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@ ひふみ神示・富士の巻・3帖
『・・・外国はみな一つになりて神の国に攻め寄せて来るから、・・・』の考察である。
A ドル還流とは
世界の基軸通貨としての「米ドル」の大循環のことであり、この構図は、今では「死語」になりつつあるが、我ら日本人にとっては今も重要な意味を持ち続けているのである。
B ドル還流の図式
日本の対米輸出 → ドルの受け取り → 食料・石油・鉄鉱石などの輸入 → 余ったドルの米国への変換 → 米国債券の受け取り(預金) → 再び日本の対米輸出 →
C ドル還流の歴史的背景
戦前世界には、統一基軸通貨というものは存在しなかった。確かに「イギリス・ポンド」は存在した。しかしそれは「大英帝国経済圏」における共通の通貨であって、フランスには「フラン経済圏」があり、ドイツには「マルク経済圏」があるなどの各ブロック通貨が乱立していた。
したがって、共通の通貨とは金(ゴールド)であった。
戦前の日本人が西欧諸国を旅するときには、その国の通貨を用意しなければならなかった。少ない貴重な外国通貨を浪費することは戦前の日本には許されないことであり、当然許可制となり、外務省が許可しない限り渡航は出来ず、今のように誰でもが自由に海外旅行を楽しむことなどは出来なかったのである。
大東亜戦争の敗戦後に日本は産業基盤の全てを失い、貧しい国に落ちぶれ、「米ソの冷戦構造」の中でアメリカの属国として生きながらえたが、朝鮮戦争(1950年・昭和25年)の勃発により、アメリカの前線補給基地として「奇跡の復興」を成し遂げたのである。
これを奇貨として日本の大躍進が始まったのであるが、残念ながら、海外資源を購入するための「ドル」が決定的に不足していた。
第二次大戦後は、ブレトン・ウッズ協定(1945年発効)により、中東の石油を始め何もかもが「ドル」が無ければ買えない時代に入り、日本はドルを得るために『安かろう、悪かろう』の日本製品をアメリカに輸出した。
世界一の工業国・先進国のアメリカにとって、日本製品などは単なる「ゴミ」に過ぎなかったが、「米ソの冷戦構造」の中での日本はアメリカにとって『不沈空母』であり『極東の橋頭堡』であったから、『お情け』として一定のドル紙幣を日本に供与してくれたのである。
日本はアメリカから手に入れた貴重なドルを、自由に浪費させることなく、国策として重化学工業の復興に集中的に投入したのである。(余談になるが、今と異なって、海外旅行をする場合にはドルの持ち出し制限が行われていたことは、記憶に新しい)。
D ドルの「垂れ流し」とは貧しい国への救済資金という側面
今となっては、日本始め世界中は、『アメリカはドルを垂れ流している』と嘲笑しているが、元々は、貧しい国々に石油を買うためのドルを与える救済資金の性格もあったのである。
アメリカは世界最大の食糧支配・石油支配・地下資源支配国、最先端の工業国だから、外国から後発品を買い入れる必要はなかった。そして、日本にとってアメリカは石油を手に入れるために必要な国であったが、アメリカにとって日本は全く必要ない国だったのである。
アメリカが商品を買ってくれてドルを垂れ流してくれたから、ドルで石油が買えるのであり、アメリカが一方的にアメリカ製品を売るばかりだと世界は益々貧しくなり、石油を買う金も残らなかったのである。(ドルは世界経済の血液としての役目を持っていたのである)。
E 日本とアメリカの歴史的つながりの再考
日本とアメリカとの最初のつながりは『ジョン万次郎』ではないだろうか。高知県生まれの万次郎が天保12年(1841年)に漁師として漂流し、やがてアメリカに渡り、親切なアメリカ人の下で教育の機会を受けて、やがて日本に帰国して、ペリー艦隊事件(嘉永6年・1853年)のときには幕府に様々なアドバイスをし、明治の元勲たちにも大きな影響を与えたとされる。
その後に特記されるのは、日露戦争でのアメリカのポーツマス講和での斡旋・仲介だろう。
(余談になるが、アメリカのハリマンは南満州鉄道運営について桂 太郎首相と仮調印したが、帰国した全権外務大臣の(アメリカ留学経験のある)小村寿太郎に激怒されて破談になった話は広く知られる(「桂・ハリマン覚書」でGoogle 参照)。
F 日本とアメリカの戦いの歴史
『ハワイ王女事件』
アメリカがハワイ王国を併合するに際して、時のハワイ王国は明治14年(1881年)に訪日して、ハワイ王女と日本皇族の婚姻を求めて日本の援助を要請した。しかし時期尚早として実現せず、結果としてハワイはアメリカに併合された(「幻のハワイ日本連合」でGoogle 参照)。
『朝鮮併合と江華島事件』
欧米列強は、虎視眈々と朝鮮を狙った。(「アメリカ 江華島事件」でGoogle 参照)。
『フィリピン・リカルテ将軍事件』
アメリカに併合されたフィリピンの独立指導者リカルテ将軍は日本に援助を求めた。これに呼応した日本政府は密かに武器の援助などの工作を行ったが失敗した。
(「リカルテ将軍 日本の援助」でGoogle 参照)。
『中国の奪い合い 援蒋ルート』 (「援蒋ルート」でGoogle 参照)。
『フライング・タイガース事件』 (「フライングタイガース」でGoogle 参照)。
日米は中国大陸で「宣戦布告」なき戦いを演じたのであり、『真珠湾』は茶番である。
G 恩讐を越えて
日本にとってアメリカは無くてはならない国家であることは否定出来ない事実である。日本にとってアメリカほど傲慢な国は無かったが、同時に優しい国もなかったのである。
我々は日本人としての自覚と誇りを忘れることなく、一つの「名誉ある国家」として、アメリカとの良好な関係を継続発展させなければならないのではないだろうか。
今後の日本に必要なのは、アメリカ国民を魅了した宋美齢(国民党蒋介石夫人)のような弁舌の人物ではないだろうか。
イギリスは植民地に何も残さなかった。アメリカは民主主義を残した。日本はダム・鉄道・鉄橋・道路・電力などの膨大な社会基盤と文化を残した。李登輝元総統は京都帝国大学に、作家の邱永漢氏は東京帝国大学に学んだと聞く。洪思翊氏は日本の陸軍中将に進級し、朴正煕氏は日本の陸軍士官学校に学んだと聞く。旧満州国の人々は概して親日的と聞く。
★ 日本がアメリカを離れて見捨てたとき、『アメリカは決して日本を赦さないだろう』。
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