表に出ません。

 米軍の兵士たちで、1950年代の ネバダ砂漠で ずっと続けた核実験 を 直接 並んで座らされて 爆発を 目撃して、被曝して光線や爆風を浴びて(遮蔽物もなく) そのために、 5年後、10年後に死去した 米兵たちの 放射能の人体(生体)への健康被害の資料(データ)も、私たちは、この フクシマ原発事故で大騒ぎしていた2か月間に、少しも出て来ません。 放射線医学の専門医たちも誰も 何も発表しません。
 それなのに、 彼ら、放射線医学の専門家たちの発言を、原子炉学者と同列に置いて、”御用学者”の焼印を押して、冷静に聞こうとしません。
「 放射能は、ほんのわずかでも危険だ、危険だ、非難しなければ」の 集団ヒステリーの、頭の悪い 人間たちの 狂騒(きょうそう)が、4月に入ってから、突如、起きまして、それへの 防戦で、私は、疲れ切りました。

 この 放射能恐怖の 集団ヒステリー を扇動した人間たちを、私は、一人ずつ摘発して、今から、筆誅を加えます。 
今の私、副島隆彦は、「体制派(保守)からも政府批判派(反体制)の 両方から 危険人物扱いされている」されて完全に無視されているのだそうです。 私は、そういう低劣な評価など全く気にしません。

 大事なことは、「どれぐらいの 放射能なら安全で、どの基準値(限界値、上限)を超えたら 人体に危険なのか、の冷静な議論である」はずなのです。 集団ヒステリー派は、あとしばらくは、この冷静さを取り戻さないでしょう。
 それでも、いくら東京も危ない、で 九州まで逃げて、熊本市の喫茶店に溜まっている、この扇動された,考えの足りない人々もお金がなくなれば、戻って来ます。  

 ○田さまがお書きの、ウクライナのプリチャピ市は、チェルノブイリから 10キロぐらいの町だったでしょうか。今はゴーストタウンになっているのか、それとも、コーカサス(チェチェンやグルジアなどのある地方)から戦争や内乱を逃れてきた農民たちが住んでいるのでしょうか。チェルノブイリ原発から30キロ圏は、今の 厳しい立ち入り制限があるのか、それとも割と 緩やかになって勝手に戻ってきている人々がいるのか、私たち には分かりません。

○田様。 出来ることなら、ご自身で、チェルノブイリまで行って、実情を観察して、本当のところは、今はこうなっていると、日本に居る私たちに、お伝えくださいませんでしょうか。そして、その報告文を、私たちの 学問土壌のサイトで 公表させてください。
それが、日本人を勇気づけます。真実だけが人間を 感動させ、そして、勇気づけます。 
 メールを いただきました御縁だけで、まことに勝手なお願いをいたします。 

 この 20キロ、30キロ圏の 強制避難、立ち入り禁止の問題は、現在、福島でものすごく重要な  喫緊の 焦点となっています。
チェルノブイリの 強制立ち退きと 30キロ圏の金網による完全封鎖 が、日本政府の フクシマ での 先例になってしまって、頭の固い 日本のバカ官僚たちが、その世界事例の 先例 に拘束されて、それで 、福島の避難住民を 地獄の苦しみに陥れています。

○田様。 どうか、私の希望を、福島の原発近くの 住民たちの 叫び声 の代理だとお考えくださいまして お聞きください。
どうせ ウクライナ国でも、普通のウクライナ人たちや、ウクライナ政府の役人たちでも、日本のフクシマの悲劇は知っていても、それに、チェルノブイリの 前例が どれほど重大に関わるかまでは、全く考えないでしょう。日本からの 原発担当役人たちが、応急でチェルノブイリの封鎖(立ち入り禁止)の様子の 現地視察をしに来ているでしょうから、その動きも、出来れば お伝えいただきたいです。

 勝手なお願いをして申し訳ありません。
遠く日本から、キエフに在住なさる 石田様に、今後とも「副島隆彦の学問道場」サイトを よろしくお願い申し上げます。更に ご連絡ください。

副島隆彦拝

-----Original Message-----
From: △ ko○da
Sent: Monday, May 16, 2011 10:22 PM
To: GZE03120@nifty.ne.jp
Subject: 現在のチェルノブイリに関する記事翻訳(キエフ市の石田より)

副島隆彦様

 こんにちは。1週間ほど前にサイト「学問道場」を通じてメールを差し上げた
キエフ市在住の○田△子です。

 心のこもったお返事、ありがとうございました。
このような熱心なお手紙を受け取るとは、正直思っておりませんでした。
たいへん感激しております。

 副島様から、「ぜひチェルノブイリへ行ってみてほしい」というご提案がありました。

実は、福島の事故が起こるかなり前から、プリピャチには行ってみたいものだと考えていたのですが、いまだに実現できないでいます。
プリピャチ市には誰でも行くことが出来ます。キエフから出ているツアーに参加するのが条件ですが、それがかなり高額だというのが理由です。

ただ、あくまで経済的な問題ですから、そのうちにひょんなきっかけで解決するかもしれません。その時には行って、自分の目で見てくることが出来るでしょう。
ただ、今のところは「必ず行きます」とはお約束できません。
副島様は大変真摯な方ですから、私もメールとはいえ、いい加減な口約束だけはしたくないのです。今ご期待に添えないのは残念ですが、どうぞこちらの事情をご理解ください。

そこで、いつになるか分からない私のプリピャチ訪問よりも、今ご提供できる情報のほうが有益かもしれないと考え、ある雑誌の記事で興味ぶかいものがありましたので、こちらを翻訳してお送りいたします。

”Vokrug sveta” という、ロシアの雑誌からの記事です。ナショナル・ジオグラフィックの ロシア版とでもいうような雑誌で、原文はロシア語です。
本文の図版もご覧いただけるよう、ページをデジカメで撮影したものを添付しました。

福島の方々にとってじかに参考になるかどうかは分かりませんが、些細であっても何がしかのヒントが得られましたら幸いです。

ところで、数年前、在ウクライナ日本大使館で働いていた日本女性が「プリピャチに行ってみた」と話をしてくれたことがあります。
その話の内容とは、

・プリピャチは現在無人である。人っ子一人いない。
・町全体が事故当時のまま。時間が止まったような感じ。
・日用品などは何も残っていない(略奪にあったから)

というようなものでした。
プリピャチには決まった「観光コース」のようなものがあり、それに沿って参加者を案内する、という風になっているのかなと私は想像しています。

 副島様が推測しておられるような、ロシアでの紛争を逃れてきた難民が住み着いている、
という事実は、少なくとも私は聞いたことがありません。
 プリピャチはまったく無人であり、自主的に戻ってきて住み着いている人々は、主にその周辺の廃村で、ほそぼそと自給自足の生活を送っているウクライナ人のお年寄りたちです。しかも、チェルノブイリで生まれ育った土着の人々であり、たとえばよその食い詰め者が流れてきて住み着いている、という話はないようです。
 ウクライナの農村生活は過酷で、手間ひま惜しまず働かなければ生きていけませんので、 いくらか生活の楽な都市部においてさえ生きて行けなくなった者が農村を、しかもライフラインすらないチェルノブイリをめざす、ということは、私の生活実感としてちょっと考えられません。
その土地に愛情があって、どうあってもよその土地で死ぬ気にはなれない…
そういう人たちがチェルノブイリに住んでいるのでしょう。

