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(写真は『霊界物語』 山河草木69巻 巻頭の口述者近影)
■私は出口王仁三郎の大ファンなんですが、阿修羅掲示板に時々掲載される情報の中には王仁三郎に関しての事実無根のこじ付けや嘘の情報と思われるものが多くて黙っていられなくなってしましましたので…
■『月は盈つとも虧くるとも』というブログから「出口王仁三郎の大予言:1995年の阪神淡路大震災」 http://livedoor.blogimg.jp/oni567/imgs/c/d/cd08fdc2-s.jpg
という記事を引用紹介します。
◆このブログで出口王仁三郎の予言を紹介するのは読者の皆さんを恐れ、怯えさせることが目的ではなく本物の予言とは何か、をお伝えすることで世間に溢れる「偽物」を判別するための目を養って頂きたいということが目的です。
そして「本物」である出口王仁三郎のことばやその著書に少しでも興味をもって貰えれば嬉しいです。
尚、出口王仁三郎本人が「万教同根」を唱える一宗一派を遥かに超えた人物であったように、王仁三郎を紹介するこのサイトも特定の宗教に勧誘しようというものではありま
せん。宗教的な部分も含めより深く研究したいと言う方は検索エンジンでお調べ頂けば既に豊富な情報が溢れています。
さて、いつものように前置きが長くなりましたが、本題に入ります。
ブログ主は実は関西出身で阪神淡路大震災によって知人を3人失い、あの震災で私自身の人生も大きく変わりました。
ですので、この王仁三郎の阪神淡路大震災の予言を紹介するのを少し躊躇しましたが、興味本位で軽々しくご紹介する訳では無いということだけはご理解下さい。
出口王仁三郎の主著、「霊界物語」の69巻には1995年1月17日に発生した大震災を予言したことばが数箇所に散りばめられています。
このことは、「霊界物語研究、宣伝の専門家(宣伝使)」の一人である中野揚子氏によって現「愛善苑」の発行する「神の国」誌1997年2-3月合併号にて「霊界物語69巻の予言」として発表されました。
この記事で中野氏は、霊界物語第69巻には王仁三郎が正確な日時を伏せ、謎を掛けながらも、神戸で1995年1月17日に震災があるということを予言した歌があるのではないかと指摘し、それを発見した経緯と共に記載されていました。
そして、この中野氏の発表を基に王仁三郎の孫の出口和明氏がこの巻を精査することで関連箇所をさらに追加発見しました。
今日このブログで紹介する内容は上述の中野氏や出口和明氏の論文と、該当する霊界物語69巻をブログ主が、読んだ上で個人的に要約した内容です。
(以下、ブログ主による纏めです)
この霊界物語69巻は出口王仁三郎が口述筆記の形で大正12年12月に口述したものです。
まずは、このブログの読者に、この本が口述され、出版されたのは阪神大震災の約70前であることを証明するために私が古書店で購入した昭和2年刊行の本の写真、巻末ページの写真をご覧ください。(引用元ブログに写真あり)
(膨大な霊界物語には12巻ごとに副題がついておりこの版の表紙では山河草木という副題が大書されています。出口瑞月は王仁三郎の号の一つです。)
右上に昭和二年十月二十一日印刷 昭和二年十月二十六日発行と読めますね。因みに定価は一円五十銭。まだまだ紙が貴重であり本が高価な当時としてはなんとか抑えた金額だったようです。
次に目次のページです。
一ページ目に「巻頭言」とあります。
問題の個所はここで、次に、この巻頭言に王仁三郎が載せた歌と日付の写真を見て下さい。
この「巻頭言」の中ほどに「第十八宇和島丸」という歌が掲載されており、この歌が問題の部分です。この歌の一部分、関連個所を下記に引用します。
尚、下記URLの「霊界物語ネット」にて、霊界物語原文を無料で閲覧確認できます。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm690001
(このサイトは宗教団体による運営ではありません。)
(引用開始)
第十八宇和島丸(だいじふはちうわじままる)
船の今神港波止場を出でむとし惜しみ見送る八人乙女等
…中略…
東路の地(つち)のさわぎを余所にして静かに浮かぶあはぢ島山
十二夜の月は波間に砕けつつ火竜となりて海原に踊る
