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「それはコレでくるのじゃハハハハハ」…第二次大本事件の弾圧→日本の敗戦こそが神の経綸であった
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/767.html
投稿者 言華 日時 2012 年 6 月 24 日 23:27:30: JZNlYcsbtmYNY
 

*出口王仁三郎近影

「それはコレでくるのじゃハハハハハ」

■引用元:ブログ「月は盈つとも虧くるとも」http://blog.livedoor.jp/oni567/archives/8080440.html

■出口王仁三郎に纏わる『真贋』論争は第二次大本事件による弾圧と日本の敗戦をどう定義付るかで大きく変わってくるが、それを論考するにあたり外せないのが王仁三郎の事件直前の言動や弟子、側近による記録であることは間違いない。

◆以下引用記事

先週の記事では、「『第二次大本事件で日本裁判史に残る大弾圧を受けた出口王仁三郎は、その計画が中途に挫折した所謂、『偽物』である』という考え方は実は誤りであり、『型としての大本が大弾圧を受けるように仕向けること』こそが王仁三郎の経綸の中核であった」ということをご紹介しました。今週はもう少しだけ深く、そのことについて触れたいと思います。

「吾こそは大本神諭で予言された本物だ」「この書物こそは大本神諭や王仁三郎が語り得なかったことを示す、神の計画を完結させる後継者となる神示だ」と喧伝する人達は、大本神諭や王仁三郎の意図をよく調べもせず「中途で挫折した」と勝手に断定していると言わざるを得ないと思います。

「雛型経綸」という戦前の「皇道大本」を日本の雛型に見立て、「神劇」としての大弾圧を受けさせることで「大日本帝国」の軍事支配と国民の経済格差を解消し民主的な社会を到来させた、という神秘的な解釈を受入れられるかどうは別にしても王仁三郎が大正末期から昭和10年の大弾圧・投獄をされるまでの期間、戦前の日本の政治、軍事、社会の風潮に対して大きな影響を与えたという事実は少し調べれば判ることです。

王仁三郎が大弾圧を自ら誘発し、「神劇」を神の経綸の通りに実施したこと自体が常人を越えた実績ではないでしょうか。また、自らが時の政府によってその生命を絶たれるかも知れない、家族や弟子、信者を危険にさらすかも知れないと分かった上でも神の計画通りに大弾圧を誘発させることは、相当の苦悩があったことでしょう。

まるで、「ユダヤの王、救世主」として庶民からはローマの属国状態からの解放や国家再建を期待されていたが、実は自らの命を犠牲に捧げることで人類の罪の贖いという神の計画を実施したキリスト教の教義を彷彿とさせるような話ですが、政府当局から逮捕される前日にゲッセマネの丘で苦悩したイエス・キリストの聖書の一節のような逸話が王仁三郎に関しても残されています。

まずは、イエス・キリストの苦悩の場面をキリスト教の聖書から引用しておきましょう。

マルコ福音書 一四章 32〜42節

 32 さて、一同はゲッセマネという名の場所に来た。そこでイエスは弟子たちに言われた、「わたしが祈りおえるまで、ここに座っていなさい」。 33 そして、ペテロとヤコブとヨハネを一緒に連れて行かれたが、恐れおののき苦悶しはじめ、 34 彼らに言われた、「わたしの魂は悲しみのあまり死ぬほどである。ここに留まり、目を覚ましていなさい」。 35 それから少し先へ行って、地にひれ伏し、できることならこの時を自分から過ぎ去らせてくださるようにと祈りつづけ、 36 こう言われた。「アッバ、父よ、あなたはどのようなことでもできる方です。この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしが願うことではなく、あなたが欲したもうことを成し遂げてください」。
 37 それから、戻ってきて、弟子たちが眠っているのをごらんになり、ペテロに言われた、「シモンよ、眠っているのか。ひと時も目を覚ましていることができなかったのか。 38 試みに陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は欲していても肉は無力なのだから」。 39 そして、また離れて行って、同じ言葉で祈られた。 40 再び戻ってきてごらんになると、弟子たちは眠っていた。彼らの目は重くなってしまっていたのである。彼らはイエスにどうお答えしてよいのか分からなかった。 41 イエスは三度目に戻ってきて、彼らに言われた、「ずっと眠っているのか。休んでいるのか。もう決着したのだ。時が来た。見よ、人の子は罪びとらの手に引き渡されるのだ。 42 さあ、立て。行こう。見よ、わたしを引き渡す者が近づいてきた」


