http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/114.html
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「日本・ユダヤ封印の古代史」(ラビ・マーヴィン・トケイヤー著 久保有政訳)より
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/tokehon.htm
<抜粋>
女性の月経や出産に関する観念
死体の汚れだけではない。日本には女性の月経や、妊娠中、また産後に関する汚れ(忌み)の観念が古代からある。
古来、日本では月経(生理)中の女性は神事に参加してはならなかった。夫との性交渉もさけられ、彼女は部落内に設けられた共同の別小屋(月経小屋)に、月経中およびその後の数日あるいは七日程度にわたって、こもらなければならなかった。この風習は明治頃まで広く日本中に見られたものである。
また、その忌みの期間が終わると、女性は川や泉、海などの自然の水で身を清めることが求められた。ただ自然の水がないときは、浴槽でもよいされた。
これは古代イスラエルの風習にたいへんよく似ている。イスラエルにおいても、月経中の女性は神事に参加できず、夫から離れて、別小屋にこもることが行なわれた。こもる期間は、月経中およびその後の七日間だった(レビ記一五・一九、二八)。この「こもる」ことを「血のきよめのためにこもる」といった。それは清めのため、また汚れを家や村に持ち込まないためであった。
同様の風習は今もユダヤ人の間にある。女性は生理中およびその後の七日間、夫との性交渉を禁じられている。そののち女性はミクベ(沐浴)をして、水で身を清めるのである。
このように生理中とその後の期間にわたって汚れの観念があり、夫との隔たりを持つ風習があるのは、ユダヤ人と日本人だけであろう。これは、古代における両者の深いつながりを示す重要な証拠に違いない。
「汚れ」という観念は、現代の人々からすれば不合理と思えるかもしれないが、月経、妊娠中、また産後の女性は肉体的にも精神的にも不安定であり、静養が必要なのである。女性自身も、この期間は自分の血が汚れていると感じるという。「血のきよめのためにこもる」というのは、その静養の必要を述べている。
月経だけでなく、出産に関する観念も、古代イスラエルのものと日本神道のものはよく似ている。
日本では古来、出産をする母親は、妊娠中および産後の一定期間「汚れている」とみなされてきた。現代の日本ではそのような観念は希薄になったが、古い時代には、この観念はきわめて一般的であった。
『延喜式』には、汚れにふれて神事にたずさわってはいけない忌みの日数を、出産の場合は「七日」と定めている。これは古代イスラエルの風習にたいへんよく似ている。
「女が身重になり、男の子を産んだときは、その女は七日の間汚れる。その女は月のさわりの不浄の期間のように、汚れる。……その女はさらに三三日間、血のきよめのために、こもらなければならない。……もし、女の子を産めば……二週間汚れる。その女はさらに六十六日間、血のきよめのために、こもらなければならない」(レビ記一二・二〜五)。
日本でも、妊娠中、および産後の女性は一定期間、「産屋」と呼ばれる特別に設置された小屋に「こもる」習慣が、広く明治頃まで見られた。古事記にも「産屋」が出てくる。そのこもる期間は、一般的に出産後三〇日前後までとされるところが多かった(長い所では一〇〇日近くに及んだ)。これは、古代イスラエルの風習によく似ている。
古代イスラエルでは、この静養期間のあとに、母親は子どもと共に初めて宮詣でをすることができた。
日本神道の風習でも、産の忌みの期間があけたのち、その子どもを連れて「初宮詣」(初めての宮詣で)をすることができる。現在の日本では、初宮詣はふつう、男子の場合は生後三二日目(または三一日目)、女子の場合は生後三三日目に行なわれることが多い。
ただし神社に初宮詣をするとき、子どもを抱くのは母親ではない。母親以外の者││ふつう夫の母(姑)がこれを行なうのが古くからの習慣である。これは、古代イスラエルにおける母親の産後の汚れの観念に非常によく似ている。
またラビ・トケイヤーは、日本に割礼の風習が見られるか否かについて、次のように述べている。
