03. 2011年12月01日 21:59:06: 2DevaXxRvc
あなた方はすぐ言葉による結論だけを求める癖がありますが 実感が無ければそれら言葉はなんら理解出来るものである筈がありません結論から言えば二元性のある世の中に住んでいますが だから「それがどうした」事だというのでしょうか 観念的な理解を得てもそれによって現時点での自身の抱く信念を簡単に曲げられる事はありません もしその信念というものが不安や恐れといったものであれば それらもまた自身の実感としての経験に依る 「深い理解への味わい」に依ってしか払拭出来ないものである筈でしょう あくまで夢や希望と云ったものは現実に変わる前の段階ものである筈ですが その時点でそれらは既にあらゆる場としての働きをもって機能を果たすが故に それは既にそうした意味では現実化しています ここに存在する目的としての我々とは それら夢を「実感」としての現実に変えられた時に起こる「気付き」を望んでいるが故です そしてそれが本当に味わってみた時どうであるのか また次はどうすべきなのかということを次々と夢を生み出していく為でもある訳です その実感がなければあなたがたにとってはすべては存在しないものも同然である筈です ですからあなた方がそれら「プレ現実」を現実に実感したいものとして採る手段として 「感情」が持たされていると考える事はとても重要です あなたが望まない「社会実現の為の計略」をもし誰かに見せられたとしても あなたが抱き続ける「感情」に沿っていけば あなたは自ずと自身が採択する未来への道へ歩みつづけることができます それはもしあなたがその世界に住む"ハメ"に陥った考える場合と 自身の豊かな感性のままに望みの環境が叶えられたと考えた場合とでは 大きくその感情が食い違っている事が理解できる筈です 故に感情は望みの現実を其処に齎すと言えます どのような状況も分ければ二つの感情で言い表す事が出来るものです 「不安」か「安心」か あなたの中にはその二つしかありません 常にあなたが何事をも気にせずに安心で居られるなら あなたがそこに抱く感情に依ってあなたは他者とは違った 独自の世界に歩みを進めていることに「気付く」筈です 不安と云うものを信じている時にはそれがあなたがたの信念としての信仰です 疑念と云うものを抱いているときはそれがあなたがたの信念としての信仰です 安心というものは・・それは中立であり当たり前の状態である「ありのままのあなた」です 「自分が受け入れたく無いもの」とは"既に受け入れているがために起きている状況"であって その時点で「受け入れる必要性がないもの」とは言えない筈ですね ですから一旦受け入れる前に感情も含めて状態の全てが戻っていれば 自分に必要の無いものはただ野放しにすれば良いと判断できるのです そして改めて「その考えは自分には必要ないよ」と笑顔で返す事が出来るのです 「必要としているものは何故必要とされているのか」にちゃんと気付いておく事だけで結構です 何かを突き放すようにするだけの「主張」こそは必要ないものです それは謀らずして対立を生み出す事を赦すだけのものである訳ですから 既に望んでいない状況に縛られていると感じているあなたは あなたのこれまでの感情に気付いていない事によって ここまでずっと歩みを続けて来た事による「結果」です 人類がそうしたきたのだとしても そこに参加して来たのはあなたです それを今きちんと理解する事です 不安というものをどんな手を駆使しても離せない そう考えるのはあなたです 多くの善良な市民がどんなに手を尽くしても 抗えない程の恐怖を巻き起こす連中がいる そう考えるのはひとりひとりのあなたです そのあなたをして脅威とする存在は成り立っている事を理解する事です 各々が「必要性のあるものだけを必要とする」事が他者に薦められることではないでしょうか あらゆる契りが結ばれる関係性の中で 取引に応じるまえに何故それが自身に必要であるかだけが あなたにとっていつまでも重要なことである訳です あくまで必要なものだけがあなたに必要とされることでありえるのです 必要でないものはただ必要でないものであるのです 必要でないものを強要されると考えるから 同様の方法で迎え撃つと云った防御思考が其処に生まれるてしまうと言えるのです あなたも勿論どなたも自分の人格を否定される事は望まないでしょう しかしそれを自身が気にしさえしなければ どんな相手が目の前に立ちはだかったとしてあなたは無傷で居られます しかしそれが出来るからといって試そうとしてはなら無い事にも気付いて頂きたいと思います それは私の言っている事とは全く別の事ですから 「何かを嫌悪する必要性がある」というものは"あり得ない言葉の組み合わせ"です あらゆる「論理」そのものはあなた方を支配しています あなた方ひとりひとりは世の中を生み出していく個性豊かな存在です そのありのままのあなたを通じて人々がそれに理解を得ていければ良い訳であるのです 社会とはそのような在り方のものである筈ではないですか? 極端になにかを動かそうとするとそこには必ず抵抗が生まれます あくまでもひとりひとりの心の自然な運びこそが そこに豊かな世界を築き上げていくのだと考えては如何でしょうか |