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@ 天照大神とアブラハムの系図の二重性(★天照はアブラハムではなく妻のサラである)。
(天照大神とアブラハムの系図を重ねてみたのである(先が天照大神側で、後の「()」がアブラハム側である。カタカナで2名あるのは先がユダ族側で、後がエフライム族側である)。
伊邪那岐(テラ)・・天照大神(アブラハム)・・忍穂耳(イサク)・・邇邇芸(ヤコブ)・・穂穂手見(ユダかヨセフ)・・鵜葺草葺不合(ペレヅかエフライム)・・神武天皇(ヘヅロンかベリア)・・
(注) 神から祝福されたヤコブは別名イスラエルの名を持つ(創世記32章28)。(ヨセフは特別に神から祝福されているが)、ヨセフの子であるエフライムは祖父ヤコブから特別の祝福を受けたので「イスラエルの正統」といわれる(創世記48章14〜20)。また、ユダは父ヤコブから「王権を離れず」と祝福されている(創世記49章10)。
(注) 穂穂手見命の判定がユダとヨセフに別れて確定出来ないのは、ユダは南朝ユダヤ王国の王家であり、ヨセフは北朝イスラエル王国の王家であった「エフライム王家」の直接の始祖であり、共に「イスラエルの12部族」の直接の始祖だからである。
A 神武天皇から10代崇神天皇までと、ユダ族・エフライム族の系図の二重性
(「()」の先がユダ族側で、後がエフライム族側である)。
初代神武天皇(ヘヅロン・ベリア)・・2代綏靖天皇(ラム・レパ)・・3代安寧天皇(アミナダブ・レセフ)・・4代懿徳天皇(ナション・テラ)・・5代考昭天皇(サルマ・タハン)・・6代考安天皇(ボアヅ・ラダン)・・7代考霊天皇(オベデ・アミホデ)・・8代考元天皇(エッサイ・エリシャマ)・・9代開化天皇(ダビデ・ヌン)・・10代崇神天皇(ソロモン・ヨシュア)・・
(注) ユダ族系図は『歴代誌上』2章3〜15。エフライム族系図は『歴代誌上』7章23〜27。
B 二人いる「初代天皇」
@ 神武天皇の別名は『始馭天下之天皇(はつくに・しらす・すめらみこと)』とされる。また、10代崇神天皇も同じく『御肇國天皇(はつくに・しらす・すめらみこと)』と解されている。
(注) 神武天皇の別名は、『日本書紀・巻第三・神日本磐余彦天皇・神武天皇』の段の終わりのほうで、『辛酉年春正月庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮 ・・・而始馭天下之天皇 號曰~日本磐余彦火々出見天皇焉 初天皇草創天基之日也・・・』と記されている。
崇神天皇の別名は、『日本書紀・巻第五・御間城入彦五十瓊殖天皇・崇神天皇』の段の後半部分に、『秋九月甲辰朔己丑・・・天下大平矣 故称謂御肇国天皇也』と記される。
A 『はつくに・しらす・すめらみこと』は、初めて国を知らしめる(治める)天皇、という意味。
C 崇神天皇の重要性
日本書記によれば、各地に軍隊を派遣したり(四道将軍の派遣)、天照大神を掲げて各地を巡歴させたり(元伊勢巡歴)、河内の国を開発したりした大政治家・大王であったようだ。
D 崇神天皇とソロモン王やヨシュアの二重性
@ ソロモン王はユダ族出身でダビデ王の子であり、「統一ヘブライ王国」を最大版図に拡大させた大王であり、最大の繁栄を誇った。
また、ヨシュアは「出エジプト」の指導者モーゼが「約束の地」に入る前に死去した後を継いで、イスラエルの人々を指導して「約束の地」に入ったエフライム族出身であった。
A 崇神天皇と対比させた場合に、崇神天皇が「初代天皇」というなら、ダビデ王の子のソロモン王よりも、初めて「約束の地」に入った指導者ヨシュアのほうが意味合いが濃いだろう。
しかし、政治面・軍事面・国内開発・交易面などの諸政策の総合評価においては、崇神天皇とソロモン王との二重性のほうが強く反映されそうである。
E 神武天皇を起点とするか崇神天皇を起点とするか
@ @の「天照大神とアブラハムの系図」の対比で示したように、天照大神をアブラハムに当てはめた場合には、神武天皇がユダ族のヘヅロンかエフライム族のベリアが当てはまるが、ヘヅロンもベリアも名前が記される程度の人物に過ぎない。
しかし、10代崇神天皇には大人物のソロモン王か指導者ヨシュアが当てはまるのであり、天照大神(アブラハム)と崇神天皇を起点終点と考える理由が、ここにあるわけである。
F 歴代人物の事跡の相関性
@ 天照大神とアブラハムの相関性
天照大神は月読命・素戔嗚尊との「三兄弟」であった。同じくアブラハムもナホルとハランの「三兄弟」であった(創世記11章26)。(ただし厳密には、アブラハムの妻サラは同父異母兄弟であったが(創世記20章12)、記紀神話も旧約聖書も「三貴子」を特別に重視したと思われる。
A 邇邇芸命と木花咲耶姫の姉妹と、ヤコブとラケルの相関性
邇邇芸命は妹の木花咲耶姫を妻にもらいたいと大山津見神に願うと、姉の磐長姫も勧められたが断った。ヤコブは好きになった妹のラケルを妻に求めると姉のレアも妻に押し付けられた。
木花咲耶姫は火照命・火須勢理命・火遠理命(穂穂手見命)の3人を産んだ。ラケルはヨセフ・ベニヤミンの2人を産んだが、ヨセフの子のマナセ・エフライムの2人の孫はヤコブから特別に祝福されて「ヤコブの子」に列した(創世記48章5)。したがってヨセフの代わりとするならラケルの子はベニヤミン・マナセ・エフライムの3人であるとも拡大解釈できるのである。
