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第5回目の今回は、コールマンのいう「世界人間牧場計画」21項目のうち「3.世界の大宗教、特にキリスト教の壊滅を計画し、実行する。唯一自分たちの宗教だけを認める。」及び「15.信教の自由という思潮を世界中に輸出し既存の真摯な宗派、とりわけ我らがキリスト教の根底を揺るがす。」について考察してみたい。
まず最初に申し上げたいのは、宗教は二つ存在するという点である。
「布教をする宗教」と「布教をしない宗教」がそれである。
西洋人や現代の日本人が、宗教というと思い浮かぶのはキリスト教・イスラム教・日蓮宗その他新興宗教といった「布教をする宗教」のイメージである。
しかし宗教が自然発生した時点では「布教をしない宗教」しかなかったわけで、どの地域においても「布教をする宗教」が外部から入ってくるまでの間は、何れも土着の「布教をしない宗教」の下で暮らしていた(日本も仏教が入ってくるまでは同様)。
つまり、「布教をする宗教」というのは本来の宗教の姿からすれば、ある種異端であり作為的な存在なのであって、何者かが何らかの意図を持って作り上げたものに違いないのである。
事実、現在の新興宗教の多くは、経済的・政治的動機によって教団の勢力拡大を図るべく布教活動を行っているし、大航海時代のイエズス会などはスペイン・ポルトガルの植民地獲得の尖兵としての役割を担っていたのである。
そのような「布教をする宗教」には次のような特徴がある。
(1) 布教先の住民を説得するために論理的・体系的な教義・教典を備えている。
(2) 強力な布教組織を持ち、布教先の住民が従わない場合に備えて戦闘・武闘要員も抱えている。
(3) 従来の土着宗教や他の「布教をする宗教」を排除するために、教義のうちに必然的に「不寛容性」を伴っている(排除しないと入っていけない)。
(4) 教義の説明をシンプルにし布教先の住民の理解を早めるため一神教の形式をとることが多い(土着宗教は一生かけて生活の中で自然に体得していけばよいのであるから「八百万の神」でも支障ない)。
西洋人は典型的な「布教をする宗教」であるキリスト教・ユダヤ教・イスラム教の世界にどっぷりと漬かっていたために、宗教的に「不寛容」であり「教義」にはとても敏感である。
それに対し、一般の日本人は「八百万の神」的な感覚を持ちあわせているために、他の宗教に対し寛容であり、宗教を論じる必然性をあまり感じていない。単に社会的な風習(七五三・結婚・葬式etc)のひとつとして、その儀式の外形のみを自分の所属する集団のメンバーと共有しているだけで、教義などどうでもいいのである。
そのため、どうも「世界の大宗教、特にキリスト教の壊滅を計画し、実行する。唯一自分たちの宗教だけを認める。」などという大それたことを行わなければならない必然性が理解できないし、当然に眉唾と判断することになる。「そんなつまらないことに誰が命を賭けるのか?」「なんぼのもんやねん」てな話である。
しかし世界には何世代にもわたり執念深く、命を賭けてキリスト教を滅ぼそうとする宗教勢力が確かに存在する。ここでは主な3つの勢力を紹介しておきたい。
一つはユダヤ教の内にある。
ユダヤ教は大きく3派に分かれており最大の勢力を持つものは正統派(オーソドックス)と呼ばれているもので、「世界人間牧場計画」の陰謀とは無関係の普通のユダヤ人が属している教派である。これに対し残る2派改革派(リフォーム)と保守派(コンサバティヴ)のうち改革派こそが「世界人間牧場計画」の本丸であると考えられている。
17世紀のシャベッタイ・ツヴィに始まる改革派は元来グノーシス主義的なオカルト思想を特徴としており、18世紀に入りロスチャイルドの支援を受け、同じくロスチャイルドがイエズス会士ヴァイスハウプトに命じて創設したイルミナティと共にその運動の担い手となって行った。
その秘密結社イルミナティは、1784年にバイエルン政府により摘発された。バイエルン政府が、その捜査結果をもとに、キリスト教を含む世界の大宗教の壊滅を図るそのおぞましい計画の全容を記した「イルミナティ組織による原文書」を公式に作成・公開し、各国の指導者宛送付したことは紛れもない歴史的事実なのである。
もう一つは、何とローマカトリック内にある。
表面的にはローマ教皇の強固な藩屏とされるイエズス会であるが、イルミナティ創設者ヴァイスハウプトの出身母体であること、カトリックの教えに反し妊娠中絶・同性愛を容認していること等から、ローマカトリックを内部から侵蝕することを使命としたルシフェリアンの一派であると考えられる。
また会士には多数のマラーノ(スペインの改宗ユダヤ人、苛烈な異端審問のため意に反して改宗した者が多い)が含まれているとも言われているのも気になる。
彼らイエズス会によるキリスト教の破壊が如何なるものかについては、300人委員会メンバー「ジョセフ・レツィンガー」がベネディクト16世として現教皇に据わっていることが全てを物語っているのである・・・。
