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天皇家を守護する六芒星を成す六家 吾道、物部、忌部、卜部、出雲、三輪 合はせて七家、北斗七星を成す七家-c
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/529.html
投稿者 不動明 日時 2012 年 1 月 04 日 18:12:13: yX4.ILg8Nhnko
 

(回答先: 織田信長の背後にちらつく影 長篠合戰に現れた織田信長の本陣にゐる六芒星を附けた白裝束の三人は一體何者なのか?-c 投稿者 不動明 日時 2012 年 1 月 01 日 16:29:21)



 
 
 
 
  君たちの惑星の生命體はすべてひとつであり、其のすべてが故郷へ歸還しなくてはならない。
  完全な自由、責任と種を超越した調和が、故郷への歸還を可能にするだらう。
  種族や文化、國籍によつてゐる幼生的アイデンテイテイーは超越しなくてはならない。
  生命に對してのみ、忠誠を誓ふのだ。
  生き殘るためには、歸還の旅をするしか道はない。
  日本人は君たちの惑星で尤も進化した種族だから、君たちの仲間を保護して呉れるだらう。
  我々は、星々に目を嚮けるときがきた事を示すために、君たちの太陽系に彗星を送つてゐる。
  故郷に歸還したとき、君たちは新たな智慧と力を與へられるだらう。
  君たちの精子である宇宙船は、地球の生命體が開花した事を意味するのだ。
  仲間が集められ、旅が開始されるやいなや、戰爭、貧困、憎惡、恐怖と云つたものは
  君たちの惑星から消え失せ、最古の豫言と、そして天國のビジヨンが實現化するだらう。

  變異せよ!
  故郷へと凱旋するのだ。
 
 
「才を與へる 天の賜物」 圖案化された鍵となる遺傳子コード
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/223.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 10 月 15 日 05:44:16: yX4.ILg8Nhnko
 
 
 
 
六家+天皇家
合はせて北斗七星と成る
7=完全数6+完全数1=聖書的完全数=豊かさ、力
 
 
 
 
サキツミヨノフルコトノモトツフミオオイナルオシエ
先代舊事本紀大成經
 
 
徳間書店刊
平成十六年(西暦2004年)十月三十一日發行
後藤隆氏著
「超知ライブラリー006 謎の根本聖典 先代旧事本紀大成経」

第3章 世界中の「古代の叡智」は
    こうして文明の終着点「日本」に集った

    七十四頁據り


超古代の叡智は、どのようなかたちで日本に残されていたのか

 では、ここで言う「先の世の正しい叡智」、つまり超古代の叡智はどこにどういうかた
ちで残されていたのか。それが次の文章でわかる。
 
 
  大臣蘇我馬子宿禰に命せ、内録及び、吾道、物部、忌部、卜部、出雲、三
 輪の六家の神の先人の録所書紀を集命う。

  おおきみそがのうまこすくねにめいせ、うちつふみおよび、あじ もののべ いんべ うらべ いずも み
 わのろっけのかみのさきつひとたちのしるされしかきぶみをあつめしめたまう。
 
 
 大臣(おおきみ)である蘇我馬子(そがのうまこ)に命じて、内録と吾道、物部、忌部、卜部、出雲、三輪という六家
に伝わっている記録を集めさせたというのだ。
 「内録」というのは、三種の神器(さんしゅのじんぎ)と共に天皇が皇位を継承するときに相続される秘録のこ
とである。これは神武天皇に高倉下命(たかくらじのみこと)が奉納したと伝えられるもので、政道要諦、つまり
政(まつりごと)を行うために最も大切なことが書かれた書物だと『旧事本紀』には記されている。
 高倉下命というのは、『記紀』にも登場するが、神武天皇が東征の際に熊野で苦しんで
おられたとき、アマテラスの命によってフツノミタマという剣を届けた人物である。
 さて、六家から家伝の秘録を集めてはみたが、どうも肝心な部分が見あたらない。
 そこで聖徳太子は、《隠録(かくしぶみ)有らんか》、つまり「まだ他に隠し文があるはずだ」とさら
に探させている。
 すると、忌部とト部が、「私たちは一行たりとも隠してはいませんが、祖神から伝わる
《土笥(はにばこ)》を神武天皇の御代にご神体として祠に祀ったものがある」と申し出る。
 土笥とは、土で形作られた箱という意味だが、この場合は焼き物の容器という意味だと
思われる。
 ではそれを、ということで、忌部とト部の証言に基づき、小野妹子(おののいもこ)を平岡宮へ、秦河
勝(はたのかわかつ)を泡輪宮(あわのみや)へそれぞれ派遣し、神の許しを得て土笥を持ち帰らせる。ここで言う「平岡
宮」とは、現在、大阪府東大阪市に鎮座する「枚岡(ひらおか)大社」、「泡輪宮」とは、千葉県館山市
の「安房(あわ)神社」のことと思われる。枚岡神社はト部氏が属する中臣(なかとみ)氏の祖先神、天児屋根
命(あめのこやねのみこと)を祀った宮であり、もう一方の安房神社は忌部氏が代々祭祀を司(つかさど)る宮である。
 小野妹子と秦河勝は、無事土笥を持ち帰るが、この土笥、どうしたわけか蓋(ふた)が開かない。
群臣がよってたかって開けようとするのだがどうしても開けることができない。それが不
思議なことに、聖徳太子が手を伸ばすと、箱はそれだけで自然に開いたという。
 
