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@ 『・・・今度の戦(いくさ)すみたら世界一平一列一体になると知らしてあるが、一列一平 其の上に神が居ますのざぞ、・・・』(ひふみ神示・雨の巻・第五帖)
『天国の政治は、歓喜の政治である。・・・愛の政治である。・・・与える政治として現われる。・・・統治者自身は、自分達を他の者より大なる者とはせず、他の善と真とを先とし、その歓喜を先ずよろこび、己はその中にとけ入る。・・・』(地震の巻・第十九帖)。
A 資本主義の失敗と国家社会主義の敗北
資本主義に変わるものとして国家社会主義が模索されたが、いずれも失敗した。
ヒトラーの実験
1920年に「国家社会主義ドイツ労働者党」(ナチス)が成立した。ヒトラーは「ドイツ型の国家社会主義」を目指したが、敗戦により挫折した。
スターリンの実験
レーニンに続いてスターリンが「ソビエト型の国家社会主義(共産主義)」を実践したが、「一党独裁」による内部の構造的腐敗や「米ソの冷戦」で資本主義に敗れた。
日本の模索
日本は「皇道主義」などの「日本型社会主義」を模索したが大東亜戦争で消滅した。
(しかし敗戦後には、「行政指導と護送船団方式」・「年功序列と終身雇用」・「累進課税と富の再配分」などの「日本型社会主義」を目指し、一部の外国から評価された)。
B 世界は資本主義から「共生主義」を目指すが失敗するだろう
アメリカの経済学者「ラビ・バトラ博士の予言」では、「プラウト主義経済」が登場するらしい。ある意味において「共生主義」と言えるかも知れない。
(だが失敗するだろう。人間には「私利私欲」というエゴ(自我)が存在するからだ)。
C ひふみ神示の説く「共生の世界観」
例えていえば、「蜜蜂の世界」には私利私欲を求める「自我」はない。あるのは「全体の繁栄を求める自我」、「全体のために貢献する自我」である。
そこにある自我は、全体のために貢献することが最大の自己使命であり、子孫の繁栄を夢見ることが最高の幸福感であるという自我しか存在しないであろう。
また別の表現では、「一個の人体」を構成する無数の細胞活動かも知れない。そこには「一個の人体が自分にとって唯一の世界」であり、その繁栄・弥栄が無上の幸福であるだろう。何故なら、人体を離れた細胞は決して「存在」出来ないからである。
D 十個の物を十人が一個ずつ奪い合うのも、一個ずつ与え合うのも結果は同じことだが、奪い合った場合には「憎しみ」が生まれ、与え合った場合には「愛」が生まれる。
たとえ「八個の物を十人」に置き換えたとしても、与え合った場合には、得られなかった者には「他者に与えた愛」と「他者から送られた愛」を手に入れられるであろう。
神々は人間に対して、「私利私欲」ではなく「他利他欲」を目指せ、と虚構世界(バーチャル・パソコンゲーム)での歴史教育を通じて教え諭しているのではないだろうか。
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