 ついでながら、チェチェンの難民について私が聞いたことがあるお話を書きます。
姑の甥っ子が、ドニエプロペトロフスク州のとある村に住んでいるのですが、彼が言うに、近くには「チェチェン人ばかりが住んでいる村」があるそうです。
 もちろんロシアから逃れてきた人々ですが、彼らはものすごくお金持ちで、家一軒にトラクター1台は当たり前(一般的なウクライナ人農民は手でたがやしています)、衛星テレビもちゃんとあるという具合だそうです。
どこからそんなお金を得ているのかは分からないそうですが、不幸な難民というイメージからは遠い、それは事実のようです。

 話をチェルノブイリに戻します。
副島様はメールで「これまでに蓄積されてきたはずの、放射能が人体に与える影響のデータは今回の事故でも全然出てこない」と指摘されていますが、私も同感です。
 ただ、私の疑問はもっと素朴で、たとえばウクライナには今でも毎年のように広島大学あたりから専門医がやって来て、チェルノブイリ被爆者の検査にあたっている「らしい」のに、なんでそういうお医者さんたちが福島のことでいろいろ言ってくれないのかな、というものなのですが。

 ウクライナ人にとっては、日本は頼りがいがある存在ということになっています。
広島・長崎の惨禍をくぐりぬけ、膨大なデータと経験を蓄積しているはずだから。
しかし、本当にそうなのか。これを考え始めると、不快になってきます。

 退避区域○○キロという問題についてですが、チェルノブイリでは30キロ圏内が一般立ち入り禁止になっています。
しかし、聞いた話によれば、これは厳密なものではないようです。
今現在は、定規で引いたように30キロ圏内を金網でおおっている、というわけではないそうです。
しかし、これ以上のことは残念ながら分かりません。

 退避区域内に住み着いている人の経験談として、ときどき民警(警察官)がやって来て 出て行くように説得しているという話も聞きました。
たぶん90年代半ばのことです。たぶん、上司に言われておざなりに来ているだけだったのではないかと思われます。今でも民警が訪問しているかどうかは不明です。

 私が読んだ新聞記事の中には、事故当日のキエフ市(原発から直線距離で120キロほど)の放射線量は
34マイクロシーベルト/毎時 だったと書かれてありました。風向きの関係で、大部分の放射性物質は北のベラルーシに流れた、というのは周知の事実です。
今、私がいる部屋の中は0.07です。外は0.10くらいでしょうか。
私の夫の職場には、事故当時キエフ市の小学生だったという同僚がおります。
「逃げられる人はみんな逃げていったけど、私たちはキエフに残った。がらんとしたキエフが印象的だった」
と、夫に話していたそうです。
私はこの人に会ったことがありませんが、子供もおり、健康で快活な方のようです。

 4月に地元で「チェルノブイリの25人」という写真展があり、見に行きました。
事故収拾作業にあたった人25人と、事故当日にキエフ市で生まれた人25人の顔写真とその言葉を展示したものです。
前者はすでに老人で、後者は若者たちです。

 若者たちは、特に健康被害もなく、今を楽しく生きるのに一生懸命という印象でした。
もと軍人であった老人の一人が 「放射能とは奇妙なものだ。ある者の命はすぐに奪い去る。また別の者はしばらくの間生かしておく」 という言葉を残していたのが印象的でした。

 さらに、複数の老人が、「チェルノブイリの事故はソ連崩壊を誘発するために仕組まれた人為的事故だった、と私は信じる」 と証言していました。

 内容にまとまりがなく、読みづらいメールで申し訳ありません。
私が見聞きしたことが、少々でもお役に立てましたらうれしく思います。
副島様にありましては、くれぐれもご自愛ください。

在キエフ市 ○田△子

________________________________________

さて、チェチェン難民が裕福などの理由はチェチェン人の主な職業は強盗団だからだそうです。(ちなみに北朝鮮の政府中枢はパルチザンという以前に馬賊という強盗集団だったそうです。)
だから、ロシア国内ではチェチェン人は他の民族にとって唾棄すべき民族であり、なにも難民扱いするは無いのです。
でも、弾圧したら強盗からテロ集団になってしまい、さしもの当時首相だったプーチンも手を焼いたということです。と、数年前宇野正美氏が言っていました。氏はロシアから元KGBの人間から情報を得ているそうです。まあ、参考までに、
>大事なことは、「どれぐらいの 放射能なら安全で、どの基準値(限界値、上限)を超えたら 人体に危険なのか、の冷静な議論である」はずなのです。

副島氏よ、そのセリフお前が言うか!お前のどの口から冷静な議論という言葉がでてくるのだ!冷静な議論もせず、学者の名前を出してそれを傘にして唯のプロパガンダをまき散らしていただけだろうが!福島でビラ配りをしていただろうが。誰が見ても安全な基準値というのは一般人には分からないのだ。この点だけは山下俊一教授の言っていることは正しいだろう。絶対危険な放射線量の値は分かっているのだ。

>○田様。 出来ることなら、ご自身で、チェルノブイリまで行って、実情を観察して、本当のところは、今はこうなっていると、日本に居る私たちに、お伝えくださいませんでしょうか。そして、その報告文を、私たちの 学問土壌のサイトで 公表させてください。

出た、他人を動かして自分に有利になる情報を引き出そうというセコイ考え。
以下に引用する月刊ザ・フナイに連載している五井野正氏に頭を下げたらチェルノブイリにいけるのではないのか?
自分で行け!

さて、チェルノブイリに関する情報は2006年時点の情報が2011年4月下旬には副島氏はあるていど知ることができたはずです。
というのは副島氏が執筆している連載『誰も書かない世の中の裏側』を掲載している月刊ザ・フナイに五井野正氏という人物が『芸術から科学へ』という連載をしています。
それに2011年5月号では2006年当時に五井野氏がチェルノブイリに訪問した様子が記載されています。
そのことを情報拡散しない副島氏は実は五井野氏の情報が自分に都合が悪いからです。
福島事務所に駐在させる弟子には特に都合が悪いでしょう。