王仁三郎は自身の築いた戦前の大運動「昭和神聖会(当時800万人の会員、賛同者がいた)」と、その中核となる教団、「皇道大本」に対する大弾圧が行われた、昭和十年、弾圧直前までに、弟子や側近、賛同者から運動を鎮静化、縮小し、政府を刺激しないようにと何度も忠告を受けていました。

自身の娘で後に三代教主となる出口直日氏(故人) でさえ、その行動の意味を理解できず運動に対する懸念を表明していたようです。(また、昭和初期のある時期には、直日氏の配偶者である出口日出麿氏を担いで王仁三郎から教団の実権を奪おうという動きまであったそうです。)

では、王仁三郎の大弾圧前の心境を窺える資料から引用します。

(引用開始)

(註:昭和10年夏、昭和神聖会の運動の一環であった「昭和青年会」が王仁三郎の指揮の下、亀岡の皇道大本の敷地(天恩郷と名付けられた明智光秀の旧居城亀山城址)にて示威行為と見得るような防空演習を実施しようとしていた…)

■昭和十年夏の演習

…昭和10年12月の大検挙の年の夏の大祭時にも、昭和青年会が地方から参集した会員に模範を見せるといって東光苑(天恩郷の敷地内)で防空演習を計画していた。

地方の宣教を終わって帰った私は、どの程度に演習するのかと神本泰昭氏(昭和青年会国防部長)に聞くと、実にそれは大がかりで本格的なものであった。「それはいけない、もっと縮小した余興程度にせよ」と注意したが、「すでに聖師(王仁三郎)からの許可を得ているし、各準備も出来た。今さら縮小することは困る」という。

そこで私は聖師に面会し「聖師のお言葉で小さく型をして見せよと言ってほしい」と頼んだ。すると聖師は「ヨシ、神本にそう言っておく」と言われたので私は安心し、祭典行事の準備などに没頭した。

…各地より参拝された幹部の方々と今後の打ち合わせをしていると、東光苑で歓声が湧き起こり、爆発の音がにわかに起こった。防空演習の型をしているのだくらいに思い、聖師のそばへ行くために東光苑のあたりを見ると…京都府の警察部長をはじめ、各特高(警察)の幹部等が二十名ばかり東光苑を注視していた。

これは何事だと思い、すぐ聖師のそばへ馳せつけてみると、京都の憲兵隊長を始め十師団の参謀もまじって東光苑の演習を見ている。空からは八日市飛行隊の飛行機が三機飛んで来て、模擬弾を落としている。東光苑は火の海となり、これを消化する青年会員が走り回っている。大変な演習である。

大国(註:この引用元文章の筆者)の頭をかすめたのは、京都府警の幹部は何と見たであろうかということであった。大がかりな演習はやるなと注意したのであるが、在郷軍人出の昭和青年会員たちが中堅になって、実戦に似たような演習をやってのけたのである。

■「コレでくるのじゃ…」

…総務会が開催された。…聖師も来られていたので私は思い切って、「これまでいろいろの運動をしたが、もうこれ位でしばらく運動を縮小するようにしたいと思いますが、皆様どう思いますか」と言うと誰も発言するものがない。二度も催促すると高木総務が「それがよい、当局をあまり刺激しても問題だから」と賛成してくれた。

…しかし他の総務は全く無言である。最後に聖師の御意見をとお願いすると「わしは反対だ、このまま継続したらよい」ということであった。そこで私は、東京で憲兵指令官の秦中将が「用心しないととんでもない誤解を受ける。国のためや国民のためとこちらは思っていても他の当局者はかえって邪魔者と見て、あるいは何をしだすかもしれないよ。注意してくれたまえ」と再三忠告してくれたことを話した。

すると(出口王仁三郎)聖師は

「それはコレでくるのじゃハハハハハ」

と笑って自室に引きこもられた。
その、コレ、というのは手を曲げて人さし指と親指を立てて見せられた。大国はピストルの形だと思った…

■第二次事件直前の聖師(王仁三郎)

