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[499](報告文 14) 原発事故の責任者たちを、どうしても裁判(刑事裁判も)に掛けなければいけない。住民が殺処分にされつつあるるのです。私は真剣に深刻にそう思います。 投稿者:副島隆彦 投稿日:2011-04-29 19:10:58
副島隆彦です。 今日は、2011年4月29日です。
これから原発事故問題の 私の「 報告文の 14」 を急いで書きます。
私は、昨日、急いで動画(録画)で、今、自分が考えていることを、学問道場の会員たちに どうても分かってもらうべく緊急で録画撮りを弟子たちにやってもらいました。1時間20分間話しました。 いちいち文章を書いているのが、もどかしく感じるほど、事態は急を要していると、私が切迫した気持ちになっています。
急いで収録したこの私の動画を 今日のぼやき のページに載せるのに、数日かかるそうです。私は、そういう悠長なことをやっていることは出来ない、という焦った気持ちになりました。それで、急いでこの重たい掲示板に「報告文の14」として、私の主張の概要と結論だけを書いて公表しておくべきと考えました。 以下の通りです。
3月12日以来の福島原発の凶事の大事故 と 放射能漏れの問題で、大事なことは何か。それは、日本国民は、福島県の人たちと共に、この事件の責任者たちを絶対に処罰しなければいけない、ということです。やっぱり、東電の会長の勝俣恒久(かつまたつねひさ)と、社長の清水正孝(しみずまさたか)たち を、裁判にかけて、これほどの巨大な事故を起こし、国民の命と健康を危機に陥れたことの責任を、民事責任( 損害賠償の請求をしてお金を払わせること)だけでなく、犯罪者として処罰すべく、刑事責任もある人間たちであるとして、逮捕し起訴して、日本国民の前に引きずり出して、彼らの凶悪な責任を公然と追及しなければいけないのです。
私は、この2週間ほど、前回から書き続けているとおり、自分の脳の調子が悪くなるくらいに真剣に考え込んでいた。原発から20キロ圏内の動物たちはすべて殺処分にされることが決まり(4月26日)、もっか実行に移されつつある。牛が3500頭、豚が3万頭、馬が100頭、鶏が60万羽(そのように報道された)、そして家畜ではない 犬や猫たちまでが、見つかり次第、次々と捕まって 薬殺されている。すでに餓死したり衰弱していた動物たちを私は現地で目撃している。
現地には、いま警察の機動隊の装甲車両 が大量に 結集しつつある。これは私の冷酷な予測であるが、20キロ圏内はこれから高さ4メートルぐらいの 金網で二重に敷き詰められて完全に封鎖されるであろう。まるでベルリンの壁か、あるいは在日米軍基地の金網のような感じで完全に封鎖されつつある。
この金網の 封鎖の地域に30キロ圏の飯舘村(いいたてむら)の、新たに設定され強行されつつある「計画的避難区域」までも含まれるのか、はわからない。25日の枝野官房長官の記者会見では、「この区域までは封鎖(立入禁止)にはできない」と、言った。飯舘村の農民たちは、自分の牛を殺処分にされ、自分たちもこの地を追い立てられていくことに怒り悲しんでいる。私は現地でその様子を見てきた。
私が、自分の脳で2週間、悩み苦しんだ末にわかった真実は、動物たちの殺処分だけでなく、この原発から20キロ圏内に暮らしていた福島の住民たちに対する、恐るべき政治的殺処分が行われようとしているのである。そのことに私はようやく気付いた。このことに気付くのに2週間かかった。なぜ自分の脳がこれほどに異様に苦しむのかがようやくわかった。
今日、29日のテレビ、新聞でも「原発の避難者たちへの 補償 の政府審査会」のことが報じられている。「避難者たちの損害額の目安、一律支給か実費支給か 、実額で計算させて、個々に請求させる」という議論をしている。「住民に対しては避難に使った交通費と宿泊費」、「農林漁業者と商工業者に対しては、出荷および営業できなかったことによる収入減の損害額」などと議論している。