 
  皇太子、自ら手を伸し、蓋を攀て之を矯に土笥は自開き、中より土簡を
 得り。おなじもの五十箇見われ、神代の事の跡、ことごとく茲に也分明せり。

  ひつぎのみこ、みずからてをのばし、ふたをよじつてこれをもたげたまうにはにばこはおのづとひらき、なかよりはにふだ
 えたまえり。おなじものごじゅっこあらわれ、かみよのことのありさま、ことごとくここにまたぶんみょうせり。
 
 
 その中には五十枚の《土簡(はにふだ)》が収まっていたという。
 土簡とは、文字を刻んだ粘土板のようなものだと考えられる。古代メソポタミア文明の
遺跡から楔(くさびがた)形文字が刻まれた粘土板が多数出土しているが、超古代の記録である土簡も
それと同じようなものだったのかもしれない。
 
 
 (中略)
 
 
 天皇家、六家、そして平岡・泡輪宮の両宮とバラバラになっていた超古代の叡智が聖徳太
子の手元に揃い、いよいよ編纂事業が本格的にスタートする。
 
 
 (後略)
 
 
 
『旧事本紀』はどこから出現したか

 聖徳太子は『旧事本紀七十二巻』の完成を急ぎ、心血注いだ。それはあれだけ膨大な
書がわずか三年足らずで完成したことからも窺える。
 なぜそれほどまでに完成を急いだのか、理由は記されていない。
 太子は、自らに残された時間が短いことを知っていたのかもしれない。
 『記紀』では太子は推古三十年(六ニニ年)の二月に亡くなったことになっているが、
『旧事本紀』ではその一年前、推古天皇の二十九年二月に没したと記録している。
 『旧事本紀』が完成したのは推古三十年だから、太子は完成した『旧事本紀』を見ること
なく世を去っていたのだ。
 そのため、秦野河勝が序伝に書いているが、残されたスタッフたちは非常に苦労してこの
書を完成させたという。
 
 
 (中略)
 
 
古代から数多くの氏族が権力を握っては滅びていった。そうした栄枯盛衰の歴史の中で、
綿々と生きながらえ、皇室と根強いパイプを持ち続けている一族が「秦」の一族だ。
 秦一族は、今でも皇室関係者の中に数多く存在している。宮内庁式部職楽部(くないちょうしきぶしよくがくぶ)はその典
型例だ。
 秦氏が歴史上で注目されるのは、聖徳太子との関係においてのみである。それ以外の時
代にも、彼らは重要な任を負っていながら、まるで物陰に身を潜めるように、決して歴史
の表舞台には立とうとしない。
 少なくとも秦河勝はこの書を学んでいるし、推古天皇の後に自ら序伝をかいていること
からも、聖徳太子亡き後の実質的編纂責任者だったと考えられる。当然、内容もよく理解
していたはずだ。
 読んでこの書の価値を理解していれば、それを自分の子孫に伝えたくならないはずがな
い。
 
 
 (後略)
 
 
 