以下五井野氏のチェルノブイリ訪問記を含む2011年月刊ザ・フナイ5月号の記事を引用します。

まず、五井野氏のプロフィールから。
五井野 正(ごいの ただし)
1950年(昭和25年)6月27日、新潟県上越市に生まれる。神奈川県立多摩高校卒業後、単身北欧に渡り、スウェーデンのストックホルム大学でスェーデン語を学ぶ。北欧滞在中に環境問題に関して大きなカルチャーショックを受ける。1973年(昭和48年)、富士山周辺に芸術村を設立。1974年、ウィッピー総合研究所を設立。1974年、ウィッピー総合研究所を設立。社会運動家、著述家、音楽家、画家として活躍。歌川派門人会 会長。
著書に『法華三部経体系総論』『七次元よりの使者』『新・七次元よりの使者』『平成貴族読心経』(以上すべて創栄出版刊)。画家として、歌川正国(うたがわ しょうこく)の雅号を持つ。ロシア国立芸術アカデミー名誉会員。スペイン王立薬学アカデミー会員。アルメニア国立科学アカデミー会員

科学から芸術へ
原発事故と放射能    五井野 正 (科学者・芸術家・ウィッピー総合研究所 所長)
(投稿者註:この文章は2011年4月3日に書かれたものです。)

実際はチェルノブイリに匹敵する福島原発事故

 前号(4月号)は原稿出稿を時間ギリギリまで延ばしてもらって3月12日に起きた福島原発爆発事故を記述しました。
 その後、『ザ・フナイ』の私の原稿や講演会で予測した通り、福島原発は炉心溶融して原子炉が破壊されるところまで進んでしまった。そして、史上最悪の事故となったチェルノブイリ原子炉事故と同じような最悪のケースに向かってしまったのである。
 と言えるのも、各地での放射線測定値をもとに、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネトワークシステム)で福島原発から1時間あがりの放射性ヨウ素の放出率を推定すると、原発事故発生直後の3月12日午前6時から3月24日午前0時までの放出量が3万〜11万テラベクレル(テラは1兆倍)になったという結果が出たからである。
この量は、この期間チュに、1歳児が1日中ずっと屋外にいたと仮定すると、放射性ヨウ素が甲状腺に取り込まれて健康に被害を受ける100ミリシーベルトの線量を超えてしまう地域として、南相馬市、飯館村、川俣町、浪江町、葛尾村、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、広野町の一部だけでなく、北西方向に約50Kmの福島県伊達市南部や、南南西方向に約40kmのいわき市の東部にまで大きく広がってしまうから、チェルノブイリ事故並みの被害の大きさと言えるからである。
 すると、チェルノブイリ事故の場合、子供の甲状腺ガンが5年後から急増していることからも、政府は今すぐにもこの区域に対して対策を講じなければならない。すなわち「ただちに健康を害するものではない」と言っていられる問題ではないのだ。
 さらに、国際原子力事象評価尺度(INES)では、チェルノブイリ原発事故のような「レベル7=深刻な事故」を数万テラベクレル以上の放出と定義しているので、福島原発の場合、既にこの時点でレベル7の深刻な事故と言えるだろう。
 実際に、福島原発事故の32年前の1979年に、米国ペンシルバニア州スリーマイル・アイランドにおいて、レベル5の原子炉の炉心溶融事故が起きたが、放出された総放射線量は250万キュリー(1キュリーは370億ベクレル)と計算されている。
 それに対して、今回の福島原発事故では放射線の放出が依然として継続しているために、全体の放射線量はまだ計算できないが米国の市民団体、エネルギー環境調査研究所(IEER)の計算によると3月28日までに大気中に放出されたヨウ素131だけでも、240万キュリーと推定されこれだけでも、スリーマイル島事故で放出されたヨウ素131だけに限ると、福島原発はスリーマイル島事故の放出量の14万倍というのである。
 と言うのも、スリーマイル島原子炉事故では炉心溶融はしたが、燃料棒が入った圧力容器までは破壊されずに済んだために、放射性ヨウ素や放射性セシウムが福島原発と比べてほとんど出なかったからである。
 ということは、福島原発は核燃料を入れている圧力容器が破損し、さらにそれを閉じ込める原子炉格納容器が破損し、さらにそれを閉じ込める原子炉格納容器も破損して、チェルノブイリ原子炉事故のように溶けた核燃料の一部が大気中に放出されたということになる。事実、原子力安全・保安委員会は3月15日に格納容器の一部が壊れた可能性があると発表している。
 さらに、スリーマイル島原子炉事故の場合、事故発生から冷温停止まで約3週間かかったが、福島原発の場合3週間近くたっても一向に状況は良くならず、見通しもたっていない。
 特に放射線セシウム137は半減期が30年と長く、人類にとって大きな影響があるが、今回、福島原発事故によって3月28日までに大気圏内に放出された量はIEERによると50万キュリー程と言われ、これは広島型原爆で発生した放射線量の約150倍に相当するから、レベル5のスリーマイル島原子炉事故との比ではないことがわかる。
 さらに、福島第一原発から北西40km(福祉県飯館村)の地点で3月20日に採取した土壌から、放射性ヨウ素131を1kgあたり117万ベクレル、放射性セシウム137も1kgあたり16万3千ベクレルが検出されている。1kgあたり16万3千ベクレルというのは1平方mあたりに換算すると、なんと326万ベクレルに相当するのである。
 チェルノブイリ事故では1平方mあたり55万ベクレル以上のセシウムが検出された地域は強制移住の対象となったから、その6倍近くの放射線が出た区域は当然の如く強制移住の対象となるはずだ。
 しかも、チェルノブイリの放射能放出は事故から10日ほどでおさまったのに、福島第一原発では未だに放射性物質が出続けており、日毎に放射線量が蓄積するために汚染度の高い地域はそれだけでもチェルノブイリ級の汚染地といってもいいだろう。
 そして、今まで述べてきたデータは誇張された数字ではなく大手新聞社の記事で公表された内容を要約したものであるから、実際にはもっと大きな数字になっている可能性がある。
 それにしても、日本国民は今回の福島原子炉事故のレベル5のスリーマイル島事故と同レベルの原子炉事故と思わされ、消防車の放水や電源の回復など、そういうニュースに関心がむけられて、事態の深刻さに気付いていないように感じ取れてしまう。
 その理由として、一般的に国家の非常時の時は国家や官僚、企業が情報操作して国民に正確な情報を伝えない、あるいは遅れて小刻みにして情報を出すものだから、日本もこの点に関して例外ではなかったから、と言えるであろう。

マスコミの報道から何が読み取れるか?

