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瑞穂の国、葦の原。
地図には載っていない増録の田園、夜の月光に群青の息。
増録とは第2次大戦敗戦後、豊田村の民が開墾していった山奥のちいさな盆地。豊田村は稗田(ひえだ)と呼ばれていた。古文書には伊勢神宮に奉納した「稗田御厨(ひえだみくりや)」という記述がある。
稗田の里には那須与一の兄である稗田九朗の館があった。源氏の軍に参戦したのは那須与一とその弟のみ、那須与一の兄たちである那須一郎から那須十郎までは平家軍に参戦した。稗田九朗とは平家軍に参戦した那須九朗のことである。那須九朗は平家が源義経によって<壇ノ浦「子午線の祀(まつ)り」木下順二戯曲>で壊滅したのち、那須一族の国に帰還。その後、稗田九朗と名乗って稗田の地に館を築き稗田の国をつくっていた。やがて那須家は、平家と源氏の内乱に勝利し征夷大将軍になった源頼朝鎌倉幕府の梶原軍によって攻められる。烏山城をめぐる那須一族と鎌倉幕府梶原軍との戦い、那須一族は敗戦し、滅んでいく。それは東北の都であった平泉が源頼朝鎌倉幕府軍により滅ぼされたことに通低する。木の下の根元から民の精霊。女の黒髪が物語る吾亦紅(われもこう)。民が育て上げた植物生命体の国。敗北の過程とは根源への旅でもあった。
稗田九朗の行方は知れず、やがて稗田の館も廃墟となる、那須与一は放浪の旅に出たという。越後には那須一族の末裔がいる。稗田は明治以降、豊田村と改名、稗田の館があった場所には今、田園に囲まれた湯泉神社がある。湯泉神社はスサノオ神の息子である大己貴命(おほなむち)神をお祀りしている。大己貴命は、天孫たち、つまり大和による統一神話とは対局の神として登場する。特に『出雲国風土記』に詳しい。そこに語られるのは農耕神としての姿である。大己貴命は出雲大社の祭神である大国主命の別名だが、大己貴命と表記される場合には、山岳と関係する事象を表していることが多い。 那須連山とその里には湯泉神社が点在し、稲の原は黄金の田園なるが葦の原は鵠沼であった。そこに双頭の蛇、双体系による<もうひとつの日本>がある。
古代矢板の高原山には蝦夷と呼ばれた縄文人の鬼怒一族がいた。高原山には黒曜石の工房があった。「大化の改新」で暗殺された曽我入鹿の父は曽我蝦夷である。曽我一族は関東から東北にかける豪族として古代大和連合政権の中枢を担っていた。そこにはすでに双体系による日本の原基が成立していた。中世から近世における天皇と幕府の関係も双体系による日本原基があり、動乱とはこの機軸の「揺れもどし」の姿でもあった。
パスカルは「人間とは考える葦」と定性したようだが、パスカルは葦が群生する沼のことは語らなかった。近代合理主義思想の先駆者デカルトが方法序説を朗読するシーンはフランス太陽劇団(テアトル・デュ・ソレイユ)の主宰者アリアーヌ・ムヌシュキンが監督した映画「モリエール」に出てきた。当時のパリは道路にくそ小便を垂れ流していた。江戸の方が衛生環境は循環都市として整備されていた。1970年代の太陽劇団(テアトル・デュ・ソレイユ)のことは、佐伯隆行「20世紀演劇の精神史」に詳しく書かれている。
葦が群生する鵠沼には小川が流れていない。よどみ沈殿する沼である。還流がない場所に思考は誕生しない。人間の心にも沼がある。よどみ沈殿し、それはおのれを封鎖していくはずである。湖は川が流れ還流している。湖は回路が開かれているが沼は回路が閉ざされいる。人間の心も回路が閉ざされれば怨念がこもった「どろどろ」の沼地となる。どろどろの底の沼地から浮かび上がるのは希望たる黄土の出会いと再会、邂逅還流アジアンである。生き延びてきたことは奇跡でもあった。人間はアジアの還流ある風なしには、やっていけないし、生存できない。
日本の田園地帯である田んぼとは、百姓による「水の入りと出」の還流高度コントロール技術の結晶でもある。水の還流技術によって黄金の稲は生成してきた。日本の象徴である「米」とは還流技術の象徴でもある。精神と心は沼に陥穽してはならない。精神と心の回路を閉ざしてはならない。
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