さまざまな古史古伝、それらもまた『旧事本紀』である

 『旧事本紀』というのは、本來は特定の書物のタイトルではない。
 今の人たちは『旧事本紀』という名を特定の書物のタイトルと認識しているが、もと
もとは、日本の吾道、物部、忌部、卜部、出雲、三輪という六家と天皇を合わせた「七
家」に伝わっていた古代の学問書を一つにまとめたものの総称として、「これは、遠い昔
からの御技を教える学問書である」という意味で用いられた呼称に過ぎない。
 超太古に『旧事本紀』という書名の文献があつたわけではない。
 六家に伝わっていた古文獻に、それぞれの固有名称があったのかどうかすらわからない。
単に「吾道家伝書」と呼ばれていただけかもしれない。
 『旧事本紀』編纂に際し、特別、天皇家に貸し出されたこれら六家の古文献は、本來は門
外不出の秘伝書だった。
 なぜなら、その秘伝書こそが、その家を支える「屋台骨」だったからだ。
 家々の秘伝書の内容は、それぞれ異なる。それらを貫く天隠山理論は同じものであって
も、それをもとにした医術が伝わっているのか、暦法が伝わっているのか、あるいは占い
が伝わっているのか、祭祀(さいし)法が伝わっているのか、学ぶべきことはそれぞれ違う。
 そしてその違いが、そのままその家にしかできない重要な「おつとめ」の内容になって
くる。
 たとえば、物部氏は古代から軍部の仕事を司っていたことが知られているが、それはそ
のための学問が物部家に伝わっていたからだと考えられる。各家にはそうした専門分野が
あり、それぞれの立場で全力を尽くし協力し合うことで、天皇家を支えてきたのだ。
 『旧事本紀』の完成後、それぞれの家の秘伝書ぱ戻されている。天皇家は六家から秘伝書
を借り受けただけで、取り上げたわけではない。
 それら各家の秘伝書がその後どのような運命を辿ったのかは、わかっていない。
 もしかしたら、こうした各家の秘伝書こそがさまざまな古史古伝の原典なのではないだ
ろうか。
 『旧事本紀』が封印された後も、六家にはそのもととなった家伝書はそれぞれの家に残っ
ている。その秘伝書が、写し取られるなどして世に出てくる事は十分にあり得る。
 しかもそれは神代文字で書かれている。その写しが後世になって何かのかたちで世に出
てきても不思議ではない。
 しかも内容は『旧事本紀』と似ていて当たり前だ。
 現在、古史古伝と呼ばれる『古事記』以前の書の中には、『旧事本紀』とは別のルート
で、いわゆる「六家」から流出したものが存在している可能性がある。
 だがそれは、原本通り写し取っていれば『旧事本紀』と一字一句違わないものとなるは
ずである。神代文字を漢文に書き改める際に、当てた字が違う可能性はあっても、内容は
同じにならなければおかしい。
 しかし、実際に現在出回っているものを見る限りでは、「旧事本紀=古史古伝」とはな
っていない。似ている部分も多いが、そっくり同じとは言いがたい。
 もし、古史古伝の原本が六家の秘伝書であるならば、なぜこれほどの違いが生まれてし
まったのか。
 それは書き改めた者の力量の違い、と私は見ている。
 とりわけ最も重要な天隠山理論を理解できなかった可能性が高い。『旧事本紀』で天隠
山理論を完全解読できたのは、すべての秘伝書が揃い、その上、平岡宮、泡輪宮に秘蔵さ
れていた土簡まで加わったことが大きい。
 言い換えれば、たった一家の秘伝書だけでは理論を解明することはできなかった。
 さらに、書き改めた者のレベルが低ければ、曲解や誤解が生じた可能性もある。書き手
の勝手な思想も加えられた可能性さえある。
 聖徳太子と秦河勝は、『旧事本紀』の編纂にあたり、そのスタッフに「この本に色付け
してはならない」と厳命している。
 一字一句変えてはならない。読む人間の立場や読む人間の感想を入れてはいけない。秘
伝書をそのままそっくり写せと言っている。
 六家の秘伝書が各々流出し、書き改められたときに、これほどの配慮がなされたとは考
えにくい。
 古史古伝のルーツに『旧事本紀』にまとめられたのと同じ超古代の学問書が関わってい
る可能性は高い。しかし、それが『旧事本紀』と内容を異にする以上、脚色、改鼠(かいざん)されて
いる可能性もまた高いと言わざるを得ない。
 そういう意味においても、『旧事本紀』は、あまたある古史古伝の大本(おおもと)と言うことがで
きるだろう。
 
 
 
「先代旧事」と「神代皇代」

 (略)
 
 
 