現地の福島に居ない人から見れば、日本政府がやっていることは、住民たちに対してなかなか思いやりがあって、公平で妥当な態度であると考える人もいるだろう。しかし、実態の、実情は補償金など数百万円にもならず、農家の場合は、「農協を通して実額で損害額を請求せよ」という残酷なものである。 東電が自分たちに思いやりをもって、処遇してくれるであろうと、自分たち原発避難民や住民たちは、勝手に甘いことを考えている者たちもいる。自分たちが、実質、口封じされ、猿ぐつわを咬(かま)まされ、殺処分されつつあるのだということに気付かない。しかし、本能で、勘づいている。
金網(封鎖線)が、これから20キロ圏に畑や林のなかまで突っ切って、強引にかつ強制的にどんどん建設されていくであろう。放射能の恐怖で追い立てられてきた人は、たった一度だけ機動隊に連れられて、わざとらしく防護服を着せられて、自分の家に入ってわずか数時間だけ、金目のものだけを拾い集めて、そしてもう二度とこの自分の家に帰ることはないのである。衣類なども放射能で汚染されているからとして持ち出し禁止にされる。
同じような事態は、今後20キロから30キロ圏でも徐々に行われていくであろう。これらの避難区域にあった人々は自分の家と同じくらいの財産を東電および日本政府から正しく賠償してもらうことはない。恐らく津波で家を流された人々と同じような避難所や田舎の温泉旅館などでの暮らしのあと、仮設住宅が与えられるであろう。
すでに小さな子供たちをかかえた若い、貧しい夫婦たちは、将来の子供の健康を心配してさっさと東京などへ新しい職を求めて流れ出している。
原発避難者たちは、口封じで何も怒りを表明する道すら絶たれて、ちりぢりばらばらにされ、証拠隠滅されていく。この恐ろしい実情は、テレビや新聞などでは絶対に報道されない。だから、私、副島隆彦は、弟子たちと20キロ圏の金網・封鎖線の外側のすぐ近くに私たちの活動拠点となるべき家を確保してもうすぐ構える。このことを誰かがやらなければならないのである。
金網の中は、やがて核廃棄物の処理場にされるだろう。ここに米軍の核防護部隊が密かに上陸してくる、という噂が立っている。
そのために、「事故レベル 7。チェルノブイリと同じ 」という、恐るべき、学問的な捏造をやった。それを、IAEA(国際原子力委員会)という組織の言いなりになって、彼らの軍門に降(くだ)って、やっている。恐ろしい事態である。
殺処分された牛や馬、豚、犬、猫たちと同じように、現地の人間たちが殺処分されているのである。彼らはメーメーと鳴く羊ほどにも、泣き叫ぶことをできない。彼ら福島の浜通の人たちの叫びは東京までは届かない。彼ら住民は、自分たちの本当の声を、ほかの日本国の国民に伝えることができない。彼らにはその手段がない。彼らには発信力と発言する場が実際上ない。彼らの泣き叫ぶ声を、テレビや新聞や雑誌は、現地に行かない。絶対に書いて報道して伝えようとしない。私にはそのことが腹の底からわかる。
凶悪事故 が起きたあとの現地の原発のそばを何日も動き回った自分は、このことがよくわかる。テレビと新聞、雑誌週刊誌は、30キロ圏内に、初めの初めから絶対に入ろうとしなかった。彼らは、東電と政府・官僚たちとグルである。テレビ新聞メディアの幹部たちは、社員の記者や、カメラマンたちが現地に入るのを、社命で禁止した。それは、東電からのたくさんの広告収入があり、電通(でんつう)や共同通信という、日本の言論、報道、出版までをも統制する強力な権力支配構造の一角である。
彼らは、東電と日本政府が住民(原発避難民たち)から激しく抗議され、裁判に訴えられることを初めから知っていて、だから、その証拠をつかまれないために、初めの初めから自分たちの忠実な子分であるテレビ、新聞を押さえつけて、国民への報道の義務を怠らせた。
電気(電力)は、私たちの生活にどうしても必要だから、という居直りの論理で、東電は私たち日本国民をいまも脅している。やはり、この東京電力株式会社という、巨大犯罪を犯した会社は、私たち国民の生命を危機にさらしたのであるから。やはり、徹底的に処罰しなければならない。東電は、破綻、倒産させなければいけない。そして、4兆円ほどはあるという含みの資金を正しく避難民たちに分配して賠償しなければいけない。それに対して、株式時価発行総額で8兆円ほどある今の東電の株式が、日本航空(にほんこうくう)と同じように上場廃止になって、ゼロ円になって、株主責任を負わせて、たとえ多くの株主たちが大損しようとも、正しい理屈に従わなければならない。
