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より
転載はじめ
シャトル酋長のアメリカ大統領への手紙
2007-09-25 14:22:38 | デイトレ クロカン「生命の織物」
1854年
アメリカインディアン、シャトル酋長のアメリカ大統領への手紙
ワシントンの大統領様のお便りによれば、我々の土地を買い上げたい、とのこと。友情と行為のお言葉も添えてあります。お親切なことです。我々の側からの友情はそれほど必要とはされていないということは我々もよく存じております。しかし、あなた方の申し出を考えさせていただきます。我々が売らなければ、白い人は銃を持って私どもの土地を取り上げに来るかもしれませんから。
この申し出の考え方は我々にとっては不慣れなものです。大気の新鮮さや水の輝きが正に我々の所有物だというのでないのなら、どうしてそういう空気や水をおまえから買う、と言えるのでしょうか。この地域のどの部分もそれは聖なるものです。輝く松葉、砂浜、奥深い森の霧、すべての切り透かし、そしてハミングする虫たち、皆、この民の思いの中で、また体験の中で聖なるものなのです。木々をめぐる樹液は、赤い人の思いを運んでいます。
だからワシントンの大統領様の、我々の土地を買いたい、という申し出は、我々にとってあまりに大きな要求です。我々が楽に暮らせる代替え地を用意する、と申されます。彼は我々の父となり、我々は彼の子供となるというわけなのでしょう。だから我々の土地を買いたいとのご希望は考えてみましょう。しかし、それは容易なことではありません。何故ならこの土地は我々にとって、聖なる土地だからなのです。
小川や河に流れる輝く水は、ただの水ではなく、我々の祖先の血なのです。もしも我々がこの土地をあなた方に譲るとすれば、あなた方はあなた方の子供たちに、ここは聖なる土地であり、湖の清らかな水の一つ一つのかすかな照り返しは正に我々の民の生活の出来事と思い出を語っているのだということを必ず教えてやってください。
水のささやきは私の父の父の声です。川は我々の兄弟であり、我々の渇きをいやしてくれます。川は我々のカヌーを運び、我々の子供たちを養います。もし我々のこの土地をあなた方に譲るとするなら、そのときあなた方は、川とは我々の、そしてあなた方の兄弟であり、どの強打意味の示すその親切を川にも示さねばならぬことを、必ず思い出してください。そしてそのことをあなた方の子供たちに必ず語り聞かせてください。
白い人の死者は、星の間を歩き始めると、生まれ故郷を忘れます。我々の死者は決してこの美しい大地を忘れることがありません。何故ならそれは、赤き人々の母だからです。我々は大地の一部であり、大地は我々の一部です。香り高き花は我々の姉妹であり、鹿や馬や大きな鷲は我々の兄弟です。岩場の山頂、野原の霧、ポニーの温かい体、そして人間、皆、一つ同じ家族に属しています。
今迄、赤き人々は、白人の侵攻の前にいつも退いてきました。丁度、山の霧が朝日の前から逃げるように。しかし、我々の祖先の遺骨は聖なるものであり、その墓地も、その丘も、その木々も、その土地も、我々にとって聖別されたものなのです。
白い人は、我々の生き方を理解しない、ということは知っています。彼は夜やってくる異邦人のように、その土地から彼に必要なものを何でも取り上げます。土は彼の兄弟ではなく、敵なのです。そして征服が終わると次へと移ってゆくのです。彼は自分の祖先の墓も置き去りにします。気にもかけません。自分の子孫たちから土地を奪い取ります。気にもかけません。祖先たちの墓も子供たちの相続権も忘却の彼方に置き去ります。彼は母なる大地や兄弟なる空を、買い取ったりぶんどったりする物のように、また、売り渡す羊や輝く飾り玉のように扱います。彼の欲望は大地からすべてを奪い取り、後にはただ砂漠を残すだけでしょう。
私には分かりません。我々の生き方はあなた方の生き方とは違うのです。白い人の都市の景観は、赤い人の目を痛めます。多分、赤い人が野蛮で、事情を理解しないからでしょう。白い人の都会には静寂な場所が一つもありません。
春、木の葉の広がる音を聞き、虫の羽音に耳傾ける場所などありません。多分、私が野蛮人で、分からないからなのでしょう。そこでは騒々しい音だけが耳を侮辱しているように思われます。もし夜鷹の寂しい鳴き声や、夜の池の周辺の蛙の論争が聞こえないのなら、他に、人生にはどのような内容があるというのでしょうか?私は赤い人だから分からないのでしょうか。インディアンは、むしろ、池の上を走る風の優しい音や昼間の雨に清められたロッキー松の香りを運ぶ、その風そのものを大切にするのです。赤い人にとって大気はかけがえのない物です。だってすべての存在が、−動物も、木も、人間も− その同じ息吹を分かち合っているではありませんか。みんな同じ息吹を分かち合っているのですよ。白い人は自分の吸う大気に気づいていないように思われます。長い間死んでいる人のように、彼は、悪臭の気に無感覚です。
しかし、もし我々が我々の土地を売るようになる場合も、あなた方は、大気が実にかけがえのないものであること、大気は、それが支えているすべての生き物と、大気の霊を分かち合っているのだということを決して忘れないでください。l我々の祖父に、その最初の息を与えた風は、彼の最後の吐息を受け取ります。そして風は、我々の子供たちに、その命の霊を与えねばなりません。もし我々の土地をあなた方に売るようになる場合、あなた方は、この土地を、白い人にとっても、野の花々の甘さを運ぶ風を味わいに行ける場所として区別し、聖なる土地として保ってください。