 仮に、土壌や水道水あるいは大気中に基準値を超える放射線量を計測したとしても、政府やマスコミに登場する学者達は、馬鹿の一つ覚えのように基準値を超えても「安全だ」「ただちに問題はない」と強調して、不安がる国民に対して同じような言葉の洗脳を繰り返すから、国民もそんなものなのかなと錯覚してしまう。それを良いことに、政府は何の真実の指摘も対策も示してこないでいられたのである。
この件に関して『日刊ゲンダイ』(4月2日号)は、
 元原子炉設計技師の田中光彦氏は、ネットや海外メディア向けの記者会見で「テレビに出てくる御用学者は真実を伝えていない。彼らは現場を知らないし、原発の知識もないのに『問題ない』『安全です』と根拠なき楽観論を繰り返すばかり。国営放送(NHK)の解説もヒドイものです。1号機の格納容器内の圧力が急上昇した時に『通常4気圧が8気圧になった』と言ってましたが、通常は1気圧なのです。4気圧までしか耐えられない設計になっている。それが8気圧になったということは僕からすれば異常事態で、すぐに格納容器の破裂を想像する。『心配ない』というのは虚偽報道で、罪深いと思います」と、報道している。さらに同紙『日刊ゲンダイ』は、大手マスコミの現状について、
 大手紙の社会部記者は「最悪の事態なんて書けない。リスクは最小限で報道するように上司から言われている」と話す。結局、大スポンサーだった東電やお上には逆らえないというのだ。
と問題点をズバリと指摘している。
 すなわち、日本の原子力産業は政府、新聞、テレビ等のマスコミ、電力会社や原子力製造会社等の企業体、そして、バックには闇の支配者が強力な力を持って控えているから、少しでも原子力の問題点を述べたり、批判したりする者はこの日本から世界から反原発者として抹殺されるようになっていると考えれば、この世界の現状を理解しやすいのではないだろうか。
 例えば、皆さん方は得体の知れない民間企業の公共CMが嫌になる程テレビで流されているのをご存知でしょう。しかも、原発の問題が起きた時から繰り返し流されているのは一体何故でしょうか?この事実をもって見ても、いかにテレビが大スポンサー企業群に支配されているかがわかるはずだ。
 すなわち、日本の原子力産業を公共的な産業を公共的な産業として官民一体となって推進してきた実態がここに示されているだけでなく、深刻な事態を引き起こしている原発災害を軽い災害問題として国民に報道して、出来る限り原子力産業のダメージを少なくしている配慮がここに示されていると思えば理解出来るだろう。
 そして、この災害を引き起こしたツケとしての金額的な補償問題に関して言えば、東京電力は資本金約6800億円、売上高約5兆円という世界最大の民間電力会社であるが、今回の福島原発の事故の賠償額は5兆円をはるかに超える金額と言われている。
 そのため、東京電力はいざ事故が起きた場合のために賠償保険に強制加入しているが、これによって最大1200億円の保険金を賠償に充てている。もちろん、この金額では被害者たちにわずかな補償しか出来ない。そこで、原子力賠償法は基本的に保険金額を上回る賠償金の場合は当然の如く電力会社が払うことになっているが、それで負担できない場合は『国が必要な措置を講じる』と定められている。
 となると、東京電力は事故資本が3兆円あると言われているが、現実には昨年の12月末段階では手持ち資金は4320億円、大手銀行からの緊急融資として1兆8500億円の現金を借りても5兆円以上とも言われている賠償金には到底たりないことになる。
 それゆえ、残りの賠償額は国が払うことになり、ここに東京電力と政府である財務省は一体となって出来る限り賠償額を減らそうという共通目的を持つことになる。そこで、いかに放射線汚染や被害を最小限の補償に済ますか、が重要になってくる。実際の被害を少なくする努力よりも、見かけ上の被害を少なくするという方向に走りやすくなるという訳である。
 しかも、廃炉に5000億円、解体となるとそれ以上の金額の支払いが増えるだけでなく、原発の代わりに火力発電を再稼働させた場合の燃料代も年間で数1千億円、計画停電による割引等による収入減等々、もはや経営が成り立っていかなくなるために電気料金の値上げで結局は国民の負担にして切り抜けようとするだろう。
 それゆえ、原子力発電は国民に豊かさを与えるのではなく、逆に致命的となる大損害を与え、事業としてもトータル的には火力発電や水力発電よりも高くつき、それは結局は国民のふところを大きく痛める結果となる。
 となると、原子力産業を大スポンサーにしておけば馬鹿でもアホでも金と肩書と名誉が得られている学者やジャーナリスト達のいうことを国民はこれ以上、まじめに聞く必要がないはずである。
 彼らは常に目下視線で、国民を常に馬鹿にしているということも考えておく必要がある。

今後数万年の管理を要する原発の残骸

 福島原発の経緯や問題点など詳しい事は『ザ・フナイ』に執筆されている諸先生がきっと今号において詳しく説明してくださると思う。
 そこで、私は別な観点、すなわち専門的な物理化学者(アルメニア国立科学アカデミー会員等)としての立場から、1986年に起きたチェルノブイリ原子炉事故の政府関係者やその時の事故処理の総司令官であるヴァレンコフ紙から聞いた話や、世界中のマスコミにも出来なかった4号機事故原子炉内部の撮影や取材を敢行した時の状況をウィッピータイムス20号(2006年5月27日発行)で掲載したのを、先ずここに取り上げて今号の原稿を終わらせたいと思う。
 というのも、私はこの4月4日からドイツで『ザ・フナイ』2010年1月号のTOP対談で述べたようにナノマテリアルの国際発表をするからである。
 また同時にスペインで行われる国際心臓病学会で私が発明したGOPの発表を行い、さらにスペイン王立医薬アカデミーの総裁達との会談も予定されているからである。
 そこで、これ以上執筆する時間がまったくないため、と言うよりも今日(4月3日)の夜に出発して成田空港に向かうので、そのための準備やドイツやスペインでの資料と荷物整理する時間がまったくなくなってしまう状況だからだ。
 それゆえ、福島原発の事態の推移を追って考察することがこれ以上出来ないために、よーロッパに行って海外の専門家達と福島原発の協議をしたり、新しい真実の情報を得てから次号に時系列に論を進めて行きたいと思う。
 さらには被害者の方々や放射線被害によって生死をさまよっている人達に対してホスピスや国立オンコロジー病院でのGOPの投与と奇跡的な治療効果と生還ドラマなどを『ザ・フナイ』の次号以降に掲載して、これから起きうる放射線の被害で苦しむ人々に対して大きな光となるように放射能対策を記述したいと思う。
(投稿者註:GOPとは五井野氏が開発した万病に効く薬らしい。詳細は現時点で不明)

 また、福島原発の原子炉は全て廃炉と決まったが、火力発電やビルの解体と違って放射線の問題があるために、日本では技術的に未知数の分野となっている。例えば、うまく冷却装置が稼働したとしても、内部に放射線量が安定するまで冷却するのに3年から5年はかかる。その間、原子炉には強く放射線があるため、現場近くに近寄るのは困難だが、ひたすら冷却水をポンプで巡回させて管理をしなければならない。しかも、1号機や3号機の建屋は爆発で骨組みだけになっているので、冷却期間中もずっと放射性物質を大気中に放出し続ける。
 さらに、原発を10年ほど放置した後、解体作業に入るが大量の放射線を浴びた原子炉全体が放射性物質の塊のようになっているから、作業する人の被爆は避けられない。解体にロボットを使うにしてもまだ実用化に至っていない。仮に、解体できても放射能まみれの廃材をどう処分するかという問題が依然として残る。
 それゆえ、結局はチェルノブイリのように石棺して原子炉をコンクリートで埋めてしまうしか方法がないだろう。コンクリートで封印し、原発の周囲は半永久的に立ち入り禁止区域になる。
 さらに、使用済みの核燃料の処分も大変な問題である。青森県の六ヶ所村の再処理工場で100年ほど保管した後に、どこか地中深くに埋める計画のようだが、埋める場所はまだ決まっていない。放射能ゴミと化した高レベルの放射性廃棄物の中には、プルトニウムのように半減期が数万年という放射性物質があるので、冷却に数10年、その後も数万年の安全管理が必要になる。今の原子炉の惨状と対応のお粗末さを見れば、いったい誰が責任を取って安全管理が出来ると言うのか。
 それゆえ、本来なら廃炉はメンテナンスを担当していた大手電機メーカーが機器の処理に当たり、構造物の解体はゼネコンが行うということになるが、あるメーカーは廃炉に関する様々なトラブルや処理技術は世界中から最先端のコンサルタント会社を選んで強力を得て作業を進めるしかないと語っている。