電気・電力事業は、国策企業であり、公的独占の、国民生活にとって不可欠の生活インフラであるから、絶対に潰(つぶ)せない、だから「このまま仕方がない」と考える日本国民が、多い。 それなら、一旦、潰して、いまの東電という会社とは別の政府管理の電力事業に移せばいい。そして、徹底的に現在の経営陣やこれまでの、電事連(でんじれん)という、電気事業者連合会(でんきじぎょうしゃれんごうかい)という、電気独占企業体の親玉たちが、実は日本国民の政治までをも上から大きく動かしてきたのであることを明らかにすべきだ。
私、副島隆彦が新たに気付いたのは、どうやら日本政府(首相や大臣たち)よりも、東電の最高幹部たちのほうが力があって、政治的な実力も持っているということである。勝俣会長や清水社長のあのふてくされた、完全に居直った国会での答弁を見ていれば、そのことはわかる。
いくら民間の巨大企業であるといっても、政府の大臣たちよりも権力(権限)があるはずがないとみんな思っている。しかし実際はそうではない。電力会社の歴代会長たちが、全国すべての選挙区の議員(政治家)たちを各選挙区で、実質的に選出する決定権限を持っており、その若い政治家たちが大臣になっていくことまでも左右する。さらには、市長や県知事などを差配(さはい)することなどはもっと当たり前のことである。
だから、いまも勝俣や清水は、「民間企業である東電に背負える責任には限度がある。日本国政府が全面的に支援してほしい」という態度を見せている。「今回の事態は、”想定外の”異常事態だった」とはっきりと責任逃れをしている。それで、原子力災害損害賠償法の規定どおり「1200億円までは東電が出す。それ以上は政府が……」という徹底的にふてくされた態度である。だから、原発避難民たち7万人に、そそくさに一家族100万円、独り者には75万円を手づかみで渡した。これで500億円を使ったのである。
原発の爆発と放射能に逃げまどった人たちの苦しみが、たったの500億円であるはずがない。同じく200キロ以上離れた東京、関東圏の人々でも、余裕のある人間たちは、関西方面に避難したが、それらの補償があるわけはない。
いままさに、日本国民は大きく騙されようとしている。東電および、今度の事故の真の元凶であるGE(ジー・イー、ジェネラル・エレクトリック社)に対して、激しく怒るべきであるのに、日本人は、皆、へたれこんで、次の地震の恐怖もあるものだから、脳が混乱してわけがわからなくなっている。それは彼ら権力者、支配者たちの思うつぼである。
私たちは、同じく政府の機関である、原子力委員会と原子力安全委員会の委員たち、および歴代の、生存している委員たちすべてを 裁判にかけなければいけない。および、政策実行部隊である原子力・保安院の官僚たちも正しく処罰すべく裁判にかけなければいけない。
私は、昨日のビデオ収録で話したが、日本国は敗戦後66年アメリカによって脳を洗脳されてきたので、自分たちの代表者(レプレゼンタティブズ representatives)たちに正しく権力(権限)を与え、名誉と尊敬も与えることによって、彼ら国民の代表者たち(実力政治家たち、民族指導者たち)に立派に責任をとらせるだけの、デモクラシーの実質を奪い取られてきた。だから、これほどの凶悪事件、民族存亡の大事件が起きても、誰一人責任のとりかたを知らないし、「責任をとって、腹を切るとか、首をつって死ぬ」という正しい人間の生き方を知らないのである。上に立つ者たちが、正しく責任をとることができなければ、多くの国民は悲惨な目に遭わされる。
