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武器としての話法
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大学の指導教授だったI氏は毎日朝の2時間を費やして僕に議論を挑んできた。研究は時間との勝負で、僕は朝から実験準備を万端整えていたが、I氏は本質的に重要ではない安い試薬をどのような研究目的で何故購入したのか、僕に研究の詳細を喋らせながら厳しく論理的に詰めてきた。そのせいで僕はいつも9時頃の帰宅時間を11時以降にシフトさせられたものだ。僕は議論が得意なので彼に試薬が不用だとされてしまうケースはなかったが、話す度毎に疲れ果てると同時に極めて不愉快な思いをさせられた。彼は僕の研究目的を細部まで把握することと、負の感情を刷り込んで僕の精神を疲労困憊させることを狙っていたのだろう。議論は論理的で感情を交えないものであれば有益と言えるが、I氏はその論点を僕が怒り悔しがるような対象を扱うようにいつも無理に誘導した。さらにI氏は論点を細部の些細な事柄に誘導した。お互いに研究を論じそれを高めていく意志があるならば、まず互いに何を本質的に大切と考えるかを明らかにして議論の骨格を整え、かつ些細な袋小路に議論を導かないようにする紳士協定が必要だが、卑怯さを武器としている彼は全くその反対を行った。つまり腹を隠して自分の価値基準と判断基準を明確にせず、相手が嫌がる対象に議論を誘導してストレスを与え、さらに本質に触れずに些細な論点で議論が堂々回りするように意図的に仕向けた。これはI氏がもともと女性的な性格であったという訳ではなく、敵を屈服させる為に積極的にこのような話法を戦術として採用したのだと思う。始めの頃、僕はこうした話し方しか出来ない教授を馬鹿呼ばわりしたものだが、この人はこのような議論が出来ることを賢さと定義しているのだと次第に理解するようになった。<0578>
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