我々の土地を買いたい、という申し出を考慮しますが、それを受諾する一つの条件を提示します。それは−白い人がこの土地の動物たちと、自分たちの兄弟として交わる−ということです。私は野蛮で、他の生き方を理解しません。私は牧草地で、千頭もの腐敗いている野牛を見ました。通りすがりの列車から、白人たちが射殺した野牛です。私は野蛮人です。我々がただ生命を支えるためにだけ殺す野牛よりなぜ煙りを吐く鉄の馬の方が大切であり得るのかわかりません。動物なしに人間とはなんなのでしょうか。すべての動物がこの地上から姿を消したら、人間たちも、霊の寂しさが大きすぎて死ぬでしょう。動物たちに起こることは、まもなく人間たちにも起こるのです。すべての存在は結び合っています。
あなた方は、ご自分の子供たちに、足の下の大地は、我々の祖先たちの遺骨の灰であることを教えねばなりません。彼らが大地を尊ぶためです。子供たちに、地球は我々の親族の命で豊かになっているということを語り聞かせてください。我々が我々の子供たちに教えたこと、すなわち、大地は我々の母である、ということをあなた方の子供たちに教えてやってください。大地に降りかかることは、大地の子らの上に降りかかります。地上に唾を吐くことは自分自身に唾を吐くことです。我々は知っています。すべての存在は結び合っていることを。大地に降りかかることは何事であれ、大地の子らに降りかかります。人間が生命の織物を織ったのではありません。彼はただその織物の中の一本のより糸にしか過ぎません。彼が織物に対してすることは、自分自身に対してすることなのです。
しかし、我々は、あなた方が、私どもの民に用意した指定地に行くようにという申し出を考えてみましょう。我々は別に、そこで平和に過ごしましょう。どこで残りの人生を送るかはたいした関心事ではありません。我々の子供たちは、彼らの父たちが敗北の中で卑下するのを見てきました。我々の戦士は恥を感じ、敗北の後、怠惰のうちに日を過ごし、その体は甘美な食物と強い飲み物に汚染されました。残りの日々をどこで過ごすかは大して重要なことではありません。残り少ない日々です。もう少しの時間、もう少しの冬が過ぎれば、かつてこの土地に生きていた大民族の子供たち、或いは、今、森の中で流浪している小民族の子供たちは一人の残らず消えるでしょう。今のあなた方のように、かつては力と希望に満ちていた人民の墓石への追悼はなくなるでしょう。しかし何故私は、我が民の過ぎ去りゆくのを嘆くのでしょうか?
民族は人々から成り立っています。それ以上のことではありません。人間は、寄せては返す波のようなものです。
友が友にするように、そのカミが共に歩き共に語る白人でさえ、共通の運命(さだめ)から逃れるわけにはゆきません。結局、私たちは兄弟たちかも知れません。あとでわかるでしょう。ただ一つのことを我々は知っています。白い人はいつの日か発見するかも知れません。
それは−我々のそれぞれの神は、同じ神だ−ということです。
我々の土地を所有することを欲しているように、そんな風にあなた方の神を所有しているとあなた方は今考えているかも知れませんが、そんなことは出来ません。彼は人間の神です。そして彼の憐れみは赤い人に対しても白い人に対しても平等です。この大地は神にとってかけがえのないものです。この大地を害することは、その創造者への軽蔑を積み重ねることです。白人もいずれ亡んでゆくでしょう。多分他のすべての民族たちよりも速やかに。寝床を汚染し続けるなら、或る晩、自分自身の屑留の中で窒息死するでしょう。しかし、あなた方が亡びるときは、明るく輝くでしょう。或る特別な目的のために、あなた方をこの土地に導き、この土地をそこの赤い人々とを支配させた、その神の手によって燃やされて。
この運命は私共には神秘のヴェールの中にあります。何故って、野牛たちが全部射殺されたのも、野生の馬が飼い慣らされたのも、森のひそかな籠もり場に多くの人間の臭いが重く立ちこめるようになったのも、そして、爛熟した丘々が、おしゃべりのための多くの伝染で汚されたのも、我々には理解出来ない、からです。茂みは何処?もう消えた。鷲は何処?消えた。足の早いポニーや狩猟に別れを告げるということはどういうことなの?生きることの終わりで生き残ることの始め。
我々の土地を買いたいという申し出を考慮してみます。若し我々が賛成するならば、それは、お約束になった代替え地を確保することを意味します。多分そこで残された短い日々を、望むように生きられるのでしょう。最後の赤い人が地上から消え、彼の記憶が、牧草地を通り過ぎる雲の陰のようになった時でも、あの浜辺や森たちは私の民の霊を保っていることでしょう。何故って、彼らは、生まれ出た赤子が母親の心臓の鼓動を愛するように、この大地を愛していたからです。
だから、もし我々が我々の土地をあなた方に売るなら、我々がこの土地を愛したように愛してやってください。あなた方がそれを取り上げた時、そのままの土地の姿を心に刻んでください。すべての力を以て、すべての思いを以て、あなた方の子供たちのために、そのまま保存してください。そしてその土地を愛してください。
・・・・・・神が私共みんなを愛し給うように!
ただ一つのことを我々は知っています。それは、我々の神は同じ神だという事を。大地は彼にとってかけがえのないものだということを。白人でさえ、共通の運命から除外されて降りません。とどのつまり、我々は兄弟でありうるのです。
今にわかるでしょう。
転載おわり
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