本当は一番悪いのはIAEA(アイ・エー・イー・エー、国際原子力委員会)なのである。いま日本国に起きている事態は、このIAEAという凶悪な国際組織による日本国の占領、支配という事態が起きていることなのである。あの 天野之弥(あまのこれや)という今の委員長は、日本人なのに、悪魔のような奴だ。 3月17日は、「原発事故は、もう大丈夫」と日本に来て言った。ところが、翌日、ウィーンの本部に帰るや、「日本のフクシマ原発は、極めて危険である」と報告した。それ以来、ヨーロッパ人が、今にいたるも、とりわけ、ドイツ人と、フランス人が、血相を変えたままである。
多くの知能のある日本国民は、なんとなくこのことの異様さに気付いている。外国勢力による日本国の実質的な乗っ取り、占領が目下、実行されている。
東電と日本政府が怖いのは、IAEAとアメリカ政府(ヒラリー)の恫喝、脅迫、強制的な上からの命令なのである。幕末の、日本の幕府の幕閣(老中たち、譜代の大名たち)と、お奉行さま(いまの官僚たち)は、ペリーやハリスなどの外国人が威嚇的に上から脅し上げてくるのだけが怖かった。だから、外国にはヘイコラした。ところが、彼らは、自分たちが支配している日本国民は怖くもなんともない。だから20万人や30万人の日本国民が殺されようが、どんなに酷い目に遭おうがなんともない。それが権力者・為政者というものである。
だから、今も、放射能が怖い、危険だ、さあ逃げなさい、と、騙して、脅えさせて、住民と、日本国民を脅し続けている。 本当は、首相と、大臣たちと、県知事が、原発の正面で、「大丈夫です。安心してください。国民は団結して、日本を復興しましょう」と言わなければいけないのだ。 できれば、天皇陛下にも原発の正面に来て、国民を勇気づけてほしい。そうすることが、今の日本国にとって、一番、いいことなのだ。
原発20キロ圏内には7万人の住民がいた。浪江町(なみえまち)、双葉町(ふたばまち)、大熊町(おおくままち)、楢葉町(ならはまち)、富岡町(とみおかまち)、広野町(ひろのまち)である。その外側の30キロ圏である南相馬市などを入れると24万人になる。彼らはいま日本国民の注目のなかにありながら、巧妙に隠し、捨てられようとしている。
電気はどうしても私たちの生活に必要だからというコトバと、だから 電気が必要だから東電はなくてはならないというコトバと、「今回の事態は想定外であった」という。 想定外(そうていがい)という 自分たちの予想を超えた責任を感じることができないほどの異常な自然災害としての地震と津波のためにこの放射能漏れ事故は起きたのであるという言い逃れを必死でやっている。 すでにそのような答弁を、東電は始めている。
同じく、真の元凶のGE社の手先どもは「GE製の原子炉を40年も使っていたのだから、東電が悪い」という製造物責任の理念を故意に忘却させる煽動言論と騙しの風聞(ふうぶん)を故意に日本国内に流している。
製造物責任(プロダクト・ライアビリティ)は無限責任であり、無期限責任であり、かつ無過失責任である。このことの法律学上の理論は 私はここではしない。
海江田万里(かいえだばんり)経済産業相は、ぶるぶる震えながら「東電の責任は当然にある」と小さな声でしか言わない。細野豪志(ほそのごうし)”実質、原発大臣”は、「東電の責任がまずある」とはっきり言った。この二人の若い政治家の判断がまともである。しかし、ほかの原発推進派の、汚れた政治家たちは、たとえ若くても、民主党であっても、自己保身が先に走るので、東電の責任を口にしない。
いまや福島県民にとっても極悪人である原発推進の張本人の、渡部恒三(わたなべこうぞう)(彼は自分の配下にある福島の会津にさえ一度も帰ろうとしない)と、その子分である佐藤雄平(さとうゆうへい、恒三の甥、かつ秘書だった)現職の福島県知事が、本当にいまの原発を推進してきた政治家たちである。ここが地盤である玄葉弘一郎(げんばこういちろう)も同じように東電の家来として原発推進派で育てられた政治家であだ。自民党の石破茂(いしばしげる)も、娘は東電入社で同じように原発の 絶対推進派である。彼らにとどまらない。
このような大きな権力者たちの横のつながりは、IAEAやアメリカ政府に対してだけには、ビクビクして頭が上がらないその分だけ、日本国民を殺処分にしてもなんともない者たちだ。