<抜粋終了>
「汚れ」と「血のきよめのため」について
「汚れ」とされるのは、松果腺から分泌される、メラトニンやセロトニンである。
詳しくは:
開け心眼! 第三の目
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/870.html
しかし、太古の時代、世界は多神信仰であった時代、この化学成分は王の食物・生命の樹とされていた。つまり、「汚れ」ではなく、清いとみなされていた。
ある時代に一神教(実際は王が神の代理で支配する)があらわれる。ヤーウェイ・エホヴァ(破壊神)がこの逆転観念の原因になる。
翻訳の久保有政がこんなことを書いていた。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/091shintou.htm
<抜粋>
真に日本人となるために
私たちは今こそ、日本人が知らずに拝んできたおかたについて、はっきりと知らなければなりません。
日本の神道はもともと、古代イスラエル宗教を起源とし、そこから来たに違いありません。もちろん、現在の神道の何もかもが、古代イスラエル宗教と同じだとかいうことではありません。現在の神道には、不純物や異物が含まれています。
しかし、神道に流れる基本的なものはすべて、もともとは古代イスラエル宗教から来たと、言ってよいように思えます。私たちは、神道内に流れる本流のルーツを、古代イスラエル宗教に見ることができるのです。
神道は、古代イスラエル宗教の、なごりの一つでしょう。そこには、古代イスラエル宗教のすべてを見ることはできないとしても、多くの重要なものがまだ残されています。
ですから、神道が完全な、本来のものにまで回復するためには、すべての神道信者が、すなわち日本人が、聖書の神様を信じ、聖書の教えに立ち返る必要があります。
すべての神道信者は、聖書の教える神様ヤハウェを信じ、その御子イエス・キリストを信じるとき、おのずからその信じる神道は本来のものとなり、完成し、実現成就するでしょう。
かつて使徒パウロは言いました
「あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう」
と。また主イエスも、サマリヤの地をお通りになったときに、言われました。
「あなたがたは知らないで礼拝しています」(ヨハ四・二二)
と。聖書は私たちにこう語っているのです。
"日本人よ。聖書に帰れ。聖書の教える神様に立ち返り、その御子イエス・キリストを救い主として信ぜよ。そのとき、あなたの信じる神道は完成し、日本人は、日本人としてのアイデンティティ(同一性、素性)――日本人が日本人であることを、本当の意味で回復するのだ"
と。私たちは、聖書に立ち返るとき、本当の意味で日本人になれるのです!
今日の多くの日本人は、日本人とは何なのかを知りません。たいへん漠然としていて、よくわかっていないのです。「自分たちは何なのか」「何者なのか」を知りません。
しかし、聖書を知るとき、日本人とは何なのか、日本人の起源はどこにあるのか、日本人はこれからどう生きるべきか、がわかってくるのです。
聖書を知るとき、日本人のアイデンティティがわかってきます。聖書に立ち返るとき、日本人は本当の意味で日本人になるのです。
私たちは単に一人の人間としてだけでなく、一人の日本人として、聖書の教える神様を信じなければなりません。聖書の中にこそ、日本人の魂のふるさとがあるのです。
<抜粋終了>
多神信仰の我々にまぬけな一神宗教になれと?
確かに、古代ユダヤの一族が日本に来ていた、来ていないは歴史のロマンであもしろいっちゃ、面白い。
でも、あから様な嘘はいかん。
どんな連中か実際みてみた。
レムナント出版
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/yomu.htm#kodainihon
タイトルにこんなのがある:
創価学会幹部、幸福の科学幹部からキリストへ
ユダヤの陰謀説のうそ
古代の日本人はヤハウェを信じていた
福音は世界を一周する
神道からキリスト教へ
統一教会のにおいがプンプンしてきますね・・・
阿修羅に集う良い子の皆様はお気おつけ下しませ。
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