その頃聖師は、近侍やその他の面会に来る人に「わしは南洋へ行く」とか「人の行かぬところへ行く」とか人々に謎のようなことを言っておられる。秋の大祭の間近かには、南洋のポナペへ行くとはっきり言われたり、いろいろのことを言っておられる。

…そのころ、(皇道大本の)幹部会が開かれ、聖師からの神命ということで、次のような特派派遣(王仁三郎の特命を地方の教会に伝える宣伝師(宣教師)の特別派遣のこと)が決められた。…全支部を回り、一か所へ会旗を招集して旗頭のご神体を調べ、立替え立て直しは近くに迫っていると伝達して帰れということであった。

大国には、中国、四国、九州を回って(昭和十年)十二月八日(大本事件勃発の日)に島根別院の大祭があるから、その時別院で会うことのできるよう帰ってこいと命じられていた。後で知ったことであるが、留守中、私の家に近侍をつれて霊界物語を毎日持って来られ、同一の巻を五冊づつ持ち込まれたそうである。これは何を意味するのか分からないが、二階があったがその一室に全部積み重ねられたということである。

東西に別れて特派され、各会旗を調べ「時が迫っている」と伝えるだけで、それが何の意味か、特派された者にもよく呑み込めなかった。ただ大国には「松江が終わったらしばらく休養させるから、それまで辛抱してくれよ」と言われた。ありがたいことだ、身体も弱っているようだからしばらく休養ができると喜んで私は出発した。次々といそがしい行程であった。途中、大谷君が「先生(この引用文の筆者)のそばに犬がついてまわっている夢を三回見ました。おかしいことですよ」という。

「そうか、あるいはスパイが私のまわりを嗅いでいるのかもしれない。だが何もありゃせんよ、まあこの旅行が済めば一段落だ、休養がとれる。その間に先祖の墓にまいって不孝をおわびしなくてはならない」と言いつつ十二月七日に松江に着いた。

■十二月七日の聖師(王仁三郎)

すでに着いておられた聖師に面会し、種々報告すると「ご苦労だった、サア茶を飲め」と自ら茶をたてて飲まして下さった。島根別院の大祭の準備はどうなっているかと案じて大広間の方へ行こうとすると、「どこへ行くわしのそばに居てくれ」と言われるので、そばに座って何をするでもなくじっとしていると、聖師は、「この別院には、茶室がある。二代(註:王仁三郎の妻、大本二代教主の出口澄教主のこと)を呼んでそこで茶を飲むことにしよう」と二代教主を呼ばれ、大国と共に茶室に入られ、聖師みずから茶をたてて二代さまに飲まされ、次いで大国に飲めと薦められた。

そして二回目には聖師が一口、二代教主が一口、残りの一口を大国に飲まされ「これで茶の晩餐会じゃ、ナザレの聖者キリストは多くの弟子と晩餐会をしたというているが、わしらは三人だけじゃハハハハハ」と笑われ、「大国、小遣いをやろう」と、手かばんから金を出されたので「もう一緒に亀岡へ帰るのですから金はいりません。小遣いは持っています」というと「イヤいることがある。コレだけは持っておれ」とポケットに押し込まれた。辞退したが、どうしても持っておれとのことであったので、何か入用なことができるのかなあと不思議に思いつつ「それじゃおあずかりしておきます」と答えた。 (註:王仁三郎は良く、霊眼でその人が必要なものを前もって持たせるようなことがあり、当人は不思議に思っていても後々にその理由が判ることがよくあったようです) 

その時、赤山は夕焼けで美しい景色を展開していた。雄大な美しい景色だなあと聖師は立って眺めておられたが、目を一転して赤山の紅葉を眺めつつ、

「『裏をみせ表をみせて散る紅葉』という一句がある。美しい句だが、大本は裏も表もなく、すべての人が神の道に救われて永遠の生命を天国に楽しむことが出来る道を開くために奉仕のまことをつくしているのだがなあ」と独語された。

これはまためずらしい聖師の独り言だと思い、私は二代教主と顔を見合わせて聞いていた。しかし既に日が暮れかかっているので、「私は地恩郷(註:大本の松江近郊の別の施設のこと)へ今夜は泊ることにしていますので、これから行きます。明朝早く帰ってまいります」(註:王仁三郎夫妻は地恩郷ではなく宍道湖の湖畔の大本の松江別院に宿泊していた。)とあいさつして退出し、地恩郷へと急いだ。