原発から5キロの双葉町(ふたばまち)の鉄鋼所の若い経営者が、ついに怒りにかられて東電を裁判所に訴えたようである。「自分の仕事と人生を原発事故で、滅茶苦茶にされた」という怒りで、自然な行動として東電を裁判に訴えた。私は、いまからこの当然の怒りを表に出す現地の人々とともに徹底的に戦う。
それは、原発事故で酷い目にあった福島の人々たちを助けるだけのことではなくて、同じく放射能汚染の危険(しかし、3月17日からは、すんでのところで日本国民は救われた)にさらされたすべての日本国民の正しい怒りを自分自身のこととして私も徹底的に闘う。だから、冒頭で書いたとおり、私はとりあえず勝俣恒久会長、清水正孝社長らを、原子力委、安全委、保安院などもまとめて刑事告発して、検察官たちは彼らを国民に対する容疑者として、捜査を始めるべきであると考える。
なぜ、東電と原子力安全委員会たちが、刑事責任(刑事裁判)まで問われるべきであるか。
それは、普通の大企業であっても、もし、工場が爆発を起こしたり、有害物質を周辺に撒き散らしたら、まず、工場長が警察の捜査を受けて逮捕される。従業員や作業員が死んでいれば、業務上過失致死傷罪で裁判にかけられる。そして、経営陣までが、危険な工場の操業の状態を放置していたことが分かったら、経営陣まで逮捕し、裁判にかけられるのである。
なぜ、今回は、これほどの巨大な事故、災害事故を起こしたのに、誰も刑事責任を追及する動きが出ないのか。おかしいだろう。かつての公害企業に対する社会の激しい批判と同じような、それをさらに数百倍にした大きな批判が起きなければ、おかしいのである。
東電側は、すでに会長・社長見解で、想定外(自分たちの予想を超えた)の地震と津波のせいで、今度の放射能モレの大事故になったのだ、と逃げの理論をどんどん構築中である。この動きを急いで断ち切らなければいけない。地震の直後に、GE製の緊急用の冷却装置が壊れた。これが事故の原因である。応急用のディーゼルエンジンによる発電装置によるポンプの停止で、冷却水が回らなくなったのだ。それで原子炉の温度が上がって、大事故になった。だから、東電とGEが両方ともが徹底的に調べられて、刑事捜査の対象にならなければならないのだ。
私のこのような主張が、すぐに出てくると分かっていたので、だから、20キロ圏内に金網を敷いて、すべてを隠ぺいしつくす気である。日本国民は怒らなければならないのである。
ですから、この私の文章を読んでくださる 弁護士たちに訴える。どこの組織や勢力にも属しない、かつ遠慮もする必要のない弁護士で、今度の事態を自分自身の怒りとして受け止めることができる人は、どうか、名乗り出て、私に連絡してきて、裁判所や検察庁に対して書類を提出する仕事を手伝っていただきたい。 私宛て GZE03120@nifty.ne.jp
にメールを下さい。
どうせ、弁護士という職業だって、裁判所 という 権力者たちの 出入りの業者のような惨めな職業であることを私はよく知っています。
私は、『法律学の正体』と、『裁判(という汚い制度)の秘密、カラクリ』の著者です。
いま私たちが戦わなければ、いつ戦うのか。誰かがやってくれるだろうではすまない。そして、この大事故から1カ月半の間、私自身も「 誰がどうやって、これほどの凶悪な大事件の責任をどのようにとるのだ」という問題で、ぼうーっと考え込んできた。やはりもうこのままではすまされなくなった。あの極悪人どもは一切の責任をとらずに、逃げ切ろうとしている。
「ハイ。辞任します」と言って逃げをうつつもりである。逃がしてたまるか。まず、この者たちを処罰することができなければ、日本国民は未来永劫にわたって、自分たち自身が、黙って殺されていく動物たちと同じ運命を辿るのである。このことを、覚悟すべきである。私は、一介の言論人、評論家だが、自分がここで動かなければ、自分もまた口ばっかりただの弱虫人間になってしまうことに激しく気付いた。誰かがやってくれるだろう。あるいは、「どうせ なるようにしかならない。仕方がないんだよ。このままずるずるどこまでも……」と、いつもどおりのアホズラを下げた日本人のままで生きていくことになる。
もっともっと、他に書きたいことがありますが、ここまでにします。数日後に、今日のぼやきに載るだろう、私の動画での 話を聞いてください。 副島隆彦 拝
