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いるみなてい
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/457.html
投稿者 1984 日時 2011 年 12 月 16 日 16:51:30: 3SipOypTxKjgk
 

論考・八切史観  3より:

http://www.rekishi.info/library/yagiri/index.html


葉隠とは

さて、現今と違い戦国時代の日本の総人口は千万いるかいないかで、プロの連中は相身互いに生命を大切にしあい、それが「士道」だったのだが、やがて世の中が平和になり元禄頃になると、もはや前程はあまり死ななくなって人口が倍加してしまった。これは生活問題である。
 
それに慶長元和から殿様の領地も決まってしまい、家来が子供をうみ分家させるといっても、「そうか」と前みたいに気前よく扶持は出してやれない。だから百姓は、「間引き」と称し生まれてきたのを眼のみえぬうちに処分したが、武士の場合は、「大人を間引き」という事になった。端的にいうならば、浪人させて追い払うか、そうでなければ、「武士道とは死ぬこととみつけたり」と、かつては生き抜いてゆくための「士道」が、平和になるとこれがあべこべに扱われるようにもなってきた。

「図にはずれ(思惑どおりにならず)死にたらば犬死気違い死なりといえども恥にはならず、これが武道に丈夫なり。毎朝毎夕、改めて死に、常住死身になって居る時は、武道に自由をえ、一生越度なく‥‥」と、「葉隠聞書」第一にでている。
 
さて、これが流行した頃、明白に理解できる人が少なかったのか、誤読された傾きがある。「武道」といっても「武人の道」で、いわゆる武芸のことではなく、これの書かれた寛永正徳年間では、武芸の方は、はっきり区別されて、「武辺道」と呼ばれたものである。つまり、「葉隠」の書かれたこの時代は浅野内匠頭事件の十年後で、その影響が多く入っているが、もし浅野家にしても、いま考えられるような御指南番、つまり武道師範がいたものなら、内匠頭が無刀の吉良上野介に二度まで斬りつけ、「擦過傷」という事はあり得ない。[八切氏の他の著書では、『浅野は柳沢に命じられて単に吉良を挑発して抜刀させんとしたのみ』だったとの説もありますが]
 
講談で馴染みの高田の馬場の安兵衛も、「浅野分限帖」では、指南役でもなんでもなく無役となっている。だから第一行の、「武士たる者、武道を心がくべきこと、珍しからずといえども」から誤ってしまうが、チャンバラではなく武人の道、その心得をさして言っているのである。
 
だからして、槍や剣を鍛練し励んでいる筈の者がと解釈したのでは、(そうでないと、犬死気違い死しても、それは恥でない)というのでは辻つまが合わない。
 
ついでだが、「国学」とでてくる文字を、「平田篤胤や本居宣長の国学」と間違え、勝手に結びつけたがるむきも多いが、これとて、「鍋島家の佐賀の国の歴史」の意味なのである。

さて、「葉隠」は、藩中に不用の人を多くしない為みたいに、みな死ね死ねと書く他に、「聞書第二」には、まず男と女を結合させぬ方が、産児制限になると考えたか、「恋の至極は忍ぶ恋とみたて候、逢てからの恋のたけが低し、一生忍んで思い死することこそ恋の本意なれ‥‥」 プラトニック・ラブこそ最上であると、これなら絶対に人口が増えぬからと奨励している。しかし元禄期以降は、江戸表の直参の御家人あたりでも、(忍んで思い死は無理だが、せめて子沢山にならぬよう)と、正式には妻帯せず、知行所の百姓娘や奉公人を妾とし、これと同棲していたのは、故子母沢寛の幕末ものにもよく出てくる。(これは現代とは違い、昔の武士は、家名に世襲で扶持を貰っていたのだから、伜が成人すると自分は停年制をとって隠居願いを出し、入れ替わったものだが、もし当人が若死し子供が幼かった場合は、<役に立たぬ小児にお扶持を賜るは不忠>と辞退しなくてはならぬ。それゆえ、自分が早く死ぬ時のことを考え、殿や周囲に迷惑をかけぬよう、妾でもってすませていたのである。現代の男は先に妻を持ち、後から二号三号を作るが、昔の武士は反対だったのである)

つまり、これも士道で、持参金つきか良い家柄の女を嫁にするまでは辛抱していたもののようである。この士道は明治大正昭和になっても続行された。この結果が、兵隊はアマだから別だが、プロの尉官以上には適用、嫁とりの時は、「結婚願い」を上司に出し身上調査を憲兵にされて、相手の女性が花柳界出身などと判ると不許可になった。
 
端的に水商売がいけないというのではなく、(良い所から嫁さんを貰っておかぬと、戦死でもされたら上官や同期生ら周囲が後で泣きつかれて困る)という武士道が残っていたのである。
 
