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@ 我々の本質は、「人間」でもあるが細胞の「集合体」であり「集合意識の総和」でもある。そして、我々は「人類の中の1個の細胞」であり、地球ガイアの中の「人類という細胞集団の中の一つの細胞」でもある。
それは、人体にたとえると、心臓や肝臓などの「機関」の中の1個の細胞が「私自身」を意味する。
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A ミクロの我々は今も戦い続けている。
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最初の生命は「単細胞生物」であったが、それが進化の過程において「多細胞生物」に発展した。単細胞生物は、細胞1個で考え行動しなければならない。食べて逃げて生き延びるためには、味・嗅・触・聴・視覚の「五感の作用」が必要だが、単細胞では十分な機能を保持することが出来ず、敵に食べられる可能性が高く、生存率は非常に低いだろう。
そこで、細胞同士が「合体」して「多細胞」に発展した。同時に役割分担をして、手足になるもの、骨になるもの、耳になるものなどが現れた。
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B 脳は我々の本質ではなく、パソコンであり、ディスプレイ画面に過ぎない。
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多細胞での「職掌分担」により、目の役割や耳の役割の者たちが集めた体外情報が、「中央司令部」である脳に送られて情報が瞬時で分析されて、『逃げろ』とか『食べろ』とかの命令が下され、瞬間的行動に移って、「明日の命」を得ることになる。
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したがって、生命の本質は「脳」ではなく「一つ一つの細胞」なのである。また、脳の機能は腸にもあり、消化吸収に関することは脳とは独立して行っている。心臓の脈動も脳の指図を受けないし、内臓秩序は自律神経系統が行っているから、
脳の機能とは、対外的なものに対して(味・嗅・触・聴・視覚の)「五感の作用」での情報分析と判断の機能を有しているに過ぎない。
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(ただし、下等生物が(電気信号を含めた)物質的な脳しか持たないのに対して、人間が(脳の上位に位置する)非物質の「魂」を持っているのは謎である。
魂は人体にとって「客人」であるのだが、我々は虚構世界で仮想体験をしているに過ぎないから真実のことは分からないし、彼らは教えてくれない)。
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C 本当の我々は毎日、戦い続けている。
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我々の細胞レベルでは、毎日が戦いの連続である。腸では無数の「細菌」が人体を攻撃しているし、肺でも皮膚でも同じであり、集合体としての人体は無数の外的の攻撃を受けている。
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そして、体内では「白血球」とか「キラー細胞」とかが、24時間休み無く体内を巡回し、外敵を発見すると(自己を犠牲にして)敵を殲滅している。もしも、進入した外敵に敗れたときには、全体の「死」につながってしまうのだ。
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D (中途半端な文章で終わるが)、最後に、我々が真に進化を求め明日を求めるなら、私利私欲(エゴ・自我)を捨てて、「全体の中の自分」という考え方に改めなければならないだろう。
それは、部分的な一つの機関の中の「パーツの一つ」に過ぎないだろうし、倒れても誰も振り向かないような存在であるかも知れない。
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だが、その一生とは、仲間全体のために貢献することであり、
一生の喜びとは、仲間全体の喜ぶ顔を見ることであり、
一生の夢とは、子孫全体の繁栄であり、子孫全体の喜ぶ顔を見ることである。
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子孫たちも、その後に続く子孫たち全体のために生きてゆく。そしてそれは、全体に対する「愛」でもある。
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