月寒(さむ)く御空(みそら)にふるひをののきて星のまたたき清き海原
十二月十二の月影浴びながら水の御魂(みたま)ぞ初渡航する
十二月十二の空に瀬戸の海乗り行く火伏(ひぶ)せ水(みづ)の大神
…後略…
(引用終わり)
「神戸」、「淡路島」と言うキーワードと共に地震や震災に伴う火事を連想する言葉が散りばめられています。この年、大正12年9月には関東大震災が発生していましたが
東路(あづまじ)の地(つち)のさわぎを余所にして静かに浮ぶあはぢ島山
この歌は王仁三郎の神戸出港前に発生した、関東大震災の余震騒ぎを余所事の様に静かに海に浮かび、まだ自分の出番では無いとと云った風情の淡路島の姿を想像してしまいます。
さて、肝腎の点は、まだまだこれからです。
王仁三郎が当時発行していた機関紙「神の国」大正13年3月25日号には上述の歌に示されている神戸港からの出港の詳細が記録されています。
「伊予の道後温泉へ出立せんと神戸港を
はなれたときは甲子の新の一月十七日だった
この数字合わせて十八となる これは三六(みろく)の日数だ
波止場に見送る信徒は 男女合わせて十二人 随行六人
総計〆て また十八人となっていた これもやっぱり三六の数だ
乗込む船は第十八号宇和島丸の新船だ これも三六の数である
神戸立つ日は旧歴の 大正十二年十二月 十二日の三拍子揃い
これも三十六の数 やはり三六の発出船 三六成就の宝船
一考七人七福神の 気取りて進む波の上 高浜港に来て見れば
迎えの信者二十九人 一考七人合すれば やはり三六の数となる
道後ホテルに着いたのも やはり十八日だった
実にも不思議な三六の旅よ」
上記引用の中で、王仁三郎が神戸を出発した日は甲子の新の一月十七日=新暦の大正13年1月17日であると告げた後、その同じ日が、旧暦の大正12年12月12日でもあると
同じ年月日が新暦と旧暦で態々2回繰返し述べられています。
そして、もう一度、巻頭言の歌に注目して頂くと
十二月十二の空に瀬戸の海乗り行く火伏(ひふ)せ水(みづ)の大神
という歌が書かれていますが、この「火伏せ」「水の大神」を「日伏せ」「見ず」と読み替えた上で下記の「巻頭言」の最後の日付を見てみましょう。
ここには、この文章を口述した日が書かれていますが、新暦は伏せられており、旧暦しか記載されていません。(引用元に写真あり)
大正十二年旧暦十二月十三日とあります。
通常、霊界物語には旧暦と新暦両方の表示がありますが、この巻頭言には見られません。これでは何か特別な「日を伏せて」あると言わんばかりであると、思いませんか?
王仁三郎の予言では、何が起きるかを示す際には日にちを明示することはありませんが、この巻頭言では地震を連想させる表現を記載し、後世廃れる旧暦ではなく、「新暦の」日を伏せることで地震が起こる日を震災前後に発見させる目的が込められていたのではないかと思われます。
次に、「新暦の日を伏せた」ページから離れ、この霊界物語の69巻の少し先の72ページに移ると、下記の歌が掲載されています。
『黎明に向かはむとして天地(あめつち)は朝な夕なに震(ふる)ひをののく
大空に月は照れども村雲の深く包みて地上に見えず
甲子(きのえね)の春をば待ちて開かむと雪に堪へつつ匂ふ梅ケ香
時は今天地(あめつち)暗し刈菰のみだれに紊(みだ)る黎明の前に
天地(あめつち)の神の恵みの深ければ世を守らむと地震(なゐふる)至る』
「震ひ」、「地震」等、起きるべき事象が明確に示されています。
(時は今…の歌は震災の起こった夜明け前「黎明=夜明け」前をも暗示してるようです。まだ暗い時間に乱れにみだれる程(の揺れ)だと暗示しているようです…)
そして、この「地震」という語が明確に示されたページ数は「72ページ」であり、上述の、王仁三郎が神戸港を出発した日の旧暦大正12年から丁度、72年後に当たるのです。
* 新暦大正13年1月17日 = 旧暦大正12年12月12日
大正12年は西暦1923年なので、
阪神淡路大震災の1995年は丁度、72年後だった!!
つまり、年度は旧暦で、月日は新暦で見ると霊界物語の巻頭言と、「地震」と書かれた、この72ページの示す七十二年後の両方を別々に記載することで、阪神淡路大震災の年月日と何が起こるかをピタリと予言し、後世の研究者にエビデンスとして遺したという訳です。では、王仁三郎には全てが見えていたと言う事でしょうか?!