続けて副島隆彦です。 以下に転載しますのは、私に寄せられた読者からのメールです。
涙が出そうになるほど、切実な内容です。 皆さん、じっくりと読んでください。
(転載貼り付け始め)
●Sent: Thursday, April 14, 2011 1:06 PM
To: snsi@mwb.biglobe.ne.jp
Subject: お礼
副島様
今日のぼやき のアップを心待ちにしているものです。
お礼を申し上げたく、初めてメール差し上げます。
私の実家は原発から31kmにあり、日々心が休まりません。叔母一家は、原発から19.5kmにある工場を明日から再開せねばなりません。
果たして、その地域は大丈夫だよと断言してくれている人がいましたでしょうか?
聞きたかったのは、まさに副島様 がおっしゃっている言葉だったと改めて気付きました。それをテレビの向こうではなく、原発の正面玄関の現場から発信されていることに感動いたしました。
大変失礼ながら、副島様 がいっていること、恐れ多くも、仮に真実ではなかったとしても、それでもなお、私、南相馬市民は最高の勇気をいただいておりますこと、一言お伝えしたくメール申し上げました。 渡部
Cc:
Subject: Re: お礼
Date: Thu, 21 Apr 2011 13:09:51 +0900
南相馬市の 渡部さまへ
副島隆彦から
早くにメールをいただいており、ありがとうございます。
ようやく福島第一原発の放射能漏れも、落ち着いて来たかな、と思っていましたら、
今度は、 20キロ圏への 立ち入り禁止(避難した 住民でさえ) となりました。
私は、このことで、3月末から、ずっと不愉快で苛立っていました。私も入れなくまります。南相馬市の中心の 原町(はらまち)に、私と弟子たちの学問道場の活動拠点の家を借りる(買う?) と考えていましたが、 10キロ圏の浪江町(なみえまち)の人たちが、どんどん移り住んできていると聞きました。
それで、 考えを変えまして、 田村市( 船引 という288号線沿いの 山の中の町) に家を確保することに決めました。 私は、これから何度でも南相馬に出かけますので、そのうち お会いください。 私の携帯は***********です。
一度、お電話ください。 皆様、お元気で、震災と原発事故から立ち上がり復活してください。
副島隆彦拝
Date: Thu, 21 Apr 2011 18:29:47 +0900 (JST)
From: **********
副島様 ありがとうございます。私は、今、南相馬市長と福島県知事に下記のようにメールしたところです。長文メールお許しください。
南相馬市復興のための連日の激務、心より感謝しております。
私は原町区、原発より19.5kmに位置する工場経営関係者、渡部と申します。
この度の総理からの指示書(警戒区域設定)を拝見し、申し上げます。
津波、地震、原発で住む家を失い、残された工場だけが最後の希望のとりでです。
工場稼動のために、立ち入り許可をください。指示書によれば、警戒区域設定の権限は、総理ではなく桜井南相馬市長にあります。
工場は稼動できます。お客様も5月までなら待ってくださいます。放射線量は福島市、郡山市、鹿島区より少ない地域です。同心円20KMに設定するのではなく、風向きによる帯状に広がった地域の方々を心配されてください。
私どもの健康被害に関して、国や市への責任は追求いたしません。その旨、誓約書を書きます。3重苦の上に、法的強制による更なる苦しみはもう嫌です。国が、私たちの健康を心配するなら、そんな表面上の一時的なやさしさは結構ですと申し上げたい。
私たちにも選択権をください。希望を失い屍のように生きながらえるか。例え短い人生になろうとも、大事な工場とともに、自分の人生を100%思う存分、全うするかの選択権です。どう人生を生き切るか、選択権を奪う権利は国や南相馬市長様には、断じてありえない、と申し上げたい。
苦渋の決断でした、とおっしゃらないでくさい。なぜなら答えは、シンプルだからです。
答えは、「各市民の幸せのため」です。それでは、南相馬市が統一できなくなりますか?