松江城を横に眺め、地恩郷へ行くため駅へ急いでいると、自転車で青年が「聖師様がお呼びになっております。すぐ引き返して下さい。」と、自転車の後ろに乗せて別院へいそいで引き返させられた。

「聖師様、何か御用ですか」と顔を出すと「ウン、一パイこれを飲め」とまた茶を飲まされた。「何か御用は?」と聞くと、「ハハハ、お前の顔が見たかったからなあ」と言い、何の要件もない模様であるので、何のことだと思いつつ、また地恩郷へと急いだ。すると、駅前まで行くとまたうしろから自転車で青年が追いかけてきて、引き返してくれという。何のことじゃとどなると、「聖師様がお待ちになっております」という。

しかたなく自転車のうしろに乗って引き返すと、聖師は座を立って玄関の所に待っておられた。そして「大国、チョッと身体の調子をみせてくれ」と言いつつ、私の身体を両手でなぞられ、お茶を飲まんかといわれるので、「お茶はもうご免です。はやく地恩郷へ行かねば、遅くなると向こうでも困りますので、御用がないならこれで行かして下さい」と強引に地恩郷へ向かった…

■十二月八日のこと

その夜はぐっすり寝込んだが、八日の夜明けに(地恩郷の)吾郷夫人に起こされ、「今、駐在の人が来て、松江の神劇(註:ここでは、この時、松江別院で実施される予定だった霊界物語等、題材にした実際の演劇のこと)のことで分からぬことがあると迎えが来ている。朝早く失礼だが一緒に来て欲しい、と言っているので…」と起こされた。

すぐ起きて何事か判らぬがと言いつつその私服の巡査につれられて小境の駅に着くと、五、六人の人が同じ車両に同情しに来た。松江駅に降りて駅前の広場に出たとたん、五、六人の私服がとり巻き、抵抗すると撃つぞと叫びつつ大国をとりまき、自動車に押し込んで松江警察につれ込んだ。

ヒョイと見ると応接室に聖師が立っておられ「オオ」と声をかけられると、警官が大国を抱くようにしてひきづって奥につれ込み、畳ばかりの部屋に入れて四人の巡査が監視した…

(引用終わり:『いづとみづ』誌1986年4月号掲載、「 第二次大本事件の原因は何か(3)」大国美都雄著)

引用文の著者の大国美都雄氏と王仁三郎夫妻の三人での最後の晩餐ならぬ、最後の茶会。なんとも日本文化を大切にして来た王仁三郎らしい逸話です。そして、何度も何度も、高弟である大国氏を呼び返し別れを惜しむ王仁三郎。宍道湖畔の美しい紅葉の景色と共に情景が目に浮かぶようです…

渡されたお金は、王仁三郎の予見どおり、大国氏の収監時に必要になったということです。

このような逸話が実際に多く残されており、王仁三郎が既に弾圧事件を予見しており、敢えて自らと家族や教団、運動団体まで犠牲にしてまでも、立替え立て直しのための「神の経綸」の為に全てを捧げようとしていたことが読み取れます。

以前にもご紹介しましたが、当に、大本神諭の「 この仕組みわかりてはならず、わからねばならず …」という言葉を顕すような実例ではないでしょうか。

大本神諭に述べられていた神の経綸についての不可思議な言葉は王仁三郎の一生について調べれば調べるほど多くの符号を見つけることができ、パズルのピースがピタリ、ピタリと嵌って行くのです。

神諭が、王仁三郎の身魂こそが「てんのみろくのかみ」として神の経綸を実施するその人だということを言葉を変え、繰り返し、繰り返し述べている理由が分かります。

そして、その王仁三郎は、生前の神業と霊界物語口述とによって、仕組みをなし終え、神の「水も漏らさぬ仕組み」に自ら驚きつつ「笑いの止まらぬ仕組み」であると獅子吼しているのです。

王仁三郎は霊界物語の拝読を、誰が何と言おうと継続するようにと、その真の遺言に残しています。
王仁三郎の予言や事績に驚き、興味を持ち、彼を知ろうと欲する全ての人にお願いしたいのは是非、彼の言葉を直接『霊界物語』から読み取って頂きたい、という事に尽きます。