チェルノブイリ原子炉の現場レポートから

 この点に関して、チェルノブイリ原子炉の遮蔽ドーム建設のリーダーであり原子力関係のありとあらゆる専門家であるモルタワ氏と親友的な協力関係を保ちながら、日本の危険な原子炉を安全に解体する方法や処理方法などを第一線でボランティア活動してきた私の経験や情報を、政府やマスコミは日本国民のために生かす必要があるのではないだろうか。
 もっとも、『ザ・フナイ』の読者に対してはチェルノブイリ原子炉事故を通してあらゆる面でのエキスパート的な立場で、今回の福島原発事故の状況と分析そして対策を考えて、これから講演会で発表したり、本誌において執筆していきたいと思う。

【ウィッピータイムス20号(2006年5月27日発行)より】
 チェルノブイリ原発はウクライナ共和国の首都キエフの北方130kmに位置し、車で約3時間の所にある。
 2006年3月19日、五井野正名誉教授(ウクライナ国立ポルタワ工科大学名誉教授・ウクライナ国立芸術アカデミー名誉教授)を団長とし、週刊現代記者とその専属カメラマン、それに当ウィッピータイムス編集長とアートメディア委託TVカメラマン、さらにロシアからはタス通信副編集長、アルメニア支部総裁であるメリック博士、そしてチェルノブイリ原発専門の通訳の、四ヵ国総勢8人で結成されたチェルノブイリ原発事故国際調査取材班は、事故現場であるチェルノブイリ原子力発電所4号炉へと向かった。 
 途中原発より30km圏内に検問があり、ここからは残留放射能の影響で人が住めないことから許可書が必要となる。
 手続きを済ませ30km圏内に入り車を走らせると、原発から18kmの所にチェルノブイリの町はあった。
 ここで立ち入り禁止区域内管理事務所所長を乗せ目的のチェルノブイリ原発へ向かう。
 途中、今は稼働していない5,6号炉、そしてフランスが建設し設計ミスのため稼働できなくなった廃棄物処理場を通り過ぎ、いよいよ目的地である4号炉を管理する原子力管理センターに到着した。
 ここで週刊誌の取材陣らとTVカメラマンはガスを降り、日本の取材陣として初めて4号炉制御室内部へと向かった。
 この時の取材内容は、テレビでは2006年4月24日TBS系列「筑紫徹也NEWS23」で放送された。
 番組内では五井野教授はチェルノブイリの子供たちの救済活動をロシア側に評価された人物で彼によって今回の取材は実現できたと紹介された。20年経った現在の4号炉制御室内は電気を落としているため薄暗く、焼けただれた機械パネルが当時の惨劇を生々しさを今も伝えていた。
 また週刊現代2006年5月6・13日合併号でも、カラーグラビアも含めた15ページという特集記事でチェルノブイリ原発4号炉取材内奥が掲載され話題となった。
 3月18日、ウクライナ科学アカデミー会員で地質学研究所所長のV・シェトパロブ氏は、チェルノブイリ原発事故発生10秒前に自身の大きな波が観測されていたことを認めた。シェストパロブ氏は、「事故発生の前日自身が発生し、地震の大きな波が事故10秒前に発生したことをベラルーシの二つの観測所が記録した。実はその地震の波は4号炉の急激な核反応を止める制御棒を入れた瞬間に起きていた。ただ、これらが、事故の唯一の原因とは言えないだろう。やはり主な原因はスタッフのミスだ。
 しかしチェルノブイリを含むクリミア半島地域は、昔から地震の多発地帯だった。原発を建設する前の地質調査が慎重でなかったとしかいえない。さらに、この地域では7年前に活断層の亀裂を専門家が確認している。だからチェルノブイリ原発は亀裂の上に位置しており、その活断層は今も活動を続けている」と衝撃の事実を述べた。
 もし今後地震が発生した時、老朽化している石棺が破壊されたら内部から多量の放射能がまき散らされる二次災害が予測されるのだ!
 日本人にとってチェルノブイリ事故は対岸の火事ではない。39基の稼働する原発を持つ地震大国の日本も、実は同じ境遇にいるということを決して忘れてはならない。
 3月18日、五井野教授率いるチェルノブイリ原発事故国際調査取材班は、ウクライナ臨時担当副大臣であるV・コロシャ氏と会談した。
 まずコロシャ副大臣は、当時チェルノブイリ事故で受けた被害者は原発で働いていた人と一般人合わせて350万人だったと述べ、現在は250万人に減ったという。
 それは人々が20年たち病気や老衰、事故などを含め死亡したことと、当時甲状腺ガンだった子供が治って他に何の損傷なく大人になったため数から外されたためだという。だが、減少した100万人のうち1万人くらいはチェルノブイリ事故の影響による病気で亡くなっているとのことだ。
 またウクライナでは国家的プログラムが進行している。
 それは4号炉を覆う石棺に変わる新しいシェルター建設準備や、放射能汚染を広げないための様々な対応策の開発に関してである。特に石棺に関しては、「当時石棺を建設する時、周りはひどい放射能だったのでリモコンを使い、機械で建設していました。だから、コンクリートの部分があまり正確でなく問題がありました。現在石棺内の温度は安定し、30度くらいです。石棺に変わる新しいシェルターを建設する準備に入っていますが、まだどこの会社が設計し、建設するのかはっきり決まっていない段階です。さらに設計の検査は1,2年後くらいになるかもしれない。だから建設着工にはもっと時間がかかるでしょう。
 
