http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/172.html
Tweet |
神の力を借りる
↓
http://amagaeru.blogzine.jp/blog/cat7424399/
人ひとりひとりの心の中に神の破片があり、集団が全体としてこころを持つ時、その志向する先に未来の優れた社会がある。ただし未来の社会を現実のものにするためには優れたリーダーが必要で、またひとりひとりの人間が勇気を出して協力しなければならない。何千年も昔の農耕社会においては、神意を感じたリーダーの導きで、身分の高い者たちだけが優れた社会システムを現実のものとしていた。古代の日本社会がそうであった。しかしこの現代においてはひとりひとりの人間が十分に賢くなっているので、大衆から遊離した理想社会の形成は不可能である。西欧社会を指導してきた悪魔を信ずる者たちがやっていることは「神の力の先取り」と評することができる。現実社会の孕む様々な矛盾、残酷さを、悪魔は糺すのではなくまず際立たせ、さんざんに利用した後で、神の力を自らの力のごとく用いて未来社会を大衆に示して感動させ、自分達はその特権階級に納まる。これが彼等の主導する革命である。ただし未来社会は完全な形で示されることは無く、重要なところが故意に骨抜きにされていて、人々の魂が進化することを阻んでいる。悪魔たちがいつまでも寄生し続けることが出来るように社会の進歩は無限に先送りされているのである。イル・ミーが主導したフランス革命の自由・平等・公平の理念は素晴らしいが、三権が分立したと言っても、現実のところ行政組織に携わる人間を人々は選ぶことも出来ず、間違いを犯したものを特定して裁くことも出来ない。憲法がいかに優れた理念を説いてもそれが「結社の自由」を認めるならば、イル・ミーの偽善を押さえる術はなく、空中楼閣のように民主主義社会は雲散霧消してしまうであろう。古代の日本の特権階級がやっていたことを、いま集団全体でやり直すことが求められていると僕は思う。民主主義社会をより進化した形で、イル・ミーの力を借りずに、フランス革命当時の状態から再構築しなければならないんじゃないだろうか。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ60掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。