最後の一つは、共産主義(特に世界同時革命主義)である。
彼らは唯物論を推しているだけで宗教ではないのではないかとお考えの向きもあろうが、唯物論の持つ「無神論」という側面は宗教的観点からも立派に評価できる。
ルシフェリアンが悪魔崇拝教が全てを支配する世界を作るに際して、如何にも科学的であるかのような外観を取る共産主義(特に世界同時革命主義)思想で若者を洗脳し、この世に神などいないのだという無神論を刷り込むことで、既存の宗教に打撃を与えようとしてきたのである。
ご存知のとおりこの世界同時革命主義の首魁はトロツキーであり、スターリンはこれを殺すことによって世界同時革命の流れを押し留める役割を果たした(動機は自己保身からであろうが)。
ルシフェリアンは、以上の宗教的勢力を使嗾し、次のような手法を複合的にもちいながら非ルシフェリアン(ルシフェリアン以外のユダヤ人を含む)から宗教を奪い去り、その「宗教の砂漠」の上に、支配者たるルシフェリアンだけに許される秘儀に彩られた悪魔崇拝教を唯一君臨させようとしているのである。
(1)全ての非ルシフェリアンたちに戦争・災害・疫病・貧困・飢饉・社会的迫害など「これでもか」というほどに過酷な運命を与え、この世に絶望させ、非ルシフェリアンたちが信じる神がいかに無力であるかを思い知らせる。
(2)この世に神などいないのだということを、共産主義思想など相当に体系化された理論で洗脳しながら、確信させる。
(3)麻薬・異常性欲・ギャンブルなどの退廃的な文化を蔓延させ宗教心を支える健全な道徳観を破壊する。
(4)拝金主義を横行させ、ルシフェリアンが既に完全支配している「金」のみが唯一の「価値」であると信じ込ませる。「金」の土俵でルシフェリアンと相撲して勝てる者はいないため、ルシフェリアンの世界支配は磐石のものとなる。
(5)政治的・経済的欲望に塗れた「布教をする宗教」を蔓延させ、宗教そのものに対する不信感・嫌悪感を増大させる。
(6)コールマンのいう「世界人間牧場計画」21項目のうち「15.信教の自由という思潮を世界中に輸出し既存の真摯な宗派、とりわけ我らがキリスト教の根底を揺るがす。」ということである。憲法に定められた「信教の自由」は、その法的強制力により、地元に根付き習俗・文化と一体化した土着の宗教をまさに生爪をはがすが如く剥き取ることで、その跡に「無神論」や歪んだ「布教をする宗教」を移植するための下地作りの役割を果たすのである。
今回の東日本大震災テロは、300人委員会の立場からすれば、上記の(1)の役割を果たしたことになる。
東日本大震災テロのベースはあくまでも米国軍産複合体及び国際金融資本による「カツあげ」であろうが、ルシフェリアンがこれだけ大掛かりなテロを仕掛ける場合には、複数の目的が重なり合っている場合が多いのである。
被害に遭われた皆さんを表現するのに「全てを失った」と一言で片付けてしまいがちであるが、一つ一つを書き上げて見るとよくわかる。「両親」「兄弟」「子供」「友人」「家」「自動車」「職場」「故郷」「未来」・・・いくらでも挙がってくる。
この絶望的な状況を目前にしながら、菅内閣は「故意」に復興事業を遅らせることによって、口先ばかりのきれい事で実は誰も手を差し伸べてはくれないという、現代の日本社会の「当たり前」を思い知らそうとしている。
また菅内閣は、ルシフェリアンの命ずるまま、日本列島を放射能汚染のフィールドワークの場にして、関東圏を含め何千万人もの日本国民に放射線障害(奇形・ガンetc)の地獄を「故意」にもたらそうとしている。
殊に福島県内の小学校や幼稚園の被曝限度を年間20ミリシーベルトと設定するなど言語道断である。
これが如何に危険なことかは、放射線安全学の専門家で内閣官房参与の小佐古氏が「とても許すことができない」と非難した上で、自分の将来を棒に振って辞任したことからも確信できる。
さらに菅内閣は、この東日本大震災を口実に増税(殊に消費税)を図ろうとしているが、まさに狂気の沙汰である。
100兆円に達するであろう今回の復興費用を増税だけで間に合わせることは到底不可能なのであるから、「米国債を売らない」「国債発行を見送る」となると、答えは一つ「現在の水準までには復興しない。させない。」ということになる。こうして日本はルシフェリアンたちの描いたシナリオどおりに衰亡の道をたどることになる。
まさに、神も仏もないこの地獄は、実際に被害に遭われた方々ばかりでなく、それを傍観する我々の身にも、ルシフェリアンの手先達にも間違いなく降りかかってくるのである。
ここで忘れてはならないのは「我々は神仏により予め救われた存在である」ということである。
今、神仏の掌の上で「ルシフェリアンを含めた我々」は試されているのである。
次回に続く
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