さて、今から数百年後の世になって、「昭和四十五年刊の『交通』という本に、道を横断する時は必ず左右を見るべし、ちょっと待て、頭をふって見て渡れ‥‥などと出ているところをみると、あの頃の人間は注意深く交通事故など皆無だったらしい」というような考え方をするのが、今も「葉隠」を奨める人たちの受け取り方ではなかろうとも、それは極端かも知れないが危惧する。といって、それは、「首うち落させてより、ひと働きはしかとするものと覚えたり」とか、「病死したてと、二三日は堪え申すべし」又は、「大悪念を起したらば、首を落ちたるとて、死ぬ筈はなし」といった非科学的な、神がかり思想をあげつらうのではなく、(死んでも奉公するから飼ってくれ、給与を頂かせてほしい、とCMしなければならなかった悲しい封建時代の奴隷の思想)を、「loyalty」といったもので再還元しようとする処の、唯、(判りやすいから、説得力があるから)というだけで、これを押しつけたがる売絵精神の歴史屋や思想屋を難じたいのである。
 
つまり、この遺著というのは、「中世紀の武士団はこうであり、ああだった」と客観的に述べているものではなく、例えば、殿様に刀の鞘ごとで殴られていた者が、誤って殿がその手から刀を取り落とし谷間へ落すと、自分も後から転がっていって、刀の鞘ごと襟首にさしてきて殿に奉ったというような話も、(我々は殿に対しては、みな家畜のごとく、かく従順なり)という手前味噌にすぎないのである。決して、それは士道といったものではない。(武士はもっと違ったもので、「彼奴はサムライだ」と今も使われるような存在だった筈である。というのはこの「葉隠」を残したと伝わる山本神右衛門が生粋の武家の出でなかった事に起因しているのではあるまいか)
 
なにしろ、生まれたとき口べらしの為に、塩売りの下人にやられようとまでした山本神右衛門は、小僧奉公ののち小姓、御書物手伝いになったとき、これでようやく一人前の扶持とり、つまり土地を貰える士分に取立てられるものと思っていたら、意外や「御切米仰せつけ」になった。これは何石とりという身分ではなく、「何人扶持」という軽輩の中でも最低の身分である。そこで山本は、(俺ほどの男を‥‥)と悲憤慷慨したので、「奉公の至極の忠節は主に諌言し国家を治むる事にあり、つまり下の方の身分などでは役に立たぬ。とはいえ家老職は奉公人の最上層ゆえ若くてはなれまい。よって五十歳になってからでも一度は御家老になってみようと覚悟をきめ、四六時中その工夫修行に骨を折り、紅涙は男だから出さなかったが、黄涙などの出で申し候程に、勤めに勤め努力したものである」と、その聞書第二の末尾に自分で山本神右衛門は書いている程である。だからこそ彼は、「若年の時分より一向(心)に、殿さまの家来はわれ一人だけと骨髄に徹し想い込み、ただ殿さま大切に存じ、何事にあれ死狂いは、われ一人と内心に覚悟したるまでに候」とか、「武士道とは本気にては大業(家老職)になれず、気違いになり死狂いするまでの努力なり」「奉公人の禁物は、大酒、自慢、奢なるべしと思う‥‥武士はまず身命を主人に奉るが根元なればなり」といった具合に、今でいえば山本は、「猛烈社員ぶりを発揮して、重役の椅子を狙ったこと」になる。ところが、(はたらけどはたらけど、なおわがくらし楽にならざり、じっと手をみる)のは、明治の石川啄木の歌だが、「励めども励めども立身できず、殿様から家老に取立てて貰える代わりに、『慰み方に召し使っている者は加増は遠慮ゆえ、志までにくれてやる』と夜着一枚だけ下しおかれた」というのが、死にもの狂いの努力の結果だった。
 
古来、百両のかたに編笠一つというが、五十余まで努力して、夜着一枚きりでは死にたくもなろうではないか。なのにこれを「売絵武士道」を説く連中は、「あわれ、この夜具をかぶり追腹仕るべきものと、骨髄有難く存じ奉り」の自嘲を字句通りにとって、殉死の精神と説いている。いくら山本神右衛門が馬鹿でもここまで、「忠義の手本」にされては堪ったものではあるまい。
 
彼が五十二歳のとき、世に望みを棄て佐賀郡金立村黒土原に庵をかまえ隠棲したのも、「鍋島家では百姓は奴隷として他国への逃散を許さなかったが、扶持をかつて与えた者も、やはり浪人させても在郷軍人として他国へ移動を禁ずる」 国法に縛られていたからである。そして、後世は、この書をもって唯一の武士道の聖典のごとく扱うが、これは山本にとっては、「怒りの書」でしかない。つまり、悲憤の血涙の文字であり、(自分は、かくかく努力して励んだ。なのに酬いられなかった)というものである。


 

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