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また、良い地にまかれたものとは、
御言を聞いて悟る人のことであつて、
さうゐふ人が實を結び、百倍、あるひは六十倍、
あるひは三十倍にもなるのである」。
また、ほかの譬を彼らに示して言はれた、
「天國は、良い種を自分の畑にまいておいた人のやうなものである。
人々が眠つてゐる間に敵がきて、麥の中に毒麥をまいて立ち去つた。
芽がはえ出て實を結ぶと、同時に毒麥もあらわれてきた。
僕たちがきて、家の主人に言つた、
『ご主人樣、畑におまきになつたのは、良い種ではありませんでしたか。
だうして毒麥がはえてきたのですか』。
主人は言つた、
『それは敵のしわざだ』。
すると僕たちが言つた
『では行つて、それを拔き集めませうか』。
彼は言つた、
『いや、毒麥を集めやうとして、麥も一緒に拔くかも知れない。
收穫まで、兩方とも育つままにしておけ。
收穫の時になつたら、刈る者に、まず毒麥を集めて束にして燒き、
麥の方は集めて倉に入れてくれ、と言ひつけやう』」。
新約聖書マタイ傳福音書 第十三章 二十三節〜第三十節
イエスはこれらのことをすべて、譬で群衆に語られた。
譬によらないでは何事も彼らに語られなかつた。
これは預言者によつて言われたことが、成就するためである、
「わたしは口を開いて譬を語り、
世の初めから隱されてゐることを語り出さう」。
それからイエスは、群衆をあとに殘して家にはいられた。
すると弟子たちは、みもとにきて言つた、
「畑の毒麥の譬を説明してください」。
イエスは答えて言はれた、
「良い種をまく者は、人の子である。畑は世界である。
良い種と言うのは御國の子たちで、毒麥は惡い者の子たちである。
それをまいた敵は惡魔である。
收穫とは世の終りのことで、刈る者は御使たちである。
だから、毒麥が集められて火で燒かれるやうに、
世の終りにもそのとおりになるであらう。
人の子はその使たちをつかわし、
つまずきとなるものと不法を行う者とを、
ことごとく御國からとり集めて、炉の火に投げ入れさせるであらう。
そこでは泣き叫んだり、齒がみをしたりするであらう。
そのとき、義人たちは彼らの父の御國で、
太陽のやうに輝きわたるであらう。
耳のある者は聞くがよい。
天國は、畑に隱してある寶のやうなものである。
人がそれを見つけると隱しておき、
喜びのあまり、行つて持ち物をみな賣りはらい、
そしてその畑を買うのである。
新約聖書マタイ傳福音書 第十三章 第三十四節〜第四十四節
また見しに、
視よ、白き雲あり、
その雲の上に人の子の如きもの坐して、
首には金の冠冕をいただき、手には利き鎌を持ちたまふ。
又ほかの御使、聖所より出で、
雲のうへに坐したまふ者にむかひ、大聲に呼はりて
『なんぢの鎌を入れて刈れ、
地の穀物は全く熟し、既に刈り取るべき時至ればなり』
と言ふ。
かくて雲の上に坐したまふ者その鎌を地に入れたれば、
地の穀物は刈り取られたり。
又ほかの御使、天の聖所より出で、同じく利き鎌を持てり。
又ほかの火を掌どる御使、祭壇より出で、
利き鎌を持つ者にむかひ大聲に呼はりて
『なんぢの利き鎌を入れて地の葡萄の樹の房を刈り收めよ、
葡萄は既に熟したり』
と言ふ。
御使その鎌を地に入れて地の葡萄を刈りをさめ、
bの憤恚の大なる酒槽に投げ入れたり。
かくて都の外にて酒槽を踐みしに、
血酒槽より流れ出でて馬の轡に達くほどになり、
一千六百町に廣がれり。
新約聖書ヨハネ默示録 第十四章 第十四節〜第二十節
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