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@ ひふみ神示・春の巻・13帖
『自分はよいが、世の中が悪いのぢゃと申しているが、その自分省みよ。・・』の研究である。
A 『原発事故の最大責任者は国民自身である』
以下その理由を述べたいと思うのである。
B 電力の不足の歴史
日本の電力の歴史は明治に始まり、西欧の進んだ文明社会を模倣して電気の時代に入ったが、電力の用途は民生用というよりも、「富国強兵」、「殖産興業」に集中投資され、産業用や軍需用に重点が置かれた。
都市部以外の一般家庭には明治時代に電気はなく、大正時代や昭和に入って40ワットの裸電球1個の時代になった。戦前には一般家庭にはテレビも冷蔵庫も洗濯機もなかった。
せいぜいNHKしか聞けないラジオがある程度だったのだ。
大東亜戦争の敗戦後は、朝鮮戦争の勃発までは産業の復興の歩みは遅く、一般家低の電力消費も伸びなかった。電力需要が飛躍的に伸びたのは「朝鮮特需」によるものだ。
その後は「高度経済成長」の大躍進が始まり、
『もっと光を』、『もっと電気を』、が国民の合言葉となったのである。
(データ) ★データの数値は各自で再確認のこと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・水力・・・・・火力・・・・原子力・・・総発電量
昭和15年(1930年)・・約85%・・・・約15%・・・・・0%・・・・・・250億kwh 前後と推測
昭和25年(1950年)・・・・80%・・・・・・20%・・・・・0%・・・・・・500
昭和35年(1960年)・・・・50%・・・・・・50%・・・・・0%・・・・・1000
昭和45年(1970年)・・・・25%・・・・・・75%・・・・・微・・・・・3000
平成01年(1990年)・・・・15%・・・・・・70%・・・・15%・・・・・8000
平成20年(2008年)・・・・10%・・・・・・60%・・・・30%・・・・10000億kwh 前後と推測
★(注)2007年ごろをピークに電力消費量が減少に転じている可能性がある。
★(注)統計は、出所により基準が異なり、その統計法により数値は全て異なるようだ。
C 発電の副産物、「大気汚染公害」
戦前は主として水力発電が主体であったから、大気汚染公害は少なかった。しかし、都市部における火力発電は「石炭火力」であり、現在のような「排煙脱硫装置」は無かったから、煤煙は「垂れ流し」であった。
敗戦後は、山奥の河川に設置されたダムによる送電では「電圧降下・熱損失」などによるロスが大きいし、これ以上のダムの建設は難しいとして、工業地帯に隣接した火力発電所が設置されたが、様々な相乗効果によって大気汚染公害が飛躍的に拡大した。
『四日市ぜんそく』
三重県四日市市付近で昭和35年(1960年)頃から大気汚染公害として問題になった。発電所とは直接の関係は無いが、『四日市ぜんそく』は大気汚染公害のシンボルになった。
『光化学スモッグ』
1970年(昭和45年)頃。自動車の排気ガスや工場の窒素酸化物(NOx )などが騒がれた。
『公害国会』
1970年に開催された臨時国会。様々な公害関係法案が提出されて成立した。
D そして、原子力発電に「ゴーサイン」が出された。
昭和25年(1950年)の朝鮮戦争による奇跡の復興と電力不足、戦前から発生していた大気汚染などの各種公害問題などから、新たな電源の確保が検討された。
日本はアメリカなどの原子力発電に注目したが、その安全性については誰にも自信がなかった。日本は地震大国であり立地条件は非常に悪く、地下岩盤は100メートル以上の「コア採取」を行って分析検討しただろう。『絶対に安全』などと主張できた者はいないだろう)。
結果として、国策として、原発が建設され、第1号は東海原発で1966年(昭和41年)であった。福井は「大阪万博」に合わせて1970年(昭和45年)に華々しくデビューしたそうである。
その後は全国に原発が林立して、現在に至っている。
また、『中東戦争とオイルショック』も原発の建設を後押ししたであろう。
E 放射能漏れは、誰が一番悪いのか。
結論を言えば国民である。『もっと光を』『もっと電気を』と電気を求めた国民が悪い。
『産業の発展に電力を増強しろ』と訴えた産業界も広い意味で国民である。
原発をどんどん作らせた国・地方の政治家を選挙で当選させたのも国民である。
F 「当該電力会社」は加害者でもあるが、被害者でもある
原発事故は北海道から九州まで同じ構図であり、たまたま当該電力会社管内で発生したに過ぎない。他の原発が絶対に安全かといえば、そんなことはない。日本全国同じである。
『技術上の基準』
原発建設は当時における最高の「技術上の基準」で作られており、運用においても「技術上の基準」に基づいて運営されているはずだ。それならば、それ以上の責任を追及するのは「酷」というものではないだろうか。
当該電力会社は、『本当に運が悪かった。残念無念。』であり、
他の電力会社は、『うちでなくて、良かった良かった。』の程度に過ぎないのだ。
国民は当該電力会社を袋叩きにしているが、
北で事故が起きたら北を袋叩きにし、西で起きたら西を叩くだけの違いだろう。
日本列島は地震の巣窟であり、安全な所など北海道から九州まで一つもないのであり、
津波が来ることも分かり切った話しであり、日本に原発を作ること自体が間違いなのだ。
★ 今行うべきことは、電力会社を叩くことではなく、どのように収束させるかではないのか。
そして更なる問題は、老朽化した原発の解体と処分だろう。造るよりも何倍も困難だと思う。
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