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人生を浪費するか結実させるか、心に分岐点あり第19回 忙しい時に聞いてほしい吉田松陰の教え
2015.5.15(金) 藤田 耕司
吉田松陰の肖像画(ウィキペディアより)
NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」でも話題の吉田松陰。幕末において数多くの志士を育て、日本変革の原動力となり、そして人々の心を奮わせる数々の言葉を残した吉田松陰は、29歳という若さで、この世を去った。
彼は刑死する前日、徹夜で遺書とも言える「留魂録」を書き上げた。
「身はたとへ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」
「留魂録」はこの一節から始まる。明日、生物としての命を失うことになるが、それでも私はまだ生きて日本を国難から守る。
これは私なりの解釈であるが、この言葉を読み返すうちに、「生きる」ということの定義を改めて考えさせられた。
生きることの定義
生物としての命を維持することを「生きる」と言うのか、それとも成し遂げたい想いに向かって邁進し続けることを「生きる」と言うのか。
毎日、クタクタになるまで仕事をし、家に帰ると風呂に入って寝るだけ。日々、忙しく一生懸命に働いているし、充実していると言えば充実している。しかし、自分の人生、果たしてこのままでいいのだろうかという漠然とした悩みが頭から離れない。
こういう会社にしたい、こういう仕事がしたい、こういう人間になりたいというイメージはあるのだが、日々の仕事に追われ、それどころではない。
私は経営コンサルタントとして経営者・管理職の方のご相談を受けることが多いが、これまで何度となくこういった悩みを聞いてきた。
それほど多くの方が抱えている悩みである。
こういった悩みは、がつんと来るようなダメージはないものの、じわりじわりとダメージが蓄積され、どことなく憂鬱な気分のまま日々を過ごすことにつながりやすい。
何もせずに悶々とするよりは、できる範囲で実際に動いてみた方が精神的に楽になれる。そして、前に進んでいることを実感できれば、自信がつき好循環に入っていける。
しかし、「分かっちゃいるけど、なかなかねぇ」の言葉が口をついて出てくる。
こういったご相談を受けた場合、私は仕事を2種類に分けて考えてもらうようにしている。1つは日々を生きていくための仕事。
もう1つは自分の人生を前に進めるための仕事である。
クタクタになるまで働いただけではゼロ点
自分の人生を前に進める仕事とは、こういう会社にしたい、こういう仕事がしたい、こういう人間になりたいというイメージの実現のために必要な仕事である。
そして、「人生を前に進めることができたかどうか」という基準で1日の過ごし方を評価する習慣をつけるようにお薦めする。
どれだけクタクタになるまで仕事をして1日を終えても、人生を前に進めることができなかったのであれば、1日の過ごし方としては0点である。
経営者として新たな事業を展開したいので、そのための時間を確保するため、今まで自分がやっていたA社の仕事を部下に任せるようにしてみた。
将来的にこういう仕事をしたいと思っているので、そのために必要なスキルや経験を今日の仕事から得ることができた。
憧れの上司は聞き上手で、あんな人間になりたいと思っているので、今日は部下の話を共感しながら一生懸命聞くようにしてみた。
こういう1日の過ごし方ができれば高得点である。
人生が前に進んでいようがいまいが、クタクタになるまで仕事をすれば十分仕事をした気になる。しかし、この感覚こそが要注意である。
クタクタという疲労感を1日の過ごし方の評価基準とするならば、先の漠然とした悩みが解消されないことに対して、正当な言い訳を与えてしまうことになる。
「クタクタになるまで働いたんだからいいじゃないか」と。
人生を前に進めるための価値観
そうならないようにするために、疲労感とは別に、「人生を前に進めることができたか」という評価基準を持つことが必要になる。
そうやって「自分の人生を前に進める」という基準から1日の評価を毎日行うようにする。
ただ、こういった評価を行ったとしても、毎日0点続きでは意味がない。忙しくてやっぱり無理と言いたくなるのは承知の上である。
無理と言えば無理なのであり、いつまで経っても人生は前に進まない。光陰矢の如し、そうやっているうちにも時間は着実に進んでいく。
歳を重ねるたびに焦りを覚えるが、年月とともにだんだんと焦りはどことない憂鬱さに変わっていき、どことない憂鬱さはだんだんとあきらめに変わっていく。
それは分かっていても、継続的に行動を変化させ、習慣や人格、能力を変化させ、そして人生を変化させるためには並々ならぬエネルギーがいる。
そのエネルギーを捻出するためには、変化の必要性を「こころ」で分かる必要がある。
前回の記事「壁にぶつかった企業を甦らせた山本五十六の言葉」でもお話ししたが、人間の「分かる」レベルには2段階ある。
「アタマ」で分かるレベルと「こころ」で分かるレベルである。
人間の大脳には理性・思考を司る脳と感情・情動を司る脳とがあり、ここでは前者を「アタマ」、後者を「こころ」と呼ぶ。
腑に落ちることで行動が生まれる
「アタマ」で分かるレベルとは内容を理解できたレベルである。そして、「こころ」で分かるレベルとは、その内容に関して強い感情を味わい、腑に落ちるレベルである。
「アタマ」でそのことの必要性を理解するだけでは行動や発言、あり方に変化が起きることは難しい。
しかし、「こころ」で必要性が分かると行動や発言、あり方に変化が起きる。「痛い目に合わないと分からない」という言葉があるが、まさにこれは強い感情を味わって初めて行動が変化することを意味する。
変化を促進するための秘訣は、「アタマ」だけではなく、「こころ」でも分かるように体感、体験し、そして強い感情を味わうことである。
「身はたとへ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」
命を失ってもなお生きて想いを遂げようとする吉田松陰の言葉は、何を持って「生きる」とするかを考えるきっかけを与えてくれる。
彼にとっての人生を前に進める仕事、それは国難から国を守るということだった。ぶれることなくその一点に想いを置き、命を失った後もなお人生を前に進めようとしていた。
彼に言わせれば、日々を生きていくための仕事、人生を前に進めるための仕事といった区別を設けることすらナンセンスなのかもしれない。
日々を生きていくための仕事に忙殺され、人生を前に進めることなく、年月とともに焦りがどことない憂鬱さに、そしてどことない憂鬱さがあきらめに変わっていく。そんな生き方を目の当たりにした時、29歳の吉田松陰は何と言うだろうか。
もちろん日々を生きていくための仕事もままならない状態で、人生を前に進める仕事ばかりしようとするのは現実的ではなく、バランスが大切なのは言うまでもない。
しかし、時代を超えて今もなお吉田松陰の生き方や言葉が人々の心をとらえてやまないのは、人生を前に進める必要性を「アタマ」だけでなく「こころ」でも分からせてほしいという人々の願望の現れなのかもしれない。
彼はこんな言葉も残している。
「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし」
何をもって「人生を前に進める」とするのか。そして、今日は人生を前に進めることができたか。
吉田松陰の数々の言葉は、この質問を自らに問いかけ続け、少しずつでも前に進んでいくためのエネルギーを現代の我々にも与えてくれる。
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