聖徳太子が天皇にならなかった理由

 聖徳太子はなぜ『旧事本紀』を作ったのか。
 これはあくまでも私の推測だが、そこには当時の権力闘争が大きな要因の一つとなって
いたのではないか。
 それは太子があえて天皇位に就(つ)かなかったこととも関係している。
 太子の生きた時代は非常に権力闘争の激しい時代である。
 
 
 (中略)
 
 
 つまり太子は、最初は自分には皇太子になるような「徳」はないからと断り、さらに乞
われると今度は自分の寿命は五十歳でつきるが天皇は八十歳まで長生きするので、皇太子
になっても皇位継承できないからと、さまざまな理由をつけて何度も断ろうとしている
のだ。
 しかし天皇と群臣たちは諦めなかった。何度も太子に言葉を尽くし、ついには「伏して
願わくば」という強い思いで太子の承諾を取り付けたのだ。
 おそらく太子は、自分が権力闘争の真っ只中に立つことを避けたかったのだろう。
 だからこそ、叔母である推古天皇を立て、自らは自由な立場であろうとしたのだ。
 だが、それは許されなかった。
 それならばということで、天皇の下の立場である摂政という位で天皇を支えることを決
心されたのだろう。
 だが政治を動かすにはいつの世も「力」を必要とする。太子が政治手腕を発揮するには、
やはりそれをサポートするだけの「兵力」と「資金力」を持った存在が必要だった。
 その役割を果たしたのが、太子による『旧事本紀』編纂を事実上引き継ぎ、完成させた
秦河勝だった。
 秦一族というのは渡来(とらい)系の豪族だが、非常に裕福な上、大陸伝来の知識も身につけてい
た。その秦一族が総力を挙げて聖徳太子の政治をサポートした。
 摂政となった太子は、推古天皇のまわりに雑草のようにはびこる権力者たちをなぎ払う
ことによって、自分の理想とする政治を行おうとした。
 だが彼が理想とする政治を行うには、規範となる学問が必要だった。
 彼の理想は歴代の天皇が学んできた内録に基づく學問をベースとするものであったが、
それだけでは国の政治を完壁に動かすことはできない。祭事を行うには「占い」が必要で
あり「天文学」に基づく暦も欠かせない。つまり六家にしかない學問がなければ、天
皇家は国の政を行うことができなかったということだ。
 しかし、秘伝書というかたちで六祭学問を独占している限り権力闘争はなくならない。
 太子は権力闘争のない世を作るという自らの理想を実現するために、『旧事本紀』の編
纂を志し、秦一族が全面的にそれをバックアップしたと考へえられるのだ。
 
 
 