(『霊界物語』の膨大さに圧倒されている方は、王仁三郎の孫で作家でもあった、出口和明氏のドキュメンタリー小説『大地の母』から入るのも良いかも知れません。)

では、今日も最後に王仁三郎の和歌を幾つかご紹介させて頂きます。

人生の業務を忘れて自己愛に溺(おぼる)る人の多き御代なり

人生の大目的は地の上の妖邪を払ひ潔(きよ)むるにあり

濁りたる世を清むるは人生の最大一の天職なりけり

無意義なる生活を為す人々の末はかならず亡びを招かむ

主(す)の神の人を斯(こ)の世に降(くだ)したるは天地に奉仕の為と知らずや  

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コメント
 
01. 2012年6月25日 18:24:57 : mYj8IdVPgg
明治糞ボケはさっさと首くくって氏ね

[削除理由]:阿修羅にはふさわしくない言い回し、言葉の使い方の投稿
02. 2012年6月26日 01:21:19 : LlJfcErIao
「大本は裏も表もなく、すべての人が神の道に救われて永遠の生命を天国に楽しむことが出来る道を開くために奉仕のまことをつくしているのだがなあ」

言華さま

美しいお名前ですね。

さて、一言私見を書き込みます。

天理は「ひらかな宗教」なる異名を持っており、漢字に訳すことに意味が無いとは申しませんが、言霊を持って神意を感得するに当たっては、漢字解釈は二の次にしたほうが良いと思っている者です。

さて、「から」ですが、当然「唐」と言う字が様々な意味を含み持ちえますが、「から」という啓示から、内に響く言霊に感得するものは、現代社会を支配する原理原則です。

すなわち「虚無」という「からっぽ」を感得するものです。

「からがにほんをままに」という神示は、にほんを霊主体従を理解する御霊と置き、「から」は虚無と置きますと、肉体人間が虚無に染まる条件とは何であろうか、というのが当方の追及視点であるので、現時点で思うところでは、「物質主義・唯物還元主義」の世界認識であろう、と言うものです。(私見では既に確定的ですが。)

から、即ち虚無とは、神霊現三界より始まりし、存在世界において、「出自を忘れた人間(自分がどこから来て、どこに行こうとしているか)」が持った、「存在の忘却から来る、無意味、無価値、無力の三つの無の観念から派生した想念体(それが、「邪神三体」。親=人間の想念)が、虚無では在りませんか。

この虚無の想念体は、その発生原因が人間の虚無観念に基づくものですから、その存続自体が、人間の継続的な虚無感が即ち食料とも言える、「人間の虚無を貪る闇」と解することが出来ると思っています。

想念体にとって、己の存続が人間の虚無感の継続にあるが為に、不可視の世界(幽界)から、発生源(親)である人間に、逆作用を行い、過去五千年における人類の家畜化(虚無の供給源)が「歴史」と呼ばれるものと理解しております。

から、即ち虚無の化け物が、家畜化への戦略として人類を教化(狂化)したのが「唯物還元主義」であり、現代においてそれは最も達成させられしものではないでしょうか。

長らく日本人は、霊的観念を持続させた民族であったと、江戸時代を論考するたびに思うのですが(浮世絵などの世界観念から)、その決定的破壊としての明治維新(命餌異心)が計画実行されました。唯物観念が広く日本人に洗脳された時代です。

その時代が、天理から大本への霊脈の現われの背景であったと思う当方ですが、聖師王仁三郎が、計画通りに全てを行ったわけですが、天理にも見られるとおり、その「未完」そのものが「完成」である理では無いでしょうか。

当時の高弟であっても、誰も理解できないということも、全てひっくるめての経綸と思われます。
故に、その経綸の意義を問う論議は、「的外れ」にも感じます。
不可視世界の写し、そのまた還し(現世の業)にも、完結しない完全性が表現されている気がしてなりません(未完成であることが、宇宙が完全性を持っていること)。

現時点では、虚無は断末魔の叫びを幽界より発し、その顕在化が、世界支配構造(闇に魂を売った獣性人間)の焦りとなり、奴隷長である日本国の官僚を通じ、内閣を追い込んでいるが為に、野田政権の狂乱模様と現れていると見うけますが、いかがでしょうか。

