http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/102.html
Tweet |
@ はじめに
日月神示は現代科学よりも先行しているのだろうか。ひふみ神示・白銀の巻は昭和24年(1949年)から25年(1950年)に作成されたものといわれる。この文書には素粒子物理学に言及すると思われる箇所が登場している。ひふみ神示・白銀の巻・第1帖である。
そこで、この部分について思考してみたのである。
A ひふみ神示・白銀の巻・第1帖 (抜粋)
「天地のことわり書き知らすぞ。」この巻しろかねの巻。天国ぢゃ、霊国ぢゃ、地獄ぢゃ、浄土ぢゃ、穢土ぢゃと申してゐるが、そんな分けへだてはないのであるぞ。・・・・・
八つの世界とは、 、 、 、ア、オ、ウ、エ、イであるぞ。八は固、七は液、六は気、五はキ、四は霊の固、三は霊の液、二は霊の気、一は霊のキ、と考へてよいのぢゃ。キとは気の気であるぞ。その他に逆の力があるぞ。九と十であるぞ。その上に又霊の霊の個から始まってゐるのであるが、それはムの世界、無限の世界と心得よ。・・・・・
この中で、『八は固、七は液、六は気、五はキ、四は霊の固、三は霊の液、二は霊の気、一は霊のキ、と考へてよいのぢゃ。』であるが、
@ 八は固体、七は液体、六は気体、五はキ(プラズマ状態)、と解釈できそうである。
プラズマ状態には何種類かあるが、電子が拘束状態を離れて自由に動き回り、そのために電子・原子・イオンなどが不規則な活動をする状態と考えられる。
A 「四は霊の固、三は霊の液、二は霊の気、一は霊のキ」、については全て『霊』が付されているから同種のものと推定されるが、八、七、六、五が「物質の三態」あるいは「四態」と考えるなら、それより小さいものは『素粒子』と考えられる。
今、盛んに言われる『クウォーク』を四の『霊の固』(あるいは三の『霊の液』)と考えるなら、それよりも微小な「三の霊の液」、「二の霊の気」、「一の霊のキ」が存在するということになりそうである。
つまり、人類は未だ物質の最小極限を究めていないということになるである。
B さらに付け加えるならば、『精神』が物質でないとするなら、上記の8種類以外の何かである可能性も考えられるのである。
B 仏教の宇宙観、『金剛界曼荼羅』と『胎蔵界曼荼羅』
省略
C おわりに
真実の自然科学と精神科学は決して矛盾対立するものではなく、単なる視点の相違ではないだろうか。
(自然科学の視点で観たものと精神科学の視点で観たものとは、実は同じものを別々に観て表現しているだけであって、本質は同じものではないだろうか)。
我々が物事を見極める場合には柔軟な思考をすべきではないだろうか。人生の真の意義とは『思考』と『体験』(あるいは『観察』を含む)、の「二大本義」であると思うから。
投稿者がコメント機能をカットして投稿したためコメントできません。
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常
|動画・ツイッター等
|htmltag可(熟練者向)
(タグCheck
|タグに'だけを使っている場合のcheck
|checkしない)(各説明)
(←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)
↓パスワード(ペンネームに必須)
(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
重複コメントは全部削除と投稿禁止設定
ずるいアクセスアップ手法は全削除と投稿禁止設定
削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告」をお願いします。 最新投稿・コメント全文リスト