各個人の自由意志で、健康被害の責任を国や県や市に問わないという条件で、立ち入りさせてください。
それが、国が出来る福島への罪滅ぼしであり、最大の激励になりませんか?
国は、何を今さら危険だから来るな、なんていっているのか(笑)。もともと100%安全ではない非常に恐ろしい原発のそばで、私たちは生活してきたではないですか。今こそ、市民ありきなのではないですか?
もしも生き方の権利さえ奪おうとされるなら、工場停止により顧客を失いますので、家族7名と、従業員の生活を死ぬまで面倒を見ると補償してください。それは、100%今の日本の財政では無理ですね。ならば、私たちから工場(希望であり命)を奪わないでください。これ以上、国にだまされるのはごめんです。南相馬市長の大岡裁きによるご判断が、真の意味で市民を救います。
平成23年4月21日 渡部 電話************
(副島隆彦注記。 以下の文は、 阿部 真由美さまからのメールです。名前を出して、転載してくれていいという、ご本人からの許可がありました。 )
● Date: Fri, 22 Apr 2011 00:35:35 +0900
To: snsi@mwb.biglobe.ne.jp
Subject: 放射線被ばくについて(その1)
From: ***************
2011年4月22日
題名 : 放射線被ばくについて(その1)
初めまして。 阿部 真由美と申します。
学問道場の掲示板をごく最近拝見し、副島さまの行動力に驚きと賞賛の気持ちで一杯になり、深く考えさせられました。放射線について、思うことがあり、いきなりメールをさし上げるご無礼をお許し下さい。
私はちょうど30年前の19歳の時に、乳がんの全摘出手術を受け、その後、放射線治療を行いました。当時はインフォームドコンセントなどという観念はほとんど存在せず、がん告知すらしない方向の時代でしたので、その時受けた、放射線(当時はコバルトという放射線でした。現在はライナックとか、名前が違います。)の被ばく量も知らされていませんでした。
ただ一カ月くらいの期間で、週に5日やって2日休むというようなサイクルだったと思います。
その間に血液検査をして、白血球が減少しますので、(7000〜8000くらい、普段はあるのですが、3000代に減少)3000を切りそうになったら、しばらく休んで白血球の回復を待って、再開する、というような話を受け、治療を進めました。
幸い、私は3000を切るほどまでに落ち込まなかったので、順調に治療は進み、1カ月程度(当時は入院して治療でした)で終わった記憶があります。一時的に落ちた白血球も、多分ひと月足らずで、元の数値に戻ったように思います。医療の事情も現代は違っていて、実際に放射線治療をしている友人たちは、白血球が1000を切らないと中止しないし、通院ですし、また白血球を上げる注射なども使用するようです。
さて、その後、私は結婚し、子どもも3人生まれました。現在高1を筆頭に3人とも全く健康です。私自身は、乳がんは再発せず、転移せずで、42歳の時に(7年前)子宮頚がんを発症しました。その時に、医師に言われたのは、もし進行しているがんならば、放射線治療を行うという話でしたが、「19歳のときに行った放射線治療の被ばく量がわからないのにどうするのですか?」という質問に対し、医師の答は、「当時の標準的な放射量を考えて、それを引いた量で行います」ということでした。
医療用とは言え、一人の人間の被曝量は決まっているようです。ちなみに、現在乳がんで放射線治療を行う場合、大体60グレイのようです。おそらく私も同程度と考えていいのではないかと思います。
グレイのシーベルトへの換算がわからないので、ネットで調べてみましたが、グレイ=シーベルトと考えて良いようです。間違っていたら、すみません。
ということは、放射線治療を行う乳がん患者は、60シーベルトの被ばくをしているということです。おそらく1〜2か月の間に。ひとつだけ申し訳ないことに、調べてもよくわからないのですが、医療用の放射線は、いわゆる今回の原発事故で放出された放射性物質と異なるのか? ということです。