この支配構造にも、まもなく終焉がまいります。虚無の怪物(三邪神)も、それは解っている、認めたくはないが当然の理ですから、悪あがきしかすることがない状態でしょう。

問題は、その邪神に魅入られた邪心の輩(獣性人間)の魂(当方も含めて)にあるように思われます。

聖師曰く「大本は裏も表もなく、すべての人が神の道に救われて永遠の生命を天国に楽しむことが出来る道を開くために奉仕のまことをつくしているのだがなあ」と在るように、全ての御霊は、親神の子であるがゆえ、善悪を抱きまいらせて進む天の道が親心、人間が人間自身で脱人間=唯物還元主義を敢行し、ヒトへのトランスフォーム(変換)を挙行する時代が、マヤの時間観念の始まりである本年=虚無の役目の終焉ではないでしょうか。

全てが逆回転してきた世界認識の転換により、霊主世界(ようきぐらしせかい、千年王国、みろくの世)が、「電子の逆回転」より起こり、いったん全ては解かれて、存在世界は「裏返される」時節が到来したのではないでしょうか。

悪しき歴史は必要であった…

全ては経綸(しくみ)であり、我々には「未完成」に見える現象が、存在世界の源においては、「水ももらさぬしくみ」と成っているとは見ることは出来ないでしょうか。

当方は「宗教嫌いの神様好き」な者でございます。
また、当方の取ってきた態度は、貴方さま初め、その道に一心に向かわれた尊き御霊方々からは、さっぱり落ち着かぬ根無しもの、と見られ批判されての参りました。
それを否定は致しませんし、あらゆる事象を横断せんとする浮ついた態度は、必然的に浅く広くとなるが必定であり、未熟者の誹りを免れません。

しかし現在に至るまで、「自分の主張こそが唯一絶対である」と言う見方を持って、他者を感化できたものは、如何ほど居られたのでしょうか(洗脳は出来たやもしれぬ)。

宗祖開祖の御魂を持ってしても、「いわんいえんのりをさとる」ということが、人間がヒトへと成る(「せいじん」しだいみえてくる)のではないだろうかと思うのです。

宗祖開祖の御御霊の、肉体における経綸が、その幕引き(所謂臨終)において、意外や聖人らしからぬ様相をお残しに成っているように、当方の目には映るのですが、その「啓示」の意味することは皆同じ、「自立せよ。依拠するな。一人ひとりが一(はじめ)である。」とお示しになっている気がしてなりません。
なにものにも囚われぬ生き方をなした聖師王仁三郎の姿そのものではないでしょうか。

「飯喰うまも、死の風は吹きさすむ。汝やその用意あるや。」(王仁三郎の言葉)