B 穂穂手見命と豊玉姫・玉依姫の姉妹と、ユダと息子の嫁のタマルとの乱脈
姉の豊玉姫は穂穂手見命の妻になって鵜葺草葺不合命を産んだが、「ワニ」の姿態を見られて実家に帰り、妹の玉依姫が鵜葺草葺不合命を養育した後に妻になって神武天皇を産んだ。
ユダの子供に息子3人があり、長男の嫁にタマルを与えたが、長男が子供を得ずに死んだので、次男をタマルに入り婿させて「孫」を得ようとしたが、次男は子供を得ずに死んだので、タマルは「不吉」な女だとして実家に帰した。その後、ユダがティムナの町に来たときにタマルが遊女を装って義父であるユダと性交し、御礼にユダの「身の回りのしるし」をもらった。その後にタマルがペレヅ・ゼラフの双子を産んで、ユダからもらった「しるし」により、ユダの子供と認定された(創世記38章全般)。(ユダから見た場合に、ペレヅやゼラフはユダの息子の嫁タマルが産んだ子であるから「孫」であるが、ユダの直接の「子」でもある)。
豊玉姫・玉依姫は海神族の綿津見神の娘であった。ユダの妻はカナン人の娘であったが(創世記38章2)、カナンはパレスチナ地方であり、海洋民族の「フェニキア人」であったかも知れない。また、ヨセフの妻はエジプト人の娘でありマナセ・エフライムの2人の母である(創世記41章50〜52)。エジプトは地中海に面しているので海洋国家の性格も持っていたと思われる。
(豊玉姫の「ワニ」の姿態とは、地中海のサメと、ナイルワニの両者が考えられるだろう)。
G 天照大神が女神である理由
@ アブラハムの妻のサラは神に祝福されており、また「預言者」でもあったこと
サラは普通の女と違って、アブラハムと同じ父テラの直系の子孫であり、特別に神に祝福された。見方によってはアブラハム以上に祝福されている。また、昔は女にも相続権や「家長」になれる権利が保障されていたそうだから、サラをイスラエル人の始祖としても不都合はないだろう。
また、サラは神に祝福された預言者でもあった(創世記20章7)。
A アブラハムの2人の子のうち、次男のイサクをサラが徹底して保護したこと
アブラハムには2人の子があり、長男は妻サラの女奴隷であったエジプト人のハガルが産んだイシュマエルであった(創世記16章3と15)。したがって長男として神に祝福されて、アブラハムから「家長」の権利を相続するのはイシュマエルであるはずだった。
しかし、サラにイサクが生まれると、サラはイサクを保護し、ついにはハガルとイシュマエルの母子を追放した。神もそれを支持してアブラハムを納得させた(創世記21章中段)。また神は追放されたイシュマエルを見捨てることなく祝福して、イシュマエルはアラブ人の祖先になった。
仮に、イシュマエルが長男として「家長」の権利を相続していたら、今日の「イスラエル人」は無かったから、イサクを徹底して保護したサラこそが「我らが始祖」と感謝したことだろう。
B アブラハムが次男のイサクよりも、長男のイシュマエルのほうを愛したこと
アブラハムの前に神が現れて、後日にサラが男の子を産むから祝福すると告げると、アブラハムは長男のイシュマエルの祝福を求めたので、神はサラが産む男の子をイサクと名付けるように重ねて命じた(創世記17章16〜20)。
また、サラがイサクを保護するためにハガルとイシュマエルの母子の追放をアブラハムに求めたときに、アブラハムは追放を嫌がり、神がサラの言うことは全て聞き入れるように説得したので、渋々ハガルとイシュマエルの母子の追放に同意した(創世記21章8〜14)。
イスラエルの子孫から見ると、アブラハムよりもサラのほうが有難い先祖と思ったことだろう。
C アブラハムは妻のサラを妹にして差し出したこと
アブラハム夫婦がエジプトに滞在したときに、妻のサラを妹と称したので、ファラオの妻にされてしまい、褒美に羊や奴隷などをもらった(創世記12章10〜)。
また、パレスチナ地方のゲラルの王にも、妻のサラに妹だといわせて、王宮に召し入れられている(創世記20章1〜14)。
(アブラハムとサラは同父異母兄弟であったから、「妹」でも間違いない(創世記20章12)。
D 諸外国にイスラエル民族であることを知られたくなかったこと
イスラエル人が「日本人」として、再び「魂を育む」ためには、諸外国には「イスラエルの亡国の民」であることを知られたくなかった。そのため民族の系図を細工して分からないように隠した。
また、ヘブライ語を捨てたし、ヘブライ文字も捨てた。これらは神の指示によるものである。
また、オリエントの興亡史も歴史の記憶にあったし、世界情勢も知っていた。そして出来る限りの「鎖国」を神から命じられたのである。
★ 記紀神話は、崇神天皇がソロモン王やヨシュアということではなく、「魂の生まれ変わり」として創られて当てはめられたものであるから、実際の民族の系譜と一致するものではない。
そしてまた、「イスラエルの十二部族」が記紀神話の各所に鏤(ちりば)められて「継ぎ接ぎ」に合成されているから、単独に取り出して部族の一貫した系譜とすることは出来ないであろう。
★ 仮に、ソロモン王と崇神天皇が重なるなら、ソロモン王の次から崇神天皇の前の代までが削除されて「闇」に葬り去られたものと解釈すべきであろう。
それは「分裂の歴史」であり、「流浪の歴史」でもあったからである。
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