「量」という切り口で言えば、私が受けた量は大変な量ということです。実際、治療中は、白血球数が落ちている時は、2階の病室に登る階段で、疲れて一気に登れないことがたびたびありました。まだ10代の若者であったのに、です。けれど、それも、退院後はすっかり回復致しました。「質」ということでは、セシウムやプルトニウムなどという物質が騒がれていますが、医療用放射線にはそれらが含まれているのかいないのか、ということがわからないのです。
また放射線治療はあくまでも外部被ばくということですね。
局所に放射するのだし、技師は、そこらあたりに技術や医療機器の精度を求められているようです。医療のお話ではないので、これはここらあたりでやめておきます。
結論ですが、「量」のお話で言えば、私自身は元気で今現在ここにいるということです。
チェルノブイリでは、甲状腺がんが、事故後、増えたという統計のお話ですが、がん患者である私(その他大勢のがん患者仲間)に言わせれば、統計の数字の恐怖ということを身を持って存じております。
何故なら、予後に関して、ステージ(進行度)がいくつ(?〜?)だから、5年生存率90パーセントだ、50%だと、必ずデータがあるからです。
確かに進行度や悪性度の指標にはなるものですが、5年後生きている人にとっては、データが90%でも50%でも、生きてる確率は100%だった、
亡くなった人にとっては、0%だったということです。自分自身にとっては、0か100しかないと思うのです。「侮りすぎず、恐れすぎず」これはがんに対して私が持っている感想です。同じことが放射能にも言えるのではないかと痛感するこの頃です。
私は副島様の、「もうこんなに神経質に生きるのはやめよう」という言葉に深く同感しました。パーセンテージに振り回されるがん患者を多く見たせいなのかもしれません。
私のようなケースはラッキーだった、そんな人もいるさ、と言われればそれまでですが、本当にそうなのでしょうか。
放射線治療後の予後を検証しているデータが足りていないのかもしれませんが、(晩期放射能障害という言葉もあります。20年30年後に出る?)私の親しい人で、お母さんが、広島で被爆し、その後、広島球場で、死体を集めるボランティアをしていたときに、「黒い雨」が降り、暑い日のことだったので、球場で働いていたそのお母さんを含め、みんなで、「ああ気持ちがいい」とシャワーのように浴びたそうです。その方は3人息子さんを生み、(次男が私の友人です)皆今も元気で、お孫さんもいます。お母さんは、もう80代で、広島在住です。
まるで、即死しかねない毒ガスのように、放射能をみなさんが怯えているのは、正しい知識と検証データ、そして希望が足りないからなのではないでしょうか。そう思えてなりません。
それが言いたくて、長々とメールを書いてしまいました。副島様には、心からの敬意と、共感を持って学問道場を拝見させて頂いております。今の日本には副島さんのような方が必要だと痛感致しております。一気に送れなかったので、3回に分けさせていただきました。
長々と読んでいただきありがとうございました。
阿部 真由美
阿部 真由美 さまへ
副島隆彦から
メールをありがとうございます。
阿部さまの、熱意のある ご自分の 乳癌の放射線治療を受けた実体験から
の、本当の 文章を読みまして、私も自分の主張が、補強される気持ちで、
感謝の気持ちを持ちました。
この文章を、 是非、 学問道場の 重たい掲示板 に 転載させてください。
その際にお名前をどうするか、です。 お名前を伏せるべき、と お考えなら
そのようにいたします。
私自身は、今は、強行軍を繰り返しましたので、いささか疲れています。
福島第一原発のまわりの 海辺の被災者の靈と、 今も 餓死しつつある
20キロ圏に放置されたままの 動物たちの靈が 鎮魂を求めてさまよっている
からのように強く感じます。 副島隆彦拝
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦 拝
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