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全体主義というトラウマ
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アメリカでイタリアの男ジョーと話しているとイタリア人として自国の歴史に反省している気持ちが伝わってきた。彼は全体主義にアレルギーを持っていた。僕は経験していないから先の大戦時に日本がどれほど全体主義的になっていたかを知らないが、そもそも全体主義というのは自由主義や社会主義と並列には論じられないもので「主義」という名前をつけて呼ぶものではないと思っている。思うに全体主義とは大勢の人々が集団催眠状態で感情を1つにしている状態を指すのであって、呼ぶならば全体催眠とでも呼ぶべきなんだろう。911前後にイルミーたちはお互いにメールを回し合ったり抗議?のロウソクを灯したりと随分盛り上がっていたが、あれこそまさに全体主義と呼びうる状況に違いない。日本人は先の大戦に反省して全体主義を完全否定したが、全体主義の内容を誤解する余り他人との意識連帯まで否定するようになってしまった。そうして人々は孤独な殻に閉じこもるようになり、結果卑怯さが蔓延りやすい社会風土を作り出してしまった。日本は先の大戦時イルミーのパペットという糸を中枢部に入れられていた。だから僕は軍部が過剰に精神主義を煽ったことも、イルミーたちによって相手が戦争に負けるようにある程度操作されたのだと思っている。社会全体が敵と相対するとき多少の集団催眠は発生するのが自然であり、そこを自己否定してしまったのでは、怒ること自体にトラウマを持っていて喧嘩の毎に負け続ける子供のようになると思う。日本は確かに先の大戦時に精神主義と全体主義を鼓舞し過ぎて痴呆状態となってしまったが、それはアクセルを全く踏まないか踏むならレッドゾーンまで踏み切るというイルミーの手法にしてやられたのであって、この場合アクセルを踏まされ過ぎたのである。社会が自己防衛せねばならない時、神が欲する適正を自分でコントロールする強さが必要なのであって、日本は長年の徳川幕府による精神去勢で依存性が身につき幼稚化されていたのが過剰な精神主義に溺れさせられた原因であろう。社会も大人にならないと!<0470>
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