 またシェルター建設には、莫大なお金がかかります。完成すればシェルターは100年くらいもちます。でもそれは最終段階ではなく、今後100年の間にもっとより良い対策法が発明されるかもしれない」
 と述べた。
 3月18日、五井野教授はチェルノブイリ原子力発電所への立ち入り許可を受けるため、チェルノブイリ原発30km圏内担当者であるセルゲイ氏と面談した。
 セルゲイ氏は、五井野教授が平成9年にキエフで浮世絵展覧会を開催したことや、国立オンコロジーセンターでのGOPによる「チェルノブイリの子供たちを救え」活動を当時のマスメディアを通じ知っていると言う。セルゲイ氏はそれらの五井野教授の活動が決して営利目的でなく真意なものであることを理解していた。
 だからこそ今回、五井野教授の希望するチェルノブイリ原子力発電所への立ち入りを特別に許可したのである。セルゲイ氏は、
 「現在、原発には3800人勤務しています。彼らのほとんどはスラブジチ市に寸江います。原発から60km離れており電車で通勤しています。原発以外の30km以内のスタッフは毎日通うのは困難なので、15日間働き後退するという交代制をとっている。また圏内の放射能もだんだんと減ってきており、今は通常の10倍くらいです。圏内には本当は人は住んでいないはずだが、320人ほど勝手に戻って生活している。殆どが年金生活者の年寄りです。」
 とチェルノブイリ原発の30km圏内の現状について語ってくれた。
 3月20日、ウクライナ科学アカデミー本部にて五井野教授は同アカデミーのボリス・E・パトン総裁と会談した。
 パトン総裁は「今、世界では430基の原子炉があり、ロシアには33基、ウクライナには15基あります。今後、放射能廃棄物を保存する場所やウラン濃縮工場などの問題について、我々のパートナーのロシアやヨーロッパと協力していきたい」
と述べた。これに対して五井野教授は、「チェルノブイリ原発事故のような大惨事を二度と起こさないためにも我々は努力しなければならない。そのためにも今後、国際会議をどんどん開催していくことが重要です」
と返答した。パトン総裁は柔和な表情で、「五井野教授は、チェルノブイリ原発による放射能被害にあった子供たちを救うためサポート活動をしてきました。GOPというガンや糖尿病に効く自然薬を開発し、大変素晴らしい研究に成功しました。我々は今後も貴方に協力していきたい」
と述べ、五井野教授とかたく握手を交わした。
 3月20日、物理学者で国会議員でもあるO・ペトロフ氏も平成九年歌川派浮世絵展に足を運び、キエフでの五井野教授の文化交流、救済活動を知る一人である。会談中ペトロフ氏は、
「現在、女性たちが妊娠しても早産してしまうケースが増えてきている。事故から20年経過し、あの時子供だった人は成人しているが、彼らの身体に今も異常が見られる。
 たとえば最近18歳の青年は非常に優れていて模型飛行機の全世界チャンピオンだったが急に骨のガンになり、治療の甲斐もなく1年後に死んでしまった。彼らのような若い世代に放射能の影響が出てきているのが心配である。私は西洋の医学では治療に限界があるのではないかと考えている。東洋の漢方がよいのではないかと思います。」
「4月26日に事故が発生してすぐには何も発表されず。2日後の28日に父親から原子力発電所で大きな爆発が起きたと聞かされました。
 母から外で遊ばないように言われたが私は当時16歳の遊び盛りだし、放射能は目に見えないから普通に外で遊んでいましたね。ただ喉がイガイガした感じはしました。
 その時期に特に変わったことといえば、それまでとてもつまらないテレビ番組しかなかったのに、急におもしろい番組が流れるようになったことです。たぶんテレビに釘付けにして外に出さないようにするための作戦だったのかと後で思いました。
 また突然外国のテレビ放送が映ったりしました。私はラジオ関係の仕事をしているので判るのですが、電波障害があったようです。それは、5,6,7月の3ヶ月間続き、あとは普通に戻りました。
 公式発表がされるまで、チェルノブイリ事故に関しては、住民はヒソヒソ話で何か行ってはいけないような感じで話をしていました。5月1日もメーデーで大きなデモンストレーションがキエフで行われたのですが、後で思えばわざと事故などなかったことを証明するために行ったようにも思いました。
 事故周辺は3つのゾーンに入っていなかったので避難しませんでしたが、実際、放射能汚染がひどかったのは一定の風向き方向の区域でした。
 そこの住民はとても気分を悪くしたり、いろんな症状がでました。しかし、その区域が3つのゾーン内に入っていないために住民は避難しませんでした。放射能汚染は野生動物にも影響を及ぼしました。奇形が生まれ長くは生きられない動物がいました。
 また8月ごろに軍から借りた、単位が1レントゲンから始まる放射能測定器で自分のスポーツシューズを測ってみたら針が振り切れたのです!たぶん6レントゲン以上はあったようです」
 3月とはいえ、まだキエフの街には所々雪が残っており肌寒く感じる。
 3月19日早朝、五井野教授、メリック博士らと共にチェルノブイリ市へと足を運んだ。キエフから北へ130km、片道約3時間のバスの旅となった。
 事故現場の隣に位置する原子力管理センターに到着すると、日本から同行した週刊誌の取材班とTVカメラマンはバスを降り、4号炉内部へと取材に向かった。
 五井野教授とロシア・タス通信記者、メリック博士、そして私は一旦現場を離れ、禁止区域内管理署に戻った。
 その時である。頭のこめかみがズキンと痛んだ。「あれ?」と思ったが、「気のせいか」としばらくほっておくと、今度は左後頭部にいやな痛みが走った。
 このことを他の人に告げると「実は私も頭が痛い」と全員から返事が返ってきた。放射能の影響なのか?管理署の男性が言うのは、その付近で平均1時間あたり1.2から1.3マイクロシーベルトだという。
 だが4号炉の石棺周辺を撮影中は、1時間当たり29マイクロシーベルトを記録していたのだ!
 その後、チェルノブイリ原発からの帰り道にはメリック博士の顔が赤くなり、タス通信記者も帽子の痕に赤く線状に残ってしまった。また、その日の夜には五井野教授の足の血管が浮いて歩くのも痛いという。私も手の指が浮腫らんで指輪が入らなくなってしまった。
 この他に自分に関し気になる点は、帰国後生理周期が乱れ、さらに2週間近く頭がボーッとして現実感がなく、一時期ひどいときには2,3秒前に聞いた話が思い出せず、メモするしか方法がなくなったことだ、いわゆる記憶障害のような状態である。
 また4月中旬には喉首周辺が腫れ、手でそっと触るだけでも痛みを感じるので怖くなり、GOPを1日に何回も飲用したら、翌日には痛みもひき翌々日には腫れもひいた。
 念のため血液検査をしたが、特に異常は見られなかったので、とりあえずは安心している。
 2004年11月に国際自然科学アカデミーアルメニア支部および世界民族精神融合アカデミー会員であるヴァレンコフ閣下が同アカデミーの日本支部総裁を務める五井野正教授の招待で来日した。
 その時ヴァレンコフ閣下は「是非、広島もしくは長崎に行きたい」と希望した。
 閣下は広島の原爆資料博物館で館員より説明を受けた時、
 「ここは武器庫があったわけでもなく、主要基地があったわけでもないのに、何故原爆が落とされ大勢の国民が死ななければならなかったのか」
と当時の原爆の後遺症で苦しむ人々や変わり果てた町の写真を見ながらゆっくりと語った。そこには戦争の意味を真に問う一人の軍人に姿があった。
 何故、閣下は広島と長崎にこだわったのか?
 実はヴァレンコフ閣下は1986年のチェルノブイリ原発事故処理のため集まった習十万人の軍隊の総司令官という重大な任務についていたのだった。
 世界規模の放射能汚染事故となったチェルノブイリ原発事故、そして世界で最初に原爆が落とされた広島、長崎。
 それは以前「ヒロシマ、ナガサキ・・・チェルノブイリ」という平和論文を執筆した五井野教授とヴァレンコフ閣下を結びつけた運命の共通点だったのかもしれない。
 閣下は当時、事故処理のため放射能汚染の基である4号炉にも入っていた。軍を指揮し燃え盛る火事を止め、汚染された30km圏内の事後処理や住民への避難勧告など、まるで戦争さながらの緊迫した状況の中、総司令官として閣下は何を思い、何を見たのだろうか。
 事故から20年たった2006年mヴァレンコフ閣下は当時を振り返り胸中を語ってくれた。
 ヴァレンコフ閣下(以後閣下)いわく、「チェルノブイリの悲劇は人類の悲劇です。それは広島、長崎に続く第二の人類の悲劇と言えるでしょう。チェルノブイリで起きた事故はスタッフの無責任から起きた事故であり、広島、長崎で起きた悲劇は政治的背景から起きたものです。
 そして人類はこれらの悲劇を教訓として同じ過ちを繰り返さないようにしなくてはいけない。
 この事故が起きた時、私はアフガニスタンにいて国防省の指揮をとっていた。
 命令により私は急遽事故現場へ向かった。数十万の軍隊が事故処理のため集められ、私はその総司令官となった。
 1986年の5月から7月、9月終わりから10月初めと2回に分け現地に赴き指揮を執った。
 私が現地に着いたとき疑問ばかりで何一つ答えがなかった。原子力のスペシャリストが大勢集まっていたのに誰一人として、どうやって爆発を止めればよいのか答えられなかったからだ。
 4号炉は爆発だけでなく火災も起きていたため、ヘリコプターからあらゆる消火作業を行い最後には何とか消火できたが、煙や蒸気により放射能汚染が広がっていった。
 事故現場より3カ所の放射能汚染区域(ゾーン)が分けられた。1つ目は原子力発電所のあるゾーン。2つ目は10キロゾーン。3つ目は30キロゾーンである。これらのゾーンは放射能が強く人体に悪影響を及ぼすため住民を全員避難させた。180地域会ったと思う。そこの住民達を避難させたのである。
 しかし中には避難したがらない老人もいて、彼らはそこに留まった。
 我々はまず1と2のゾーンに注意を向けた。爆発の際、原子炉の核が飛び散って数千レントゲン以上を放射した。
 それらの残骸を回収しなければならない。さらにその残骸をどう処理するかという問題もあった。
 我々は現地で急遽ロボットを作り、戦車のモニターを使い操作しロボットに残骸回収させた。屋根の上にもクレーンでつり上げて回収させた。
 1から3号炉の周辺の汚染回収だけでなく、周辺の汚染された土地を30から50センチ掘り起こし他の場所に運んだりもした。取り除かれた土地には二層のコンクリートが引かれた10キロゾーン内では砂が舞い上がらないようにある溶液を撒き、30キロゾーンでは軍隊が村の家に別の溶液を撒いた。
 また我々は常にセンサーで上空、地上において放射線を測定し、放射線の高い地域が出れば低くするように処置をした」
 また閣下は、軍人としてチェルノブイリ原発事故や数々の戦争を通して国民の苦しみを身をもって理解してきたという。この経験から閣下は世界規模で情報局を持ち、各国の紛争や事故、アグレッシブな行動を未然に防ぐことを目的とした『人間の尊厳と安全を守る国際連盟』を近年設立した。
 この連盟にはイワノフ国防大臣・副首相ラブロフ外務大臣、イワノフ前外務大臣、プリマコフ前首相、ステパシン前首相、コジン大統領補佐官、グロモフ・モスクワ州知事、ボロジン・ロシア、ベラルーシ連合国書記官などロシアの名だたる政治家が会員となっている。
 閣下は、「この連盟は民族や各国の間で起こりうる紛争、チェルノブイリ事故などのような技術による大惨事などを未然に防ぐため、他の機関と協力しながら様々な情報を集めている。もし紛争が起きてしまった場合は被害を受けた人々の救済に全力を尽くす。
 今後、万が一イラクや着た調整の原子炉が攻撃を受けた場合はチェルノブイリ原発事故よりももっと大きな大惨事になる可能性が高い。今年でチェルノブイリ原発事故発生20年目になるのを機会に、世界に原子炉事故災害の実情を積極的に訴えていかなければならないだろう。」と述べた。
 さらに世界的な人道活動・国際文化交流も目的とする連盟は、GOPによりチェルノブイリ被災者の救済活動や空き缶の資源リサイクル提唱活動、世界におけるゴッホの浮世絵コレクション展覧会など、人道・社会・文化活動を長年実践してきた五井野正教授を高く評価し、アジア太平洋地域諸国の全権大使に任命した。
 
