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@ 元伊勢と伊勢の関係 (「元伊勢」と入力してGoogle 参照)。
@ 元伊勢は、伝承によれば第10代の崇神天皇の時に、宮廷内に祀られていた「天照大神様」が何らかの事情によって各地を巡歴した後に伊勢に鎮座されたといわれる。
元々は奈良県の三輪山の麓の宮廷内に祀られた後に、崇神天皇の皇女豊鋤入姫が崇神天皇の代に各地を変遷して、さらに第11代垂仁天皇の皇女倭姫が巡歴を継承して最終的に伊勢に鎮座されたとの説がある。その間およそ90年とか100年とかいわれる。
また、三輪山の大神神社には大物主大神が祀られるが、第7代孝霊天皇の皇女の倭迹迹日百襲媛命(やまと・ととひ・ももそひめ・のみこと)が大物主神の妻(巫女?)となっているから、ある意味において『大王家』でもあるかも知れない。
★ 伊勢の天照大神が『表』であり元伊勢が『裏』である。また天照大神が『光』であり元伊勢の神々が『闇』でもある。また、伊勢がアマテラスであり元伊勢がスサノオである。
A 元伊勢の伝承地・比定地
『元伊勢の神々』に関係する伝承地・比定地は80社とか90社とかにのぼり、大和国・丹波国・丹後国・紀伊国・吉備国(備前・備中・備後・美作)・伊賀国・伊勢国・近江国・美濃国・尾張国に分かれている。
A 服従しない民・まつろわぬ民
@ 四道将軍の派遣と武力平定
四道将軍とは、第10代の崇神天皇の時に、大彦命を北陸・新潟方面に、武渟川別命を東海・関東方面に、吉備津彦命を山陽方面に、丹波道主命を丹波・丹後方面に4人の将軍を派遣して武力平定したとされる。
A ヤマトタケルの派遣
第12代景行天皇の皇子として、九州の熊襲の討伐に始まり出雲・瀬戸内・東海・関東・甲信越方面を武力平定したとされる。
★ 元伊勢巡歴と四道将軍の派遣が崇神天皇の時に重なるから、元伊勢は服従しない民(まつろわぬ民)であったが、これは中央集権化のための権力闘争と思われる。
B 艮の金神(うしとらのこんじん)と龍の系譜
元伊勢の伝承地・比定地を起源とする宗教団体や宗教家は『艮の金神』と何らかの関係があり、そしてまた、『龍の系譜』に繋がるのではないかとの噂があるそうだ。(真偽不明)。
C 伊勢とはイスラエルのことである
伊勢は「イス」であり「イズ・伊豆・出・厳」であり「出雲」のことであり、「御稜威・みいず」のことでもあり、「倭・イ」のことである。また「イスラ・エル」のことでもある。
また「ユダ・ラ」が表であり「イス・ラ」が裏でもあり、元々は同根である。アマテラスは太陽であり「天孫降臨」であり、スサノオは地球であり「国譲り神話」でもある。
龍とは地球の深淵に潜んで玉(魂)を育み、太陽に昇天して玉(霊)を開花させるもの。
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