『旧事本紀』編纂は天皇家だからこそできた

 六家の学問書というのは、本来はその家の秘伝書、つまり門外不出の宝であるため、そ
れを集めるにはやはり「権力」が必要である。実際には対等の立場であつても天皇が至
上の存在であることは誰もが認めることである。
 だから太子は、摂政という自分の立場を利用し、当時としてはかなり強引な方法で学問
書を集めたということになる。
 六家はそれに対して逆らってはいない。
 序伝や序に書いてあることが事実だとすれば、六家は天皇家の「横暴」な要請に刃向か
うことなく秘伝書を差し出したことになる。
 六家の態度は、逆らってはいないが、協力もしないというものだった。
 天皇家の使者に対し宝物殿の扉は開けてあげるが、その中から必要な書を選んで渡すこ
とはしていない。「御入り用のものがあれば勝手にどうぞ」という感じで、使者に選ばせ
ているのだ。
 使者が選んだ書を持ち出すことを拒まない代わりに、「他にもこういうものがあります
よ」とは言わない。
 持っていくのなら勝手に持っていきなさい。ただし私たちはそれを本心では「許可」し
てはいないですよ、というのが六家のスタンスである。一子相伝(いつしそうでん)の「家の学問」を持って
いくということは、その家そのものの存続に関わる大問題である。
 喜んで出すはずがない。
 しかし、天皇家の申し出を断り争ってしまえば、日本の国を守る神事、祭事が何もでき
なくなってしまう。そうなれば家どころか国の存亡の問題に発展しかねない。だから六家
の人たちは、宝物殿の扉を黙って開けたのだ。
 これは英断としか言いようがない。国を思う心が勝ったからこそ、あえて黙って開けた。
六家の当主たちにとってみれば、先祖伝来の家宝の学問書が持ち出されるのを黙ってみて
いなければならないのだから、身を切られるより辛かったことだろう。
 だが、そうして使者たちたちが六家から借り受けた書を見て、太子は「これでは足りない。
まだ他にあるはずだ」と再度使者を六家に遣(つか)わしている。
 そこで「他にあるのではないか」と問いつめて初めて、六家の中の忌部とト部が神社に
土笥が納められているという事実を申告するのである。
 尋ねられれば正直に答えるが、こちらから情報提供は一切しない。それが豪族たちのささや
かな意思表示だったと言えるだろう。
 そうして苦労を重ねた末に集めた超古代の学問書を、太子は秦河勝に命じ神代文字を写
し取らせ、そのままそっくり意味を違えることがないよう細心の注意を払って漢文に翻訳
したのである。
 これは天皇家の「権威」がなければ、とてもできない事業だった。
 もしも同じことを天皇家の人間である聖徳太子ではなく六家の誰かがやらうとしたら、
間違いなく争い事に發展していただろう。天皇家と六家は「力」という意味では対等であっ
たが、日本という国における「かけがえのなさ」という意味では代わるものが
ない存在だった。
 六家の秘伝書を集めるのはもちろん大變な作業だつたが、集めた書を解讀するのはさら
に大變な作業だったはずだ。なぜなら、六家の秘傳はそれぞれの家にだけ伝わる固有
の神代文字で記されていたからだ。
 古代において神代文字はその「家」を表すものであるため、門外不出の秘伝であった。
つまり、万が一、誰かが家宝の秘伝書を盗み見たとしても、他家の人間であれば読むこと
はできないという仕組みになっていたのだ。
 ではその門外不出の神代文字を聖徳太子はどのようにして読んだのか。
 実は『旧事本紀』はそのことについて何も触れていない。
 解読に六家の人間が協力したのか……、それとも書き写してから解読したのか……、今
となっては知るすべはない。
 ただ、何らかの方法によってそれを「読んだ」ことは事実である。
 解読に際し六家の人間がそれを読んでみせたのかもしれない。
 教えてくれる協力者がいたのかもしれない。太子が六家の人間を説得したのかもしれな
い。
 何も書いていないので、実際のところはわからないが、読めなければ『旧事本紀』を作
ることはできなかったのだから、読んだのである。
 ここでもう一つ指摘しておきたいのは、『旧事本紀』に見られる卓越した表現力だ。大
和言葉を当時の外来語である「漢文」に置き換えるのでさえ大変な作業なのに、その漢文
の完成度は非常に高い。
 これは、渡来系氏族である秦一族の力に負うところが大きいと考えられる。実際、私が
『旧事本紀』を知人の中国人に見せたところ、非常に興味を持ち、彼が研究した結果、か
なり古い時代の中国語表現が用いられているという回答が返ってきている。
 大和言葉と古代中国語、この二つの言語に精通した秦一族なくしては、この編纂事業は
成し得なかった。それだけははっきりといえるだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
『此の警告文は「エメラルドタブレツト」の文章を聯想する』
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/463.html

この警告文の主は恐らくユダヤ祭祀一族のレビ族です。
私はレビ族に関して投稿しようとした時に極めて特殊な方法で警告を受けた事があります。
レビ族は中国で秦を築いた秦一族と同系統であり、
レビ族にはおそらく大秦国と書くローマ帝国に関して、実は陰の真の支配者だった等の秘密がありますが、
おそらくローマ帝国に関するそれらの資料は秦一族である秦の始皇帝が焚書坑儒で学者達が後世に残してしまっては都合が悪い多くの資料を抹消したように抹消されています。
秦の始皇帝が抹消を意図した歴史資料の核心は、始皇帝の秦一族がローマ帝国の方から来た人達で云々といった事だった筈です。
秦一族が日本に来ている以上、ローマ帝国・秦・古代日本で、レビ族・秦一族に関する核心的な歴史資料が抹消され情報操作が為されている筈です。
 
 
 
 
 
 
 
 
龜石傳説 大和湖が再び現れる龝(とき)
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/334.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 11 月 08 日 18:07:50: yX4.ILg8Nhnko

八咫烏に導かれしサツカーに據る~國日本の磐戸開き
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/303.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 10 月 31 日 22:44:15: yX4.ILg8Nhnko