 以上、ウィッピータイムスから転載しました。この記事の中で放射線量と直接的な健康被害が体験談の中で語られているので、『ザ・フナイ』2010年5月号の私の記事と合わせて大いに参考としてください。
 ところで、最後に福島原子炉事故に関して放射線量の健康被害について読者のために述べておきましょう。
 先ず、新聞、テレビ等で説明される基準値の件であるが、一般人が浴びる許容限度の放射線量として1年間に1ミリシーベルトという基準値がある。
 これは、国際放射線防護委員会(ICRP)が決めたもので、このICRPという組織は一体何か?
 ということですが、政治や企業論理の影響を受けないヨーロッパ科学者グループで構成された欧米放射線リスク委員会(ECRR)は0.1ミリシーベルト/年と、ICRPの10分の1の基準値となっている。貴方は自分の健康管理のために、どちらの基準値を選びますか?
 そして、この問題を含めて重要なこと、例えば、第3号炉の爆発は果たして水素爆発なのかどうか?等々を講演会の中で、もしくは次号以降に話をしたいと思う。

以上引用終了
 
 

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コメント
 
01. kanegon 2011年5月29日 14:17:04: xVuuIAvxG7FMM : kFC5TEBIb6
>米軍の兵士たちで、1950年代の ネバダ砂漠で ずっと続けた核実験 を 直接 並んで座らされて 爆発を 目撃して、被曝して光線や爆風を浴びて(遮蔽物もなく) そのために、 5年後、10年後に死去した 米兵たちの 放射能の人体(生体)への健康被害の資料(データ)も、私たちは、この フクシマ原発事故で大騒ぎしていた2か月間に、少しも出て来ません。 放射線医学の専門医たちも誰も 何も発表しません。
 それなのに、 彼ら、放射線医学の専門家たちの発言を、原子炉学者と同列に置いて、”御用学者”の焼印を押して、冷静に聞こうとしません。