03. 2012年6月28日 07:58:18 : Xs0Gj9F23E
>02
から=虚無
仰る通りだと思います。が、もう少しイメージしやすい補足も出してみようかな、と。
私は、空っぽの「から」と、もうひとつ、カタチや感覚をイメージしやすいモノとしての、「から」も響いてまいりました。
喉が「からから」に渇く、ひ「から」びるの表現「から」も連想されるように、水分を失い固まったもの、内側の瑞水しいイノチある本体の対称であるところの、「殻」。
卵の殻、種子の殻、蛇や蝉などの脱け殻…。
本来の殻とは、決して悪いものではありません。むしろ、充分に成長し(強度を増し)、外気に触れても育っていけるようになるまで、若く(傷つきやすく)みずみずしい本体を守る役目を負った、立派な鎧(というか、磐境)ですから。また、卵、種子などは、外へ放出されるまで(母体や果実の外に出るまで)、水分を湛えたやわらかい表皮、脱皮生物の殻も、もとは柔らかい生物自身の表皮が角質したもの(メタモルフォーゼや巨大化のため)であったことから、ある一定の目的を果たすまでの「生命の容器」です。
ても、物質主義(唯物還元主義)の世の中になるにつれ、人々はなぜか、中の本体ではなく、役目を終えて中身が藻抜けの空(から)となった殻そのものに、価値をおき、同化さえしていくようになっていったのではないか、という感覚を得ております。
殻、というほど固いイメージのあるものではないですが、我々哺乳類にとっても、子宮、卵膜、その中の胎盤、羊水等、子宮はともかく、産まれたら用済みになる機関はありますね。まあ、たしかに、卵や種子の殻など、肥料として再利用したり、鶏卵の膜や、哺乳類の胎盤から抽出されるプラセンタエキスのように、皮膚や臓器のリヴァイタライゼーションに再利用できるなど、その後の利用価値が全くないとはいいませんが(それでも栄養分が残されている間の一回こっきり、再再利用はムリ)、まあ、江戸時代から肥料としての人の糞尿が、高値で取引されていたことからみても、全てのモノに価値を見いだして、利用、再利用するエコ姿勢は、見習いこそすれ貶める気はありません。
しかし、いつからの風習なのかは存じ上げませんが、日本で、臍の緒をわざわざ「からから」に干「から」びさせてまで後生大事に桐箱などで保存させておく風習。母子の絆の象徴という意味があるようですが、客観的に見ると、いささか気持ちが悪い。精神的なお守りという意味があるのかも知れませんが、現代の日本人が、江戸時代には人間のミイラが不老不死の貴重な薬だと信じて、食べるため、に高額で取り引きされたときけば、大抵「ぎゃあ!」「おえっぷ」となるのに、臍の緒を見たり触れたりしてもそう感じないのかなあ、とか、うーん、ものは見様で、これはプラセンタエキスの詰まった人の古い臓器の干物である、以外と栄養価が高くて旨いものかも知れない、と思ってひょいとつまんで口に入れてみるかと思ったけれど、もうニオイがした瞬間アウト。自分とかわいい子供のつながりを示す思い出の品のはずなのに、そうっとブツを桐の箱に戻し、手を丹念に洗い、目に付かない押し入れの引き出しの奥に退避させ、以後形状、触感、臭いなどなるべく思い出さないよう、意識の引き出しの奥深くに押しやっておこうと決めたとして、誰かが、「この女、なんて母性愛の薄い女なんだ、日本人の繊細な美徳の欠片もない!」なんてミイラ愛者でもない日本人に罵られた日には、たまったもんじゃない。
私なんぞは、全く風習の意味が理解できない非国民で結構(余計な思考実験やる方が悪い、と言われればそれまでですが)。
長々と、グロい話に脱線してお目汚ししてしまい(うっかり全部読んでしまった方には)申し訳ないのですが、
本体ではない「から」の方に価値を置く、ましてや同化するなんてことは、実際意識化してみると、それくらい気持ちの悪いことなのかも知れないという例として書かせて貰いました。
慣れ親しんだ風習というのも、別の角度から見ると、とんでもない視野が生まれてくることもあります。
ミイラ信仰に関しては、古代エジプトはもちろん、南米やイタリア等にも多く存在しており(食べるという発想はあまり聞きませんが)、日本の場合は信仰というより、即身仏ミイラのような珍しく、有りがたそうなものがいて、なにやら食べると上人様からご利益かいただけるらしいという噂が一部の金持ちの好事家の間に伝わったという類いの一時的なブームに過ぎないものと承知しているので、何も日本人(全体)が特別変わっていると言いたいわけではありませんが(こう書いてきて、02さんの仰る5000年の人類奴隷化のシステムと、ミイラ信仰の間に、何か関係があるかも…とふと思いましたが)、
みずみずしい、生きた存在ではなく、
殻、やら、ひカラびたカラだ、などというもの(まさに、虚無的なるもの)に人類は知らぬ間に支配されてきているのでは、という考察とともに、
そもそも殻は破れるもので、破り、脱ぎ捨てることをもってはじめてその役割が全うされるというもの、という認識のもとに、これ「から」は、ひとつ事象が終結して、その後に新たな、生き生きとした事象が続いていくというような、「接続詞」としての「から」として、支配するされるではなく、自主的に、創造的に使いこなせる時代を築いていけたらいいな、という思いとともに、打ち込みを終えます。

04. 2012年6月28日 08:17:14 : Xs0Gj9F23E
↑読み返してみて、自分なんてぐちゃぐちゃな駄文書いてんだろうと驚愕。
恥じ入ります…

ショボン


05. 言華 2012年6月30日 02:29:22 : JZNlYcsbtmYNY : Koh7vOuscQ
02さん、ペンネームお褒め頂いて嬉しいです。でも実は出口王仁三郎の歌集のタイトルの一つなんです。「から」=虚無という意味も確かにありますよね。出口王仁三郎の説く所の悪が勝っている状態、「体主霊従」そのものでしょうね。

