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@ はじめに
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政治や軍事問題は、(身近な人との会話は別として)、今後は語り難くなるだろう。ネットで発言するなどは「狂気の沙汰」とでも言われるだろう。
それは戦前の歴史が証明している。ましてや「作戦部分」にでも触れようものなら一撃で殲滅されることだろう。
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そこで、今回は、「歴史の検証」をするにとどめたいのである。
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ドイツと大日本帝国の足取りを振り返れば、未来も推測できるというものである。日本とドイツは相似形であり「巨大な実験場」でもあったのだ。
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A 「第一次世界大戦後のドイツの歩み」の研究(概略)
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第一次世界大戦で「帝政ドイツ」は崩壊した。そして、ドイツは国土の割譲・法外な賠償金・軍備の削減など「ヴェルサイユ体制」の鎖に縛り付けられた。
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ドイツ国内では、ハイパーインフレに苦しみ、政治の「ドタバタ喜劇」(悲劇)に翻弄されたが、経済は少しずつではあるが回復を見せてきた。
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だが、1929年(昭和4年)の「世界恐慌」がドイツ国民を「奈落の底」に突き落とした。
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そんな絶望の中に「希望の光」として登場したのがヒトラーであった。ヒトラーの弁舌に人々は魅了され、人々はヒトラーの次に発せられる言葉を待ったのである。
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ヒトラーは、1933年(昭和8年)にはドイツ議会の第一党の党首として首相に任命され、翌1934年(昭和9年)にはヒンデンブルク大統領の死去により大統領職と首相職を統合した「総統」に就くことがドイツ国民による国民投票の圧倒的支持により可決されたのである。
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(ヒトラーは独裁者として権力を掌握したのではなく、ドイツ国民の圧倒的支持によって合法的かつ適法に権力者になったのである)。
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ヒトラーの政策は、人々には思いつかない発想だった。それは1例を挙げると、100個しか生産能力の無い工場に200個を注文したのである。当然ながら従業員は2倍に増やされた。かくしてドイツには失業者がいなくなったのである。
そして、それはまた、「アウトバーン」の建設でもあり戦車や大砲の製造でもあったのだ。
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★ ヒトラーの軍備増強に、ボールドウィンやチェンバレン、ルブラン、ルーズベルトたちは沈黙していた。
ルーズベルトには、1929年以来の長引く不況から早く脱出したいという「アメリカ国民の願い」があったのかも知れない。
(アメリカ株式が1929年の暴落以来、株価が回復したのは第二次世界大戦に突入してからというのは「歴史の皮肉」かも知れない)。
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B 日本の歩み(概略)
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日本は「欧州大戦(第一次大戦)景気」で好況に沸いたが、戦後の大不況に苦しんだ。追い討ちをかけたのが1923年(大正12年)の「関東大震災」であった。
さらに1929年(昭和4年)には「世界恐慌」に止めを刺されて、日本は最後の望みをかけて「大陸」に突き進み、「十五年戦争」の泥沼に陥ったのである。
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C 学べ。学んで、未来に羽ばたけ
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我々は今、進化のための歴史教育の中で、『何がいけなかったのか。どうすれば良かったのか』、を「体験学習」しているのである。
それは、机上で本を読みながら勉強するよりも、はるかに有効であり効果的である。頭で覚えたことは直ぐに忘れるが、体で覚えたことは死ぬまで忘れないからである。
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