副島氏の上記発言意味不明。
アメリカが原爆の厳密なデータを隠ぺいしているからどこまでが絶対安全といえるのか?という基準値が少なくとも日本国内では不明ということだろう。
分かっていたら何も問題ないということだ。

高田純氏の提唱する基準でも10ミリシーベルトまでが安全だと言っている。20ミリシーベルト/年はその範疇外。放射線医学者が何も発表しないのが仮にデータを隠ぺいしているなら非難の対象になるのだが。次にくる文章が

>それなのに、 彼ら、放射線医学の専門家たちの発言を、原子炉学者と同列に置いて、”御用学者”の焼印を押して、冷静に聞こうとしません。

意味不明だ。

なお、御用学者の山下俊一氏の発言がぶれたのは政治的発言をしているからだろう。
仮に反原発運動家が二本松市での説明会で矢継ぎ早に放射線の子供に対してのリスクに言及したとしても確固たる医学的確信があれば発言がぶれないはずである。
ぶれた山下氏に問題がある。それを変にかばう副島氏の思考狭窄には呆れかえる。

明確な基準が無いならできるだけ少ない基準に遵守するのがより安全であると私は思う。

なお、以前から思っているが乳飲み子を抱えた母親が住居を離れ、九州に避難していることについて、馬鹿にするより気の毒だと思う人間的な感情すら無いのだな副島氏は。


02. kanegon 2011年5月29日 20:00:03: xVuuIAvxG7FMM : kFC5TEBIb6
五井野氏は以前から浜岡原発に対して反対運動していた反原発の方だそうです。

だから、五井野氏が原発について批判的な意見を言うのは今までの発言からいってブレていません。

私は以前のコメントでこの文章を抜粋してチェルノブイリ4号炉を取材した訪問団が頭痛、四肢のむくみ、記憶力障害、バイオリズムの狂い、などを生じたことに注目し、はっきり公表していない低線量放射線の障害の可能性について言及しました。

それだけでなく、ロボットをチェルノブイリで使用しているのに日本では使用されなかったというのは一体どういうことでしょう?なんか良く分かりませんね。

情報として五井野氏の文章は読んでください。ロシアのチェルノブイリ原発担当者が幼少時に被爆した若者の早産、流産などが増えていることを指摘しています。
ちなみに、武田教授が5月29日の読売テレビ「そこまで言って委員会」に出演していて、100msvを福島の子供たちは浴びてしまった。早くて4年後に甲状腺ガンが出だすと言っていました。まったく、政府は何故、急性期の住民避難をさせなかったのか。悔やまれます。

なお、副島氏にメールした女性読者は非常に良心的な人だと思います。
副島氏に重掲に乗せられるとは意識せずメールをしているかもしれないし、私の投稿文に乗せられるなんて意識していないでしょうから、実名が書いてありましたがそれを乗せるのは私は控えました。


03. チベットよわー 2011年5月30日 06:41:51: Xy93FIMaJupUQ : JetVsS3yiN

副島が原発利権とつながっている、なんてことはない。まだそういった万人に理解できる
関係図のもとで副島の言説が構築されているほうがどれだけ健全かと思う。実際、副島は
誰の意見もきかないし、誰の利害にもくみしないし、自分の持ちうる指針さえ信じてはいない。
彼の頭にあるのは理不尽の一語である。

数年前の「アポロ13号は捏造」事件では、またいつものように
「文知で理知を押さえ込んでしまう」というテーマで、近代における科学的合理主義の一つの到達点たる
月への上陸を否定した。自分が誤っていた場合は断筆するとまで宣言した。(過ちに気付く機能が
彼の精神内にあるのかは不明だが)その場合はいい。怒るのはNASAだけである。

しかし、また今度「文知で理知を押さえ込んでしまう」目的を達するために「福島は危険でない」
という暴論に挑む。こればかりは副島個人の断筆などでは到底すまない。副島自身が3・11の段階で
明言している通り「戦後最大の国民危機」であり、被災地へ戻って住みつづけろ、などと叫ぶことの
妥当性を丁半博打のような気まぐれではかられてはたまらない。

もし間違っていた場合、どうするのか。副島はそれを問われたことがあるのか?
自分に問うたことがあるのか?

今になってまだ、キエフ在住の一般人に「取材願い」しているようなレベルの認識点を持つ者が
本当に福島に対して責任のある言動をとっていいと思っているのか?副島よ、お前の文知では
乗り切れないことなのだぞ。英文法のときも、アポロ13号のときも、俺様は独自の理論で欧米ラチオ
という名の詐欺を粉砕した、などとかぶいてみせたが、今回は理屈じゃない。答えは福島の子供たちに
直接かえってくるのだ。


04. 2011年5月30日 07:20:39: yxstEvnWG6
>>3

副島氏批判で初めて読み応えのあるものを拝見した。


05. kanegon 2011年5月30日 13:25:35: xVuuIAvxG7FMM : 9kMSboacTk
五井野氏の文章より、チェルノブイリ原発事故処理を担当したヴァレンコフ閣下の発言より引用


>事故現場より3カ所の放射能汚染区域(ゾーン)が分けられた。1つ目は原子力発電所のあるゾーン。2つ目は10キロゾーン。3つ目は30キロゾーンである。これらのゾーンは放射能が強く人体に悪影響を及ぼすため住民を全員避難させた。180地域会ったと思う。そこの住民達を避難させたのである。
中略
我々はまず1と2のゾーンに注意を向けた。爆発の際、原子炉の核が飛び散って数千レントゲン以上を放射した。
 それらの残骸を回収しなければならない。さらにその残骸をどう処理するかという問題もあった。
 我々は現地で急遽ロボットを作り、戦車のモニターを使い操作しロボットに残骸回収させた。屋根の上にもクレーンでつり上げて回収させた。
 1から3号炉の周辺の汚染回収だけでなく、周辺の汚染された土地を30から50センチ掘り起こし他の場所に運んだりもした。取り除かれた土地には二層のコンクリートが引かれた10キロゾーン内では砂が舞い上がらないようにある溶液を撒き、30キロゾーンでは軍隊が村の家に別の溶液を撒いた。
 また我々は常にセンサーで上空、地上において放射線を測定し、放射線の高い地域が出れば低くするように処置をした」

引用終了。

これは1986年、20世紀に起きた時にソ連が行った対策です。1986年のソ連にも落つる日本政府の対応にはあきれ返るばかりです。
武田邦彦教授が訴えているように適切に放射線障害を防御するような対策を立てるべきだと思います。

チベットよわー様コメント有難うございます。

考え方の相違は若干あるものの、それでも副島氏の福島原発安全宣言にたいして適切な批判参考になります。

ところで、副島氏が「、俺様は独自の理論で欧米ラチオという名の詐欺を粉砕した」と言っていたのですか?

できれば参考文献をご教示ください。


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