クムランの人々はどこかに落ちのびて其の傳統を守り續けてゐますよ。彼等は此の世の終りの戰いには、必ず現れて何かをする筈です
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/158.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 4 月 30 日 01:04:18: xsXux3woMgsl6

廣隆寺牛祭 終末の時に嚮け、肖えて隱れてゐたんです?
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/210.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 10 月 08 日 13:00:20: yX4.ILg8Nhnko

人に見せるとびつくりして氣を失ふもしれんから石にほらせて見せておいたのにまだ氣づかんから木の型をやつたであらうがな
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/853.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 8 月 12 日 06:27:20: yX4.ILg8Nhnko

良い宇宙人と悪い宇宙人
ひふみ神示黎明編
NO3863 空に龍現る! 何かの前触れかと噂に(千成・12月31日)
http://www51.tok2.com/home/slicer93190/10-7863.html
 
 
 
 
 
 
 
 
数字の秘密
http://www.geocities.co.jp/MusicHall/4053/Kabbale.html

アルファベット 11 (救い主は地の七ツ星 )
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/332.html
投稿者 散史 日時 2010 年 3 月 04 日 15:48:45: gWGjY3X98XDf6

「飛鳥斑鳩聖徳太子」藤原京の謎
藤原京の謎 〜岩屋岩陰遺跡 part1〜
http://www011.upp.so-net.ne.jp/dhistory/syo_0o6.htm

播磨の大地に刻印された星座:秦氏、北斗七星、如意輪観音 - マネジメント徒然草: まつしたヒロのブログ
http://blog.goo.ne.jp/humanservice/e/b0cfea47e419b1a547d745029aca17c5

今日のぼやき 会員および会員予定者用ページ
大避(おおさけ)神社と聖徳太子と妙見(みょうけん)信仰、古代日本の謎を解く
http://snsi-j.jp/boyakif/diary.cgi

奈良・平安の星辰信仰とプトレマイオス3部作【横浜こども科学館 天文民俗学】陰陽道と宿曜道(1)
http://www.asyura2.com/0406/bd36/msg/319.html
投稿者 エイドリアン 日時 2004 年 7 月 13 日 00:28:12:SoCnfA7pPD5s2

邪馬台国の謎を解く (気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板)
http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/825.html#c24
投稿者 五月晴郎 日時 2010 年 11 月 24 日 23:32:37: ulZUCBWYQe7Lk
 
 
 
 
鶴(ゼウス)と亀(シリウス)が統べた日本[かごめ歌]/竜宮乙姫「瀬織津姫は恐るべき神」と本居宣長
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/845.html
投稿者 そこちょっとつんつく 日時 2011 年 8 月 12 日 04:54:27: 8EItFG7yGzQIA

日本(ウサギ達)は鰐(ワニ)が守る/土星のリングを作り出し常駐する巨大UFO
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/844.html
投稿者 そこちょっとつんつく 日時 2011 年 8 月 12 日 00:52:51: 8EItFG7yGzQIA

「我は天帝、龍神シリウスなり」徴の星/2008年北斗七星
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/794.html
投稿者 そこちょっとつんつく 日時 2011 年 7 月 22 日 19:15:26: 8EItFG7yGzQIA

日本人の2大神シリウス星人(龍神)の動きが活発化の模様
http://www.asyura2.com/11/test24/msg/210.html
投稿者 そこちょっとつんつく 日時 2011 年 12 月 11 日 15:32:54: 8EItFG7yGzQIA

ウィングメーカー:(666の獣)の侵略/母なるシリウスへの願い
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/452.html
投稿者 そこちょっとつんつく 日時 2011 年 12 月 13 日 14:04:39: 8EItFG7yGzQIA

ホルス神の裁き/もうすぐ文明終了はどうやら避けられそうに..
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/516.html
投稿者 そこちょっとつんつく 日時 2011 年 12 月 29 日 08:40:46: 8EItFG7yGzQIA

2012年アマテラス降臨予言(数学者岡潔)と瀬織津姫族の星の徴(超巨大UFO)の謎
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/465.html
投稿者 そこちょっとつんつく 日時 2011 年 12 月 17 日 18:30:15: 8EItFG7yGzQIA

最後は神シリウス龍神様の天皇家についていきなさいと王仁三郎翁
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/858.html
投稿者 そこちょっとつんつく 日時 2011 年 8 月 14 日 11:32:34: 8EItFG7yGzQIA

 
 
 
 
 

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