その可能性を考えるに当たり、最後に、このページが掲載されている霊界物語69巻第一遍第三章の関連部分をお読みください。
(引用開始)
… 奥の間の丸窓を開いて夏風を室内に入れながら、脇息(きょうそく)にもたれ、作歌に耽つてゐた。そこへしづしづと襖を押開け入来たるは末子姫(すゑこひめ)であつた。国依別(くによりわけ)は作歌に心を取られ、末子姫の入り来たりしことに気がつかなかつた。
末子姫は両手をついて、言葉もしとやかに、『吾が君様、御気嫌は如何
いかがでございますか……』と四五回繰くり返へした。
国依別は色紙に目を注ぎながら、
『黎明に向かはむとして天地は朝な夕なに震ひをののく
大空に月は照れども村雲の深く包みて地上に見えず
甲子(きのえね)の春をば待ちて開かむと雪に堪へつつ匂ふ梅ケ香
時は今天地(あめつち)暗し刈菰(かりごも)のみだれに紊(みだ)る黎明の前に
天地(あめつち)の神の恵みの深ければ世を守らむと地震(なゐふる)至る』
と口吟(くちずさ)んでゐる。
末子姫は一層声を高めて、『吾が君様、御機嫌は如何でございます』と繰り返へした。国依別はハツと気がつき、『アア末子姫か、何ぞ用かね』
末子『ハイ、至急御相談がございまして、御勉強の最中をお驚ろかせ致しました』
国依『ナアニ、勉強でも何でもない。三十一文字の腰折れをひねくつてゐたのだ』
『立派お歌が詠めたでせう。妾(わらは)にも一度聞かして下さいませぬか』
『ナアニ、聞かせるやうな名歌ぢやない。あまり気がムシヤクシヤしてゐるので、
歌までがムシヤついてゐる。今日はいつにない出来が悪いよ』
『あなたの歌は後になるほど、良くなりますからね。お詠みになつた時は、失礼ながらこんな歌と思つてゐましても、後日になつて拝読しますと、お歌がみな予言録となつて現はれてをりますの。松若彦も我が君のお歌はウツカリ見逃がすことは出来ぬ、残らず予言だと言つてをりましたよ』
『予言か五言か妖言か知らぬが、大したことはないよ。ともかく自身(じしん)のためによんだ歌うただからな、ハハハ』
『エ、何とおつしやいます。また謎を言つてゐらつしやるのでせう。近い内に地震があるとおつしやるのですか』
『ウン、地震、雷、火事、親爺、現代はモ一つ加(そ)へ物が出来た、それはいはゆるお媽(かか)だ、ハツハハハハ』
『わが君様、上流の家庭において、お媽なんて、そんな下卑た言葉をお使ひなさいますな。伜や娘が聞きましては、また見習つて困りますからね』
『ナアニ奥様といつても、後室といつても、御令室といつても、山の神といつても、お媽といつても、ヤツパリ女房だ。人間の附した名称ぐらゐに拘泥する必要はないぢやないか』
『今あなたは地震、雷、火事、親爺……とおつしやいましたが、それもキツと深遠な謎
でございませう。どうも貴方のお言葉は滑稽洒脱の中に恐ろしい意味が含んでゐるのですから、容易に聞き流しは出来ませぬワ』
『ハツハハハハ、地震、雷といふことは、国依別自身(じしん)が神也(かみなり)
といふことだ。お前は自信力が神様のやうに強いから、ヤツパリお前も自信神也だ』
『ホツホホホホ、よくしらばくれ遊ばすこと、そんな意味ではございますまい。火事
親爺といふことはどういふ意味でございますか、それを聞かして下さいな』
『いま警鐘乱打の声が聞こえてゐただらう。松若彦、伊佐彦の親爺連が、薬鑵頭を陳列
して、国政とか何とかの評議の最中へ火事がいつたものだから、親爺が驚いて高欄から転落し、腰を打つて、吾が部屋へかつぎこまれ、媽アの世話になつたといふ謎だよ、ハツハハハハ』
(以上、引用終わり)
如何でしょうか?
私はこの文章を初めて読んだときは鳥肌が立ちました。
王仁三郎はこの文章の口述当時、既に当局から目を点けられており、霊界物語に何十年も後の地震のことなど書くことができない状態ながらも、新旧の日付やページ数で「地震」が起きる年月日を示し、上述のコメディーの中にも彼の心の叫びが込め
られています。
「… どうも貴方のお言葉は滑稽洒脱の中に恐ろしい意味が含んでゐるのですから、容易
に聞き流しは出来ませぬワ 」
「いま警鐘乱打の声が聞こえてゐただらう…」
王仁三郎の「警鐘乱打の声」を「容易に聞き流さない」ようにして頂ける方が少しでも増えてくれればと祈るばかりです。
「 親爺連が、薬鑵頭を陳列して、国政とか何とかの評議の最中へ火事がいつたものだから …」
蛇足ながら、この箇所などは阪神大震災の火災の発生や政府の対応が遅く、国民から批判された事にまで言及しているようです。
そして、わたしの心には72ページのこの歌がとても強く焼きついています。
天地の神の恵みの深ければ世を守らむと地震(なゐふる)至る
王仁三郎がこの歌で訴えているように、恐ろしい大地震さえも実は、天地(あめつち)の神の恵みが隠されているのかも知れません。
王仁三郎の警告する「三千世界の立替え立て直し」に伴う大峠はまだ端緒にもついていないのかも知れず、今の内に「我良し、強いもの勝ち」の獣のような考えに染まりつつある我々に方向転換をする時間的猶予という「神の恵み」が与えられたのかも知れないと私は考えてしまうのです…
(ブログには最晩年の出口王仁三郎近影)
本日も最後までお読みいただき、有難うございました。
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