http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/548.html
Tweet |
C 1万三千年の旅路の意義と目的。それは選別であり、分かれて進化することでもある。
『エズラと神との対話の、元伊勢80社による解釈』
(原文はラテン語で書かれてあるが)3章から8章にかけて要約すると)、
◆ 人間は自分の未来さえも知ることが出来ないから、神の計画など到底理解できない。
◆ イスラエルの民を造った神以上に、人間はイスラエルを愛することは出来ないし、神の裁きも目的も理解できない。
◆ 最後の審判の日よりも早く生まれ過ぎた人々が審判に立ち会えないという不公平はない。神の裁き(最後の審判)はエンドレスの輪であり、始めも終りもなく皆公平である。
◆ 天国の入り口は人一人が通れるほどの狭い道しかない。
善人は少なく悪人は多いが、悪人は善人を磨く砥石になり悪い見本になり、自分を映す鏡になる。
蒔かれた種が全て芽を出すわけでもなく、花を咲かせるわけでも実を結ぶわけでもない。
.
.
.
『元伊勢80社の見解・選別の意義』
人間を選別するために「人間劇場」があるのだろうと思う。神(宇宙人・知的生命体)は人間の文明を圧倒する科学があり、遺伝子操作によっていくらでも神の子を造ることは可能だ。しかし、物質的人間(肉体)は科学で造り出せても、その精神までは作り出せない。
つまり、精神の多様性は神をも超越する「至高の存在」の領域に属するものだから、発展途上にある神(宇宙人・知的生命体)といえども自由には出来ない。
それゆえに、無数の子供を誕生させて、その個性に応じて進化させる計画ではないのか。
『元伊勢80社の見解・天国に入るべきもの』
大宇宙には絵に描いたように、花が咲き乱れてチョウチョが飛び交うような楽園などは存在しない。むしろ過酷な現実があるのではないのか。
もし、天国のような世界があるのなら、アダムとイヴに知恵の果実を食べさせて科学知識を与える必要はないし、戦争を繰り返す必要もないし、飢餓地獄や貧富の差を体験させる必要もない。アダムやイヴは牛のように草をほうばって生きておればよいではないか。
それが出来ないのは、人類の先祖が琴座領域のリラとかベガで絶え間ない惑星間戦争・スターウォーズを繰り返し、耐えられなくなった種族が太陽系に移動して「新世界」を築いた。
(それこそがイスラエルの建国物語と流浪のモデルではないのか)。
それゆえに、次代を担う神の子たちには連帯の必要性や、神・リーダーへの絶対の忠誠心、外敵を駆逐すべき科学技術の発展などを学ばせているのではないのか。そうでなければ戦争や科学技術や飢餓の体験や信仰の必要性などの意味目的が解けない。
『元伊勢80社の見解・異星人混入のなぞ』
地球にグレイとか金星人などが混入して人類と共存生活しているといわれる。それが事実なら何の必要があるのか。ある人は地球は壮大な実験場だというが、それはないだろう。神々は既に長い過去体験とデータを持っているから今更実験の必要はないだろう。
考えられるのは、思考と体験のためのトレーニング場としての意味だろう。本や映像だけでは極寒のシベリアや灼熱のアフリカは体験できない。実体験して初めて理解できるものだ。同じように戦争も飢餓も実体験して理解できるものだ。
それゆえ、様々な惑星から地球を訪問してくるのは思考と体験を得るためではないのか。
『元伊勢80社の見解・人間劇場は芝居である』
人間は絶対の善人もいなければ絶対の悪人もおらず、天使と悪魔の両面を持つ生き物である。神話に登場する神ですら善神・聖天使もいれば悪神・堕天使もいるではないか。人間より尊いはずの神に悪神・堕天使が存在するなどナンセンスではないのか。神とは善悪の二面性を持つ知的生命体である。そうすると、誰が天国に昇って地獄に落ちるのかという問題が生じるが、その査定基準とは何なのか。
人間劇場とはドラマであり、ドラマの水戸黄門のように正義役と悪役に別れて全員参加の芝居を演じている。そして芝居を演じながら様々に思考し体験しているのだ。
(そして芝居の幕が降りた後に『貴方は人間劇場で何を学び体験し、どのように思考したか』の卒業論文の提出を命ぜられて、次の進化の旅が始まるのではないか)。
『元伊勢80社の見解・守護天使や守護霊の存在の意味』
人間がただ単に刈り取られる麦なら守護天使や守護霊の存在をどう理解したらよいのか。全く必要ないではないか。必要があるから人間一人一人に配置してあるのではないのか。
それは人間が単なる麦の種ではなく、すべて貴重な神の子であり、次代を担わなければならないからではないのか。
『元伊勢80社の見解・人生とは輪廻の旅ではないか』
たとえて言うと、数人でレンタカー(肉体)を借りて、交代で運転して様々に経験することではないのか。運転手が自分であり助手席に指導霊、後部座席に守護霊や様々な霊が同乗する。なかには浮遊霊や自縛霊を拾うものもあり、激しく運転を交代する多重人格者もあるだろう。今のレンタカーを降りると、次のレンタカーを借りて再びドライブをする。
13000年の間に何回かの生き死にを繰り返す。人間の13000年といっても神の視点で見ればわずか13日に過ぎないのかも知れない。人間とはカゲロウ(蜻蛉)のような生き物に過ぎないのかも知れないし、青人草なのかもしれない。
★ 私の見解について反論は山ほどあるだろう。だが誰も真実は知らないのだ。チャネリングも預言も臨死体験も全て方便であり真実などは人間には理解できないし教えてもらうことも出来ないのだ。死んでみて初めて『これが真実だったのか』と分かるものではないのか。
D 日本の今後と運命 (今回は省略)
E 日本人は何処へ行くのか (今回は省略)
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ60掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。