06. 2012年7月03日 15:56:30 : MeTbKbFy7s
生き残った人は意味を「知る」。戦争やシベリア抑留で死んだ人は苦しみながら死んだだけ。
これで救われたと言うならオウムのサリン事件を誰が非難できようか?
そもそもオウムという言葉自体が大本を意識している気がする。
死んだら死に損、生き残ったらその出来事の意味まで「知って」生き得である。
今でもそうです。

07. 2012年7月05日 04:06:14 : Xs0Gj9F23E
>06
本当に、そうなのでしょうね。
確か、先頃の不思議系雑誌ムーであったと記憶しますが、ちょうどそう思ってたところに、ホンモノの「火の雨」とは、降り注ぐ放射能の雨であるとか…。
昨今のデモのうねりなど見ましても、ああ、いよいよほんとの、天下分け目の『大峠』に差し掛かったのだなぁ…
などと飯を食うが如く、淡々と流してしまう。放射能は辛いし怖いとも思うけど、予言は別に、恐くない(由緒というか、格にもよりますが)。怖いのは自己の内外の現実から目を逸らすこと、己のルートである「カミ」を感じないことではないでしょうか。

昔のノストラダムスの大予言とかで、まるで99年に世界が一気に核戦争やらで滅びるかのような噂が流れたことで、ははは、結局当たらなかったじゃん、と言う風潮が高まりましたが、私は、原文(の特に英語訳)にあたって自分なりに結論してましたが(詩偏そのものより、某有名著作者の解釈だけを鵜呑みにして)、私はめちゃくちゃ当たっちゃったじゃん!と思ったものです。前後期間平和の名のもとに支配するマルスって、どう見ても平和利用という名目の軍需産業、原発に代表される原子力産業だし(小部分集合で言えば、インターネットも当てはまるかも)、7の月ってフランス語、英語そのまま言ったらセプテンバー、つまり9月。その年の7月に、そう言えば、あの予言てなんだっけで思い出したら、妙なきっかけで響いてきました。日頃からお世話になってた魔王とも名指しされるとある存在から…。「近々、日本でレベル4、いや実際は5なんだけど、それぐらいの放射能漏れ事故を起こすよetc.」そりゃもうはっきりと響いてましたとも2か月以上前から。何が恐怖の大王って考えたら、目に見えないから、得体も知れず対応の仕様もない、いつ忍び寄ってくるかわからないでも確実に訪れる、悲劇の警鐘のようなもの、としか考えられなかった。第一、一気に人類が絶滅するんなら、誰も生き残れないと言うことになり、わざわざそんな断定的な予言詩残しておく意味なんて全くない。前後の期間もへったくれもないし、ましてや、滅びるなんて一文字も書いてないしねあの詩には。アンゴルモアの大王なんてのは、モンゴリアのアナグラム説とって、黄色人種の国で、(当時)最も強く豊かな帝国(?)であった日本をさしてるでもまあいいんじゃないかと言うことで。まあ、ズバリ当たっちゃったのは、JCO臨界事故でしょ。あれはなにごともなかったんではありません。実に、大きなカタストロフィの予兆そのものと捉えるしかないものでした。あのあと、日本では、(私の周囲の知人も含めて)累積的にがんや白血病の発症者、死亡者が増えていきました。単なる不況からくるストレスの増加?喫煙や食品添加物の影響?(最近の日本ではそれらの摂取量は劇的に減りましたが、がんは増加の一途を辿っています)。
私の周りには、予知能力や神秘体験のない人の方が稀なので(とはいえ、一切の宗教団体との関係はありません、念のため。だって嫌いだしw)こういったことを普段の日常で話すことに問題はないのですが、ネット上だと、こういう空耳の片隅でしか書く話じゃないですね。
ハイハイ、ノストラダムスも王仁三郎も、当たってないしなんだかよくわからないものですよねー、にしておいた方が絡みがめんどくさくない・笑


08. 2012年8月22日 13:24:16 : mhCaiFHwiA
大本 出口なおの神がかり(うしとらの金神)から始まり、2代目王仁三郎へ引き継がれた、うしとらの金神さまが本体(本尊)ですね?


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