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暗黒舞踏ノート 2  寺山修司長編叙事詩 「李庚順」
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/851.html
投稿者 愚民党 日時 2012 年 10 月 26 日 23:58:47: ogcGl0q1DMbpk
 


  寺山修司長編叙事詩「李庚順」=井内俊一
   (20分)
 
 ●舞踏 伊野尾理枝 
      <衣裳は黒い稽古着>
    
 マイク使用。 

井内俊一の衣裳は<とび職>の作業服とする。


井内俊一の朗読と伊野尾理枝の舞踏はきわめてシンブルな舞台になるだろう。

<文明は滅んでも母死なず、百年たてど母死なず、千年たてど母死なず、万年たてど母死なず> 寺山修司

李庚順の物語には反語として寺山修司の根幹テーゼである母の基調がある。

伊野尾理枝の舞踏はギリシア神話の<バッカス>を想起させるだろう。

伊野尾理枝の黒い稽古着が劇場の風をはらむとき、ギリシア神話が降臨する。劇場の始原へと帰還するとき、舞台は原始の裸像となるであろう。

イラクの劇団、バクダッド・シアターはフセイン政権に弾圧されロンドンに亡命した。1950年代イラク共産党は50万人の党員をもち国内最大の動員数があり、女性閣僚を政権与党に送り出していた。

サッダーム・フセインが大統領に就任する直前の1979年5月(7月に就任)に「バアス党以外の政党の軍との接触禁止に違反した」(実際は一党制の確立が目的と言われる)ということで非合法化され、1989年には7万人の党員が逮捕された。知識人のシンパも多くが教職を失っている。演劇文化の暗黒時代である。

2003年3月、世界二重帝国の逆襲として米英同盟軍がイラクに侵攻する。イラク戦争によってバアス党独裁のフセイン政権は打倒された。その後、イラクの石油はシュルなどの世界的規模石油メジャーによって私物化された。バクダッド・シアターは30年ぶりにバクダッドへ帰還し公演をした。劇団員がそこで見たものは文明の崩壊だった。インフラは全面的に破壊され「千夜一夜物語」を生んだ千年のバクダッド文化は廃墟となっていた。1950年代、1960年代の労働者人民の息吹は虚無の都市へと転倒されていた。死の舞踏、ペストである。かつて「芸術家よ、くたばれ!」と叫んだ「死の教室」カントールの世界こそバクダッドであった。現在の生者は過去の死者に問われている。

大英帝国にとってはイラクとアフガニスタンはかつての植民地だった。第2次世界大戦後の第3世界独立国の登場と発展は、みごとに世界二重帝国の逆襲としての米英同盟軍により壊滅されていった。これが21世紀の幕開けでもあった。文化もまたインフラである。人間の基調生活を支えるインフラは壊滅されていく、これが文明の壊滅として現出した21世紀ゼロ年代でもある。全世界はグローバリゼーションの名のもとにフッラト化されていく。これが異化装置でもあった。演劇とは陰謀であるが、今や陰謀はメリーゴーランドとなって普及している。

二週間のバクダッド滞在からロンドンに帰還したバクダッド・シアターの劇団員は全員、寝込んでしまったという。その後、体を壊し病気になっていった。ここには表現者の21世紀問題が世界同時性として表出している。

石油がないアフガニスタンはもっと悲惨だ。紀元前4世紀、アレクサンドロス大王はこの地を征服し、アレクサンドリアオクシアナと呼ばれる都市を建設した。アレクサンドロス大王軍の末裔こそアフガニスタンの人々、きわめて戦闘的な民族なのである。国の基礎であるインフラは徹頭徹尾壊滅され、粒とされてしまった。人々は飢餓に落とし込められ芸術表現どころではない。

文明崩壊の廃墟の匂いを拡散させながら、すでにグローバルによって包囲されている21世紀問題。表現者はまず生き延びる必要があるが、その方法の模索と人生案内のために、文明批評としての寺山修司演劇論集は現在進行形として実在する。

<文明は滅んでも母死なず、百年たてど母死なず、千年たてど母死なず、万年たてど母死なず> 寺山修司

朗読15分過ぎ、井内俊一は衣裳の上を脱ぎ、袖に投げ込む。上半身があらわになる。   
 朗読15分過ぎから舞踏者がゆっくりと袖から舞台奥へなだれこむ。

朗読15分過ぎからホリゾンには<ジョルジュ・ドン>の<ボレロ>が投影される。映像は粗野なアマチュアが撮影したような汚く破綻したものでなくてはならない。著作権侵害におびえながらテレビ画面に写った<ジョルジュ・ドン>を撮影したかのようである。まさにその映像とは劣化した複写である。

粗雑な映像だが、あたかも<ジョルジュ・ドン>は朗読の音声を音楽として踊っているかのようである。
 

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コメント
 
01. 2012年10月31日 02:22:14 : ui4eW2YS8U
「・・・・私の方から三島さんの体を強く抱きしめ、その首筋に、激しいキスを
しゃぶりつくようにしたのだった。三島さんは、身悶えし、小さな声で、わたしの
耳元にささやいた。
「ぼく、、、幸せ、、」
歓びに濡れそぼった、甘え切った優しい声だった。・・・」

1998年3月、日本文学界を衝撃に包み、総ての「三島論」を木っ端微塵に
吹き飛ばしたと言われる、福島次郎の『三島由紀夫、剣と寒紅』80頁の記述である。
「、、私は、頭に灰かぐらをかぶったまま、キスを続けた。私の体よりもずっと小さく細い、
三島さんの体は腰が抜けそうに、私の両腕の中で、柔らかくぐにゃぐにゃになっていた。、」
福島次郎と三島由紀夫が出会っておよそ一ヶ月後のことだった。

三島由紀夫が身をもって、その滑稽を、その悲痛を、その短い生涯を賭けて顕現させた
誰もさえぎる事の出来ない真実がある。

人生は祭りの夜のように、あっという間に過ぎて行く、
神も教祖も天皇も王も、国家も民族も、どこにも在りはしない、
そのような卑小で笑止なものに入れあげる時間など、
どこにもない。

そのようなものに価値を与え、ぶら下がり、すがりつくのは、
楽なことかもしれないが、何の意味もない。
宗教、民族、国家などという薄汚いかたまりを、まず捨てることだ。
そのような小汚いものにしがみつく、
情けない男になっては、生まれてきた意味すらない。

2012年11月25日
三島由紀夫の少女のような喘ぎ声と、響き渡る高音の笑い声が、
狂いかけた列島にこだまする。

「、、記憶もなければ何もないところへ自分は来てしまったと本多は思った。
庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。、、」 『天人五衰』


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